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東京六大学の対戦カード順

00/08/25作成
13/12/19更新

◆このページを作成したのは、当サイトの開設まもない頃でした。最終更新日現在、更新の対象としているのは、東都1部リーグ優勝校の前季順位のみです。


東都方式

かつて某国立大学硬式野球部Webサイトの掲示板で、東京六大学の「第7週を法明・立東に固定せよ」論争があったらしい(00年春の話)。これに注目していたH氏から「東京六大学の対戦カード順にどういう規則性があるのか謎を解け」という指令を受けた。まあ、先輩には逆らえない?から、やってみた。

結論から言えば、早慶上位校の順位により3パターンあることが判明した。過去事例に照らし合わせても、ほぼ間違いはなかろうと考えられる。

東京六大学の前に、いたってシンプルな東都方式を紹介しよう。東都大学リーグの対戦カードは1部から3部まで共通で、次のような規則性がある(いつから採用されたかは知らない)。

東都  前季1位 前季2位 前季3位 前季4位 前季5位 前季6位
第1週  5位   −−   6位   −−   1位   3位
第2週  −−   5位   −−   6位   2位   4位
第3週  4位   3位   2位   1位   −−   −−
第4週  6位   −−   5位   −−   3位   1位
第5週  −−   6位   −−   5位   4位   2位
第6週  3位   4位   1位   2位   −−   −−
第7週  −−   −−   4位   3位   6位   5位
第8週  2位   1位   −−   −−   −−   −−

第7週までは2カードだ。その週に登場する4チームのうち前季最上位校が絡んでいるカードが、初日(3日目)第1試合で、なおかつ2日目第2試合になる(この点では東京六大学も同じ)。したがって、03年春の開幕カードは02年秋に優勝した亜大と02年秋に5位だった中大が対戦する。東都のわかりやすさは、これだけではない。

対戦する両チームのうちの前季上位校は、常に1回戦(3回戦)で三塁側先攻、2回戦では一塁側後攻となる。日程もベンチサイドも先攻・後攻も、すべて前季の順位だけで決まる。この東都方式はきわめてシンプルで、不公平感はない。

▲95年秋の1部は、全日本絡みの変則日程でした。
▲『東都スポーツ』を詳細に見ていくと、引き分けが入った場合の3部で、先攻・後攻が原則どおりではないケースもときに見受けられます。
▲私が勝手に「東都方式」と呼んでいるだけのことですので、この仕組みが東都リーグから広まったとは限りません。
▲05年秋の亜大は2部最下位扱いでした(05年春は出場停止で2部自動降格)。

唯一の欠点は、前季4位チームが実質6週間で全5カードを消化しなければならない点だ。前季優勝チームだけは8週間、ほかの4校は7週間で消化することになる。

優勝チームの前季順位

念のため、東都1部で優勝したチームの前季順位を調べてみたら、次のとおりだった。日程が詰まる前季4位校がとくに不利とも言えないようだ。また、余裕のある日程が前季優勝校を有利に導いているとも言いにくい。

東都1部の優勝回数(1946年秋〜2007年秋)
前季順位 優勝回数 最新の事例
前季1位校
前季2位校
前季3位校
前季4位校
前季5位校
前季6位校
前季2部校
29回
40回
26回
14回
9回
3回
1回
(23.8%)
(32.8%)
(21.3%)
(11.5%)
(7.4%)
(2.5%)
(0.8%)
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07年春秋連覇の東洋大
06年春2位で06年秋Vの亜細亜大
06年秋3位で07年春Vの東洋大
00年秋4位で01年春Vの日本大
98年秋5位で99年春Vの青山学院大
00年春6位で00年秋Vの東洋大
68年秋2部Vで69年春1部Vの日本大

もっとも、東都の場合は、もともと火曜日から1回戦が始まるとは限らないという気の毒な面がある。01年秋は日程未消化のカードを東京六大学の新人戦が終わってから、ナイター開催しなければならなかったくらいだ。02年春の第7週は、1日3カードに日程変更された。

8週のチームより6週のチームが不利なのかどうか、東都のデータで検証するためには、実際の試合日を確認する必要がある。また、現行システムがいつから機能したのかも調べなくてはならない。

蛇足ながら、大学野球のリーグ戦では、一塁側後攻・三塁側先攻がスタンダードだと思われる(早慶戦は「スペシャル」なのであろう)が、一塁側チームが先攻で三塁側チームが後攻だったケースを私は1度だけ見たことがある。

97年10月18日、岡山県野球場での中国地区大学リーグ第2試合(最終週初日の3試合日)は、一塁側の岡山商科大が先攻、三塁側の吉備国際大が後攻だった(第1試合と第3試合は原則どおり)。私の経験では、今のところこれが唯一の例外である。

東京六大学は3パターン

さて、本論に入ろう。東京六大学の場合、東都と違って6校間相互の順位はあまり関係はない。肝心なのは、(ア)早慶2校間の順位、(イ)法明立東4校間の順位、それに(ウ)早慶上位校の6校間での順位だ。この中でも(ウ)がもっとも重要である。(ウ)に基づき、次の3パターンで対戦カード順が異なるのだ。

(A)早慶のどちらかが1位

(B)早慶の上位が2位

(C)早慶いずれも3位以下

00年秋季の順位は慶法立早明東だった。1位が慶で、早は4位だ。したがって、01年春季の組み合わせは(A)パターンになる。

(A) 早慶上位 早慶下位 4校1位 4校2位 4校3位 4校4位
第1週 4校4位 4校3位  −−   −−  早慶下位 早慶上位
第2週  −−   −−  4校4位 4校3位 4校2位 4校1位
第3週 4校2位 4校1位 早慶下位 早慶上位  −−   −− 
第4週 4校3位 4校4位  −−   −−  早慶上位 早慶下位
第5週  −−   −−  4校3位 4校4位 4校1位 4校2位
第6週 4校1位 4校2位 早慶上位 早慶下位  −−   −− 
第7週  −−   −−  4校2位 4校1位 4校4位 4校3位
最終週 早慶下位 早慶上位  −−   −−   −−   −− 

この表に当てはめていけばいい。早慶上位=慶応、早慶下位=早稲田、4校1位=法政、4校2位=立教、4校3位=明治、4校4位=東大だ。開幕週のカードは慶応対東大、早稲田対明治になる。慶応が前季優勝校だから、開幕戦(第1週初日第1試合)の権利は慶応にある。

開幕カードは1位と6位ではない

次は(B)パターンだ。これは、早慶以外が優勝して、早慶のどちらかが2位になった場合だ。01年春は法早立明慶東の順位だった。01年秋の第1週初日は、第1試合で4校1位の法政が4校4位の東大と対戦し、第2試合で早慶下位の慶応が4校3位の明治と対戦した。

(B) 早慶上位 早慶下位 4校1位 4校2位 4校3位 4校4位
第1週  −−  4校3位 4校4位  −−  早慶下位 4校1位
第2週 4校4位  −−   −−  4校3位 4校2位 早慶上位
第3週 4校2位 4校1位 早慶下位 早慶上位  −−   −−
第4週  −−  4校4位 4校3位  −−  4校1位 早慶下位
第5週 4校3位  −−   −−  4校4位 早慶上位 4校2位
第6週 4校1位 4校2位 早慶上位 早慶下位  −−   −−
第7週  −−   −−  4校2位 4校1位 4校4位 4校3位
最終週 早慶下位 早慶上位  −−   −−   −−   −− 

第3週、第6週、第7週、それに第8週は、(A)パターンと変わらない。次の(C)パターンとも共通だ。

(C)パターン、すなわち早慶いずれも3位以下の場合には次のとおりになる。最近では00年春と00年秋がこのパターンだった(99年秋は立法早…の順で、00年春は法明早…の順)。

(C) 早慶上位 早慶下位 4校1位 4校2位 4校3位 4校4位
第1週 4校3位  −−  4校4位  −−  早慶上位 4校1位
第2週  −−  4校4位  −−  4校3位 4校2位 早慶下位
第3週 4校2位 4校1位 早慶下位 早慶上位  −−   −−
第4週 4校4位  −−  4校3位  −−  4校1位 早慶上位
第5週  −−  4校3位  −−  4校4位 早慶下位 4校2位
第6週 4校1位 4校2位 早慶上位 早慶下位  −−   −−
第7週  −−   −−  4校2位 4校1位 4校4位 4校3位
最終週 早慶下位 早慶上位  −−   −−   −−   −− 

開幕カードは「1位と6位の対戦」だと思っている人も多いだろうが、もしそれが正しいなら、早慶が1位と6位になった場合、いきなり早慶戦をやるのか、という話になる。東京六大学の開幕カードは、厳密には前季1位と4校間4位との対戦なのである。こうしておけば、開幕週から早慶戦をやらずにすむのだ。

先攻・後攻はジャンケン

というより、早慶戦を特別扱い(最終週に固定)するためには、このようないささか複雑なトリックが必要になるだけのことだ。だから、あまり公表したくはないだろう。念のため、H氏の協力を得て特殊なケースについての過去事例を検証してある。

なお、東京六大学の先攻と後攻に関しては、どうやらジャンケンで決めているらしい。東都と東京六大学との相違をまとめると、次のようになる。

東京六大学と東都の相違点
相違点 東京六大学 東都
対戦カードの決定 前季順位によるが、早慶と他の4校では扱い
が異なる
前季順位によって自動的に定まる
先攻と後攻 ジャンケンで決めているらしい
(2回戦は1回戦と逆、3回戦は1回戦と同じ)
ベンチサイド 同上(早慶戦は固定)
1回戦(第1試合A対B、第2試合
C対D)が雨で中止の場合の翌日
当初予定された2回戦のカードが1回戦として
おこなわれる(第1試合D対C、第2試合B対A)
1回戦がそのままスライドする
(第1試合A対B、第2試合C対D)
2回戦以降(第1試合A対B、第2
試合C対D)が雨で中止の翌日
そのままスライドする (第1試合A対B、第2試合C対D)
引き分けの場合の翌日 引き分けの試合と先攻・後攻が入れ替わる
ベンチサイドも入れ替わる(早慶戦を除く)
引き分けの試合と先攻・後攻は同じ
ベンチサイドも同じ

怠惰と放縦

さて、(A)(B)(C)いずれの場合であっても、4校間2位校は6週間で全5カードを消化しなければならない。(A)パターンの場合の4校間1位校も同じだ。ところが早慶は、7週間もしくは8週間でのんびりと5カードを消化できる。これは東都とは明らかに異なる。

東都の4位校も6週間で5カード戦わなければならない。だが、4位になる可能性はどのチームにもある。六大学の場合、早慶が貧乏くじをひくことはない。最初からその可能性は排除されている。そもそも早慶戦を最終週に固定したことが元凶なのだ。

ここまでつきあってもらえた人なら、6月の大学選手権もきっと見ているだろう。大学選手権のパンフの表紙をめくると、「日本学生野球憲章前文」という、たいそう立派な文章が載っている。しかも毎年だ。複数の連盟パンフにも掲載されている。よほどのお気に入りに違いない。

学生野球憲章前文

 われらの野球は日本の学生野球として学生たることの自覚を基礎とし、学生たるを忘れてはわれらの野球は成り立ちえない。勤勉と規律はつねにわれらと共にあり、怠惰と放縦とに対しては不断に警戒されなければならない。元来野球はスポーツとして其れ自身意味と価値を持つであろう。しかし、学生野球としてはそれに止まらず試合を通じてフェアの精神を体得する事、幸運にも奢らず悲運にも屈せぬ明瞭強靭な情意を涵養する事、いかなる艱難をも凌ぎうる強健な身体を鍛錬する事、これこそ実にわれらの野球を導く理念でなければならない。

「野球は遊びではないのだ」と言い訳しなければいけない時代があったということだろう。それにしても、ずいぶん格調高くひねり出したものだ。「試合を通じて」以下は、別に野球だけの特権ではないだろうし、学生(彼らの組織は大学と高校のみであり、いわゆる専門学校は含まない)の専売特許でもないはずだ。

どうせ、起草者は東京六大学のOBに決まっている。早慶が貧乏くじをひかずにすむシステムは、はたして「フェア」であろうか? それを押しつけることを「放縦」と呼ばないのだろうか? それを放置することは「怠惰」ではないのだろうか?

ファイナル・ゲームは強い者同士の文字どおり「最後の」決着の場であるべきだと私は思っている。東都、仙台六大学、東京新大学、阪神、広島六大学などほかの8週開催のリーグでは(関西学生を除いて)前季1位校と2位校でファイナルを戦う。

いつも最終週で「勝ち点をとったほうが優勝」というわけにはいかないだろうが、強い(であろう)者にファイナルへの資格が与えられるのは自然な姿だ。

ファイナル・ゲーム

トーナメント大会の最終日に決勝と3位決定戦の2試合をおこなうとき、決勝戦のあとに3位決定戦をやるだろうか? すくなくとも私が見聞きした範囲では、そんなことはしない。3位決定戦は前座、決勝こそが「ファイナル」なのだ。

プロ野球の日本シリーズは、あくまでも両リーグの優勝チーム同士の対戦である。そこでは「伝統の一戦」(あるいは「伝統だけの一戦」)が優先されることなどない。日本シリーズに価値があるのは勝者同士の対戦だからだ。実際、日本シリーズは「ファイナル」にふさわしいゲームが多い。

しかし、私は早慶戦単独開催まで否定するわけではない。観客はたくさん入るのだから、球場側の問題も出てくるだろう。単独開催を認めたうえで、私は次のように提案する。「Cパターンの場合には第7週と最終週を入れ替えよ」。

最終週単独開催の権利がほしければ自力で手に入れろ。早慶戦をファイナルにしたければ、どちらかが2位に入ればいいのだ。そんなに難しい条件ではない。現に91年春から00年秋までの20シーズンでは、Aパターンが7回、Bパターンが4回で、Cパターンは9回だ。文句があるなら勝て。

日本の野球史に対する早慶の貢献を否定するわけでもないし、軽視するつもりもない。だが、それとこれとは話が別だ。特定のチームではなく、強い者がファイナルを戦うことこそ「フェア」だと私は思う。早慶がファイナルにこだわるとすれば、それは「放縦」以外の何ものでもない。法明立東がファイナルを要求しないことは「怠惰」でさえある。

もし「早慶あっての六大学」と言われたなら、法明立東は怒れ。怒らなければ「頭を下げてでも1リーグに」と言った(らしい)どこかの球団のオーナーと同じだ。以上、学生野球憲章前文の高邁なる理念に基づき、Bパターンはともかく、せめてCパターンの場合は最終週と第7週を入れ替えるべきである。

1960年秋、伝説の早慶6連戦(実際には、日曜日に始まり、プレイオフ初戦の水曜日までの4連戦。その後、木曜日を挟んで、金曜日の再試合と土曜日の再々試合)に先立ち、飛田穂洲氏は「早慶戦が健在である限り学生野球の生命は絶えない」と述べていたそうだ。

それはその時代が言わせたセリフなのであって、彼が今も存命なら、そんな言葉は出てこないはずだと私は思っている。

関西学生リーグ

参考までに関西学生リーグの面白い日程を紹介しよう。00年春季リーグ戦のものだ。なお、この日程はベースボールマガジン社発行の『大学野球』誌00年春号によるものであり、「初日」とは実際に試合がおこなわれた日ではなく、予定されていた日のことだ。

00年春
関西学生  初日  球場  立命 関大 同大 近大 関学 京大
第1週 4/01 西京極  京大 同大 関大 −− −− 立命
第2週 4/08 西京極  −− −− 近大 同大 京大 関学
第3週 4/13 皇子山  関学 近大 −− 関大 立命 −−
第4週 4/28 GS神戸 関大 立命 関学 −− 同大 −−
第5週 5/08 西京極  −− 京大 −− 関学 近大 関大
第6週 5/15 西京極  近大 −− 京大 立命 −− 同大
第7週 5/19 甲子園  −− 関学 −− −− 関大 −−
第8週 5/28 西京極  同大 −− 立命 京大 −− 近大

関西学生リーグは苦労が多い。なにしろ、東京六大学なら特別扱いするのは早慶戦だけでいいが、関西学生では同立戦と関関戦を並び立てなければならないのだ。そのうえ日生球場がなくなって、球場も固定していない。さぞかし日程づくりにも苦心しているだろう(規則性については、とても調べる気にならない)。

この日程では、関学は第2週から第5週まで4週連続でカードが組まれている。実際には、第3週と第4週の間が空いているので、2週連続で試合があって1週休み、また2週連続で試合があって1週休み、そして甲子園の関関戦になる。そう考えれば、まあ妥当だ。

しわ寄せ(?)は京大に行った。第3週と第4週が休みの京大は、第2週の関学戦から第5週の関大戦まで、ほとんどまるまる1カ月お休みだ。京大野球部の00年GWは長かった。2カ月しかないリーグ戦開催期間の真ん中の1カ月が空白になっているのは、よほど特別な事情があるのだろう。

ひょっとすると海外遠征でも行ったのだろうか。そうだとすれば納得できる。センバツの「21世紀枠」も同じことだが、どこかを特別扱いすれば、必ずほかのどこかにしわ寄せが及ぶのだ。わざわざ大学まで行っているのだから、それぐらいのことは覚えておけ。まあ、そんなことは百も承知で、こういう日程を組んでいるのだろうけれど…。

かつての愛知リーグ

関西学生とは対照的な日程を組んでいたのが、98年以前の愛知リーグだ。95年秋、私が見に行ったときの日程は次のとおりだった。第1週には前季1位校も前季2位校も出ない。6チーム全部が7週間で5カードを消化する。3週連続で試合をやるチームもない。これはこれで1つの理想だと思われる。

95年秋
 愛知 名城大 愛院大 愛工大 愛知大 名商大 中京大
第1週  −   −  中京大 名商大 愛知大 愛工大
第2週 中京大 愛工大 愛院大  −   −  名城大
第3週 愛知大 名商大  −  名城大 愛院大  −
第4週  −   −  名商大 中京大 愛工大 愛知大
第5週 愛工大 中京大 名城大  −   −  愛院大
第6週 名商大 愛知大  −  愛院大 名城大  −
第7週  −   −  愛知大 愛工大 中京大 名商大
第8週 愛院大 名城大  −   −   −   −

別に前季優勝チームが開幕戦をやらなければならない法はない。開会式をやれば、優勝旗の返還はできる。東京六大学は東京六大学、東都は東都、勝手にやればいい。俺たちには俺たちの志がある。この日程にはそんなメッセージが込められているような気がして、私は好きだった。

このパターンは98年まで続いていたのだが、99年の春と秋は、開幕戦が1位と5位、最終週の単独開催カードは2位と3位になった。そして00年に「分裂」した。「愛知六大学」構想とは、周回遅れで時代を追いかけようとした者の発想なのだ。

(結果的に)5大学になったところもおマヌケな話だが、意地を張って収拾案を飲まなかったばかりに、揃って4部から出直しとは滑稽な話ではないか。

「六大学」は1つでいいのだ。「六大学」を名乗る限り、本家を超えられるはずがない。せいぜい縮小コピーだ。「**銀座」は銀座になれないし、「**富士」は富士山ではない。そして、「京都」ではないところに萩の魅力があるのだ。

ロッテ・ジャイアンツ

誰が名づけたのか、韓国プロ野球のロッテ球団のニックネームは「ジャイアンツ」だ。きっと「オリオンズ」(当時の日本のロッテ球団はまだマリーンズではなかった)のことをご存じなかったのだろう。もし、知っていたのだとしたら、「オリオンズ」ではなく「ジャイアンツ」のようなチームにしたかったのかもしれない。

韓国のロッテ球団に「ジャイアンツ」と命名した人物と、「愛知六大学」を作ろうとした人たちには、たぶん共通したものがある。自分に自信がなくてよそ様のブランドに頼ろうとしたのだ。究極的にはそういうことだと私は考えている。

私が1度だけ愛知リーグを見に行ったのは95年秋だった。神宮大会や大学選手権で東京に来るチームを見ても仕方がない。せっかく愛知まで行く以上、愛知でなければ見られないチームを見たい。だから下位4校が出る第7週に行った。

第2試合に岩瀬仁紀(当時愛知大、NTT東海を経てドラゴンズ)が3番センターで出ていた。6打数2安打2盗塁だ。延長12回引き分けの試合だった。誰かに聞いたらしくて「16:30を過ぎると新しいイニングには入らない」とメモしてある。

この日の対戦相手の愛工大は、二塁のベースカバーがことごとくショートだったような印象が残った。「エンドランをかけて三遊間に転がせば、全部ヒットじゃないか」と途中で思った(愛知大の盗塁企図数は10)。

のちに私は、盗塁成功のときでもベースカバーに入ったのがセカンドだったのかショートだったのか、スコアをつけるときに区別するようになった。そういうきっかけを作ってくれた1人が岩瀬だったわけだ。


◆1947(昭和22)年秋季リーグ戦は、慶法明立東早の順でした。優勝したのは慶応ですから、上記Aパターンになるはずです。Aパターンに従えば、開幕カードは慶東(早慶上位と4校4位)で、もう1試合が早立(早慶下位と4校3位)でなければなりません。縮刷版を調べたところ、1948(昭和23)年春の開幕は早法(早慶下位と4校1位)と慶立(早慶上位と4校3位)の対戦でした。雨で流れていますので、当初の予定は第1試合が慶立、第2試合が早法ということだったのでしょう。いずれにせよ、Aパターンそのものではなかったわけです。

◆当ページに掲げた3パターンは、主に1990年代中盤以降数年間の日程から、このような規則性があるということを私が「発見」したにすぎません。もともと私の同リーグへの関心は薄く、いつから今のようになったのかということについて、改めて調べたいという気にはなりません。東京六大学リーグは(今でも)もっとも恵まれた大学野球リーグです。ほかのリーグにくらべれば十分すぎるほどの記録が残っています。私がやることではないと考える次第です。

◆02年頃までは、発表された日程と照らし合わせていましたが、今ではそんなことはしていません。これまでのところ、実際の日程と相違しているとのメールをいただいたことはありませんが、もしそのような事実があるようでしたら、ご指摘いただければ幸いです。「3代目んだ」(1948年春の東京六大学)または「メールのページ」で承ります。変換ミス、数値の誤り、リンク切れ等も同様です。

★07/07/04校正チェック済、ケなし、順OK
★08/03/12HTML文法チェック済(エラーなし)
★ブリーフケース>大学>東都順位



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