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神宮大会通算成績 | 超えるとき | 東京六大学より東都?

東都が六大学を超えるとき

00/08/26作成
13/12/19更新

◆1936年、7球団で発足した日本プロ野球の監督は例外なく東京六大学OBでした。2リーグ分立初年度の1950年は計15球団のうち14チームの監督が東京六大学OBでした。


◇出身大学別プロ野球監督勝利数

『ベースボールマガジン』1999年夏季号は1冊まるごと「監督」特集だった。巻末には歴代プロ野球監督の年度別成績も収録されている。歴代の監督名鑑もある。資料が充実していると、いろいろ遊べて楽しい。監督の出身大学ごとに勝敗をトータルしてみた。代理あるいは代行も個別にカウントしてある。

出身大学別プロ野球監督勝利数
出身大学 通算 36〜49年 50〜74年 75〜99年 00〜07年 最近の監督
(シーズン当初のみ)
勝率 勝 - 敗 勝 - 敗 勝 - 敗 勝 - 敗
早稲田大 6372 6379 405 .500 1339-1179 3212-3267 1458-1604  363-329 岡田彰布(08T)
法政大 5908 5973 434 .497 934--813 2584-2340 1810-2169 580-651 山本浩二(05C)
慶応大 5230 4950 340 .514 662--768 3593-3283 871--732 104-167 山下大輔(04YB)
明治大 5206 5633 295 .480 1047-1149 2792-3112 1082-1112 285-260 高田繁(08S)
立教大 3986 3758 348 .515 118--209 1329-1176 2386-2253 153-120 長島茂雄(01G)
関西大 1930 1748 140 .525 119--139 452--371 1359-1238 上田利治(99F)
立命館大 688 789 64 .466 74--121 484--511 130-157 古田敦也(07S)
関西学院大 528 553 34 .488 408--298 120--255 石本秀一(53C)
同志社大 220 393 17 .359 93--184 89--112 38--97 田尾安志(05E)
近畿大 153 213 24 .418 153--213 有藤道世(89O)
専修大 960 909 145 .514 87--118 873--791 古葉竹識(89W)
日本大 753 896 87 .457 420--491 333--405 田宮謙次郎(73F)
東洋大 445 388 12 .534 57---78 388-310 落合博満(08D)
中央大 383 484 76 .442 7----6 376--478 穴吹義雄(85H)
東海大 302 260 8 .537 302-260 原辰徳(08G)
駒沢大 257 313 5 .451 127--138 130-175 大矢明彦(08YB)
芝浦工大 216 192 5 .529 216-192 伊原春樹(04BW)
東京海洋大 21 38 2 .356 21---38
合計 32960 33182 2375 .498

▲集計に際しては、中退も含めました。外国の大学を出た監督は集計対象から除外してあります。
▲『ベースボールマガジン』誌の監督名鑑に学制改革以前の校名が記載されていた有馬義一氏(東京高等商船)、石本秀一氏(関西学院高等部商科中退)、宮崎剛氏(同志社高商)は、東京海洋大、関西学院大、同志社大として集計しました。根本陸夫氏に関しては、法大と日大の両方に算入して合計から重複分を除外しましたが、表の右端「最近の監督」からは外してあります(日大)。
▲この集計を最初に試みたのは99年です(脚注参照)。したがって、時代区分は1リーグ時代(〜49年)、2リーグ分立前期(50〜74年)、同後期(75〜99年)のつもりでした。四半世紀という意味だけでなく、74年はジャイアンツの連覇が「9」で途切れた年ですから、区切りとして妥当だろうと思いました。
▲集計処理にはあまり自信はありませんから、この表に関していわゆる「孫引き」は慎んでいただいたほうが無難です。

『ベースボールマガジン』03年春季号の「学生リーグ別選手数」(125ページ)によれば、現役プロ選手の出身リーグは東都87人、東京六57人、首都24人、関西学生23人、仙台六15人の順だ(中退者は除く)。加盟校(21校)の多い東都が、その名のとおり6校だけの東京六大学より、現役プロ選手の数で上回っていても何の不思議もない。

だが、監督としての通算勝利数になると、3012勝の東都は26702勝の東京六大学の足元にも及ばない。9分の1だ。ただし、75年以降に限れば、東都は関西学生とほぼ互角だ。00年からの25年間では東京六大学といい勝負ができるだろう。

出身大学別の推移

シーズン当初の監督について、年度ごとに出身大学別に並べてみた(中退を含む、日本の大学のみ)。こちらではシーズン途中からの代理監督や監督代行は含めていない。

1936 (藤本定義、森茂雄、池田豊)、(横沢三郎、岡田源太郎)、(伊藤勝三、三宅大輔)
1937 (藤本定義、森茂雄、池田豊)、(横沢三郎、岡田源太郎、小西徳郎)、(三宅大輔)、関学(石本秀一)
1938 (藤本定義、森茂雄、根本行都)、(苅田久徳)、(岡田源太郎、小西徳郎)、(山下実、高須一雄)、関学(石本秀一)
1939 (藤本定義、森茂雄、根本行都)、(苅田久徳)、(岡田源太郎)、(山下実、高須一雄)、関学(石本秀一)、(高田勝生)
1940 (藤本定義、山脇正治)、(苅田久徳)、(松木謙治郎、小西徳郎)、(山下実、高須一雄)、関学(石本秀一)、(高田勝生)
1941 (藤本定義、竹内愛一、杉田屋守)、(苅田久徳)、(松木謙治郎、井野川利春)、(本田親善、三谷八郎)
1942 (藤本定義、竹内愛一)、(若林忠志)、(井野川利春)、(本田親善、三谷八郎)、(寺内一隆)、関学(石本秀一)
1943 (竹内愛一、中島治康)、(若林忠志、苅田久徳)、(枡嘉一)、(西村正夫)、関学(石本秀一)、(高田勝生)
1944 (若林忠志)、(藤本英雄)、(三宅大輔、加藤喜作)、(坪内道則)、(西村正夫)
1946 (藤本定義、竹内愛一)、(山本一人)、(藤本英雄、横沢三郎)、(坪内道則)、(西村正夫)
1947 (藤本定義、中島治康)、(山本一人、若林忠志、苅田久徳)、(杉浦清)、(坪内道則)、(西村正夫)
1948 (藤本定義、三原修)、(山本一人、若林忠志、苅田久徳)、(杉浦清、長谷川信義)、(浜崎真二)
1949 (藤本定義、三原修)、(山本一人、若林忠志)、(天知俊一、井野川利春)、(浜崎真二)、関学(石本秀一)
1950 (藤本定義、小島利男)、(山本一人、西垣徳雄、藤田省三)、(天知俊一、松木謙治郎、渡辺大陸、小西徳郎、井野川利春、湯浅禎夫)、(浜崎真二、水原茂、宮崎要)、関学(石本秀一)
1951 (藤本定義、中島治康、三原脩)、(山本一人、西垣徳雄、藤田省三)、(天知俊一、松木謙治郎、湯浅禎夫、安藤忍)、(浜崎真二、水原茂、新田恭一)、関学(石本秀一)
1952 (藤本定義、三原脩)、(山本一人、西垣徳雄、藤田省三)、(松木謙治郎、湯浅禎夫、小西徳郎、井野川利春)、(浜崎真二、水原茂、新田恭一)、(坪内道則)、関学(石本秀一)
1953 (藤本定義、三原脩、芥田武男)、(山本一人、西垣徳雄、若林忠志)、(松木謙治郎、小西徳郎、井野川利春)、(浜崎真二、水原茂)、(坪内道則)、関学(石本秀一)
1954 (藤本定義、三原脩、芥田武男)、(山本一人、藤田宗一)、(松木謙治郎、井野川利春、天知俊一、永沢武夫)、(浜崎真二、水原茂、別当薫)、(西村正夫)
1955 (藤本定義、三原脩、芥田武男、岸一郎)、(山本一人、藤田宗一)、(野口明)、(浜崎真二、水原円裕、別当薫)、(西村正夫)、立命(保井浩一)
1956 (藤本定義、三原脩、芥田武男、笠原和夫)、(山本一人)、(野口明、迫畑正巳、岩本義行)、(水原円裕、別当薫、宇野光雄)、(西村正夫)
1957 (藤本定義、三原脩、芥田武男)、(山本一人)、(迫畑正巳、岩本義行、天知俊一、松木謙治郎)、(水原円裕、別当薫、宇野光雄)
1958 (藤本定義、三原脩)、(山本一人)、(迫畑正巳、岩本義行、天知俊一、加藤久幸)、(水原円裕、別当薫、宇野光雄)
1959 (藤本定義、三原脩、森茂雄)、(鶴岡一人)、(岩本義行、杉下茂)、(水原円裕、別当薫、宇野光雄)
1960 (三原脩)、(鶴岡一人、戸倉勝城)、(岩本義行、杉下茂)、(水原茂、宇野光雄)、(西本幸雄)
1961 (三原脩)、(鶴岡一人、戸倉勝城)、(水原茂、宇野光雄)、(砂押邦信)
1962 (三原脩、藤本定義)、(鶴岡一人、戸倉勝城)、(水原茂、宇野光雄、別当薫)、(砂押邦信)
1963 (三原脩、藤本定義)、(鶴岡一人)、(杉浦清)、(水原茂、別当薫、浜崎真二)、(西本幸雄)
1964 (三原脩、藤本定義)、(鶴岡一人)、(杉浦清、林義一)、(水原茂、別当薫)、(西本幸雄)
1965 (三原脩、藤本定義)、(鶴岡一人)、(林義一、岩本義行)、(水原茂)、(西本幸雄)
1966 (三原脩)、(鶴岡一人、田丸仁)、(岩本義行、杉下茂)、(水原茂)、(西本幸雄)
1967 (三原脩、藤本定義)、(鶴岡一人、戸倉勝城)、(水原茂)、(西本幸雄)
1968 (三原脩、藤本定義)、(鶴岡一人、根本陸夫)、(杉下茂、大下弘)、(別当薫)、(西本幸雄)
1969 (三原脩)、(根本陸夫、後藤次男)、(松木謙治郎)、(別当薫、水原茂)、(西本幸雄)
1970 (三原脩)、(根本陸夫)、(松木謙治郎)、(別当薫、水原茂)、(西本幸雄)、(村山実)
1971 (三原脩、岩本尭)、(根本陸夫)、(別当薫、水原茂)、(西本幸雄)、(村山実)、(田宮謙次郎)
1972 (三原脩、岩本尭)、(根本陸夫)、(別当薫)、(西本幸雄、大沢啓二)、(村山実)、(田宮謙次郎)
1973 (三原脩、岩本尭)、(別当薫)、(西本幸雄)、(田宮謙次郎)
1974 (荒川博)、(西本幸雄)、(上田利治)、(宮崎剛)、(森永勝也)
1975 (荒川博)、(秋山登)、(西本幸雄、長島茂雄)、(上田利治)、立命(吉田義男)
1976 (荒川博)、(秋山登)、(西本幸雄、長島茂雄、大沢啓二)、(上田利治)、立命(吉田義男)、(古葉竹識)
1977 (広岡達朗)、(別当薫)、(西本幸雄、長島茂雄、大沢啓二)、(上田利治)、立命(吉田義男)、(古葉竹識)
1978 (広岡達朗)、(後藤次男、根本陸夫)、(別当薫)、(西本幸雄、長島茂雄、大沢啓二)、(上田利治)、(古葉竹識)
1979 (広岡達朗)、(根本陸夫)、(別当薫)、(西本幸雄、長島茂雄、大沢啓二)、(古葉竹識)
1980 (根本陸夫)、(土井淳)、(西本幸雄、長島茂雄、大沢啓二)、(古葉竹識)、(武上四郎)
1981 (根本陸夫、近藤貞夫)、(土井淳)、(藤田元司)、(西本幸雄、大沢啓二)、(上田利治)、(古葉竹識)、(武上四郎)
1982 (広岡達朗)、(近藤貞夫、関根潤三、山本一義)、(藤田元司、安藤統夫)、(大沢啓二)、(上田利治)、(古葉竹識)、(武上四郎)
1983 (広岡達朗)、(近藤貞夫、関根潤三、山本一義)、(藤田元司、安藤統夫)、(大沢啓二)、(上田利治)、(古葉竹識)、(武上四郎、穴吹義雄)
1984 (広岡達朗)、(関根潤三)、(安藤統夫)、(上田利治)、(古葉竹識)、(武上四郎、穴吹義雄)
1985 (広岡達朗)、(近藤貞夫)、(高田繁)、(上田利治)、立命(吉田義男)、(古葉竹識)、(穴吹義雄)
1986 (近藤貞夫)、(高田繁)、(杉浦忠)、(上田利治)、立命(吉田義男)
1987 (関根潤三)、(高田繁、星野仙一)、(杉浦忠)、(上田利治)、立命(吉田義男)、(有藤道世)、(古葉竹識)
1988 (関根潤三)、(高田繁、星野仙一)、(杉浦忠)、(上田利治、村山実)、(有藤道世)、(古葉竹識)
1989 (関根潤三、近藤貞夫、山本浩二)、(星野仙一)、(藤田元司)、(杉浦忠)、(上田利治、村山実)、(有藤道世)、(古葉竹識)
1990 (中村勝広)、(近藤貞夫、山本浩二、田淵幸一)、(星野仙一)、(藤田元司)、(上田利治)
1991 (中村勝広)、(近藤貞夫、山本浩二、田淵幸一)、(星野仙一)、(藤田元司)、(土井正三)
1992 (中村勝広、八木沢荘六)、(山本浩二、田淵幸一)、(藤田元司)、(土井正三)
1993 (中村勝広、八木沢荘六、近藤昭仁)、(山本浩二、根本陸夫)、(土井正三、長島茂雄、大沢啓二)
1994 (中村勝広、八木沢荘六、近藤昭仁)、(根本陸夫)、(長島茂雄、大沢啓二)
1995 (中村勝広、近藤昭仁)、(長島茂雄)、(上田利治)
1996 (江尻亮)、(星野仙一)、(長島茂雄)、(上田利治)、(大矢明彦)
1997 (近藤昭仁)、(星野仙一)、(長島茂雄)、(上田利治)、立命(吉田義男)、(大矢明彦)
1998 (近藤昭仁)、(星野仙一)、(長島茂雄)、(上田利治)、立命(吉田義男)
1999 (山本巧児)、(星野仙一)、(長島茂雄)、(上田利治)、東洋(達川豊晃)
2000 (山本巧児)、(長島茂雄)、(星野仙一)、東洋(達川豊晃)
2001 (山本巧児、山本浩二)、(長島茂雄)、(星野仙一)
2002 (山本巧児、山本浩二)、(星野仙一)、(石毛宏典)、芝工(伊原春樹)、東海(原辰徳)
2003 (山本巧児、山本浩二)、(星野仙一)、(山下大輔)、(石毛宏典)、芝工(伊原春樹)、東海(原辰徳)
2004 (岡田彰布)、(山本浩二)、(山下大輔)、東洋(落合博満)、芝工(伊原春樹)
2005 (岡田彰布)、(山本浩二)、(田尾安志)、東洋(落合博満)
2006 (岡田彰布、中村勝広)、立命(古田敦也)、東洋(落合博満)、東海(原辰徳)
2007 (岡田彰布)、立命(古田敦也)、東洋(落合博満)、(大矢明彦)、東海(原辰徳)
2008 (岡田彰布)、(高田繁)、東洋(落合博満)、(大矢明彦)、東海(原辰徳)

▲根本陸夫氏は日大専門部→法政大というやっかいな経歴の持ち主ですが、ここでは法大で処理しました。

プロ創設当時の7人の監督は例外なく東京六大学のOBだった。当時、監督としての人材を求めようとすれば、東京六大学OB以外になかったことは比較的容易に想像できる。2リーグ分立の1950年は14/15だったが、1974年には2/12に落ち込んだ。その後のピークは1993年の8/12であり、以降は漸減を続けて2007年にはとうとう1/12と「絶滅の危機」に瀕した。

関西学生では、1936年シーズン途中にタイガースの2代目監督となった石本秀一氏(関西学院高等部商科中退)が最初のプロ野球監督だ。1956年に阪急ブレーブスの監督を務めた西村正夫氏を最後にプロ監督はしばらく途絶えたが、1970年に村山実氏が選手兼任でタイガースの監督に就任して「第2世代」が台頭した。

東都出身の最初のプロ野球監督は深見安博氏(中大)だ。1965年のシーズン途中に中西太氏の代理監督として西鉄ライオンズで13試合だけ指揮をとった。プロ創設から実に30年もの歳月を要したことになる。シーズン当初の監督としては、1968年にカープの監督に就任した根本陸夫氏が最初だ。

根本氏は1946年秋の東都リーグ首位打者だが、その後、法大で関根潤三氏とバッテリーを組んでいる。純粋な東都OBでシーズン当初から指揮をとった最初の監督は、1971年の東映フライヤーズ・田宮謙次郎氏(日大)になる。日大では田宮−根本のバッテリーだった。

その他の監督

1946 藤村富美男(呉港中)
1947-53 なし
1954 白石勝巳(広陵中)
1955 白石勝巳、藤井勇(鳥取一中)
1956 白石勝巳、藤村富美男
1957 白石勝巳、藤村富美男
1958 白石勝巳、田中義雄(ハワイ大)
1959 白石勝巳、田中義雄、千葉茂(松山商)
1960 白石勝巳、千葉茂、金田正泰(平安中)、川崎徳次(久留米商)
1961 千葉茂、金田正泰、川崎徳次、川上哲治(熊本工)、濃人渉(広陵中)、門前真佐人(広陵中)
1962 川上哲治、濃人渉、門前真佐人、中西太(高松一高)
1963 川上哲治、中西太、白石勝巳、本堂安次(日新商)
1964 川上哲治、中西太、白石勝巳、本堂安次
1965 川上哲治、中西太、白石勝巳、本堂安次、西沢道夫(第二日野高等小)
1966 川上哲治、中西太、西沢道夫、長谷川良平(半田商工)、飯田徳治(浅野中)
1967 川上哲治、中西太、西沢道夫、長谷川良平、飯田徳治、小玉明利(神崎工高)
1968 川上哲治、中西太、濃人渉、別所毅彦(滝川中)
1969 川上哲治、中西太、濃人渉、別所毅彦、飯田徳治
1970 川上哲治、濃人渉、別所毅彦、野村克也(峰山高)、稲尾和久(別府緑丘高)
1971 川上哲治、濃人渉、野村克也、稲尾和久
1972 川上哲治、野村克也、稲尾和久、与那嶺要(フェリントン高)
1973 川上哲治、野村克也、稲尾和久、与那嶺要、金田正泰、青田昇(滝川中)、金田正一(享栄商高)
1974 川上哲治、野村克也、稲尾和久、与那嶺要、金田正泰、金田正一、中西太
1975 野村克也、与那嶺要、金田正一、中西太、ルーツ(北東ミズーリ州立大)、江藤慎一(熊本商高)
1976 野村克也、与那嶺要、金田正一、鬼頭政一(日大三中)
1977 野村克也、与那嶺要、金田正一、鬼頭政一
1978 金田正一、中利夫(前橋高)、広瀬叔功(大竹高)
1979 中利夫、広瀬叔功、ブレイザー(リブスコム大)、梶本隆夫(多治見工高)、山内一弘(起工高)
1980 中利夫、広瀬叔功、ブレイザー、梶本隆夫、山内一弘
1981 ブレイザー、山内一弘、中西太
1982 ブレイザー、関口清治(台北工)
1983 関口清治
1984 稲尾和久、山内一弘、王貞治(早稲田実高)、岡本伊三美(洛陽工高)、植村義信(芦屋高)
1985 稲尾和久、山内一弘、王貞治、岡本伊三美、土橋正幸(日本橋高)
1986 稲尾和久、山内一弘、王貞治、岡本伊三美、土橋正幸、阿南準郎(佐伯鶴城高)、森祗晶(岐阜高)
1987 王貞治、岡本伊三美、阿南準郎、森祗晶
1988 王貞治、阿南準郎、森祗晶、仰木彬(東筑高)
1989 森祗晶、仰木彬
1990 森祗晶、仰木彬、野村克也、金田正一、須藤豊(高知商高)
1991 森祗晶、仰木彬、野村克也、金田正一、須藤豊
1992 森祗晶、仰木彬、野村克也、須藤豊、土橋正幸、高木守道(県岐阜商高)
1993 森祗晶、野村克也、高木守道、鈴木啓示(育英高)
1994 森祗晶、野村克也、高木守道、鈴木啓示、三村敏之、仰木彬
1995 野村克也、高木守道、鈴木啓示、三村敏之、仰木彬、王貞治、東尾修(箕島高)、バレンタイン(南カリフォルニア大)
1996 野村克也、三村敏之、仰木彬、王貞治、東尾修、佐々木恭介(柏原高)、藤田平(市和歌山商高)
1997 野村克也、三村敏之、仰木彬、王貞治、東尾修、佐々木恭介
1998 野村克也、三村敏之、仰木彬、王貞治、東尾修、佐々木恭介、権藤博(鳥栖高)
1999 野村克也、仰木彬、王貞治、東尾修、佐々木恭介、権藤博、若松勉(北海高)
2000 野村克也、仰木彬、王貞治、東尾修、権藤博、若松勉、大島康徳(中津工高)、梨田昌孝(浜田高)
2001 野村克也、仰木彬、王貞治、東尾修、若松勉、大島康徳、梨田昌孝、森祗晶
2002 王貞治、若松勉、大島康徳、梨田昌孝、森祗晶、山田久志(能代高)
2003 王貞治、若松勉、梨田昌孝、山田久志、ヒルマン(テキサス大)
2004 王貞治、若松勉、梨田昌孝、ヒルマン、バレンタイン、堀内恒夫(甲府商高)、伊東勤(所沢商高)
2005 王貞治、若松勉、ヒルマン、バレンタイン、堀内恒夫、仰木彬、伊東勤、牛島和彦(浪商高)
2006 王貞治、ヒルマン、バレンタイン、伊東勤、牛島和彦、野村克也、ブラウン(ジョージア大)
2007 王貞治、ヒルマン、バレンタイン、伊東勤、野村克也、ブラウン、コリンズ(東ミシガン大)
2008 王貞治、バレンタイン、野村克也、ブラウン、コリンズ、梨田昌孝、渡辺久信(前橋工高)

▲西沢道夫氏について『ベースボールマガジン』では「鹿児島総合中」が最終学歴になっていましたが、プロ入団時に同校に通っていたのかどうか不明ですので、「第二日野高等小」を記載しました。また、稲尾氏の出身校が「別府緑丘」となっていましたが、大分県立芸術緑丘高校のWebサイトによれば、当時の名称は「大分県立別府緑丘高校」とのことですので「ヶ」は省きました。

監督候補

将来の監督候補を適当にリストアップしてみた(大学出のみ)。もう東京六大学一色に染まることはあり得ない。

早稲田大 1947/09/22生 谷沢健一(70-86) L打撃コーチ(94-95)
早稲田大 1955/09/02生 山倉和博(78-90) Gバッテリーコーチ(93-98)
早稲田大 1964/06/21生 石井浩郎(90-02) Lファーム監督(04)
早稲田大 1965/09/15生 小宮山悟(90-)  なし
早稲田大 1971/10/04生 仁志敏久(96-)  なし
法政大  1954/05/27生 高代延博(79-89) D野手総合チーフコーチ(04-)
法政大  1955/05/25生 江川卓(79-87)  なし
法政大  1961/02/01生 木戸克彦(83-96) Tバッテリーコーチ(97-02、08-)
法政大  1961/11/15生 小早川毅彦(84-98)C打撃コーチ(06-)
明治大  1943/08/17生 住友平(66-75)  Bsファーム監督(07-)
明治大  1957/03/10生 鹿取義隆(79-97) Gヘッドコーチ(02-03)
明治大  1959/07/31生 平田勝男(82-94) Tファーム監督(07-)
明治大  1962/04/10生 広沢克実(85-03) T打撃コーチ(05-)
慶応大  1975/04/03生 高橋由伸(98-)  なし
日本大  1962/09/02生 和田豊(85-01)  T内野守備走塁コーチ(07-)
東洋大  1955/07/13生 達川光男(78-92) C監督(99-00)
駒沢大  1954/01/06生 中畑清(76-89)  G打撃コーチ(93-94)
駒沢大  1956/09/22生 石毛宏典(81-96) BW監督(02-03)
駒沢大  1961/06/07生 白井一幸(84-96) Fヘッドコーチ(03-07)
駒沢大  1966/09/19生 野村謙二郎(89-05)なし
中央大  1958/10/22生 高木豊(81-94)  YB内野守備走塁コーチ(01)
亜細亜大 1958/10/20生 大石大二郎(81-97)Bsヘッドコーチ(07-)
芝浦工大 1949/01/18生 伊原春樹(71-80) BW監督(04)
同志社大 1954/01/08生 田尾安志(76-91) E監督(05)
同志社大 1969/06/27生 片岡篤史(92-06) なし
立命館大 1965/08/06生 古田敦也(90-07) S監督(06-07)
大商大  1955/02/23生 斉藤明夫(77-93) YB投手チーフコーチ(07-)
名商大  1955/06/20生 平野謙(78-96)  F打撃コーチ(08-)
東北福祉大1968/02/22生 佐々木主浩(90-05)なし

【注】当サイトは00年8月開設ですが、当サイトのコンテンツの多くは、私の個人誌『スコアシート』が原型です。「この集計を最初に試みたのが99年」に偽りはありません。

◆当サイトには、91年以降の選手権大会(夏)の出場校監督を出身大学別に集計した「選手権大会出場校監督の出身大学」のページや、69年以降の都市対抗での監督別勝敗(出身大学別勝敗)を示した「都市対抗監督勝利数」のページがあります。3点セットなのです。

◆事実誤認、変換ミス、リンク切れ等にお気づきの際は、「3代目んだ」(東都が六大学を超えるとき)または「メールのページ」からご一報いただけると幸いです。

外部リンクです。
MS-DATABASE
 スポーツ関係だけでも、プロ野球、東都大学野球、大相撲、サッカー、大学駅伝という具合に豊富なコンテンツが揃っています。「大学別プロ選手輩出者数」のページもあります。単年ではなく通算の数値です。上位5校は東京六大学が独占していますが、その一角が崩されるのも遠い先のことではないでしょう。(04/01/12通知済)

★08/02/17校正チェック済、ケなし、順OK
★08/02/17HTML文法チェック済(エラーなし)



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