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夢幻の如くなり | 優勝決定再々リーグ戦 | ゴールデン・カード

優勝決定再々リーグ戦

02/11/07作成
13/12/19更新

◆主に東都リーグについて、珍しい優勝パターンなどを集めてみました。


◇勝ち点3が5校

勝ち点制でおこなわれる大学のリーグ戦では、可能性として次のような事態も起こりうる。

勝ち点3が5校のパターン
A大 B大 C大 D大 E大 F大 勝率
A大
B大
C大
D大
E大
F大
-
●●
●●
○○
○○
●●
○○
-
●●
●●
○○
●●
○○
○○
-
●●
●●
●●
●●
○○
○○
-
●●
●●
●●
●●
○○
○○
-
●●
○○
○○
○○
○○
○○
-
10
10
10
10
10
10
6
6
6
6
6
0
4
4
4
4
4
10
0
0
0
0
0
0
3
3
3
3
3

0
.600
.600
.600
.600
.600

.000

勝ち点3で5校が並び、しかも勝率まで等しいという困った事態だ。このような場合に、どのようにして優勝チームを決めるのか悩ましいところだ。サッカーなら得失点差、バレーなら得失セット率だろうが、野球の場合は9回裏の攻撃が必ずあるとは限らないので、得失点差(率)という考え方は否定されねばならない。

5校が勝率で並んだとき、プレイオフをリーグ戦形式にすると10試合必要だ。1チームが1日に2試合やらない前提なら、日程上も5日間を要する。トーナメント形式なら、3日間4試合で終わる。5校あるいは4校の場合、常識的にはトーナメントになるだろう。

『東都大学野球連盟七十年史』(東都大学野球連盟・発行)をひもといてみると、勝ち点3で5校が並んだシーズンが1度だけあるようだ。1958(昭和33)年の秋のことだ。

58年秋 東都1部
学習院 中央大 日本大 駒沢大 専修大 東農大 勝率
学習
中大
日大
駒大
専大
農大

○○
●●
●○●
●○○
●●
●●

○○
●○○
○●●
△●●
○○
●●

○●○
○●●
●●
○●○
○●●
●○●

●○○
○●●
○●●
●○○
●○○
○●●

●○●
○○
△○○
○○
●○○
○●○
12
13
12
15
15
13
7
7
7
8
8
2
5
5
5
7
7
10
0
1
0
0
0
1
3
3
3
3
3

0
.583
.583
.583

.533
.533
.167

勝率でも3校が並び、プレイオフに持ち込まれている。3校の場合、トーナメントではいささか具合が悪いだろう。やはりリーグ戦形式のプレイオフになっている。

58/11/12 プレイオフ第1戦
日本大 100 003 000 =4 ●池田−竹中−木村正−小林重
中央大 320 500 00X =10 ○小栗
58/11/13 プレイオフ第2戦
日本大 100 000 001 =2 竹中−○池田
学習院大 000 010 000 =1 ●井元−根立
58/11/14 プレイオフ第3戦
中央大 000 000 110 =2 若生−●小栗
学習院大 000 000 021x=3 根立−○井元

面白いことに、リーグ戦で当該校に連敗したチームが、プレイオフではいずれも勝利をおさめている。もっとも、グー・チョキ・パー関係にあることに変わりはなく、プレイオフは再リーグ戦にもつれ込んだ。

58/11/19 プレイオフ第4戦(再リーグ戦)
日本大 100 000 000 =1 竹中−池田−小林−●木村正
学習院大 000 100 001x=2 根立−○井元
58/11/20 プレイオフ第5戦(再リーグ戦)
日本大 000 024 000 =6 高橋−○池田
中央大 001 000 000 =1 ●小栗−若生−石田
58/11/21 プレイオフ第6戦(再リーグ戦)
学習院大 100 000 010 =2 根立−●井元
中央大 000 003 00X =3 ○若生

今度は、1回目のプレイオフと勝敗がそっくり入れ替わった。まだ決着はつかない。この当時、神宮大会がなかったのが救いだったのかもしれない。東映フライヤーズが神宮を本拠地にしたのは1962年だ。どうせ当時はファン感謝デーなどなかっただろう。早慶戦も終わっている時期だ。

58/11/23 プレイオフ第7戦(再々リーグ戦)
学習院大 020 020 000 =4 ○井元
日本大 000 001 002 =3 ●高橋−池田−木村正−竹中
58/11/24 プレイオフ第8戦(再々リーグ戦)
学習院大 010 040 000 =5 ○根立
中央大 000 000 200 =2 ●若生−小栗

実は「優勝預かり」の話も出たようだが、学習院大は再々リーグ戦を主張したそうだ。学習院大唯一の優勝は、このような混戦の果てにつかんだものだったようだ。ちなみに、このシーズンの首位打者は駒大の三塁手であり、その名を太田誠という。

▲『…七十年史』 によれば、11/12の日大の4番手投手は 「小林重」、11/19の日大の3番手投手は 「小林」 です。同一投手かどうかは わかりません。

勝ち点3で優勝

優勝ラインが勝ち点3に下がった場合、必ず3〜5チームが勝ち点で並ぶことになる。東都1部では、勝ち点3の優勝がほかに5例ある。2度目は1969(昭和44)年の秋だ。

69年秋 東都1部
日本大 駒沢大 芝工大 亜細亜 中央大 東洋大 勝率
日大
駒大
芝工
亜大
中大
東洋

●○○
○●○
○●●
●●
●●
○●●

●●
●△●
○○
●○○
●○●
○○

●○●
○○
●●
●○○
○△○
○●○

●○●
●●
○○
●●
●●
○●○

○○
○○
○●●
○○
○○
●●
13
13
12
14
11
11
8
7
6
6
5
4
5
5
6
7
6
7
0
1
0
1
0
0
3
3
3

2
2
2
.615
.583
.500
.462
.455
.364

最終週で前季優勝の日大と前季2位の駒大が対戦している。優勝の条件は、日大は1勝、駒大は連勝だった。日大は初戦で優勝を決めた。それまで全試合に登板して8勝すべてを1人であげた佐藤道郎は、駒大2回戦では登板せず、3回戦もリリーフ登板だった。

3度目は1979(昭和54)年のやはり秋だ。

79年秋 東都1部
国士舘 亜細亜 青山学院 駒沢大 東洋大 中央大 勝率
国士
亜大
青学
駒大
東洋
中大

●●
●○○
●●
○●○
●●
○○

●○○
○●●
●△●
○●●
○●●
○●●

●○○
○●○
○●△●
○○
●○○
○●●

●○●
○●●
●○●
○△○
●○●
○●○

○○
○○
●○○
○●△○
●○○
●●
12
14
16
14
14
14
8
7
8
7
5
5
4
6
7
7
8
8
0
1
1
0
1
1
3
3
3
3

2
1
.667
.538
.533
.500
.385
.385

全15カードのうち、2試合で決着したのは4カードのみ。雨も加わって、最終週を終えても日程は完全消化されていなかった。優勝の最短距離にいたのは駒大だ。未消化の亜大戦には先勝していたから、あと1勝すれば優勝だった。

ところが、早慶戦の翌日からおこなわれた残り試合で駒大が亜大に連敗して、国士舘大に優勝が転がり込んだ。国士舘大が優勝したのは、この1回きりだ。

このシーズン、東洋と中大のカードも、中大先勝で未消化だった。あいにく?2回戦は中大が勝ったけれども、もし東洋が2連勝していれば、「勝ち点3が5校」になっていたわけだ。

4度目が1996(平成8)年のこれまた秋だ。

96年秋 東都1部
亜細亜 青学大 東洋大 専修大 駒沢大 立正大 勝率
亜大
青学
東洋
専大
駒大
立正

○●○
●○○
●●
●●
●●
●○●

●○○
●●
●●
○○
○●●
○●●

●○○
○○
●●
○○
○○
○●●

●○●
●●
○○
○○
●●
○●○

●●
○○
●●
○○
○○
○○
12
12
13
12
11
10
8
7
7
6
5
2
4
5
6
6
6
8
0
0
0
0
0
0
3
3
3
3

2
1
.667
.583
.538
.500
.455
.200

最終週は前季優勝の青学大と前季2位の亜大が対戦した。亜大は1勝すれば優勝、青学は連勝で同率プレイオフに持ち込める。初戦は青学、2戦目は亜大が勝って、3戦目は消化試合になった。

5回目が2002年の春だ。

02年春 東都1部
亜細亜大 中央大 東洋大 日本大 青山学院大 駒沢大 勝率
亜大
中大
東洋
日大
青学
駒大

○●○
●○○
●●
○△△●●
●●
●○●

○○
○●○
●●
●○●
○●●
●●

○△△○
●○●
●○○
○○
●○●
●△△●

○●○
●○○
●△△○○
○○
○●○
●○●

●●
○○
○●○
○●●
○●●
○○
15
13
15
15
15
13
8
7
7
6
6
5
5
6
6
7
7
8
2
0
2
2
2
0
3
3
3

2
2
2
.615
.538
.538
.462
.462
.385

総試合数が43試合になる。これは1953(昭和28)年秋の44試合に次ぎ、1962(昭和37)年秋と並ぶ東都史上2番目の試合数(順位決定戦は含まず)だった。

天候不順も重なり未消化カードが続出したため、本来なら最終週の駒大対亜大戦が第7週に組み込まれて、1日3試合という強行日程になった。その第7週、亜大は駒大に連勝して、中大の結果待ち。中大が日大戦で勝ち点を落として、亜大が混戦を制した。

6回目は2006年秋だ。亜大は「勝ち点3で優勝」が3回目だ。混戦に強いのかもしれない。

06年秋 東都1部
亜細亜 青山学院 国学院大 東洋大 駒沢大 日本大 勝率
亜大
青学
国学
東洋
駒大
日大

●●
●○○
●●
○○
●●
○○

○△●●
○●○
●●
●●
○●●
●△○○

●●
●○○
○●●
○○
●○●
○○

●○●
●○●
●●
○○
○●●
○●○

●○○
○○
○○
●○○
○●○
○●●
11
13
15
13
13
13
7
7
8
6
6
4
4
5
6
7
7
9
0
1
1
0
0
0
3
3
3
3

2
1
.636
.583
.571
.462
.462
.308

2部で勝ち点3の優勝は、1956年以降では1例あるだけだ。同率プレイオフで国士舘大が優勝している。

98年春 東都2部
国士舘 中央大 国学院 東洋大 東農大 拓殖大 勝率
国士
中大
国学
東洋
農大
拓大

●△●
○○
○●○
●●
●●
○△○

●●
●○○
●●
●●
●●
○○

●●
○●●
●○○
●○●
○●●
○○

●○○
●●
○○
○○
●○○
○●●

●○●
○○
○○
○●●
○○
○●○
12
12
12
13
13
13
7
7
7
7
5
3
4
4
5
6
8
9
1
1
0
0
0
0
3
3
3
3

2
1
.636
.636

.583
.538
.385
.250

勝ち点2で最下位

冒頭に掲げた勝敗表の○と●をひっくり返せば、勝ち点2で5校が並ぶことになる。入れ替え戦があるリーグでは、どこが入れ替え戦に回るか決めなければならない。残念ながら?東都1部では勝ち点2で5校が並んだことはまだない。

極端なケースとしては、勝ち点3と勝ち点2で、それぞれ3校ずつ並ぶこともあり得る。

勝ち点3が3校&勝ち点2が3校パターン
A大 B大 C大 D大 E大 F大 勝率
A大
B大
C大
D大
E大
F大

●●
●●
●●
○○
○○
○○

●●
●●
○○
●●
○○
○○

●●
●●
●●
○○
○○
○○

●●
●●
●●
●●
○○
○○

○○
●●
○○
○○
○○
●●
10
10
10
10
10
10
6
6
6
4
4
4
4
4
4
6
6
6
0
0
0
0
0
0
3
3
3

2
2
2
.600
.600
.600

.400
.400
.400

この場合、優勝決定リーグ戦と最下位決定リーグ戦がおこなわれるのだろうか? それが両方とも再リーグ戦になったら…。まあ、運営サイドとしては考えたくないだろうが、部外者としては想像するだけでも楽しい。

06年春は青学と亜大が8勝4敗の勝ち点4で並び、駒大と立正は4勝9敗の勝ち点1で並んだが、青学が最終週の木曜日まで試合をしていたので、翌日の金曜日に「入れ替え戦出場決定戦」が、早慶戦終了後の翌週水曜日に「優勝決定プレイオフ」がおこなわれた。

さて、勝ち点2で最下位というケースは、東都1部で過去4回ある。最初が1969年の春だ。

69年春 東都1部
日本大 駒沢大 亜細亜 中央大 東洋大 芝工大 勝率
日大
駒大
亜大
中大
東洋
芝工

○●●
○●●
○○
●●
●●
●○○

○●●
○○
△●●
●●
●○○
●○○

●●
○○
●●
●●
●●
○○

●○○
○○
○○
△○○
●●
○●●

○●○
○○
○○
○○
●●
●○●
12
13
12
11
13
11
8
7
6
5
5
4
4
5
6
6
7
7
0
1
0
0
1
0
4
3
2
2
2
2
.667
.583
.500
.455
.417
.364

勝ち点では4校が並んだが、前季優勝の芝浦工大が最終週の亜大戦に連敗して、勝率差で最下位になった。このシーズンは、2部から昇格したばかりの日大が優勝したときでもある。

2度目が1969年秋だ。つまり、2シーズン続けて最下位チームは勝ち点2だったことになる。

3度目は1989年の秋だ。

89年秋 東都1部
青学大 駒沢大 専修大 亜細亜 東洋大 国学大 勝率
青学
駒大
専大
亜大
東洋
国学

●●
●●
●○●
○○
●●
○○

○●○
●●
●●
●○●
○○
●○●

●●
○●○
●○○
○●○
○○
○○

●●
●●
●●
○○
●○●
○○

○●○
○○
○●○
○●●
○○
●○●
11
12
13
11
12
13
8
7
6
5
5
5
3
5
7
6
7
8
0
0
0
0
0
0
4
3
2
2
2
2
.727
.582
.462
.455
.417
.385

国学院大は最終週におこなわれた第7週残り試合の対青学2回戦に勝てば、3回戦で負けても勝率は.429となり、全日程を終えている東洋大を上回ることができたが、青学もその試合に優勝をかけていた。国学は1対6で敗れた。最下位チームとしては東都史上最高勝率になる。

4回目は2002年春だ。

2部では、1956(昭和31)年秋に、7勝7敗の芝浦工大、6勝7敗の成蹊大、5勝8敗の明治学院大と東洋大の4校が勝ち点2で並んでいるようだ。プレイオフの結果、東洋大が2部・3部入れ替え戦に回っている。

ちなみに、『…七十年史』では、このプレイオフを「最下位決定戦で明学大が東洋大に4−0で勝ち、5位確定」と記述している。「最下位決定戦」というのは、ファンの間で用いられる通称だと理解していたのだが…。ちょっと露骨な気がする。連盟サイドは「5位決定戦」と呼ぶべきであって、(少数の?)ファンが突っ込む楽しみを奪ってはならない。

また、2部では1993(平成5)年の春にも6勝7敗の中央大、5勝6敗の専修大、5勝7敗の立正大と拓殖大の4校が勝ち点2で並び、下位2校が同率だった。『…七十年史』は、「同率の立正大と拓大は立正大が順位決定戦で7−5で勝ち、5位確定」としている。まあ、「順位決定戦」なら許そう。

勝率1位でない優勝

勝ち点制の場合、最高勝率のチームが常に優勝するとは限らない。優勝チームの勝率が2位チームより低かったケースは、東都1部では7例ある。

東都では1949年春から勝ち点制が採用されているようだ。おおむね「勝ち点が等しいときは勝率順」だが、「勝ち点が同じなら(勝率にかかわらず)プレイオフ」の時代がある。このわずかな期間に、勝率が異なるチームが勝ち点4で並んでプレイオフがおこなわれたことが3回ある。いずれも勝率の低いチームが優勝している。

★52年秋(9勝2敗の専大、8勝4敗の中大と日大で3校プレイオフ、日大が連勝)
★54年秋(8勝2敗の専大と8勝4敗の日大でプレイオフ、日大の優勝)
★86年秋(9勝3敗の亜大と9勝4敗の駒大でプレイオフ、駒大の優勝)→「ゴールデン・カード」

「勝ち点が等しいときは勝率順」のもとでは、優勝チームの勝率が2位チームより低かったことが4例ある。1966(昭和41)年の春が最初だ。

66年春 東都1部
日本大 中央大 芝工大 駒沢大 亜細亜 専修大 勝率
日大
中大

●○●
○●○
●○○
○○
●○○
●○●
●○○
○○
●●
○○
14
12
8
8
6
4
0
0
4
3
.571
.667

前季3位の日大と前季4位の駒大との対戦は、最終週に持ち越されていた。最終週では、前季2位の中大が前季優勝の専大に連勝、日大は初戦に敗れながら勝ち点を拾って優勝した。

日大の勝ち点4はすべて2勝1敗で、勝ち点を落とした専大戦は連敗だった。一方の中大は、勝ち点をとったときは連勝、落としたときは1勝2敗だ。プロ野球式に考えれば1ゲーム差あるわけだし、勝率では1割近く開いている。

いずれにせよ、6敗しての優勝(全チームに負けて優勝)は東都史上空前絶後だ。なお、1956年以降の2部では6敗で優勝というケースが2例ある(8勝6敗の勝ち点4だった1987年秋の拓大、9勝6敗で勝ち点4だった1993年秋の東農大)。

2度目は、1993(平成5)年の秋だ。勝ち点5の駒大は、勝ち点4の東洋大を勝率では下回った。

93年秋 東都1部
駒沢大 東洋大 亜細亜 青学大 日本大 東農大 勝率
駒大
東洋

●○●
○●○
●○○
○○
●○○
○○
○○
○●○
○●○
○○
14
12
10
9
4
3
0
0
5
4
.714
.750

駒大と東洋は第3週で対戦したが、たまたま1勝1敗のまま3回戦が未消化だった。第7週の金曜日におこなわれた第3戦は、この試合で勝ったほうが優勝という大一番になった。

9回裏にサヨナラ打を放ったのは高木浩之だ。この試合では、代打で出て、レフトに入り、ピッチャーに回って、またレフトに戻ってサヨナラ打というマルチぶりを発揮している。

3度目は、翌1994(平成6)年秋のシーズンだ。

94年秋 東都1部
青学大 東洋大 駒沢大 日本大 国士舘 亜細亜 勝率
青学
東洋

○●●
●○○
●○○
○○
○○
○○
○○
○○
○●○
○○
13
11
10
9
3
2
0
0
5
4
.769
.818

青学と東洋は第3週で対戦している。両者とも残りの3カードで譲らず、青学が逃げ切った。

4回目は、2001年の春だ。

01年春 東都1部
日本大 青学大 駒沢大 亜細亜 中央大 東洋大 勝率
日大
青学

●○●
○●○
●○○
○○
●○○
○○
○○
○○
○●○
○○
14
11
10
9
4
2
0
0
5
4
.714
.818

日大と青学は第7週で対戦した。勝ち点4同士の直接対決を制した日大は、いわゆる「完全優勝」ということになる。ただ、勝率で青学と1割以上の差があるだけに、勝ち点制に慣れないうちはなぜ日大が優勝なのかと不思議に思うに違いない。

10勝5敗で勝ち点5&5勝10敗で勝ち点0

5カードとも2勝1敗なら、「10勝敗で勝ち点5」の「完全優勝」になる。逆に、全カードが1勝2敗なら、「勝10敗で勝ち点0」だ。あいにく、東都1部ではいずれも前例はない。「10勝敗で勝ち点5」は07年春と秋の東洋大を含めて8例、「勝10敗で勝ち点0」は4例ある。後者を紹介しよう。

4勝10敗で勝ち点0
第1週 第2週 第4週 第5週 第7週
63年春
国学大
専大(5)
●●
駒大(1)
○●●
日大(3)
●○●
中大(4)
○●●
芝工(2)
○●●
67年秋
日本大
中大(3)
△●○●
亜大(1)
●○●
専大(5)
●●
駒大(2)
●○●
東洋(4)
○●●
75年秋
中央大
駒大(1)
○●●
東洋(5)
●○●
専大(4)
○●●
亜大(3)
●○●
日大(2)
●●
92年秋
国学大
東洋(2)
○●●
亜大(5)
●○●
駒大(3)
○●●
日大(1)
●●
青学(4)
○●●

▲( )内の数値は、当該シーズンの順位です。

1975(昭和50)年の中大が惜しい。対日大2回戦が1対2というスコアだけになお惜しい。このシーズンの優勝は第6週に決まっている。日大は第7週を迎える時点で勝ち点2をあげていたので、入れ替え戦の心配はない。それなら、「勝10敗で勝ち点0」に貢献してもよさそうなものだ?

1956年以降の2部では、「勝10敗で勝ち点0」が1度あるだけだ(1972年春の国学院大)。

黄金対決

大相撲なら、東西の横綱が14戦全勝同士で千秋楽に対戦することもある。それと同じように、最終週(あるいは第7週)が8戦全勝同士の優勝決定カードとなるなら、まさしく「黄金対決」だ。1勝1敗で3回戦にもつれるようなら、完璧と言ってもいい。

戦前の五大学時代には、1933(昭和8)年の秋、6戦全勝同士の日大と専大が対戦しているようだ。また、2回戦総当りで勝ち点制ではなかった1939(昭和14)年の春には、8戦全勝の専大と7勝1分けの中大が対戦している。残念ながら、戦後はない。

ないものは仕方がない。ワンランク落とそう。一方が1敗のみ、他方は無傷で勝ち点4同士の最終週(あるいは第7週)直接対決があるかどうか調べてみた。「黄金」ではなく「白銀」対決だ。

1953(昭和28)年春に全勝の中大と1敗の日大が最終週に対戦している。第7週の2戦目でアウトになっているから、かなり惜しい。これは「白金」対決とでも呼ぶべきだろう。

53年春 東都1部
53年春 第1週 第2週 第3週 第4週 第5週 第6週 第7週 最終週
中央大
(前季3位)
- ○○
農大
○○
学習大
○○
駒大
- ○○
専大
- ○○
日大
日本大
(前季1位)
○○
駒大
- - ○○
農大
○○
学習大
- ○●○
専大
●●
中大

翌1954(昭和29)年の春は専大と日大だ。

54年秋 東都1部
54年春 第1週 第2週 第3週 第4週 第5週 第6週 第7週 最終週
専修大
(前季2位)
○○
農大
○○
学習大
- ●○○
駒大
- ○○
中大
- ○●○
日大
日本大
(前季1位)
○○
駒大
- ○○
学習大
○○
農大
- - ○○
中大
●○●
専大

1956(昭和31)年秋は日大と中大だ。この際だから引き分けには目をつぶろう。

56年秋 東都1部
56年秋 第1週 第2週 第3週 第4週 第5週 第6週 第7週 最終週
日本大
(前季1位)
○○
学習大
○○
農大
- ○○
駒大
- - ○○
専大
○○
中大
中央大
(前季2位)
△○○
駒大
- ○○
農大
○○
学習大
- ○●○
専大
- ●●
日大

このように「白銀対決」は、3強時代にあるだけで、その後はすっかり影をひそめている。ましてや「黄金対決」となると、さすがに今の東都では厳しいものがあるだろう。

なお、2部では、1960(昭和35)年の秋に、8勝1分け同士の学習院大と中央大が、最終週に直接対決しているものと思われる。また、1992(平成4)年の秋には、8勝1分けの立正大と8勝2分けの専修大が最終週に対戦しているはずだ。ともに1勝1敗で3回戦にもつれ込んでいる。

勝てば優勝、負ければ入れ替え戦

04年秋の愛知リーグ1部は、勝ち点3で5校が並び勝率差で愛知大が優勝した。第7週までの成績は次のとおりだ。最終週の愛知大対愛知学院大戦で勝ち点をとったチームが優勝だった。

04年秋の愛知1部(第7週終了時)
04秋
愛知1部
第1週 第2週 第3週 第4週 第5週 第6週 第7週 第7週終了時
勝率
中京大 ○●○ ○●○ ●● △○○ ●● 6 6 3 .500
愛知大 ○●● ○△○ ○○ △●● 5 4 2 .556
愛院大 ○○ ●○● ○●○ ○●○ 7 4 3 .636
名城大 ○△●○ ●● ○○ ●● ○○ 6 5 3 .545
中部大 ●△○● ●○○ ○○ ●○● ●○○ 8 6 3 .571
愛工大 ●○● ●△● ●● ●○● ○●● 3 10 0 .231

実は、愛知リーグでは下位2校が入れ替え戦に回るため、もし優勝した愛知大が最終週の愛知学院大戦に勝ち点を落としていたら入れ替え戦だったのだ。

最終週の結果次第で…
愛知大の2勝
愛院大の2敗
愛知大:7勝4敗で勝ち点3(勝率.636)
愛院大:7勝6敗で勝ち点3(勝率.538)
→勝率差で優勝
→勝率差で4位
愛知大の2勝1敗
愛院大の1勝2敗
愛知大:7勝5敗で勝ち点3(勝率.583)
愛院大:8勝6敗で勝ち点3(勝率.571)
→勝率差で優勝
→勝率差で2位
愛知大の1勝2敗
愛院大の2勝1敗
愛知大:6勝6敗で勝ち点2
愛院大:9勝5敗で勝ち点4
→5位(2部2位との入れ替え戦)
→優勝
愛知大の2敗
愛院大の2勝
愛知大:5勝6敗で勝ち点2
愛院大:9勝4敗で勝ち点4
→5位(2部2位との入れ替え戦)
→優勝

あいにく?愛知大の連勝に終わったけれども、もし1勝1敗で第3戦にもつれていたら、愛知大にとっての最終戦は「勝てば優勝、負ければ入れ替え戦」という、まさしく「天国か地獄か」の一戦になっていたわけだ。

東都2部の通算勝ち点

このページは、企画倒れでこういうページになった。もともと東都2部の通算勝ち点を集計しようと企んで、武則天様より『…七十年史』を拝借したところ、2部については1956年以降の勝敗表しか載っていなかったのだ。

参考までに、東都2部の通算勝ち点を掲げておこう。ただし、企画倒れに終わったのは、同書の勝敗表に誤植が多くて、デリケートな集計にはたえられないという判断を下した結果であり(勝敗表だけで20カ所を超える誤りがある)、私の集計ミスがあるかもしれないので、あくまでもアバウトな数値として見てほしい。

東都2部の通算勝ち点(1956春〜2007秋)
大学 勝点 平均 大学 勝点 平均 大学 勝点 平均
国士館大
東京農業大
国学院大
立正大
青山学院大
専修大
中央大
217
216
187
168
162
149
111
72
92
88
68
48
41
33
3.01
2.35
2.13
2.47
3.38
3.63
3.36
日本大
拓殖大
東洋大
芝浦工業大
亜細亜大
成蹊大
明治学院大
96
60
59
39
22
19
18
25
51
22
15
7
10
11
3.84
1.18
2.68
2.60
3.14
1.90
1.64
学習院大
駒沢大
武蔵工業大
大正大
東京経済大
上智大
順天堂大
14





16
1
2
4
6
2
7
0.88
5.00
1.00
0.50
0.33
0.50
0.14

▲「勝点」は、当該期間の2部リーグでの通算勝ち点です。
▲「季」は、当該期間の2部在籍シーズン数です。
▲「平均」は、1シーズン当たりの平均勝ち点です。
▲1984年春と1986年春のシーズンは5チームによるリーグ戦ですが、「平均」の算出に際して、とくに調整していません。


外部リンクです。
東京新大学野球連盟リーグ戦戦績一覧平成3年1部春季リーグ戦
 東京新大学では1991年春に東京学芸大が「10勝5敗で完全優勝」しています。2位の創価大は9勝2敗の勝ち点4です。創価大にはコールド勝ちが3試合あるようですが、学芸大はコールド点差で勝った試合はありません。創価大は打撃ベスト10に5人送り込んでいますが、学芸大は1人もいません。(07/11/26設定)

【リンク希望】他の大学リーグを対象にした、このページと同趣旨(「勝ち点3で優勝」以下)のWebページをご存知の方はお知らせください。このページからリンクしたいと思っています。

◆このページは『…七十年史』をもとに作成しました。前述したように誤植や脱落が多く、ある程度は縮刷版でフォローしましたが、すべてをチェックしたわけではありません。事実誤認、数値の誤り、変換ミス、リンク切れ等にお気づきの際は、お手数ですが「3代目んだ(10勝5敗の完全優勝)」または「メールのページ」からご一報いただけると幸いです。

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