◆プロフィールのページ代わりということで…。
カープファンとしても知られるニュースキャスターの筑紫哲也氏は、もともとは朝日新聞の記者でした。私の学生時代、今は亡き『朝日ジャーナル』の編集長が筑紫氏でした。同誌の85年4月1日臨時増刊は「雑誌の世界」と題する特集号です。
そのときの巻頭企画は、『野球盲導犬チビの告白』、『闇に咲く花』、『下駄の上の卵』など野球をモチーフにした著作も多い井上ひさし氏と筑紫編集長との対談でした(私の本棚の著作者別占有率TOP1は今でも変わらずに井上氏です)。私が最初に買った井上氏の本は、新潮文庫の『ブンとフン』だったはずです。たしか中学3年か高校1年のときでした。
初めて読んだのは、高校の図書館にあった『青葉繁れる』かもしれません。いずれにしても、高校の図書館にあった井上氏の本は1学期中に読み終えたはずです。片手では足りなかったかもしれませんが、まだたいした量ではありませんでした。おそらく高1の時点で、当時文庫化されていたものは全部読んだはずです。
高校2年のときには、もう文庫化を待たずにハードカバーを買っています。以来、15年ほどの間は見つけ次第買っていました。『吉里吉里人』など、たしか発売当日に買ったはずです(あの分量では、とても一晩で読み終えることはできませんが…)。なにしろ、腰巻に「井上ひさし氏絶賛」とあれば、ジャンルを問わずに手を出していたくらいです。
さて、前出の『朝日ジャーナル』増刊号には、井上氏のこんな発言があります。
『朝日ジャーナル』85年4月1日臨時増刊「雑誌の世界」(朝日新聞社)これは物を書くときも結局は同じですし、芝居をやるときも同じなんですけど、自分だったらどういう物語を読みたいとか、どういうところでどういう芝居を見たいとかというものをしっかり持っている人ですね。自分を絶えずたたいて、自分の趣味を磨いている人が、そこでちょっとある質的な転換が起こりますけど、自分の趣味のためにつくった雑誌は、やはり読者を集めるという気がするんです。
<略>
自分の趣味のために自分に向けて一生懸命につくったとき、たいていの場合、世の中に必ず同じ趣味の人がいますから、まずそういう人が集まってきて、次に趣味が多少重なり合う人がきて、またその次に趣味とかする人が集まってくるみたいなことになる。だから優れた編集者というのは自分の趣味をもっていて、それをこつこつ磨いている。その表現が雑誌の編集になる。そう単純に考えることにしているんです。まあ、趣味っていうのは幅の狭い言葉ですけど、世界観でも何でもいいんです。
これは『スコアシート』時代から変わらない私の原点です。私はあくまでも自分のために「セットポジション」をつくります。自分の趣味をこつこつ磨いていきたいと思っています。重なったりかすったりするようでしたら、どうぞまたお越しください。そうでなければ、ご縁がなかったということです。
「自分の趣味を磨いている人」が「自分の趣味のためにつくった」ホームページやブログが面白いのは当然のことです。当サイトには数多くの外部リンクがあります。今後もジャンルを超えてリンクしたいものだと考えます。
自分のためのWebサイトですから、余計な球種は必要としません。ストレート(文章)とカーブ(表)だけで十分です。十分ではないのかもしれませんが、この2つの球種だけで通用するものをつくりたいと思っています。すくなくとも私の場合、スライダー(画像)やフォーク(音声)を考え始めたときは、力が衰えてきた証しなのかもしれません。
07年1月現在、スライダーは3球しか使っていません。「TOP」にあるレインボーカラーの水平線、「メールのページ(その2)」の“正しいアドレス”、「スコアの記入法」に加えた「S」の画像です。球種が限られているのですから、厳しいところにも投げさせていただきます。ボール球を利用するのも当然のことです。
文字が読みにくくなるのを懸念しますので、壁紙(画像)をとりこんで背景に貼りつけるつもりはありません。白地のままではちょっと味気ないですし、目にもよくないような気がしますので、背景色はつけていますが、原色を避けて基本的には薄めのパステルカラーを使っています(端末によっては私の意図する色合いになりませんが…)。
読みやすさを意識して、適度に改行していますが、やはり直球オンリーだと視覚的には辛いものがあります。できるだけ1画面が文字だけにならないように考慮したいと思っています。
80キロ台のカーブで有名だった星野伸之氏の持ち球は、ほかに130キロ前後のストレートと110キロ前後のフォークでした。星野氏より通算投球回数が多く、星野氏より通算奪三振数が少ない投手は、別所毅彦、スタルヒン、東尾修、松岡弘、北別府学、足立光宏、堀内恒夫、秋山登、高橋直樹、杉下茂、高橋一三、西本聖の各氏です。
星野氏の奪三振率は平松氏や山田氏を超えています。まあ、三振だけが本格派と技巧派を分ける基準にはならないのでしょうが、星野氏の著書には次のような記述があります。
星野伸之『真っ向勝負のスローカーブ』(新潮新書、24ページ)シーズンを通じてコンスタントな成績を残そうと思ったら、技術的にはシンプルであることが大切になる。つまり、球種は少なければ少ないほどいい。完成度を高め、投げ損じを1球でも減らしていくためには、可能な限り少ない球種でいくのが理想だ。
ストレートとカーブに磨きをかけていきたいと考える次第です。
私は、故・藤田省三氏の授業に1度だけ出たことがあります。もともと学部が違いましたが、公開科目(たしか「政治文化論」だったように記憶しています)に指定されていましたから、正規に授業を受けることも単位をとることもできたはずです。
時間の関係だったのか、公開科目の枠が埋まったからか(おそらくは前者)、結局は1度きりでした。私の記憶にあるのは、教卓に腰掛けて講義していたことのほかには、次のような言葉だけです。
ロマンチストは、しばしば“鳥のように自由に”と表現するけれども、鳥は自分のテリトリーを守り、外敵を警戒しながら飛んでいるのであって、けっして自由気ままに飛び回っているわけではない。
どういう文脈の中だったかはすっかり忘れてしまいました。すでにノートもありませんので、おそらく正確ではないでしょう。
大掃除(というほどのことはしていませんが…)で、本棚の片隅に『現代の理論』1984年1月号があるのを見つけました。100ページほどの古雑誌を今でも捨てられないのは、巻頭論文が藤田氏の「不良精神の輝き」だからです。
藤田省三「不良精神の輝き」(『現代の理論』84年1月号、現代の理論社)青少年の諸君には、不良精神を忘れるな、と申し上げたい。そして不良精神とは単に不良の美学だけではなく、不良の倫理学をその核心に持っているものです。そうして本当に最高の倫理学とは常に不良の倫理学を根底に持っている。それある時始めて、権力その他への批判と、批判の自由をいかなる時にも許容する自由な寛容と、他人への共感を、感受性の底から基礎づけることが出来るからなのです。更にもう一つ、青少年諸氏に申し上げたい。その感受性をもって人間として軽蔑すべき教師をはっきりと明らさまに軽蔑して頂きたい。そうすれば尊敬すべき教師もおのずから明らかになって来て、本当に有益な影響を受けることが出来るでしょう。それが在るべき教育を受けるということなのです。
▲「始めて」は原文のままです。変換ミスでは、とのご指摘がありましたが、『現代の理論』誌では「始めて」でした。著作集に関しては未確認です。
先にこれを読んでいたら、私は万難を排して藤田氏の授業に出ただろうと思っています。たとえ単位にはならなくても、です。まあ、1度は授業に出たのに、そこまで見抜けなかった私があさはかだっただけのことですが…。
当サイトでは、ときに「はっきりと明らさまに軽蔑」していることがありますが、これは藤田氏の言葉を忠実に実行しているからです!(まあ、私の責任でやっていることですが…)。ただし、相手は選んでいるつもりです。なにしろ「倫理学」ですから…。
前掲「不良精神の輝き」今は消え失せつつある戦後精神の感性的基礎は、画一的規格から逸脱する不良精神のスタイルにこそあったのです。逸脱は自由の元素です。逸脱が逸脱の権利と理由を身につけた時、自由の精神が誕生するのです。
あまりやりすぎると著作権法上の問題が生じるでしょうから、これだけにとどめます。私はとっくに青少年ではなくなりましたが、逸脱を恐れない「不良精神」でやっていけたらいいな、と思っています。
ところで、大学時代の授業で、今でも覚えているのは、次のような言葉です。もともとはユダヤの伝承だということを、ずいぶんあとになって何かの本で読みました。まあ、どうせなら1年生のときに聞きたかった気もします。これも「国際政治論」だったか法学部の公開科目でした。こちらは単位もとったはずです。
無人島に漂着したとき、今すぐ食べられる魚を与えられただけでは、その場の空腹を満たすことはできるけれども、明日には飢えてしまう。魚をとる方法を教えてもらえば、最初はうまくいかず失敗も重ねるだろうけれど、やがて飢えない程度には、とれるようになるだろう。大学というのは、知識を身につけるところではなく、知識を身につけるための方法を学ぶところである。
これを中国の諺だとするWebページもあり、老子と名指ししているWebページもありますが、「Give a man a fish and you feed him for a day.」をGoogleでフレーズ検索すると、全言語で52,300件、日本語で75件ヒットします(06/01/31現在)。この数字からすると、原産地?が本当に中国なのか、ちょっと怪しい気もします。まあ、両方に起源があるのかもしれませんけど…。
小泉氏の所信表明演説でダーウィンの言葉とされる「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」が使われたように、「魚を与えれば一日の飢えをしのげるが、魚の釣りかたを教えれば一生の食を満たせる」は、故田中角栄氏が首相在任当時の論文で使っているようです。
▲【指名手配】この言葉のオリジナルを探しています。ご存知の方は、「3代目んだ」(一日の飢え、一生の食)からご教示いただけると幸いです。
『週刊ベースボール』に隔週連載されていた森岡浩氏のコラムが年度末で終了しました。氏は「この連載を読んだ方に、散逸しかかっている膨大な資料を体系的に把握しようとしている人がいる、ということを知っていただければ幸いである」と結んでおられます(01年4月2日号、136ページ)。
森岡氏のテリトリーである高校野球のように、たとえ「散逸しかかって」いようとも「膨大な資料」があればまだいいほうで、大学野球や社会人野球では絶望的なほどの情報過疎地帯もあります。森岡氏の最後のセンテンスで、昔読んだ小説の一節を思い出して、本棚から黄ばんだ背表紙の文庫本を探してみました。
柴田翔 『されどわれらが日々―』(文春文庫、194ページ)やがて、私たちが本当に年老いた時、若い人たちがきくかも知れない、あなた方の頃はどうだったのかと。その時私たちは答えるだろう。私たちの頃にも同じように困難があった。もちろん時代が違うから違う困難ではあったけれども、困難があるという点では同じだった。そして、私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、新しい生活へ勇敢に進み出そうとした人がいたのだと。そして、その答えをきいた若い人たちの中の誰か1人が、そういうことが昔もあった以上、今われわれにもそうした勇気を持つことは許されていると考えるとしたら、そこまで老いて行った私たちの生にも、それなりの意味があったと言えるかも知れない
まあ、私は節子ではなく文夫のクチですが、少しだけ馴れ合うことからは距離を置きたいと思っていますし、このサイトを覗いた誰かに自分にもその権利はあると思ってもらえたらいいなあと思っています。別に野球に限らずに…。
当サイトには「プロフィールのページがない」とのお叱りを頂戴したことがあります。まとまったページはありませんが、身長と出身地は、どこかのページに書いてあります。また、このページには大学名を書いていませんが、明記してあるページもあります。
このページには『朝日ジャーナル』と『現代の理論』が出てきますが、「雑誌の世界」という特集号を買うぐらいですから、『本の雑誌』や『噂の真相』や『広告批評』を当然のように読んでいました。文鳥堂で『本の雑誌』が入っていないかどうか(わざと)聞いたこともあります。「発売日が遅れたからって死にやしない」の交換広告をライブ?で見ていたわけです。
▲わかる人にしかわからない世界ですが…。
当時の愛読誌としては、これらに『LaLa』と『ビッグコミックスピリッツ』を加えなければなりません。お気に入りのマンガは『日出処の天子』、『軽井沢シンドローム』、『いつもポケットにショパン』、『ファラオの墓』でした。野球マンガで言えば『進め!!パイレーツ』と『プレイボール』であって、『巨人の星』や『ドカベン』や『タッチ』ではありません。
NHK「少年ドラマシリーズ」の世代でもあります。♪きらめく風を追いかけて…、ですね。
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★07/02/01校正チェック済、ケなし、順OK
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