セットポジション野球場
浅き夢見し | 富士に棲む魔物 | お情け無用

富士に棲む魔物

02/07/27作成
13/12/15更新

◆富士山を見ながら、野球も見られます。


◇モザイク

富士山は円錐形というわけでもない。御殿場口に宝永山というでっぱりがあるのだ。太宰治で有名な御坂峠や三ツ峠から富士山を眺めると、ちょうど宝永山が背面に回るために、裾野がすらっと伸びた絶景になるらしい。

地図上で、御坂峠あるいは三ツ峠と富士山頂を結ぶと、ちょうどその中間地点に富士北麓公園がある。陸上競技場や体育館などもあるけれども、あいにく私はそういう施設とあまり縁がない。“球場メグラー”にとっての穴場、富士北麓球場とはそんな場所にある。標高は1000mくらいだと思われる。

4:30に起きた。何度も書いているように、アマチュア野球ファンにとって早起きは必須条件だ。4:50すぎに出発して水道橋の駅に着いたのは5:10前だった。券売機で切符を買おうとしたら、釣り銭だけ出て、肝心の切符が出てこない。

まあ、さほど焦っているわけではないけれども、できれば5:13の高尾行各駅停車に乗りたいのだ。自動的にアラームが鳴って、駅員が対応してくれた。無事に切符を手に入れたので、予定の電車に間に合った。先が思いやられるアクシデントだ。

やがて、やたらと乗客が増えた。新宿に着いたに決まっている。中野を過ぎた5:35、体が冷えてきたので1枚着込んだ。先は長い。あらかじめ空いているうちに弱冷房車を選んでいた。6:29、高尾で大月行各停に乗り換える。大月着は7:06だった。

大月駅で買った『スポニチ』は完全な東京版だった。これなら、『山梨日日新聞』を買ったほうがいい。7:28、富士急の河口湖行各停が出発した。この電車に乗るのは、大学時代のゼミ合宿以来かもしれない。2両編成の単線だ。

電車の中で蝶が舞っている。都内の地下鉄では考えられない。きっと無賃乗車に違いないと思われる。しかも、確実に「大人」だと断言できる。別に車掌がとがめる様子はなかった。たぶん、どのようにして切符を買うのかという問題があるのだろう。

7:58、吉池温泉の手前で富士山が見えた。残念ながら頂上付近に厚い雲がかかっている。前日、台風7号が通りすぎたばかりだが、台風一過とはいかないようだ。頂上が見えないのは、なんとももどかしい。

まあ、肝心なところにモザイクがかかるのは、日本の「正しい」しきたりだと言えるかもしれない。もちろん、「正しい」ことが歓迎できるかどうかは別の問題だ。そうでない場合も少なくはない。

策士

8:15、最寄り駅の富士吉田に着いた。駅の周辺をぐるりと回ってみた。どうやら、途中まで行く路線バスも、直行の臨時バスもないようだ。バスがなければ、交通手段は2つしかない。タクシーか、さもなくば自力で歩くか、だ。山登りの5キロにはためらいがある。

駅前の喫茶店に入った。ここまで来て、タクシーで球場まで行って、もし試合がなかったら、目も当てられない。カウンターに置いてあった『山梨日日新聞』を開いた。第1試合は予定どおり9:30からだ。モーニングを食べ終えて、隣のタクシー乗り場に向かった。

タクシーの運転手は野球好きが多い。やはり仕事柄、ラジオ中継を聞いているからなのだろう。(当時)ファイターズの井出竜也や元ライオンズの田辺徳雄が吉田高の出身だという。まあ、知らないわけではないけれど、話を合わせて気分よく運転してもらうのもマナー?というものだろう。

1961年から76年までホエールズに在籍した「ポパイ」こと長田幸雄も吉田高OBらしい。さすがにそこまでは知らなかった。吉田商高出身で元ブレーブス(79〜90年)の関口朋之の話題にならなかったのは、パリーグで通算12勝13セーブでは、どうせ知らないだろうと思われていたのかもしれない。

¥1770払って、タクシーを降りた。運動公園だから、敷地内を歩かされる。チケット¥600、パンフ¥500で、スタンドにたどり着いたのは8:50だった。いつものようにネット裏の最上段に席をとる。外野スタンドは芝生席だ。球場の周囲は樹木で覆われている。両翼のポールも、スコアボードも、木々の緑の中に見える。

真正面に富士山。その裾野の両端は、ちょうどレフト・ポールとライト・ポールに向かって伸びている。なるほど、天気さえよければ、たしかに「絶景」に違いない。天気さえよければ、だ。相変わらず、頂上付近は雲で覆われている。稜線もぼんやりしたままだ。

この球場の設計者は「策士」だ。借景には違いないけれども、この場所でこの方角に球場をつくればこういう眺望になるということがわかっていて、つくったことだけは間違いない。

ツリーラインと冠雪

9:30、小学生の投手と打者で始球式が始まった。この日は平日だし、まだ夏休み前のはずだが、いったい授業はどうしたのだろう。始球式で休めるのなら、悪い話ではないかもしれない。1回裏が終わったとき、頂上のモザイクが消えた。太宰にならって、私は雲の一点にしるしをつけていた。

太宰治『富嶽百景』

はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであろうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがった。私が、あらかじめ印をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すっと見えた。おどろいた、というよりも私は、へんにくすぐったく、げらげら笑った。やっていやがる、と思った。人は、完全のたのもしさに接すると、まず、だらしなくげらげら笑うものらしい。

あいにく、私はげらげら笑ったりしなかった。だいたいのところ、想像どおりだったからだ。ひょっとすると、私は太宰よりすぐれた想像力を持ち合わせているのかもしれない。ただ、季節が悪い。残雪をわずかに確認できるけれども、さすがに7月の半ばすぎとあっては冠雪しているはずがない。

富士山の森林限界(ツリーライン)は、標高2400〜2500mらしい。それより標高が高くなると、樹木は育たない。正確には、土壌中のバクテリアが活動できないので、樹木が生育できる環境にならないということらしい。

冠雪と森林限界がセットになれば、上から順に、雪の白→岩石の灰褐色→木々の緑、という三層構造が拝めるのかもしれない。

同上

「やはり、富士は、雪が降らなければ、だめなものだ。」もっともらしい顔をして、私は、そう教えなおした。

さて、第1試合は、甲府工とシード校の日大明誠の対戦だった。この球場での顔合わせとしては、ゴールデン・カードだと言っていいだろう。4回終了が10:35、富士山は7割ほど雲に隠れた。日大明誠に初安打が出た5回裏から雨が降り始めた。6回表途中の11:20には富士山はすっかり姿を消した。

「○○先生、好きです」

試合は12対2の6回コールドで甲府工が勝った。11:32だった。富士北麓球場の椅子は背もたれがない。最上段に座ると、壁にもたれかかることができる。ネット裏の真正面の列は前方が6段、後方が5段しかない。両サイドにずれると、後方6段目の席がある(内野席は後方10段まで)。

少し三塁側寄りに座るのが私のポリシーだ。だから、私は6段目の席に座っていた。空を見上げると、ちょうど私の真上だけ屋根が広い。5段目では雨に濡れてしまうが、6段目ならなんとか防げる。私が座った席は、右側と後ろが壁になるから、風向きが悪くない限り、雨はさほど気にならない。

おかげで、傘をさす必要はなかった。本能的にベスト・ポジションを選んでいたのかもしれない。なるほど、これが太宰の言う「完全のたのもしさ」なのだろうか。たしかに、げらげら笑いたくなる。まあ、笑いはしなかった。不審人物と思われかねないからだ。

第2試合を戦う両チームのシートノックが終わり、グラウンド整備がおこなわれた後、雨脚が少し強くなった。マウンドとホームにシートがかけられて、プレイボールはお預けになった。この空き時間に、一塁側応援席の前のファウルグラウンドには1人の選手が立っていた。

応援席に向かって、TV番組よろしく「○○先生、好きです」と、メガホンを使って叫んでいる。機転をきかせた自発的な行為だったのか、突然の空き時間を巧みに利用してリラックスさせようという魂胆があっての誰かの差し金だったのかは断定しかねる。後者だとすれば、彼も「策士」だ。

最初の選手の背番号は確認し損ねたけれども、2人目は背番号3だった。彼は、1人目の選手以上に長々と喋っていた。もっとも、私に聞こえたのは、「必ずヒットを打ちます」と「○○先生、好きです」だけだ。人材不足だったのか、横槍が入ったのか、その2人だけで終わった。

富士の魔物

第2試合が始まったのは12:26だ。先攻の日川は、終始優位に試合を進めていた。9回表の2点は決定的なダメ押し点とも思えた。9回裏、先頭の5番打者の打球はピッチャーのグラブを弾いてセカンドに緩く転がった。一塁送球はセーフだ。

02/07/17(富士北麓) 高校選手権 山梨予選 2回戦 12:26〜15:11
日川高 000 200 102  =5 #8−#1−#8−●#1
上野原高 000 010 005x =6 #1−○#9

続く6番打者には思い入れがある。「必ずヒットを打ちます」の背番号3だからだ。それまでの3打席は、送りバント、死球、レフトフライだった。背番号3の6番打者は、追い込まれたあとの4球目をレフト前に運んで、見事に「公約」を果たした。

7番打者も一・二塁間を破って、無死満塁になった。ここで、ピッチャーが代わった。日川は先発して4回途中からセンターに入っていた背番号8の右投手にマウンドを託した。背番号1の左投手はセンターのポジションについた。

投手 打順左右 アウト走者  ボールカウント 結果 備考       
L  5番L  無死(なし) FBFH    二安
↓  6番R  無死1塁   SBSH    左安
↓  7番L  無死1・2塁 BH      右安
(投手交代)
R  8番R  無死満塁   H       中安 得点1(得点差3)
↓  9番R  無死満塁   BFSH    二併 得点1(得点差2)
(投手交代、三走に代走)
L  1番L  2死3塁   BBBSB   四球
↓  2番L  2死1・3塁 B(初球暴投で一走が二進)
        2死2・3塁 →SFFH   二失 得点1(得点差1)
↓  3番R  2死1・3塁 BSFH    中3 得点2(サヨナラ)

▲「S」は見逃しストライク、「F」はファウル、「B」はボール、「H」はインプレイの打球です。

8番打者は初球をセンター前に弾き返した。3点差として、なお無死満塁だ。一塁走者が同点のランナーになる。リードしている日川の背後には、あちこちの野球場に棲息するらしい「魔物」がひたひたと歩み寄っているようだ。

9番打者の打球をセカンドが弾いた。日川にとっては、転がった場所がよかった。ちょうどセカンドベースに入るショートの位置だった。ショートはそのままセカンドベースを踏んで一塁走者を封殺、一塁送球で打者もアウトにした。

三塁走者が生還して2点差になり、二塁走者も三塁に進んだけれども、同点の走者はいなくなった。上野原の反撃もこれで万事休す、かと思われた。2アウトだ。「魔物」が差し出した手(「魔物」が四足歩行の動物だとすれば、前足と言うべきだろう)を、日川は払いのけた…、はずだった。

再び、ピッチャーとセンターが代わった。左対左を意識した継投だと思われるが、結果的には勝敗を左右した継投だったのかもしれない。ゲッツーをとって、優位に立った勢いを殺してしまうようにも思えた。

再度マウンドに上がった背番号1の左投手は、1番の左打者に四球を与えた。2番打者のセカンドゴロがエラーとなり、三塁走者が生還して1点差、同点の走者が三塁に進み、逆転の走者が一塁に出た。

8回までセカンドに飛んだ打球はなかったのに、9回だけで3本飛んだのだ。プレッシャーのかからない場面で1本処理していれば、このエラーはなかったかもしれない。3番打者はセンターオーバーの三塁打を放ったので、同点の走者だけでなく、サヨナラの走者もホームインした。

▲『公認野球規則』3・03【原注】には同一イニングでは、投手が一度ある守備位置についたら、再び投手となる以外他の守備位置に移ることはできないし、投手に戻ってから投手以外の守備位置に移ることもできない」とあります。
▲9回裏の背番号1は、投→中→投と移っていますので、これ以上他の守備に移ることはできません。背番号8は、中→投→中と移っていますから、もう1度投手に戻ることができますが、その場合には背番号1には退いてもらうしかありません。
▲02年当時の高校野球では、規則3・03の前記引用部分に関してはこれを適用しない旨の特別規則がありましたが、当該特別規則には、「高校野球は、登録人員の関連で本規則を適用しないとしたものである。審判員は、これを作戦上の目的等、本来の趣旨からはなれて利用されることのないよう留意しなければならない」という「規則適用上の解釈」が付されていました。標準的日本人の国語力では「じゃあ、結論はどっち?」と言いたくなります。
▲なお、全日本軟式野球連盟にも、規則3・03の前記引用部分は適用しないとする特別規則がありますので、ご注意ください(02年現在)。
▲04年11月、高野連はのみ適用しないという形に規則改正すると同時に、意味不明だった「規則適用上の解釈」を「投手は同一イニングで2度目の投手に戻れば、それ以降は他の守備位置につく事は出来ません。高校野球特別規則で認めるのは、投手→野手→さらに野手への交代です」と明瞭なものに改めました(やればできるのです!)。投→右→一は従来どおりOKですが、投→右→投→右はNGになったわけです。

6年前の7月17日

これまで私が見た試合で、9回裏の逆転サヨナラ劇は26試合目だ。今のところ、4点差からの逆転サヨナラが最大点差だ。だから、上野原はタイ記録ということになる。1回目は、くしくも同じ7月17日の水曜日におこなわれた2回戦だった。

96/07/17(千葉公園) 高校選手権 千葉予選 2回戦
大多喜高 012 010 121  =8 #6−●#1
柏南高 000 000 045x =9 #1−○#4

小刻みに加点した大多喜は、8回表を終わって7点リードしていた。8回裏、柏南は3四球と2安打で4点を返したが、大多喜も9回表に5番打者のソロアーチで1点を加えた。

4点差で迎えた9回裏、マウンドには8回途中から登板した背番号1がいた。彼は4つの四球を与えて同点の走者を出し、最後は走者一掃の左中間三塁打を浴びた。9回の球数は28球、そのうち19球がボールだった。

打順左右 アウト走者  ボールカウント 結果 備考       
2番R  無死(なし) BBSSBB  四球
3番R  無死1塁   BH      右飛
4番R  1死1塁   BBBB    四球
5番R  1死1・2塁 BBBB    四球
6番R  1死満塁   BBSBFB  四球 得点1(得点差3)
7番R  1死満塁   SH      左安 得点1(得点差2)
8番R  1死満塁   SBBH    左3 得点3(サヨナラ)

▲「S」は見逃しストライク、「F」はファウル、「B」はボール、「H」はインプレイの打球です。

なんとも間の悪いことに、私の隣では負けた大多喜の女子マネージャー2人がスコアをつけていた。悪夢のサヨナラだ。泣いているのはわかっている。試合が終わって整列する選手に合わせて、2人は脱帽起立する。彼女たちと顔を合わさずにすむように、そそくさと席を立って、売店へと急いだ。

下山

さて、富士北麓の第2試合はドラマチックに幕を閉じた。照明設備のない球場だから、3試合目は予定されていない。トイレで用を足してから、球場の外に出ると、三塁側の選手通用口で、新聞記者らしい人物が日川の選手をつかまえていた。因果な商売だ。

私は、外野スタンドのほうに回って歩き始めた。第2試合の3回表から再び降り出した雨は、すっかり上がっていた。雨または晴れならタクシー、曇りなら徒歩と決めていた。図書館でコピーしてきたロードマップによれば、富士北麓公園の東側1キロぐらいのところに吉田口登山道がある。









下山ルートは決めていたのだ。だから、ネット裏のから球場を出て、地点から南側(富士山側)の道路に入ろうという魂胆だった。ところが、裏門などないのだ。公園と道路の間は崖になっているし、柵もめぐらされている。おかげで、球場の周囲をぐるりと1周歩かされた。

スタンドの大きい甲子園球場の場合、球場の周囲を一周すると約1キロになるらしい。富士北麓は甲子園ほど大きくないとしても、直径200mと考えれば、2πrで周囲は628mになる(私は円周率=3.14世代だ。黒電話も知っている)。余分に歩かされて、の正門から出た。15:30のことだった。

風はほとんどない。雨の心配もなさそうだ。鳥のさえずり、セミの鳴き声、そのほかに聞こえるのは、私の足音だけ。倒木さえ放置されたアカマツの森がときおり風に打たれて雨のしずくを撒き散らす。クモの糸が汗ばんだ腕に絡みつく。きっと、半径1キロ以内には誰もいないに違いない。

そんな静寂の世界に浸っていると、無粋な自動車が通り過ぎたり、すれ違ったりする。野暮な話だ。まあ、あっちはあっちで、どうしてこんなところを1人で歩いている奴がいるのかと、いぶかしく思っていたのかもしれない。そういえば、「魔物」にとりつかれた日川高校のバスも見送った。

遭難者?

吉田口登山道に合流したのは15:48だった(地点)。名前が「登山道」というだけで、車も通れる普通のアスファルト舗装の道路だったので、ちょっとがっかりした。

「熊に注意」という看板でもあったらどうしようかと、少し心細く思っていたら、右手に何やら看板が見えた。どうやら、道路の右側は陸上自衛隊の北富士演習場のようだ。この森の中に迷い込む勇気はなかった。

しばらく歩いていると、タクシーが登ってきた。50mぐらい先で止まった。気をきかせてくれたらしいが、あいにく私は遭難者ではない。来るときに乗ったタクシーの領収証はまだ捨てていない。電話番号はわかっている。もっとも、目印になる建物がないから、現在地を説明するのは困難をきわめるだろうけれども…。

客になる気はなかったので、顔の前で両手をクロスした。私のブロックサイン?は通じたらしい。そのタクシーはハザードを点滅させて走り出した。やがて、諏訪の森自然公園の脇を過ぎて、道が二手に分かれた。私が予定していた下山ルートでは、富士浅間神社を経由して、富士吉田駅に向かう手はずだった。

左に行く道は舗装が違う。道なりに行くと、右にカーブしていて駅から遠ざかる可能性がある。道なりを選んだ。リスクを避けたつもりだったが、失敗した。国道139号に合流したのは浅間神社の交差点、16:28だった。どうやら「完全のたのもしさ」には縁遠いらしい。

ここから先は市街地だ。吉田小学校の裏門から、ランドセルの少女が出てきた。縦笛を吹きながら、1人でのんびり歩いている。背後に不審人物が迫っていることには気づいていないようだ。ガードレールがあるので、歩道は狭い。追い越すに追い越せない。おかげでたっぷりと「カントリー・ロード」を聞かされた。

そろそろ腹の虫(とは言わない?)も騒ぎ出す。焼肉とか焼き鳥とかラーメンとかは見つかるが、中途半端な時間だけに、まだ営業時間ではないようだ。せっかく山梨に来たからには、ほうとうが食べたい。駅前に着いたのが16:47。

ウォーキングは1時間の予定だったが、浅間神社での遠回りが災いして、15分ほど余計にかかった。歩き続けるのもこの程度が限界なのかもしれない。

1粒で2度おいしい?

駅ビルのイトーヨーカドーで、「山梨名物ほうとう」のはり紙を見つけた。6階のレストラン街?にあるらしい。エレベーターで上がってみた。その店は臨時休業だった。もともと店は2軒しかない。2−1=1だ。残念ながら、もう1軒は食欲がわかなかった。

仕方がないので、駅のホームの自販機でパック入りの巨峰ジュースを買って、一気に飲み干した。少しだけ山梨気分だ。それでも腹の虫が納得してくれなかったので、大月でリベンジを果たした。ほうとう御膳と生ジョッキで、さっき浮かせたはずのタクシー代は足が出たけれども…。

私の好みの球場は、次の3つの要素を満たさなければならない。

【1】 ネット裏に座ったとき、周囲(とくに外野スタンド後方)に工作物が見えないこと。
【2】 フェンスや照明灯などに広告がないこと。
【3】 天然芝であること(枯れていないこと)。

富士北麓球場は、【2】と【3】を完全にクリアしている(地方球場なら別に珍しくない)。【1】に関しては、ライトスタンド後方の木の隙間から、の道を通る車が見える。それさえなければ完璧だ。もう1つだけ難を言えば、富士山が左右対称とはならずに、右側(上九一色村方面)の裾野がややこんもりと盛り上がっている。

だが、富士山というオマケがついているのだ。このオマケは大きい。これは日本一のオマケだ。あいにく、このオマケはもれなくついてくるわけではない。そして、泣く子と天気には勝てない。

正統派の“球場メグラー”には、大いなる制約がある。「そこに山があるから」と言えるアルピニストやクライマーではないのだ。球場に行ったところで、試合が中止になっては意味がない。まして観光目的ではないのだ。試合のない日に行っても始まらない。

この球場を狙えるチャンスは年に何度もない。硬式野球では、高校の3回戦までと、クラブの山梨予選ぐらいだろう。まあ、天気はなかなか選べない。今度行くときは、季節を変えて行ってみたいと思っている。この球場なら、「完全のたのもしさ」に再度チャレンジする価値がある。


◆通常、野球場ではるか彼方(と言っても水平距離10キロほどですが…)の雲に注目することはありません。当たり前のことですが、雲は刻一刻と姿かたちや厚みを変えています。グラウンドより雲が気になる球場なのかもしれません。

外部リンクです。
山梨県立富士北麓公園
 財団法人山梨県民スポーツ事業団・富士北麓公園管理事務所による上記Webサイト中「施設案内」のページで、富士北麓球場から見た富士山をご覧いただくことができます。(P未通知、02/07/27設定)
山中湖大図鑑富嶽百景
 太宰治が玉川上水で入水自殺したのは1948年です。没後50年経過しており、生前に公表された『富嶽百景』は、すでに著作権法による保護対象外です。ペンション セロ様のWebサイト中にその全文が公開されています。富士に月見草が似合うと語った経緯をご存知ない方は、参考までにどうぞ。(02/07/25許諾済)
青空文庫
 もちろん太宰は旧カナで『富嶽百景』を書いています。旧カナのほうがよろしければ、4000点を超える電子図書館をご利用ください。(F未通知、05/01/06設定)

◆事実誤認、数値の誤り、変換ミス、リンク切れ等にお気づきの際は、お手数ですが「3代目んだ」(富士に棲む魔物)または「メールのページ」からご一報いただけると幸いです。

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