セットポジション野球場
茜色と漆黒とアンリ・ルソー | 櫛風沐雨 | 湿った落下物

櫛風沐雨(しっぷうもくう)

07/05/23作成
13/12/15更新

◆野球は屋外競技です。雨にたたられることも珍しいことではありません。


雨宿り

図工や美術の成績はいつも「3」だった(5段階相対評価)。まあ、ごくまれに「4」もあった(はずだ)。ときには「2」もあったかもしれないが、都合の悪いことは忘れるに限る。なにしろ、中学のとき定期テストでクラス最高の99点を出しながら、「3」に終わったという苦い記憶もある(早く忘れよう)。

絵心のない私が1度だけ先生に誉められたのは、たしか小学4年の9月だった。「夏休みの思い出」というタイトルで絵を描けとおっしゃる。みんなが海水浴や花火大会や夏祭りの絵を描き始めるなか、私は雨宿りの絵を描いた。

背景は一面の田んぼ、道路際にそびえる1本の木の下で空を見上げて雨宿りしている少年が1人。しばらくの間、その絵は金色のリボンとともに教室の後ろの壁に飾られた。私は居心地が悪かった。銀色のリボンがついた絵のほうが私の稚拙な絵よりはるかに上手かったからだ。

実は、雨宿りした場所は木の下ではなかった。背景処理が面倒なので、空と田んぼと道路と1本の木にしただけだ。少年は(当時から)横着だったのだ。また、雨宿りしたのは私1人ではなかった。描き始める前に、「誰と行ったの?」(実際は方言)という声が遠くから聞こえていた。うむ、「自爆」は避けなければならぬ。少年は自己防衛本能を備えていた。誰に教わることもなく「創作」に走ったのだった。

伊藤茂樹氏が栗山英樹氏との対談で次のように語っている。

『球場物語2』 ベースボール・マガジン社『週刊ベースボール』別冊早春号 (39ページ)

私も、雨で試合が中断したり、開始が遅れているのを待ったりしている時間は結構好きです。寒かったとか雨に濡れたとかそんなことも、後になってみればその試合の思い出の一部になりますよね。

そうだ。「後になってみれば、たしかに思い出になる。

中断2時間7分(112球場目=伊勢崎)

私にとっての降雨中断の最長記録は2時間7分だ。

02/05/20(伊勢崎) 高校春季関東大会2回戦 9:51〜14:41(中断12:33〜14:40)
山梨学院大付高 000 000 110 1 =3 #1−#5−○#1
宇都宮工高 010 000 001 0 =2 #11−#10−●#13−#1

山梨学院大付の先発投手は、7回裏二死から連打を浴びてサードに退いた。この投手は左投げだった。左投げの三塁手を見るのは、たぶん初めてだ。雨が降り始めたのは9回裏だった。8回に逆転した山梨学院大付だが、リリーフ投手は9回裏の先頭打者を四球で歩かせた。

次打者に1球投げたところで、サードに回っていたサウスポーが再びマウンドに登る。送りバントで一死二塁となった。打順はトップに戻る。初球を打った。ライトへのファウルフライだった。これは難しい判断になる。ライトは捕球した。二塁走者はタッチアップで三塁に進んだ。

まあ、同点ならともかく1点リードしているから、順当なのかもしれない。背番号1のサウスポーは、2番打者に死球を与えた。これで、二死一・三塁。三塁走者が同点のランナー、一塁走者がサヨナラのランナーだ。3番打者は2−1からの5球目をライト前に運んで、宇都宮工は土壇場で同点に追いついた。

宇都宮工の先発投手は、背番号11だった。8回表に逆転された場面で降板している。2番手投手は9回裏の代打の関係ですでに退いていた。背番号13が10回表のマウンドに上がった。四球、バント、内野安打(バントヒット)で一死一・三塁となり、いよいよ背番号1の登板だ。

エース温存(伊勢崎)

宇都宮工の背番号1は、前日9回を完投している。したがって、出し惜しみというわけでもない。連投となったエースのワイルドピッチで、山梨学院大付が勝ち越し点を拾った。10回裏、雨は一段と激しさを増してきた。前の回から再登板した山学大付の背番号1は、サードゴロと三振でツーアウトをとった。さらに雨は激しくなる。

雨だけなら、もうこの辺りで中断すべき状況だった。だが、皮肉なことにツーアウトなのだ。審判なり大会本部としては、強引だとわかっていても、「このまま、あと1人だけやってしまえ」という判断も働くだろう。ボール、ボール、見逃しストライク、ボールのあとの5球目は、期待?に反して、センター前のヒットになった。

球審は、ここで選手を引き上げさせた。さすがに、この雨のなかで続行は無理だ。さて、中断はいいとしても、話としては非常に複雑になってくる。先攻チームが1点リードした状況で、延長10回裏の攻撃が完了していないからだ。

硬式の高校野球には、サスペンデッドの規定はない(軟式はある)。このまま再開できない場合、ルールどおりなら、この試合は最終均等回の9回で成立する。10回表の1点は認められない。つまり、引き分けで再試合になる。だが、この大会はすでに雨で1日順延になっていた。

それに、同時進行の高崎や敷島では、試合がおこなわれているらしい。翌日は準々決勝4試合が予定されている。伊勢崎だけ消化できないのは具合が悪い。というわけで、雨が小降りになったあと、スタンドで応援していた両チームの控え選手80人ほどを総動員して、杭を打ち、スポンジを使って、なんとか再開にこぎつけた。

私の時計では、試合再開が14:40。再開後の打者は3球目を打ってセカンドゴロ、試合終了は14:41だった。高校野球の2試合日だというのに、第2試合が終わったのは17:06だ。

なお、プロ野球では1963年8月29日に大阪球場でおこなわれた南海ホークス対阪急ブレーブス戦が3回表に2時間14分中断して、再開されている。そのときは、グラウンドに撒いたガソリンを燃やして水分を蒸発させるという荒療治も用いたらしい。

1回表終了ノーゲーム(千葉マリン)

ノーゲームの経験は9試合ある。そのうち3試合は1試合見たあとの第2試合だったので、あまり印象はない。最短のノーゲームは1回表終了だった。

94年9月1日のことだ。私は海浜幕張の駅から千葉マリンスタジアムにのろのろ歩いていた。晴れていたので、汗をかきたくない。別に初めて行く球場ではない。距離はわかっている。9月になったばかりだ。せかせか歩くと汗だくになりかねない。どうせ試合開始までたっぷり時間があるのだ。ネット裏の2階席に座ったとき、ちょうど5時を回ったところだった。試合は18:15開始予定だ。

駅前で買った和幸のヒレカツ弁当を開いた。食べ終わったのは試合開始1時間前だった。首位のライオンズを合併した2球団が1ゲーム差で追いかけていた。パリーグはこの年から全試合予告先発になっていた。マリーンズは伊良部だ。そこそこおいしい試合にはなるだろう。見逃す手はない。

ぼんやり見ている練習の間、徐々に雲行きが怪しくなってきた。バッティングゲージが片付けられて、グラウンド整備が始まる頃には、ポツポツと落ちてきた。もともと席は屋根のある2階席の一番奥にとっている。どちらかと言えば、雨より日差しを避けたつもりだったが…。

降り始めた雨の中で、定刻どおりプレイボールがかかった。辻がサードゴロ、吉竹がライト前ヒット、佐々木がサードライナー、清原は死球(2球目に吉竹二盗)、5番の鈴木は見逃し三振に倒れた。試合は中断した。18:24だった。通常は30分待つものだが、この日はわずか15分で中止が決まった。雨の中をとぼとぼと帰るしかないわけだ。

江戸川と多摩川を越えて(天台)

半月後、私は千葉県営球場に行った。地名から天台球場と呼ばれることの多いこの球場に行くのは初めてだった。朝8:23に第1試合が始まった。ともに“今は亡き”朝日生命とNTT関東の対戦だった。社会人日本選手権の関東2次予選だ。第1試合の6回表攻撃中にノーゲームになった。9:24だった。

とりあえずモノレールに乗り込んで、行き先を考えた。この日、神宮では東京六大学が2試合組まれている。12時開始だから、急げばまだ間に合うだろう。ただし、第2週だからカードは格落ちだ。私は千葉駅では各停に乗って、秋葉原で京浜東北線の後ろ寄りの車両に乗り込んだ。行き先は横浜スタジアムだ。

朝方、千葉駅で買ったままのパック入りウーロン茶の賞味期限はまだ先だが、これを横浜で開封しようという魂胆だった。先頭から2両目に乗らなかったのは、時間に余裕があるからだ。ベイスターズ対カープの試合は14:00開始予定だ。なにしろ、朝8時半に千葉まで来たのだ。ろくに朝も食べていない。それなら、北口で降りたほうがいい。

カープは首位ジャイアンツを1.5ゲーム差で追いかけていた。初回に3点を先制した。天気は崩れなかった。試合はワンサイドのまま終わった。ウーロン茶は飲み干した。目的は果たした?

プロ野球の場合、チケットの払い戻しは翌日からになる(ファームは別)。アマチュアでは払い戻しはないものと思っていた(天台では「明日使えます」と言われた)が、97年春の首都大学リーグで払い戻しを受けたことがある。第1試合の2回裏終了でノーゲームだった。

晴れなのに中止(西武第二ほか)

雲1つないカンカン照りの日なのに、(前日の雨による)グラウンドコンディション不良で中止ということもあった。西武第二球場のイースタンの試合だ。私はわざわざ道路を渡ってパンと缶飲料まで仕込んだというのに…。

この「グラウンドコンディション不良による中止」は結構やっかいだ。今では天気予報を集めるのに苦労はない。あれこれクリックするだけで、全国各地の天気予報を1時間単位で見ることができる。降水量までわかる。だが、さすがに「グラウンドコンディション」は読めない。

栃木県の小山球場に初めて行ったのは、03年頃だっただろうか。関甲新学生リーグの試合だった。小山駅で、単線なのに幹線扱いの水戸線に乗り換える。隣が小田林(おばやし)駅だ。この無人駅から球場まで徒歩で30〜40分かかる。

ようやく球場に着いたと思ったら、グラウンドが静かだ。もう練習は終わったのだろうか。球場正面に回ると、中止の張り紙が見つかった。たしかに朝は雨が少し残っていた。埼玉に入ってからは降っていない。天気予報では好転することになっていたから、チャレンジしたのだった。

東京から小山まで行って、しかも30分以上歩いた末の中止は痛い。結局、この日は、ほかに振り替える気力もなく、地図など持っていないくせに(帰りはタクシーのつもりだった)、途中で昼食を挟んで小山駅までぶらぶら“散歩”したのだった。小山駅に着いたとき、球場に問い合わせるべきだったかもしれない。

ところで、私が最初に神宮第二球場に行ったのは、高校野球で93年秋の都大会だった。もともと私は第二球場に行くつもりなどなかった。東明と法早の神宮球場が目的地だった。外苑前の駅からスタジアム通りに入ると、どうも様子がおかしい。

東京六大学だから、もう少し人が多いはずだ。雨は10時頃に上がった。今は降っていない。人工芝でやれないはずがない。不安を抱きながら、正面玄関に到着した。中止のお知らせ看板が出ていた。第二球場から歓声が聞こえてくる。何をやっているのか、とりあえず向かってみた。高校野球だった。10時か10時半の開始だろう。

今現在、雨は降っていない。早く始まった神宮第二ではちゃんと試合をやっているのだ。数年後、同じ経験をしたことがある。東京六大学だけはアマチュアの常識が通用しない。やはり“別格”なのであった(ということを思い知らされてから、ろくに見なくなった)。

5度の中断(小田原)

▼この項のソースは市原のH氏です。神奈川の高校野球や大学野球では、試合開始時刻と試合終了時刻がアナウンスされるのが通例です(京滋大学リーグでもありました)が、中断時刻までは面倒を見てもらえませんので、中断時刻(時間)については公式の記録とは異なる可能性があります。

04年夏の高校野球神奈川予選では、中断5回の試合があったそうだ。

04/07/12(小田原) 高校選手権神奈川予選 10:59〜16:09
相洋高 510 001 001 =8
横浜翠嵐高 100 100 000 =2

中断の回数だけでなく、中断の理由がふるっている。雹(ひょう)で中断というのは珍しい。

1回目 12:23〜12:37(雷のため、4回終了時)
2回目 13:08〜13:14(雷のため、6回終了時)
3回目 13:16〜13:23(降雹のため、7回表前)
4回目 13:46〜14:58(降雨のため、8回裏攻撃中、20分強雨続く)
5回目 15:12〜15:59(雷雨のため、9回表攻撃中、5分ほど強雨)

正味の試合時間が2時間44分、中断時間は合計で2時間26分。このあとの第2試合は19時過ぎに終わったらしい。なにしろ球場が小田原だけに、H氏が帰宅したのは22時半過ぎだったそうだ。


外部リンクです。
私の秘蔵写真館野球場写真館伊勢崎市野球場
 具合のいい?ことに、スタンド風景が映っています。なにしろ2時間以上の中断ですから、道路の向い側の売店は意外にホクホクだったかもしれません。(07/05/23設定)

◆雨天試合で忘れられないのは、18対17の試合です。→「深瀬」

◆事実誤認、変換ミス、リンク切れ等にお気づきの際は、お手数ですがブログ「んだ」(櫛風沐雨)または「メールのページ」からご一報いただけると幸いです。

★07/05/23校正チェック済(漢37%、ひ49%、カ11%、A00%)、ケなし、プなし、順OK
★07/05/23HTML文法チェック済(エラーなし)



検索リンクポリシー野球場|次へ:湿った落下物|作成順:野球統制令と学生野球憲章