セットポジション野球場
スコアボードと方位 | 日曜の朝 | 6−4−3のゲッツーならず

日曜の朝

00/10/14作成
13/12/15更新

◆当サイトでは、話があちらこちらに飛ぶのは特段に珍しいことではありません。


◇イーハトーボの里(花巻=74球場目)

北東北大学リーグを見に行ったのは97年4月20日だった。宿泊先の盛岡から花巻に向かった。花巻球場は駅からかなり遠い。歩くと30分はかかりそうな距離だ。時間が迫っていれば文句なしにタクシーだが、まだ1時間あった。歩くことにした。迷う要素が少なくて時間の余裕があれば、歩くのが私のポリシーだ。

地図を片手に知らない街を歩くのは楽しい。花巻駅に着いたのはちょうど8:00頃だっただろう。日曜日の朝は遅い。人も車もまだ少ない。

あいにく風流な柄ではないので、白い花を咲かせた街路樹の名前は知らない。屋根の上でひるがえっているのは、ちょっと気の早い鯉のぼりだ。民家が少し途切れた。そよ風が頬にやさしい。やはり歩いたほうが気持ちがいい。

コーラの自販機が見えた(まあ珍しくはない)。まだ飲み物を仕入れるには早すぎる。別に買う気はなかった。私の目を引いたのは、自販機の下の広告スペースに「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」というコピーを見つけたからだ。そうだ、ここは花巻だ。宮沢賢治だ。『農民芸術概論』の有名なテーゼだ。

球場の近くで少し道に迷いかけた。やはり球場までは遠かった。第1試合は岩手大と秋田経法大の対戦だった。連盟パンフに記載されている岩手大の選手は9人しかいなかった。盛岡から花巻に向かう電車の中で読んだ『岩手日報』には、1年生が1人入部したと書いてあったが、試合開始前の挨拶で整列した岩手大の選手を数えると9人しかいない。

念のために一塁側のスタンドに回って、双眼鏡で三塁側ベンチを覗いてみた。岩手大のダグアウトには4人残っていた。1人はジャージ姿の女子マネージャー、あとの3人はユニフォーム姿だが、3人とも背番号が50番台だ。年格好からしても大学生には思えない。コーチ2人と監督だろう。

7回表、岩手大の攻撃のときにアクシデントが発生した。死球で出た走者が、次打者のライト前ヒットで二塁に進んだが、どうも様子がおかしい。どうやら走塁中に足を痛めたようだ。試合は中断して、その選手はチームメイトに肩を担がれてベンチに下がった。

◇あわや没収試合(花巻)

なかなか出てこない。このままでは人数不足で放棄試合になってしまう。なにしろ指名打者も使わずに9人だけで戦っているのだ。やがて、岩手大の監督が球審と話をしながらベンチから出てきた。本部席に向かって「一番遠いのを出しますから」と言ったのが聞こえた。

治療中の選手は5番打者だ。この場合「一番遠い」のは4番打者のはずだが、二塁に向かった特別代走は3番打者だった。4番はキャッチャーだったから、「一番遠い」は「バッテリーを除いて一番遠い」という意味なのだろう。

07年版『公認野球規則』

3・04 打順表に記載されているプレーヤーは、他のプレーヤーの代走をすることは許されない。

このように、『公認野球規則』上では特別代走(臨時代走)は禁止されているが、アマチュア野球では各団体の内規によって認めているケースもある。大学野球では珍しいかもしれない。

打順が下位に回ったこともあって、岩手大は7回のチャンスを生かせなかった。攻守交代でほかの選手より少し遅れて、治療(と言うよりたぶん応急処置)を終えた選手が出てきた。ポジションはファーストだ。小走りに走ってはいるけれど、その姿はかなり痛々しい。全力疾走はとても無理だ。

それにしても没収試合の規定は、なんとかならないものだろうか。『公認野球規則』は次のように定めている。

07年版『公認野球規則』

4・17 一方のチームが競技場に9人のプレーヤーを位置させることができなくなるか、またはこれを拒否した場合、その試合はフォーフィッテッドゲームとなって相手チームの勝ちとなる。

2・31 FORFEITED GAME 「フォーフィッテッドゲーム」(没収試合)――規則違反のために、球審が試合終了を宣告して、9対0で過失のないチームに勝ちを与える試合である。(4・15)

この規則は本当に必要なものなのだろうか? たとえば、1人欠けた場合にその打者の打順は自動的にアウトとすれば、とくに相手側の不利益にはならない。得点差によるコールド制を採用しているアマチュアの試合なら、続行させてもいいのではないだろうか。

多少のケガなら、無理して出ようとするだろう。没収試合か1人欠けたままで続行するかの選択権があれば、無理させなくてすむわけだ。サッカーならレッドカードを食らうと、そのまま少ない人数で試合が続く。アイスホッケーで反則を犯した選手に与えられるペナルティは、一定時間試合から除かれるというものだ。

◇無理させないために(花巻)

そのチームが数的不利というハンディを承知で試合継続を望むなら、それを認めてもいいように思われる。こんなルールはどうだろうか。得点差によるコールド規定があるアマ限定のルールとして考えた。

 試合開始後の事故により、一方のチームが9人の選手を位置させることができなくなった場合、当該チームが希望すれば、規則4・17を適用せず、8人で試合を続けることができる。ただし、7人以下での試合継続は認めない。
 8人で試合継続を希望したチームの攻撃中、最後に退場した選手の打順が回ってきた場合、その打席は打撃放棄によるアウトとする。当該打者には打数を記録し、捕手に刺殺を与える。
 なお、最終回または延長回の裏にサヨナラ死球を得た打者が走塁できない場合には、規則3・04にかかわらず臨時代走を認める。

▲たとえば8番が欠けた場合、二死一・二塁で7番打者を敬遠すれば、次打者の8番がアウトでその回は無得点になります。もちろん9人揃っているチームには敬遠しない権利もあるわけですが…。

「なお」以下がミソだ。4.・17をそのまま放置すると、深刻な問題が起こる可能性があるのだ。

●同点の最終回裏、9人しかいないAチームの攻撃は二死満塁
●打者Bは頭部死球で起き上がれず、担架で退場

このケース、現行ルールでは死球の打者が一塁に達しなければ、サヨナラの得点は認められない。

07年版『公認野球規則』

4・09 得点の記録
(b) 正式試合の最終回の裏、または延長回の裏、満塁で、打者が四死球、その他のプレイで一塁を与えられたために走者となったので、三塁走者が本塁に進まねばならなくなり、得点すれば勝利を決する1点となる場合には、球審はその走者が本塁に触れるとともに、打者が一塁に触れるまで、試合の終了を宣告してはならない。
 ペナルティ 右の場合、三塁走者が、適宜な時間がたっても、あえて本塁に進もうとせず、かつこれに触れようとしなかった場合には、球審は、その得点を認めず、規則に違反したプレーヤーにアウトを宣告して、試合の続行を命じなければならない。
 また、二死後、打者走者があえて一塁に進もうとせず、かつこれに触れようとしなかった場合には、その得点は認めず、規則に違反したプレーヤーにアウトを宣告して、試合続行を命じなければならない。
 無死または一死のとき、打者走者があえて一塁に進もうとせず、かつこれに触れようとしなかった場合には、その得点は記録されるが、打者走者はアウトを宣告される。

試合続行を命じられても、選手は8人しか残らないわけだから、本来はサヨナラ勝ちであるはずのAチームは没収試合で負けになってしまう。実際、1977年6月13日のファイターズ対オリオンズ11回戦では1対1で迎えた9回裏一死満塁で村田兆治が加藤俊夫に頭部死球を与え、加藤は退場、中原全敏が代走に起用されている。

◇三塁側へのバント(花巻)

幸いなことに7回裏の秋田経法大の攻撃は、レフトフライ、センター前ヒット、セカンドゴロ(一塁走者の二塁封殺)、センターフライだった。岩手大の一塁手には守備機会はなかった。8回表の岩手大は3者三振に終わった。8回裏、5点をリードしている秋田経法大は先頭打者がヒットで出た。次の1点は決定的なダメ押し点になる。

北東北リーグは勝ち点制ではなく、2回戦総当りの勝率で順位が決まる。秋田経法大が優勝を狙うためには、取りこぼしは絶対に許されない。だから、5点差の8回でも送りバントは十分に考えられる。岩手大のピッチャーは探りを入れるために(たぶん)、一塁に牽制球を投げた。このボールが高かった。

パンフによれば、一塁手の身長は177cmだ。けっして小さくはない。足が万全ならミットが届いただろう。今の状態ではそれを望むのは酷だった。ボールはファウルグラウンドに抜けて、一塁走者は二塁に達した。バッターは初球を三塁側にバントした。「武士の情け」だ。

三塁手はダッシュしてきたし、投手は投げ終わったあと一塁側をフォローしようと足を踏み出した。二塁走者を三塁に進める送りバントは三塁手に捕らせるのがセオリーだろうが、この場合は一塁側にそれなりのバントが転がればヒットになる可能性はかなり高い。

大相撲の01年夏場所優勝決定戦での「鬼の形相」の貴乃花には、小泉氏でなくても「感動した」だろうけれど、やはり相手はやりにくいのではないか。いつも引き合いに出されるラシュワンにしても、やはりやりにくかっただろうと思われる。ラシュワンや武蔵丸と違って、この場面は5点リードの8回だった。

バントはしたい場面だが、さりとてろくに動けない一塁手の前に転がすのは、やはりできないことだったように思う。もし、一塁側にバントしたら、きっと後味の悪い試合になっただろう。結局、経法大は決定的な6点差目を奪った。

岩手大は、9回表に4番打者がエラーで出塁した。5番はケガをした選手だ。左打席に入る。フルカウントからの6球目を打った。レフトの左前方でワンバウンドした。このとき経法大の外野は右寄りのポジションをとっていた。つまり、レフトは左中間寄りにシフトしていた。打球はレフト線近くに落ちた。

もし、定位置だったら、世にも珍しい一塁でアウトのレフトゴロが成立したかもしれない。岩手大の5番打者は足をひきずりながら一塁に駆け込んだが、次打者のショートゴロで二塁に封殺された。一死一・三塁、せめて1点ぐらいは返して最後の意地を見せてほしいものだ。

97/04/20(花巻) 北東北大学リーグ 春季第1週 2日目第1試合
岩手大 000 000 00 =2 ●小野
秋田経法大 210 101 01X =6 ○須田−古旗−角田

岩手大は1点ではなく、2点返した。

◇ストーカー(長野県営=16都府県41球場目

長野県営球場に行ったのは、95年4月29日のことだった。厳密には土曜日だが、祝日だから感覚的には日曜日だ。珍しく夜行の高速バスを使った。朝イチの東京発は8:04長野着だ。8:30開始予定でもフライングスタートの慣習を考えると、電車では間に合わないのだ。

5:00前に長野駅に着いた。時間はたっぷりある。はっきり言って、もて余していた。サウナに行くには時間が足りない(探さなければならない)。喫茶店では間が持たない(早朝から開いている店があればの話だが…)。

とりあえず、駅の売店が開くのを待って、『毎日新聞』と『スポニチ』、それにローカル紙の『信濃毎日新聞』を買った。社会人野球を見に行くのだ。家にも配達されている『毎日』を買って何が悪い。題字が青ではなく緑だったからびっくりした。長野の『毎日』は緑なのかと思った。甘かった。

▲なぜ、『毎日』なのか。社会人野球「イントロダクション」のページでわかります。

翌日、家に帰ったら、東京の『毎日』も当日だけ題字は緑だった。「みどりの日」だから、緑にしたという茶目っ気のようだ(当時は4月29日が「みどりの日」だった)。結局、1時間以上駅の周辺をウロウロした。

どうせなら長野駅から長野電鉄に乗りたいところだが、長野電鉄で行くと余分に歩くことになる。JRに乗って北長野駅で降りた。ちょうどジャージ姿の女子中学生が10人ほど同じ車両から一緒に降りた。彼女たちは踏切を渡っていく。地図を見ると、方角的には私も踏切を渡ったほうがよさそうだ。

球場は総合運動公園の中にある。体育館や陸上競技場に隣接している。長良川とか草薙とか太田とか、よくあるパターンだ。彼女たちの行き先は体育館か陸上競技場のどちらかだろう。まさか途中でヘッドギアを取り出して「修行するぞ、修行するぞ…」とは言わないはずだ(当時、富士山麓ではオウムが鳴いていた)。

あとをついていけば、球場の近くまでは行けるわけだ。なにせ集団だし、どうせピーチクパーチクやっているに決まっている(はい。おじさんの偏見です)。荷物も抱えているからそんなにスピードは速くない。そのうち追い越してしまいそうだ。歩調を合わせてついていくのは、気が引ける。

◇早く始めるなら…(長野県営)

だいたいの方角は確認できたので、彼女たちが直進した四つ角を曲がった。このときも鯉のぼりの季節だった。花巻ほど田園風景には恵まれなかったけれども、ゆったりと時間が流れていった。

初めての球場に行くとき、このストーカー作戦はしばしば効果を発揮する。県営大宮球場には何度となく行っているはずなのに、いまだに大宮公園駅からの道順を明確には覚えていない。

以前、スポーツ新聞を持っているおじさんのあとをついていったら、そのおじさんが途中で曲がったことがある。「おかしい、球場に行くには直進しなければならないはずだ」と思ったら、競輪場の看板が見えた。納得、である。ターゲットを間違うと、とんでもないことになるかもしれない。

話を長野に戻そう。きっと最短コースではなかっただろうけれど、無事に球場に着いた。7:40頃だった。試合開始が8:30の予定なのに、8:00を回ってもチケット売場が開かない。スタンド入り口のシャッターも閉ざされたままだ。

中ではもうシートノックが始まっているようだ。結局、8:10頃の開門で、8:25のプレイボールだった。早く始めるなら、さっさと開けろ!

95/04/29(長野県営) 社会人長野大会 2回戦 3日目第1試合
オールカメイ 200 012 011 =7 ○佐藤
三菱重工名古屋 000 200 200 =4 ●貝屋−川東

社会人の地方大会(今は「準公認大会」)では、普段はなかなか見られないチームを見ることができる。第1試合のオールカメイは、初めて見るチームだった。その後、廃部だか休部だかになったので、結局、私は1度しか見ていない。

◆社会人野球における試合開始予定時刻と実際の試合開始時刻の相違については、「長くひもじい1日だった」にまとめました。

◇3人目のこんにちは(山形県営=29都道府県79球場目

05年から楽天イーグルスのファーム本拠地球場となった山形県野球場に行ったのは、97年6月21日だった。最寄り駅は、左沢(あてらざわ)線の羽前長崎駅だ。駅前には何もない。見事なほど何もない。タクシーの影さえ見当たらない。自動的に歩くことになる。

試合が終わって、駅まで戻る途中で、自転車に乗った小学生(たぶん)の女の子(これは間違いなく)に追い越された。1台目、「こんにちは」の声に、きょとんとしてしまった。この町に知り合いはいない(はずだ。まあ、オヤジに隠し子でもいたのなら話は別だ)。

周囲を見渡しても誰もいない。2台目が通過する。やはり「こんにちは」だ。だいたいのところ、事態は察知できたので、「こんにちは」と返した。まあ、小声だったからたぶん聞こえなかっただろう。3台目、今度も「こんにちは」だった。

3度続けば、確信が持てる。「気をつけてね」と応じた。おそらく、学校で先生から人に会った時は挨拶しなさい、と言われているのだろう。

彼女たちがその習慣をすっかり身につけて上京してきたら、怖い話だと思わなくもない。アルタ前とかハチ公前とかで、これをやっていたら、声が枯れてしまう。念のために「郷に入りては…」も一緒に教えておいたほうがいいのかもしれない。

その日は、翌日に備えて、山形駅の近くのホテルに泊まった(TDKと同宿だった)。試合が終われば、別にすることもない。散歩に出て、米沢牛を食べて、おみやげの手配をした。季節柄、サクランボのリクエストがあったからだ。

◇心理戦?(山形市営=80球場目

山形市野球場は山形駅の北側にある。駅からは近い。タクシーで行こうとすると、乗車拒否されそうな距離だ。気持ちのいい日曜の朝だった。雨の心配はしなくてもいいが、日焼けを警戒しなければならない天気でもあった。

木々の緑に木洩れ日、そして頭上を飛びかう小鳥のさえずり。もう少し長い距離を歩きたかったぐらいだ。日曜日の朝、地方球場、徒歩。これが遠征を心地よいものにしてくれる3点セットだ。締まった試合ならなおいい。帰りも満ち足りた気分になれる。

もっとも、行きは急いでいることが多いから、あまりのんびり歩いたりはできないけれども…。

97/06/22 (山形市営) 社会人都市対抗 東北2次予選 敗者復活2回戦
JR東日本東北 010 000 014 =6 千葉−●盛
ヨークベニマル 00 020 011 =7 志賀−○杉本

1回裏、先頭打者に1球目(見逃しのストライク)が投じられたあと、ヨークベニマルからボークではないかとのアピールがあった。2段モーションの指摘と思われる。2球目(ボール)のあとにも監督が出てきて、球審に詰め寄るが、審判は受け入れない。

ベンチに下がる監督の背中に、JRのサードの選手から「試合前に言っとけ」と声がかかった。ムッとして振りかえった監督、思わず視線を落として足元の土をならす大卒2年目の選手。

ニンマリしては不謹慎だろうが、なかなか見られない光景だった。一種の心理戦の意味合いもあるのだろうが(1回裏終了後も審判に話していた)、1回裏のヨークは4本の長短打で3点を先制した。

JRは9回表に丹野の満塁ホームランで追いつくが、その裏、先頭打者の宇田川がサヨナラアーチを放って、3時間ちょうどのゲームは幕をおろした。初回の執拗な抗議が効を奏したのだとしたら、ある種の作戦勝ちではある。

ちなみに、この球場は古いわりには、センター122m、両翼99mというワイドな球場であった。屋根はない。東北といえども6月の日差しはかなりきびしかった。


◆「山形県野球場」と「山形市野球場」について、「観戦試合一覧」「今まで行った球場リスト」などでは、便宜上「営」を付記して、「山形県営」「山形市営」で表記していることをお断りします。地元紙などは「県野球場」と書いていたりするようです。「県野球場」ではどこのことかわかりませんし、「山形県」だけでも何のことかわかりません。さりとて、「山形県野球場」では長すぎます。必ずしも一般的ではないのかもしれませんが、ご理解をお願いします。

◆「ストーカー作戦」の顕著な成功例としては、「4人目のあと1人、10度目のあと1球」のケースがあります。

◆事実誤認、変換ミス、リンク切れ等にお気づきの際は、お手数ですが「メールのページ」からご一報いただけると幸いです。なお、このページに対応するブログ「んだ」のエントリーは(今のところ)ありません。

★07/05/10校正チェック済、ケなし、プOK、順OK
★07/01/21HTML文法チェック済(エラーなし)



検索リンクポリシー野球場|次へ:6−4−3のゲッツーならず|作成順:恐るべし、亜細亜