セットポジション殿堂
グロス | 森中聖雄 | 西***

森中聖雄

00/08/18作成
13/12/15更新

◆91〜94年まで私は年60試合ほどプロの試合を見ていました。95年からアマ中心にシフトしたのですが、95年の(私の中での)MVPにはグロスを選びました。96年の観戦試合数は、プロ33試合に対して、アマ173試合でした。この比率では、もはやプロの選手を選ぶのは困難です。


96年9月15日の首都大学リーグ、対武蔵大1回戦(川崎)で、森中は毎回19奪三振という快投を見せた。その頃、私が見た試合の最多奪三振記録は「17」だった。

のちにベイスターズで森中のチームメイトとなる河原隆一(当時関東学院大)が、93年6月5日の対久留米大戦で記録したものだ。それは大学選手権の1回戦で、その日の第3試合だった。私は18:00開始のGT戦の前売りチケットを持っていた。

93年当時の私はプロ優先の原則をかたくなに守っていた。河原は久留米大をノーヒットにおさえていたけれども、私はノーヒットノーランを捨てて6回裏が終わった17:15過ぎに神宮をあとにした。翌日の新聞を見ると、6回まで11三振を奪っていた河原は、私がいなくなってから6個の三振を加え、8回に初安打を許したようだ。

つまり、ノーヒットノーランは成立しなかった。だから、ホゾを噛まずにすんだ。ちなみに、東京ドームでは猪俣隆がG打線相手に無四球完投を演じた。猪俣は当時のタイガースファンから「ノー○ン」の代名詞のように言われていた投手だ。プロ生涯記録は191試合に登板して43勝63敗3セーブ、21完投で7完封だ。

無四球完投は別に珍しくない。だが、「猪俣の」無四球完投は93年6月5日の対G10回戦以外にない。だから、河原のノーヒットノーランにこだわってドームの試合に遅れたりしたら、それはそれで後悔することになっただろう。

19奪三振

奪三振記録には振り逃げという強い味方もあるから、1イニング4奪三振という記録もある。だが、味方より敵のほうが多い。盗塁刺、走塁死、牽制死、併殺、それにコールド規定だ。幸いにも首都リーグには得点差によるコールドはない。

▼S…ストライク、K…空振り、F…ファウル、B…ボール、H…インプレイの打球

【1回】
1番 SKS    三振(1)
2番 BBBSSH 三飛
3番 BFKK   三振(2)
【2回】
4番 SFBBBK 三振(3)
5番 BFSFK  三振(4)
6番 BSFS   三振(5)
【3回】
7番 SH     左飛
8番 BFBH   二ゴ
9番 BBSKBB 四球
1番 BFKK   三振(6)
【4回】
2番 BFBBSK 三振(7)
3番 BFSBK  三振(8)
4番 BFBBB  四球
5番 KBH    中安
6番 SFK    三振(9)
【5回】
7番 SBBSK  三振(10)
8番 KH     遊ゴ
9番 FSBBK  三振(11)
【6回】
1番 FFFS   三振(12)
2番 BFBH   右飛
3番 BFBBB  四球
4番 SB(一走盗塁死)
【7回】
4番 SBKK   三振(13)
5番 FBH    三安
6番 FH     三ゴ
7番 BSKK   三振(14)
【8回】
8番 FBH    二飛
9番 SSK    三振(15)
1番 FKBK   三振(16)
【9回】
2番 KFBFK  三振(17)
3番 KKK    三振(18)
4番 KFK    三振(19)

森中は6回二死後に四球を与えた。それまでの17アウトのうち12アウトが三振だった。フォアボールの走者は、次打者の2球目に盗塁のスタートを切った。

かつてオールスターゲームで9連続奪三振がかかっていた江夏豊は、ファウルフライを捕りに行こうとしたキャッチャーの田淵幸一に対して「捕るな」(あるいは「追うな」)と叫んだそうだけれども、このときばかりは私も「走るな、走ってもいいから投げるな、投げてもいいから悪送球しろ」と言いたかった。

だが、私の願いは通じなかった(よくあることだ)。キャッチャーの二塁送球は、カバーに入ったショートのグラブに吸い込まれて、一塁走者はタッチアウトになった。これで、三振の機会は1つ減ってしまったわけだ。

私は当時「レコード・ノート」と称して、自分が見た試合の中での最多あるいは最少記録をまとめたものを持ち歩いていた。「レコード・ノート」には、最多奪三振記録として河原の17個を記載していた。しかし、実際には11個しか見ていないのだ。

後ろめたさがつきまとうではないか。ノドに刺さったままのトゲのようなものだ。このトゲは早く取り去ってしまいたい。森中は7回に2個、8回も2個、9回には3個の三振を奪って、リーグ記録に肩を並べた。

余計なこと

8回終了後、隣に座っていたおじさんに三振が何個なのか聞かれた。私は「16」だと即答した。彼はあまり喜ばなかった。むしろ憮然としていた。たぶん、私のような記録マニアでなかったのだろう(と言うより、どうやら武蔵大の応援だったらしい)。

そのときにはもうパンフを調べたあとだった。リーグ記録のことは知っていたが、胸の中にしまって口には出さなかった。アマチュア野球のネット裏では余計なことはしゃべらないほうがよい。これは経験に基づくSHOULD事項だ。

山内泰幸(当時日体大、のちにC)と丸尾英司(当時仏教大、BW、Buを経て松下電器)が投げ合っていた試合で、やはり隣のおじさんから「山内は今、三振は何個ですか?」と関西系のイントネーションで聞かれたことがある。

そのおじさんは新幹線で東京に着いたばかりらしい。淡々と「○個ですね」と答えた。本当はサービスして「たいしたことないですね」ぐらいのことは言いたかったのだが、試合はまだ中盤だった。しつこく話しかけられて迷惑する可能性もあるので、余計なことは言わなかった。

しばらくして、見覚えのあるスカウトが自分の席に鞄を置いたまま私のほうに歩いてきた。私が座っていたのは最上段だ。別にカープの悪口は言った覚えはないぞと、ちょっとたじろいだ。Wスカウトの目的はもちろん私ではなく、隣のおじさんだった。

耳をそばだてていたわけではないけれど、断片的に聞こえてきた会話からすると、どうやら山内のお父さんだったらしい(山内は尾道商出身)。新幹線+関西系=仏教大の応援という私の推測は間違っていたわけだ。「たいしたことはない」と言わずによかったと胸をなでおろした。

個人最多奪三振

さて、下の表は、私が見た試合でのチーム16奪三振以上の事例だ。19奪三振は4回見ているが、[01]と[02]は継投だし、[02]と[04は延長だ。森中は依然として、私にとっての9イニングでの個人最多奪三振記録を保持していることになる。

チーム16奪三振以上(02年末現在)
No. 年月日 球場 大会 チーム(投手) 奪三振 相手チーム(延長)
[01] 93/07/14 ナゴヤ ウエスタンリーグ ドラゴンズ(今野隆裕14、五十嵐明5) 19 タイガース
[02] 95/03/15 神宮 社会人スポニチ大会 日本通運
(関口伊織12、乙幡昌夫1、黒沢淳一6)
19 プリンスホテル(16回)
[03] 96/09/15 川崎 首都大学リーグ1部 東海大(森中聖雄19 19 武蔵大
[04] 00/10/28 水戸 高校秋季関東大会 桐生第一高(須***19) 19 藤代高(15回)
[05] 01/09/22 神宮 東京六大学リーグ 法政大(松本祥平18) 18 慶応大
[06] 93/06/05 神宮 大学選手権 関東学院大(河原隆一17) 17 久留米大
[07] 97/07/19 船橋 高校選手権千葉予選 検見川高(大須賀勉17) 17 成田北高
[08] 01/10/21 相模原 首都大学リーグ1部 東海大(筑川利希也16、木野村淳1) 17 城西大(17回)
[09] 93/05/01 神宮 東京六大学リーグ 早稲田大(織田淳哉16) 16 東京大
[10] 97/07/21 八千代 高校選手権千葉予選 検見川高(大須賀勉16) 16 成田高(10回)
[11] 00/04/04 神宮 東都大学リーグ1部 青山学院大(石川雅規16) 16 東洋大(11回)
[12] 02/05/18 神宮 東京六大学リーグ 早稲田大(和田毅16) 16 明治大

実は、[05]の試合で私は大いに焦ったのを覚えている。19奪三振の森中が「殿堂」に入っている以上、同数の19では無視できても、20に乗ったら簡単には言い訳が成立しないのだ。


◆森中はプロ入りし、すでに現役を退いています。本来なら、「観戦試合投手成績」をまとめなければならないのですが…。

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