セットポジション殿堂
若松秀樹 | 村*** | 内***

村***

00/08/19作成
13/12/15更新

◆女子軟式の試合です。整ったレベルの野球ではそう簡単には見られないプレイですが、勝手に決めつけてはいけません。


センターゴロ

98年8月9日、女子軟式選手権の準々決勝(江戸川臨海)だった。初回先頭打者がボールカウント2−0から打った打球は二遊間をゴロで破った。次の瞬間、内野をゴロで抜ければヒットだという私の固定観念は覆された。センターの村*は、一塁にノーバウンド送球して、打者をアウトにした。

二塁封殺のセンターゴロならそう珍しくはない。センター前方のフライに、捕球されると思った一塁走者がハーフウエイをとったところ、センターが落球してしまったようなケースだ。進塁義務が生じた一塁走者は慌てて走り出すけれども、センターと二塁ベースは近い。ベースカバーさえ忘れていなければ、落球しても二塁ではアウトがとれる。

打者を一塁でアウトにするライトゴロもそれほど珍しくはない。よく聞くし、きわどいケースはたびたび見た。このときまで私は見たことがなかった(はずだった)。これが最初に見た一塁での外野ゴロだろうと思っていた。

念のためにスコアブックをひっくり返していたら、97年10月11日の阪神大学リーグ、大阪体育大対天理大1回戦(万博)の2回裏、6番打者のところに「9−3」とあるのを見つけた。

スコアカードには確かにそう記入されているが、鮮明な記憶はない。あるいは誤記かもしれない。私は珍しいプレイのときはできるだけメモを残すようにしている。あとで誤解を生じないように、誤記ではないことを強調するためだ。

たとえば、走者二塁の場面で、外野手が捕球できそうなフライを打者が打ち上げたとしよう。これが二塁打になっても、自重していた走者は三塁にしか行けない。とくに珍しいケースではない。何年かあとでスコアブックを見ると、二塁打のほうが間違っているのではないかと思えてしまう。「自重していたから三塁止まりだった」旨のメモがあれば、誤解が生じる余地はない。

万博球場の試合の3回裏、ピッチャーゴロに反応した上原浩治が右足を出した。ボールは上原の頭上にはねた。落ちてきたボールはグラブの位置にすっぽりと納まった。ピッチャーゴロやピッチャーライナーに足を出す投手はアマチュアではよく見かけるが、たいていは打球の方向を変えるだけでアウトには結びつかない。

あれほど見事に決まったのは珍しい。上原は当時3年生だった。私はこのプレイに対して、「来年はガンバ1位指名だ」のメモを残している(セレッソでないのは万博球場とガンバの練習場がご近所だからだ)。だが、天理大の6番打者の第1打席をライトゴロだと明記していない。

外野からの一塁送球

だから誤記の可能性もある。誤記だとすれば、背番号9が一塁に投げたときではないかと考えられるが、大体大の背番号9の選手はその試合には出場していない。97年秋の阪神大学リーグの連盟パンフには春の成績が載っている。この6番打者は12試合に出場して盗塁はゼロ、三塁打もない。

捕手というポジションからしても、足の速い選手ではない可能性が高い。誤記ではなく、実際にライトゴロが成立したのかもしれない。彼がプルヒッターで、ライトが浅めに守っていたかもしれない。

だとすれば、私が見ている試合で打者を一塁でアウトにする外野ゴロを最初に成立させたのは村*ではなく、上原のチームメイトだった荒野なのかもしれない。もしそうだとしても、ライトゴロはセンターゴロにはかなわない。しかも初回先頭打者だ。足の遅い選手ではないだろう。

結局は守備位置の問題になるのだろう。ちなみに、1987年6月16日のD対T16回戦では、投手の鈴木孝政がセンター前の打球で一塁アウトになっているらしい(『ベースボール・レコード・ブック』92年版823ページ)。

女子の軟式野球は塁間が25mと短い。村*が捕球した位置から一塁ベースまでの距離は、30mはあったかもしれないが、40mはないだろう。本人にとっては2度目だったらしい(直接聞いたわけではない)し、同じ日の前の試合でも女子野球では有名な選手がセンターから一塁に送球していた(アウトはとれなかった)。

00年決勝では、東京のチームがライトゴロを2度成立させた。このチームは準決勝でもライトゴロをとった。ほかにも、これでは二遊間をゴロで抜けても、一塁走者は二塁で封殺されるだろうと思えるくらいに、センターの守備位置が浅いチームもあった(球威のある投手だった)。

レフトゴロ

05年8月6日、私は臨海競技場A面で女子軟式選手権1回戦の4試合を見た。この日は、外野ゴロのオンパレードだった。

第1試合5回表一死無走者で9番打者がライトゴロ
第2試合5回裏一死三塁で5番打者がライトゴロ(三塁走者生還)
第2試合5回裏二死無走者で6番打者がセンターゴロ
第2試合6回裏二死無走者で9番打者がライトゴロ
第3試合1回裏一死無走者で2番打者がレフトゴロ

2度目のセンターゴロだけでなく、ついにレフトゴロまで目の当たりにすることができたのである。私が女子軟式の試合を見るようになったのは97年だ。05年までの9年間で74試合見ている。センターゴロが2本、レフトゴロが1本だから、この特殊な外野ゴロはおおむね25試合に1回の割合で出現したことになる。

この大会は3日間の日程でおこなわれる。通常の日程なら、最大でも10試合しか見られない。3年通い詰めれば、センターゴロかレフトゴロに遭遇できる計算になる。

なお、『神宮ガイドブック』(明治神宮野球場・発行)01年秋号のコラム「神宮春秋」に次のような記述がある (69ページ)。

東大2回戦に、レフトを守っていた私が、三、遊間を抜けたボールを一塁でアウトにしたのです<略>東大の打者が神奈川湘南高出身で、同じ神奈川出身ということもあって、高校時代から知っていて、打った打球は私の頭を超えないと思い、前進守備を敷いていた。打者が打つと同時に勢いよく飛び出し、ボールを取るとすぐに一塁へ送球、間一髪アウトという感じだったのだろうね。私には見えなかったが、打者がオーバーランしていたのかもしれない。

オーバーランなら記録上はレフト前ヒットの後の走塁死でありレフトゴロにはならないが、どうやらオーバーランではなかったようだ。

近藤唯之『プロ野球通になれる本』(PHP文庫、88ページ)

 左翼ゴロで一塁アウトになったのは、日米野球史上この場面での原田ひとりしかいない。つまり大沢は世界記録保持者という話になる。
「三遊間を抜ければだれだって安打だと思うから、一塁は走り抜けませんよ。ふくらみをもたして一塁を回り、二塁方向へ5メートルほど走る。つまりふくらみ分だけ一塁到着がおそくなる。これを計算して前から長打力のない左打者のときは20メートルも前身守備してアミを張ってたんだよ」(大沢啓二)

同書によれば、昭和29年10月3日の試合らしい。機会があったらマイクロか縮刷版を調べてみよう。当時はまだ、プロ野球より東京六大学のほうが扱いは大きいはずだ。


◆高校野球選手権大会では73/08/09の第3試合、延長14回裏一死三塁の場面で柳川商がセンターゴロを成立させています。ただし、これは5人内野で、ピッチャーとサードの間で守っていたセンターが打球を処理したからなんですが…。ちなみに、20mのセンターゴロに打ち取られた相手は「怪物江川」の作新学院です。

◆近藤唯之氏の『プロ野球監督列伝』(新潮文庫)にも大沢氏のプレイについての記述があるそうです。ご教示ありがとうございました。なお、上記引用部分でも「世界記録保持者」!という近藤節が炸裂していますが、『プロ野球通になれる本』についてはブログ「書庫・東雲」で取り上げました。

◆外野に抜ける ヒットの場合、セカンドに返すのがセオリーですが、ごくまれにオーバーラン・タッチアウトを狙った一塁送球もあります。スコアをつける場合、どの時点でボールから目を切るかという問題が生じます。走者ありのときは、投手にボールが返るかボールデッドになるまで、ボールから目を離さないのがストイックなスコアラーです。 うかつに目を離すと下のような貴重なプレイを見逃すことになります。

◆事実誤認、変換ミス、リンク切れ等にお気づきの際は、「3代目んだ」(レフトゴロ)または「メールのページ」からご一報いただけると幸いです。

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