◆たとえば高校野球の夏の大会では、大差で負けているチームが9回に代打攻勢をかけるケースがよく見られます。最上級生の控え選手を「卒業」させるためです。トーナメントの高校野球なら「負ければ終わり」ですが、リーグ戦主体の大学野球では話が複雑になります。「思い出づくり」をきっかけに8点差を逆転された、そんな試合を見ました。
8回裏の神奈川大(以下「神大」)の攻撃が始まるとき、得点差は8点あった。金属バットを使っていた頃の社会人野球なら8点差からの逆転も別に珍しくはなかった。だが、木製バットの大学野球では、8点差で残り2イニングは完全なセーフティ・リードだ。
| 96/10/23(横浜スタジアム) 神奈川大学リーグ秋季第7週 2日目第2試合 | ||
| 神奈川工大 | 020 041 100 =8 | 領家−津*−*野−●中*−飯島 |
| 神奈川大 | 000 000 072x =9 | 村*−○宮* |
91年から02年までに私が見た試合の中には、6点差以上の逆転勝ちが次のように15試合ある。
| 点差 | 年月日 | 球場 | 種別・大会 | 勝ちチーム | スコアの推移 | 相手チーム | バット | ||
| 10 9 9 8 8 7 7 7 7 7 7 6 6 6 6 |
93/11/21 93/06/19 94/03/12 96/10/23 02/05/06 94/03/13 95/03/11 96/05/11 96/07/17 97/03/12 01/03/15 94/06/05 95/10/08 97/04/12 97/07/05 |
神宮 西武 西武 横浜 府中 神宮 西武 新日鉄大谷 千葉公園 横浜 神宮 府中 岩手県営 草薙 横浜 |
アマチュア王座決定戦 社会人都市対抗東京2次予選 社会人スポニチ大会 神奈川大学リーグ1部 社会人東京都クラブ春季大会 社会人スポニチ大会 社会人スポニチ大会 社会人九州大会 高校選手権千葉予選 社会人スポニチ大会 社会人スポニチ大会 社会人都市対抗東京1次予選 高校秋季東北大会 社会人静岡大会 セントラル・リーグ |
住友金属 JR東日本 NTT信越 神奈川大 WIEN’94 日本通運 日本生命 新日鉄君津 柏南高 三菱自動車川崎 三菱ふそう川崎 シダックス 学法石川高 東京ガス カープ |
2-12 4-13 3-12 0-8 0-8 0-7 4-11 2-9 0-7 5-12 0-7 0-6 0-6 0-6 1-7 |
(5表)→ (6ウ)→ (5表)→ (8表)→ (2表)→ (1ウ)→ (4表)→ (6表)→ (8表)→ (1ウ)→ (3ウ)→ (6表)→ (3ウ)→ (1ウ)→ (6ウ)→ |
15-13 18-17 16-15 9-8 18-17 13-9 19-13 11-10 9-8 23-17 11-10 9-6 14-11 10-9 9-8 |
青山学院大 プリンスホテル 日立製作所 神奈川工大 全府中野球倶楽部 三菱自動車川崎 NTT関東 三菱重工横浜 大多喜高 日本石油 NTT東日本 東京ガス 光星学院高 北陸銀行 ベイスターズ |
金属 金属 金属 木製 金属 金属 金属 金属 金属 金属 金属 金属 金属 金属 木製 |
▲9イニング制の試合のみを対象にしました。
この15試合のうち木製バットの試合は2試合しかなく、大学野球ではこのゲーム以外にない。だから、木製バットの試合で8点差をひっくり返したこの試合はかなり貴重なものだ。しかも、神大は残り2イニングで8点差を追っていた。
神奈川工大(以下「工大」)が逆転負けを喫した原因は「思い出づくり」にあった。それは直接の原因ではなかったかもしれないけれども、すくなくとも逆転の端緒をひらいたのは「思い出づくり」だった。
神大打線を7回まで散発4安打無失点に封じていた領家(当時3年、のちに新日鉄君津)は、8回裏のマウンドには登らなかった。マウンドには4年生の津*がいた。津*は神大の打者5人に対して、2本のヒットを打たれ2個の四球を与えて降板した。
野球はアウト取りゲームだ。27個のアウトを積み重ねたとき、失点の少ないチームが勝者と呼ばれる。先発の領家は21個のアウトを取った。津*も1つ重ねた。津*のあとに投げた3投手は11人の打者に対して2つのアウトしか取れなかった。
9回裏のスコアボードにはアウトを示す赤いランプが灯ることなくゲームは終わった。8回から9回にかけての神大の攻撃は次のとおりだ。
回 投手 アウト走者 結果 備考 8裏 津* 無死(なし) 中安 8裏 津* 無死1塁 四球 8裏 津* 無死1・2塁 左安 8裏 津* 無死満塁 二飛 8裏 津* 1死満塁 四球 得点1(7点差) 8裏 *野 1死満塁 遊安 遊失も絡んで得点2(5点差) 8裏 *野 1死1・2塁 左2 得点1(4点差) 8裏 *野 1死2・3塁 四球 8裏 *野 1死満塁 三ゴ 二封のみ、得点1(3点差) 8裏 *野 2死1・3塁 中安 3球目に二盗、得点2(1点差) 8裏 中* 2死1・3塁 三振 2球目に二盗 9裏 中* 無死(なし) 四球 9裏 中* 無死1塁 左2 3球目に二盗、得点1(同点) 9裏 中* 無死2塁 死球 9裏 中* 無死1・2塁 左安 9裏 飯島 無死満塁 中安 得点1(サヨナラ)
何のための投手交代だったのか、そのときは理解できなかった。当時の神奈川リーグの連盟パンフには、前季個人成績は載っていなかったからだ。のちに、私は神奈川県立図書館で『神奈川新聞』のバックナンバーをあさってみた。
私の想像が正しいのかどうか、どうしても調べたかったのだ。津*の登板記録はこの年の春、対横浜市大2回戦で先発した1回きりしか見つけられなかった。投球回数が2回3分の1、被安打が6、自責点が2だ。
同期の*野は、1年の秋からローテーションに入った。後輩の領家や*林も次第に頭角をあらわしてくる。登板機会が与えられないまま最上級生になった津*は、春に1度だけ登板した。そして、最後の秋。
この日は第7週だから、工大にとっては最後のカードだ。前日の1回戦は工大が勝っていたので、このまま終わればラストゲームということになる。
| 投手 | 横浜市大 | 横浜商大 | 横浜国大 | 関東学院大 | 神奈川大 | ||||||
| 9/10 | 9/11 | 9/18 | 9/19 | 10/6 | 10/7 | 10/11 | 10/12 | 10/22 | 10/23 | 10/24 | |
| *野 | ○先発 | ●先発 | ●先発 | 中継 | |||||||
| 領家 | ○先発 | ●先発 | ○完投 | ●先発 | 先発 | ○完了 | |||||
| *林 | 完了 | ○完投 | 完了 | 先発 | 先発 | ||||||
| 中* | 完了 | 完了 | ○完了 | ●中継 | |||||||
| 飯島 | 完了 | 完了 | 完了 | ||||||||
| 津* | 中継 | ||||||||||
連盟パンフによれば、津*は県内の足*高出身だ。ついでに、彼の高校3年夏の予選結果を調べたくなった。93年7月19日に足*高は初戦で負けている。津*は4番レフトで4打数1安打だ。2番手投手として6回からの4イニングを投げている。打者21人に対して被安打3、奪三振7、四死球2、自責点0だ。
| 93/07/19 高校選手権神奈川予選2回戦 | |
| 小**高 | 100 130 021 =8 |
| 足*高 | 000 002 000 =2 |
新聞の数字が正しいとすると、投球回数が4イニングだから津*は12アウトを取っているわけだ。打者21人から12アウトと3安打と2四死球を引き算すると「4」が残る。この「4」とは、失策か振り逃げか野選か打撃妨害によって塁に出た打者の数だ(盗塁死や牽制死、走塁死があるとこの方程式は成立しない。ただし、多いほうに狂う)。
それは津*が投げた4イニングでの話だ。津*は、1イニングに1個ずつエラーが出るようなチームの4番打者であり、控え投手だった。
工大自体がさして強いわけではない。グラウンドに夜間照明が設置されたのは、津*の入学と前後する時期だ。リーグ優勝の経験もない。当時の定位置は4位だった。
| チーム | 91年 | 92年 | 93年 | 94年 | 95年 | 96年 | |||||
| 秋 | 春 | 秋 | 春 | 秋 | 春 | 秋 | 春 | 秋 | 春 | 秋 | |
| 関東学院大 | 8-2 | 9-2 | 9-2 | 10-1 | 9-2 | 10-1 | 10-1 | 10-1 | 10-1 | 9-2 | 8-2 |
| 神奈川大 | 10-1 | 10-1 | 10-1 | 8-2 | 9-1 | 9-2 | 9-2 | 8-2 | 9-2 | 7-3 | 7-3 |
| 横浜商科大 | 6-3 | 6-3 | 8-3 | 7-3 | 6-4 | 8-3 | 8-3 | 5-4 | 6-4 | 9-1 | 10-1 |
| 神奈川工科大 | 4-4 | 4-4 | 4-5 | 6-4 | 6-3 | 5-4 | 5-4 | 6-3 | 6-3 | 5-4 | 6-4 |
| 横浜国立大 | 2-5 | 3-5 | 6-4 | 2-5 | 2-5 | 4-5 | 4-5 | 4-5 | 5-5 | 4-5 | 2-5 |
| 横浜市立大 | 2-6 | 0-6 | 0-6 | 1-6 | 0-6 | 1-6 | 1-6 | 0-6 | |||
| 防衛大学校 | 0-6 | 1-6 | 0-6 | ||||||||
▲表の数字は、勝利数−順位です(週刊ベースボール増刊『大学野球』から作成しました)。神奈川リーグの順位は勝利数や勝率ではなく、勝ち点で決まります。「イントロダクション(大学)」を参照してください。
すでに優勝の望みは絶たれている。8点差の残り2イニングを「思い出づくり」に使ったとしても、責められる要素などない。そういう状況で、津*はおそらくは最後になる硬式ボールを握った。傷口が広がらないうちに津*は降板した。
津*が対した最後の打者・柳沼強(当時4年、のちにマリーンズ)を四球で歩かせて3つの塁はすべて埋まったが、まだ7点差あった。野球にはこういうこともあるとわかっているつもりだ。だから、中京大中京高の監督は11点差でもスクイズをやるのだろう(00年夏の対郡山高戦)。
それにしても、なんともやりきれないゲームだと、そのときは感じていた。当時の神奈川大学リーグの連盟パンフには、学年は載っていても前季の個人成績は載っていなかった。図書館で調べたのは1カ月ぐらいあとだっただろうか。ようやく私は私なりに納得した。
津*が降板したのは7点差の一死満塁だった。「思い出づくりは終わった、あとは任せた」と小*を救援させたとき、よもや逆転など夢想だにしなかったはずだ。この夜、津*や、津*のあとに投げた3投手や、8回裏からマスクをかぶり悪夢の逆転劇の間に3盗塁を許した1年生や、石*監督らは、どんな気持ちで眠りにつこうとしたのだろうか。
眠れぬ夜を過ごしたに違いない彼らは翌日の3回戦に勝っていた。「思い出づくり」は2日がかりで完結したのだ。ある意味では、最良の「思い出」になったのかもしれない。実を言うと、私はあの日のサヨナラのあと、憤然と席を立った。今はそれを恥じている。
◆この試合では、津*が登板した8回裏にキャッチャーも代わりました。94〜01年の間に私が見た大学野球344試合(=688チーム)で、リードしていたチームがキャッチャーを代えたのは28例しかありません。捕手交代後に逆転負けしたケースはこの試合を含めて5例のみで、そのうち2例は新人戦でした。→「キャッチャーが退くとき」
◆プロ野球・社会人野球に進んだ3選手を除き、選手名・出身高校名は1文字目のみで表記し、残りは伏せました。アマチュア選手に関しては、無理に実名を掲げる必要はないというのが、当サイトのポリシーです。→「実名掲載規準」
◆このゲームは、いわゆる「ドラフト候補」目当てでアマチュア野球を見ていた私に突きつけられた「踏み絵」でした。時計の針は戻せませんので、当サイトには「ドラフト情報」的なページがありません。今後も展開するつもりはありません。
◆「九番勝負」のいわば“先頭打者”として、このページを掲げている以上、「踏み絵」はこのページを読まれた方にも差し出しているつもりです。踏めるか踏めないかは私には関係ありません。→「来訪者要件」
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