◆延長18回引き分け、そして再試合。延長18回だけなら、もう1度ぐらいは見る機会があるかもしれません。再試合もあわせて見るチャンスはたぶんもうないでしょう。いくら私が「1度見たチームを何度も見る必要はない」主義者でも、こういう場合は喜んでとことんまでつきあいます。
私は長い延長戦にはなかなか恵まれなかった。95年3月15日のスポニチ大会準決勝(日本通運VSプリンスホテル)で見た延長16回が最長だった。だから、延長18回とか17回とかという新聞記事を見るたびに悔しい思いをしていた。
大学野球に限れば、99年11月10日の東都2部・3部入れ替え戦(順天堂大VS拓殖大)の延長15回がレコードだった。順大と拓大の試合は私にとって大学野球333試合目だった。「大学野球としての最長延長戦」の寿命は短かった。
時間にすれば75時間後、大学野球334試合目にしてあっさり更新されてしまう運命にあったのだ。そして、「大学野球としての」と限定する必要はなくなった。日通VSプリンス戦の延長16回を1704日ぶりに上回り、延長18回に達したからだ。
| 99/11/13(神宮) 神宮大会2回戦 初日第4試合 16:58〜21:01 | ||
| 創価大 | 001 000 000 000 000 000 =1 | 持田−△清水 |
| 青山学院大 | 000 000 010 000 000 000 =1 | △石川 |
先取点は創価大だった。3回表、無死二塁で8番打者に回った。大学野球の場合、木のバットを使うこともあって、全般的に打率が低く、得点があまり入らない。次の表は、私が91年から99年までに見た試合について、分野ごとにゲーム(両チーム)打率の分布を集計したものだ。
| .100未満 | .100以上 .150未満 |
.150以上 .200未満 |
.200以上 .250未満 |
.250以上 .300未満 |
.300以上 .350未満 |
.350以上 .400未満 |
.400以上 .450未満 |
.450以上 | 計 | |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| プロ | 1 0.3% |
13 3.4% |
44 11.5% |
111 29.1% |
125 32.7% |
68 17.8% |
19 5.0% |
1 0.3% |
0 0.0% |
382 |
| 社会人 | 0 0.0% |
1 0.4% |
15 5.4% |
49 17.5% |
90 32.1% |
73 26.1% |
31 11.1% |
18 6.4% |
3 1.1% |
280 |
| 大学 | 2 0.6% |
22 6.5% |
66 19.6% |
108 32.1% |
83 24.7% |
46 13.7% |
9 2.7% |
0 0.0% |
0 0.0% |
336 |
| 高校 | 0 0.0% |
4 1.7% |
21 8.8% |
68 28.6% |
64 26.9% |
53 22.3% |
22 9.2% |
4 1.7% |
2 0.8% |
238 |
▲各項目の上段の全角数字が試合数、下段の半角数字が比率を示します。集計対象時の社会人野球はすべて金属バット使用ですので、ご注意ください。
大学は低打率に、社会人は高打率にシフトしていることがわかる。したがって、大学野球においては無死二塁で送りバントが使われるケースが多い。走者を三塁に進めておけば、「何か」が起きるかもしれない。一死なら外野フライや内野ゴロが得点につながるし、二死でも相手(バッテリー)エラーがあれば点になる。
だが、創価大は8番打者に送らせなかった。なぜなら、9番にはピッチャーが入っていたからだ。創価大の属する東京新大学リーグはDH制を採用しているから、ピッチャーは通常は打席に立たない。また、青学大の先発は左の石川雅規だった。創価大の1番打者は左打者だ。
8番が送って一死三塁にしても、9番はピッチャーだ。ボテボテの内野ゴロなら打てるかもしれないが、犠牲フライになるような深い外野フライは期待できない。二死三塁での「左対左(1番)」より、無死二塁のままでの「左対右(8番)」を選んだわけだ。創価大ベンチは8番の古屋に託した。
古屋は2−0と追い込まれた。古屋には最低限の義務がある。たとえヒットは打てなくても一死三塁の形をつくることだ。3球目、打球はセカンドベースの右に転がって内野安打になった。
アウトカウントが増えなかったことで、創価は先制点の可能性を大きく広げた。青学もまた、セカンドが打球に追いついて外野に抜けさせなかったことで、二塁走者の本塁突入を防いだ。
無死一・三塁。バッターはピッチャーの持田だ。スクイズも考えられる場面だったが、持田にその気配はまったくなかった。初球はボール、2球目は空振り、1−1となって青学バッテリーは一塁に牽制球を入れた。スクイズがないとすれば一塁走者が動いてくるかもしれない。3球目も空振り、再び一塁牽制球を挟んで4球目も空振りだった。
どうやら、予定どおりの三振のようだ。変にバットに当ててゲッツーをくらうより、素直に三振してくれということだったらしい。ただし、バットを振っておけば、それが目眩ましになって「何か」が起きるかもしれない。というわけで、持田は文字どおり3回振って三振で退いた。
一死一・三塁だ。1番に戻って左の柳田が打席に入る。バッターが左だと、キャッチャーから三塁走者は丸見えになる。外すときは三塁側に外すわけだから、スクイズはやりにくい。青学バッテリーは空振り2つで2−0と柳田を追い込んだ。
スクイズの可能性がほぼ消えたところで、一塁への牽制を2つ挟んで、3球目はファウル、4球目ボール。このあとの5球目に「何か」が起きた。柳田は空振りした。5球目は第3ストライクだった。一死で一塁にランナーがいるから柳田は自動的にバッターアウトだ。
だが、創価は先制した。「何か」が起きたからだ。ボールはバックネット方向に転がっていた(パスボール)。三塁走者が生還した。青学は6月の大学選手権優勝校だ。チャレンジャーの立場に立つ創価大がリードして、春を制した青学大が追いかける理想的な展開だ。
5回裏、8番の大久保が二塁打を打って、青学は初めて得点圏に走者を進めた。ただ、巡り合わせが悪かった。ツーアウトで、しかも次の打者はピッチャーの石川だった。7回表、創価は二死一・三塁と2度目のチャンスを迎えた。7番の福井に対してはボールが3つ先行したが、ここは石川が踏ん張った。
そして、8回裏を迎える。パスボールで失った1点が青学に重くのしかかりつつあった。春の王者が初戦で姿を消すのか、それとも底力を見せつけるのか。なにしろ、この試合で2度しかない得点シーンだ。多少もったいぶって書いても誰も文句は言わないだろう。
創価の先発・持田は右の変則派だ。上半身を三塁側に倒して、サイドもしくはスリークオーターから投げてくる。一般的に、この手のピッチャーは左打者に弱い。そう言えば、松井秀喜のプロ1号は高津臣吾から打ったものだ。
青学打線には左打者が2人しかいなかった。そのうちの1人はピッチャーの石川(東都もDH制)だから、実質的には2番の諸麦1人と言っていい。パンフに載っている左打ちの控え選手も2人しかいない。青学は持田に対して7回まで散発3安打におさえられていた。
8回裏は7番からだった。左の本多が代打に送られた。本多は春のリーグ戦ではレギュラーだった。「とっておきの左の代打」と言ってもいい。できることなら、走者を置いた場面でもっと効果的に使いたかったのだろうが、ろくに走者も出ないのだから先頭打者として起用するのも仕方がない。
持田は7回まで無四球だ。ボールが2球続いたことさえ、大久保に二塁打を打たれたときのほかには1度しかなかった。本多に対してはボールを3つ続けてしまった。4球目見逃し、5球目ファウル。フルカウントになった6球目だった。本多の打球は滞空時間が長かった。落ちた場所はライトスタンドだった。同点だ。
10回表、創価は先頭の小谷野がヒットで出た。福井のバントがキャッチャーのエラーを誘って無死一・二塁。河原井監督が一塁側の青学ベンチからマウンドに向かった。3回表無死一・三塁、9回表無死一塁に続いてこの試合3回目になる。打席には8番の古屋が入る。古屋は初球をバントした。キャッチャーのファウルフライだった。
ここがバントだったということは、創価大ベンチとしては、一死二・三塁にして次の持田には代打という腹づもりもあったのかもしれない。2点差で1イニングならピッチャーが代わっても逃げ切れる計算はできる。持田はそのまま打席に入って2−0からの3球目でなんとかバントを決めた。これで二死二・三塁。
打順は1番に戻る。左の柳田だ。勝負どころだから、代打ではないのかと私は思ったのだが、ここでも右の代打の起用はなかった。創価のスタメンには左打者がもう1人いた。4番レフトの永田だ。2回の第1打席は三振、4回の第2打席はショートフライ、7回は無死一塁で送りバント、9回の一死二塁では右の代打が送られていた。
柳田のポジションはセンターだ。センターの選手はなかなか代えにくい。下の表は96年と97年に私が見た大学野球106試合(延べ212チーム)について、スタメンの野手が途中交代した比率をポジションごとに示したものだ。
| 位置 | 交代 | 比率 |
|---|---|---|
|
捕手 一塁 二塁 三塁 遊撃 左翼 中堅 右翼 |
50 50 55 43 34 44 23 44 |
23.6% 23.6% 25.9% 20.3% 16.0% 20.8% 10.8% 20.8% |
このように、センターの選手は途中交代がもっとも少なく、試合の最後まで出場することが多い。足が速いから広い守備範囲が要求されるセンターを守っているのだ。足は攻守両面で武器になる。だから、1番センター柳田を代えるには多少なりともためらいがあるのだろう。
三振2つとセカンドゴロ2つの柳田の第5打席は、ショートへのハーフライナーだった。終わってみれば、創価の左打者は石川に対して14打数ノーヒット(犠打2)だった。
12回表、二死二塁で8番古屋を迎えて、河原井監督がマウンドに向かった。そして、青学バッテリーは古屋を敬遠した。この敬遠は9番ピッチャー持田に代打を出させる誘い水だ。
誰が代打に出てくるかはわからないけれど、代打と8番打者との打力を比較すれば、常識的には8番打者のほうが楽な相手だ。この場面はツーアウトだからゲッツーはいらない。塁を埋める必要はあまりない。
走者を2人にすると、長打を浴びた場合は2点を失うことになる。青学はそのリスクを背負ってでも、「持田降ろし」に動いた。裏の攻撃なら二死二塁からの敬遠は妥当なものだ。どうせ敬遠した走者が勝敗に絡むことはない。敬遠すれば、一塁だけでなく二塁でも三塁でも簡単にアウトがとれる。
表の攻撃にもかかわらず、青学が敬遠策に出た理由は1つだ。苦戦の原因は持田の好投に尽きる。11回まで5安打無四球、本多の同点弾を除けば、走者が得点圏に進んだのは大久保の二塁打のときだけなのだ。持田をマウンドから引きずり降ろせば勝機も見える(かもしれない)。
持田を降板させるには何もノックアウトする必要はないのだ。石川は河原井監督の期待に応えて、持田の代打・蒲生原をライトフライに仕留めた。これで試合が動くだろうと思った。だが、持田をリリーフした4年生の清水が持田以上の好投を見せた。代わった12回から16回まで打者15人をパーフェクトに封じ込んだのだ。
膠着状態に陥った試合が今度こそ動くかと思われたのは16回表だった。創価は先頭の小島がヒットで出た。途中からレフトの守備について4番に入っていた本田が左打席に入る。左ではとても石川を打てそうになかった。
だから、左打者の前に走者が出て、左打者にバントさせれば(もしくは進塁打が打てれば)創価としては意義のあるアウトになる。本田は初球に送りバントを決めた。一死二塁だ。5番の大山はフルカウントからの7球目を打った。
打球はジャンプした一塁手のミットにおさまった。これで二死二塁。6番の小谷野は1年生だ。この日は3安打していた。試合中は気づかなかったが、松坂大輔とは中学時代のチームメイトだ。小谷野はセカンドゴロに倒れた。試合はいよいよ出口が見えなくなってきた。
18回裏一死後、青学は6番の松田がフルカウントから四球を選んだ。青学は17回までわずかにヒット5本にすぎなかった。そのうちの2本は8番の大久保が打ったものだった。一死で6番の松田が出たということは8番の大久保まで回ることになる。松田が四球を選ぶと、三塁コーチャースボックスから河原井監督が慌てて飛び出してきた。
次打者席で用意していた興津はベンチに戻された。松田には代走を起用、7番の小坂がそのまま打席に入った。これで話は見えてくる。興津は9番・石川のところで使うためにキープしたのだ。ということは、小坂は100%送りバントだ。小坂は2球目でバントを決めた。二死二塁になった。
創価の岸監督がタイムをとってマウンドに向かう。もう次のイニングはない。8番の大久保を敬遠すれば、石川には代打だ。いったんベンチに下がった興津が再び次打者席に入る。大久保を選ぶのか興津をとるのか、岸監督がマウンドに行ったのはその意思確認だろう。
私なら塁を埋める。最悪の場合、興津も歩かせていい。すくなくともそれだけの余裕があることを岸監督は伝えたはずだ。
(8) (6) (9) (7) H 7 (3) (5) (2) (4) (1) H 1 |
柳田 高橋 小島 永田 大口 本田 大山 小谷野 福井 古屋 持田 蒲生原 清水 |
L R R L R L R R R R R R L |
1 二ゴ 左安 遊併 + - - + + + + + - - |
+ + 2 三振 - - 三振 二ゴ + + + - - |
三振 二ゴ + + - - + 3 左2 二安 三振 - - |
+ 4 二ゴ 遊飛 - - 捕邪 + + + + - - |
+ + + + - - 5 左飛 三振 三振 + - - |
三振 中安 + + - - + + + 6 三振 - - |
+ 7 左安 捕ギ - - 二ゴ 四球 三振 + + - - |
二ゴ + + + - - + + 8 中飛 三振 - - |
9 二失 投ギ + 三振 - 二飛 + + + + - - |
遊直 + + - - + 10 左安 ギ失 捕邪 投ギ - - |
11 四球 三併 - - 投ゴ + + + + + - - |
+ + + - - 12 遊ゴ 右2 遊ゴ 敬遠 - 右飛 - |
13 右飛 二ゴ 右飛 - - + + + + + - - + |
+ + + - 14 捕ゴ 中安 左安 三振 二飛 - - + |
三振 二飛 + - - + + + + + - 15 捕邪 |
+ 16 投安 - - 投ギ 一直 二ゴ + + - - + |
+ + + - - + + 17 三振 投ゴ - - 三振 |
18 三ゴ 遊ゴ 遊ゴ - - + + + + + - - + |
数安点 800 720 720 200 100 200 710 630 610 610 300 100 200 58100 |
| 創価大 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | =1 | ||
| 青山学院大 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | =1 | ||
(6) (7) (8) (4) (9) (3) R (2) H 2 (5) (1) |
四之宮 諸麦 荒金 渡辺 志田 松田 白見 川島 本多 小坂 大久保 石川 |
R L R R R R − R L R R L |
1 遊ゴ 一ゴ 二安 中飛 + + - + - - + + |
+ + + 2 二ゴ 三ゴ - 右邪 - - + + |
三振 右飛 + + + + - + - 3 三振 三失 |
+ 4 右飛 投ゴ 二ゴ + - + - - + + |
+ + + + 5 三ゴ - 三振 - - 中2 一ゴ |
6 右飛 一ゴ 中飛 + + + - + - - + + |
+ + 7 三振 左安 三併 - + - - + + |
捕ゴ + + + + + - 8 右本 - 右飛 三直 |
9 投ゴ 三振 三ゴ + + - - - + + + |
+ + + 10 三振 三ゴ - - - 三振 + + |
右飛 捕邪 + + + + - - - 11 投安 三失 |
+ 12 三振 二ゴ 二ゴ + - - - + + + |
+ + + + 13 二飛 - - - 中飛 二飛 + |
二飛 三振 + + + + - - - + 14 遊ゴ |
+ 15 二ゴ 三振 三ゴ + - - - + + + |
+ + + + 16 二飛 - - - 三ゴ 投ゴ + |
四球 投ギ 死球 三振 + + - - - + 17 投ゴ |
+ + + 18 二ゴ 四球 - - - 投ギ 左安 + |
数安点 600 600 610 700 710 600 000 200 111 300 730 600 5761 |
|
投手 持田 △清水 △石川 |
R L L |
回数 11 7 18 |
打者 38 24 66 |
安打 5 1 10 |
三振 7 4 15 |
四死 0 3 3 |
失点 1 0 1 |
自責 1 0 0 |
盗塁死:高橋(6表) 牽制死:大久保(11ウ) 走塁死:白見(18ウ) 捕逸:青1(3表) 失策:創2(3ウ、11ウ)、青2(9表、10表) 併殺:創1(7ウ)、青2(1表、11表) 残塁:創11、青7 |
||||||||||||
大久保の初球はボールだった。2球目を大久保は打った。レフトのほぼ正面に弾き返された。代走の白見が三塁を回った。この場面は無理とわかっていても行かせていい。どうせ負けはないのだ。それに送球はどこに行くかわからない。レフトからの返球だから、ひょっとすると走者と交錯するかもしれない。
レフトの本田からバックホーム、清水球審の右手が上がって試合は終わった。試合終了が21:01。この日は4試合日で8:30開始予定だった。私が席に着いてからちょうど13時間経過していた。
第1試合は延長11回、第2試合は7回コールド、どちらも先攻チームが勝った。第3試合は後攻チームが勝って9回裏の攻撃はなかった。第4試合の延長18回を加えると、表裏合計で89イニング見たことになる。
私にとっての過去最高は、95年4月3日の76イニング3分の2(センバツ準々決勝の4試合日)だ。大幅に記録を塗り替えたわけだ。ただし、残念なこともある。98年8月20日の甲子園球場は89イニング3分の1だった。横浜とPLが延長17回を戦った日だ。あの日「フルイニング出場」していた人には3分の1だけ負けている。
延長18回の試合が終わって、場内アナウンスが再試合を翌日の第二球場第3試合に組み込むことを告げた。このため、9:00開始予定だった第1試合は8:30開始に繰り上げられるという。おいおい、それで本当に大丈夫なのか?
第二球場には照明設備はない。3日前に見た順大と拓大の試合は試合終了が16:24だった。そろそろ照明が必要な時間帯だった。かりに16:30をタイムリミットとしよう。8:30開始なら8時間で3試合をおさめなければならない。
コールドがない場合の大学野球の試合時間は2時間20〜30分と考えていい。2時間20分×3試合で7時間。試合と試合のインターバルを30分とれば、30分×2で1時間だ。ちょうど計算は合う。ただし、計算どおり行くとは限らない。かなり窮屈だ。
翌日、私は意欲満々で8:00前に第二球場に入った。第1試合(九州共立大対立命館大)は私の手元の時計で8:28開始、延長10回までもつれて11:12に終わった。試合時間は2時間44分だ。2時間20分平均を早くもはみだしている。
これを取り返すには、インターバルを短くして、第2試合は2時間そこそこで終わらせなければならない。第2試合(東海大対東北福祉大)は11:39に始まった。重苦しい展開でスローテンポだった。村松球審は盛んにハリーアップを促していたが、試合終了は14:38だった。
もはや絶望的だ。今すぐ始めても日没までもう2時間を切っている。第3試合の試合前のシートノックは省略されるだろうと私は思っていた。時間が切迫しているのだ。社会人野球なら、こういうケースではシートノックはやらない。
大学選手権で雨天決行のとき、シートノックなしだったこともある。ところが、この日は普段どおりおこなわれた(第2試合と第3試合のインターバルが20分なので、時間が短縮された可能性はある)。
創価大と青学大の再試合が始まったのは14:58だった。前日同様に創価大の先攻だ。青学の先発は亀谷、創価は持田の連投だ。235球投げた石川が出てくることはないだろう。青学は亀谷次第ということになる。
亀谷がマウンドを降りるときは、まず青学に勝ち目はない。一方の創価は、遅かれ早かれ清水にスイッチすることになるだろう。創価は継投のタイミングが焦点になるわけだ。
1回表、柳田が内野安打で出塁した。前日は石川に対して8の0。この日は右の亀谷が相手なのだから、前日の分も取り返してもらわねばならない。高橋のバントが野選を誘って無死一・二塁とチャンスが広がったが、後続が倒れて得点には至らなかった。
その裏、四之宮がヒットで出塁した。四之宮も前日は6の0、柳田と立場は同じだ。汚名返上を果たしたい意欲が空回りしたのかもしれない。持田の牽制球に刺された。その後、青学は振り逃げとヒットで一死一・二塁としたが、創価と同じように4番と5番が倒れた。
2回表の創価は、前日3安打の小谷野がセンター前ヒット。その裏の青学は起死回生の同点ホームランを打った本多がバント安打。それぞれ先頭打者として出塁した。創価はバスターで、青学はバントで、一死二塁の形をつくった。8番は凡退、9番のピッチャーは揃って3球三振だった。
前日は走者さえなかなか出なかった。点が入りそうな雰囲気がなかった。この日は走者も出ているし、得点圏にもしばしば進んでいる。それでもホームベースだけは遠い。4回と5回は盗塁死が重なり、膠着状態を引きずっていた。
時間も気になる。3回終了が15:43、4回終了は15:59だった。2階席の影が人工芝のグラウンドを覆い尽くして、外野フェンスに届いた。いよいよ日没は間近だ。
5回終了は16:09、グラウンド整備は省略された。当たり前だ。1分が惜しいのだ。6回は両チーム3者凡退だったので、6回終了は16:17。アップテンポで試合は進んでいく。4回表無死一塁の1−0で大山が打席を外したとき、中本球審はタイムを認めずに亀谷の投球にストライクを宣告した。
7回裏、創価は3者凡退だった。7回裏、青学も二死で走者なし。打席には大久保が入る。思えば前日の最後の打者が大久保だった。大久保がサヨナラタイムリーになり損ねたレフト前ヒットを打ったのは、19時間20分前のことだ。初球が見逃しのストライク、2球目はボール、大久保は3球目を打った。16:24だった。
神宮第二球場を「ゴルフ場」と呼ぶ人たちがいる。これは通称でも俗称でも蔑称でもない。実際に打ちっ放しのゴルフ練習場なのだ。ボールが飛び出さないように周囲には緑のネットが張ってある。外野席はない。外野フェンスの上はネットなのだ。
サッカーの得点シーンでは、よく「ゴールネットを揺らす」という表現が用いられることがある。なるほど、これは野球にも応用できる。ただし、応用範囲は狭い。神宮第二球場ぐらいだろう。
大久保の打球は左中間フェンス上方のネットを揺らした。レフトの永田はフェンス際でジャンプしたが及ばなかった。とうとう均衡は破れた。この球場は狭い。第一球場とくらべると両翼はほぼイーブンだが、左中間と右中間の膨らみが少ない。
私が住宅地図をもとに測った非公式の数値では左中間が102mだ。第一球場より10m前後短いはずだ。だから、この球場では本塁打と二塁打が多く、三塁打が少ない。下の表の「得点」から「塁打」までの各項目は、私が見た試合(集計対象は91〜02年)の27アウト当たりの数値だ。
| 種 | 球場 | 投球回数 | 試合 | 得点 | 打数 | 安打 | 打点 | 2B | 3B | HR | ギ打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 盗塁 | 塁打 | 打率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 大 学 |
神宮 神宮第二 |
5616 547 1/3 |
317 31 |
3.44 4.31 |
32.1 32.1 |
7.51 7.94 |
3.05 3.91 |
1.19 1.46 |
0.32 0.08 |
0.39 0.59 |
1.55 1.96 |
0.21 0.25 |
3.03 3.29 |
0.61 0.76 |
6.73 6.86 |
1.26 1.27 |
10.5 11.3 |
.234 .247 |
| 高 校 |
神宮第二 甲子園 |
261 1959 |
16 110 |
5.86 4.05 |
34.7 32.2 |
10.07 8.50 |
5.52 3.62 |
2.14 1.36 |
0.28 0.47 |
0.79 0.21 |
2.03 2.09 |
0.24 0.19 |
3.72 3.13 |
0.93 0.64 |
5.24 5.17 |
1.41 1.29 |
15.1 11.4 |
.291 .264 |
第二球場でのサンプル数が少ないのがネックだが、大学の場合も高校の場合も、第二球場のほうが神宮第一または甲子園との比較で、得点、安打、二塁打、本塁打が多く、打率も高い。
打った大久保には何の罪もない。両者は同じ条件で戦っていたのだ。リーグ戦で第二球場を使っているのは、東都の2部と東京新大学だ。東都の青学は84年秋以来1部にとどまっているから、第二球場でプレイしたことのある選手は少ないはずだ。
当の大久保は高校時代に神宮大会で経験している(96年11月16日の対西京高戦)が、青学ナインの大半は第二球場での試合は初めてだっただろう。これに対して、東京新大学リーグの創価大はリーグ戦で年に数試合、第二球場を使っている。
地の利はむしろ創価にあった。打った大久保を責めるつもりなどまったくないけれども、実は私はこれを恐れていた。決着としては最悪だ。「第二球場ホームラン」だ。第一球場なら、外野フェンスはもっと先にある。レフトの永田は打球に追いついただろう。たとえ捕れなかったとしても二塁打どまりだ。
「ホームランは野球の華」だと言われるが、このホームランは断じて「華」ではない。ただし、「華」であろうとなかろうと、ホームランはホームランだ。前日の8回裏、本多の同点アーチから実に17イニングぶりに均衡は破れた。
河原井監督が三塁コーチスボックスから出て、打席に入ろうとする亀谷を呼び止めて耳打ちした。そうだ、試合は終わったわけではないのだ。まだ、感傷にひたるには少し早い。もう一波乱あるかもしれない。時間さえあれば…。
亀谷は3球目を打った。センターオーバーの二塁打だった。今度は岸監督がマウンドに向かった。持田は1番の四之宮を敬遠した。岸監督が再びベンチを出て、球審に投手交代を告げた。左の清水が左の諸麦をライトフライに仕留めた。7回裏終了16:30。すでにリミット寸前だ。
テンポよく進めば8回裏まで入るかもしれないが、もう9回は無理だ。スコアボードには両チームとも久しく縁のなかった「1」がくっきりと刻まれていた。
おそらくは最後になるであろう創価の攻撃が始まった。8回表だ。1球投げただけの清水に対して代打が送られた。負けているのだ。次のピッチャーの心配など後回しだ。代打の山崎は同点の走者として一塁に出た。続く1番の柳田はセカンドゴロだった。
ボールは4−6−3と渡ったようだが、私には6から3への送球は見えなかった。野手と審判の動きで判断するしかない。一塁塁審が両手を広げたから、送球されたのだろう。もはや試合を続行するには辛い時間帯だった。ゲッツーは免れたが、一死一塁だ。
2番の高橋はバントを失敗した(空振りとファウル)が、セカンドゴロで柳田を二塁に進めた。これで二死、3番の小島が打席に入る。この日の小島は3タコ(2三振)だ。初回には無死一・二塁でランナーを送れなかった(スリーバント失敗)。
初球はボール、2球目はボール、3球目ファウル、4球目エンドランのファウル、2−2後の5球目を見逃した。中本球審はストライクを宣告した。1年生の小島は「それはないよ」とでも言っているようなポーズを見せた。そして、球審は両ベンチの選手を呼び寄せた。
日没コールドだ。16:39だった。前日のプレイボールから数えると、23時間41分後に決着したことになる。2試合トータルで打者187人、総投球数は654球だった。
(8) (6) (9) (7) (3) (5) (2) (4) (1) 1 H R |
柳田 高橋 小島 永田 大山 小谷野 福井 古屋 持田 清水 山崎 藤本 |
L R R L R R R R R − L − |
1 遊安 ギ野 三振 三振 二ゴ + + + + - - - |
+ + + + 2 中安 二ゴ 投ゴ 三振 - - - |
3 一ゴ 投ゴ 三ゴ + + + + + + - - - |
+ + 4 投失 四球 右安 三振 三直 + - - - |
二ゴ 三振 + + + + + 5 三ゴ - - - |
+ 6 三振 三振 二ゴ + + + + - - - |
+ + + + 7 右飛 三ゴ 三振 + - - - |
二ゴ 二ゴ 三振 + + + + + + 8 中安 - |
数安点 410 300 400 300 200 320 300 300 200 000 110 000 2840 |
創価 ●持田R 清水L 青学 ○亀谷R |
回数 6 2/3 1/3 回数 8 |
打 28 1 打 30 |
安 8 0 安 4 |
振 3 0 振 9 |
球 2 0 球 1 |
責 1 0 責 0 |
| 創価大 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | =0 |
盗塁死:四之宮(1ウ)、永田(4表)、 本多(4ウ)、諸麦(5ウ) 捕逸:創1(1ウ) 失策:青1(4表) 残塁:創6、青7 |
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| 青山学院大 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | X | =1 | |||||||||
(6) (7) (8) (4) (9) (3) 3 (2) (5) (1) |
四之宮 諸麦 荒金 渡辺 志田 甲斐 本多 川島 大久保 亀谷 |
R L R R R − L R R L |
1 右安 振逃 中安 左飛 投ゴ - + + + + |
+ + + + + 2 投安 投ギ 遊飛 三振 |
3 左安 投ギ 四球 投ゴ 三ゴ - + + + + |
+ + + + + 4 左安 三振 二ゴ + |
中飛 右安 + + + - + + 5 三ゴ |
+ 6 右飛 中飛 二ゴ - + + + + |
敬遠 右飛 + + + 7 投ゴ 右飛 左本 中2 |
数安点 320 310 210 300 300 000 320 200 311 310 2581 |
||||||||
再試合の1回表、高橋の投前バントを処理した亀谷の二塁送球は、悪送球になってセンターに抜けた。私は「犠打野選」を記録したが、翌日の新聞を見ると、どうやら「犠打エラー」が記録されているようだ。エラーを記録するなら高橋に犠打を与えて打数を免除する必要はない。
亀谷は二塁に送球したのだ。「エラー」ということは、一塁走者は悪送球のために二塁でアウトにならずに済んだという解釈になる。つまり、「エラー」がなければ一塁走者は二塁で封殺されていたのだから、犠打は成立しない。(→「送りバントの成功率」)
逆に、私のように野選を記録するなら、たとえいい送球でも二塁ではアウトにできなかったという解釈だから、犠打は成立する。別にエラーではなく野選だと言い張るつもりはないけれども、エラーを記録するなら犠打はいらない。私は見ていなかったが、スコアボードには「Fc」のランプがついたそうだ。
神宮大会ではプレス用にスコアが配られるはずだから、これは新聞のミスではなく、その時点での公式記録の誤りだと思われる。おそらく記録員はいったん「犠打野選」を記録したあと、「野選」を「失策」に訂正したのだろう。その訂正の際に「犠打」を消し忘れたのではないだろうか。私もよくやることだ。
ほかの新聞は確認していないけれども、『日刊スポーツ』(東京)では、亀谷の失策が「2」、創価の犠打が「1」、高橋の打数が「3」、創価の打数が「28」となっている。「エラー」をとる場合は、創価の犠打は「0」、高橋の打数は「4」、創価の打数は「29」としなければならない。
試合が終わって、私はH氏やY氏やT氏への報告がてら、第一球場を覗いてみた。さっきまで暗がりの中でスコアをつけていたから、第一球場のスタンドに入ると照明灯がやけに眩しかった。もし、創価大が8回表に同点に追いついていたら、あるいは逆転していたら、どういう措置がとられたのだろうか?
大会規定は明らかではないが、得点差によるコールド規定は7回7点差(2回戦まで)だから、7回で正式試合として認められるものと思われる。だとすると、8回表に創価が同点もしくは逆転に成功したとしても、『公認野球規則』4・11(d)【例外】の【注】の規定が適用されるのではないか。
00年版 『公認野球規則』
4.11 正式試合においては、試合終了時の両チームの総得点をもって、その試合の勝敗を決する。
(d) コールドゲームは、球審が打ち切りを命じたときに終了し、その勝敗はそのさいの両チームの総得点により決する。
【例外】 正式試合となった後のある回の途中で球審がコールドゲームを宣したとき、次に該当する場合、その試合はサスペンデッドゲームとなる。
(1) ビジティングチームがその回の表で得点してホームチームの得点と等しくなったが、表の攻撃が終わらないうち、または裏の攻撃が始まらないうち、あるいは裏の攻撃が始まってもホームチームが得点しないうちにコールドゲームが宣せられた場合。
(2) ビジティングチームがその回の表でリードを奪う得点を記録したが、表の攻撃が終わらないうち、または裏の攻撃が始まらないうち、あるいは裏の攻撃が始まってもホームチームが同点またはリードを奪い返す得点を記録しないうちにコールドゲームが宣せられた場合。
【注】 本項[例外]の適用について、我が国ではその試合をサスペンデッドゲームとしないで、両チームが完了した最終均等回の総得点でその試合の勝敗を決することとする。
▲この規定は81年から06年までのものです。それ以前と07年の4・11は「サスペンデッドゲーム」のページに掲載してあります。
つまり、『オフィシャル・ベースボール・ルールズ』ではサスペンデッドとなるが、『公認野球規則』はこれを適用しないと定めているのだ。だから、創価が8回表に同点もしくは逆転に成功したとしても、【注】の規定が適用されれば、8回表の得点は認められない。
「両チームが完了した最終均等回の総得点」ということは、7回までの1対0で青学の勝ちということになってしまう。この場合はかなり後味の悪い試合になったのではないだろうか。まあ、大会規定が優先するので、特別ルールがあるのかもしれない(おそらくないだろうが…)。
なお、7回終了以前の日没なら、第1球場での継続試合となる旨の大会規定が存在するらしい。5回以降のアップテンポは創価にとって仇となったわけだ。なぜなら、もし7回表終了でいったん試合が停止し、7回裏から第一球場での継続試合になっていたら、大久保の一発は、一発ではなく単にレフトフライにすぎなかったからだ。
また、かりに先攻・後攻が逆で、7回裏のホームランが8回表に出ていたら、やはり第1球場での継続試合になる。距離的にも時間的にも「紙一重」の決着弾だったわけだ。
◆この試合を含めて3年連続で延長18回を見た日野のT氏は、02年秋に福岡ドームで延長23回を見たそうです。→「元気があれば、何でもできる?」
◆延長18回を1人で投げ抜いた石川の全投球は別のページにUPしてあります。→「殿堂」>「石川」
◆事実誤認、数値の誤り、変換ミス、リンク切れ等にお気づきの際は、お手数ですが「3代目んだ」(目の日、ねえ)または「メールのページ」からご一報いただけると幸いです。
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