◆10点のリードを守れずに逆転負けしたチームがありました。このチームは3年後に球場こそ違いますが、同じ舞台でリベンジに挑みます。
- アマチュア王座決定戦
- 3年ぶりの春優勝
- 復活した「秋の住金」
- 沢崎VS金城
- お立ち台
アマ王座戦は91年から97年まで開催された。大学選手権の覇者と社会人日本選手権の覇者が、アマチュア野球の日本一を決める1試合制の試合だ。
93年11月21日の第3回アマ王座戦については、「殿堂」の「後山」で触れた。10点のリードを守れなかった青山学院大(以下「青学」)にリベンジの機会が訪れたのは3年後のことだった(むろん、当時は誰も「リベンジ」という言葉は使っていなかった。私は「リターンマッチ」と呼んでいた)。
大学のチームがアマ王座戦に出るには、6月の大学選手権で優勝しなければならない。そして、大学選手権に出場するためには、春のリーグ戦で優勝する必要がある。関門は2つあるわけだ。94年春の青学は、河原純一(のちにG)を擁する駒大に連敗し、亜大戦でも勝ち点を落として、3位に沈んだ。
94年春 東都大学リーグ1部の勝敗表 駒大 東洋 青学 亜大 日大 立正 試 勝 敗 分 点 駒沢大 ○●○ ○○ ○○ ●○○ ○●○ 13 10 3 0 5 東洋大 ●○● ●● ○○ ○○ ○○ 11 7 4 0 3 青学大 ●● ○○ ●○● ○○ ○●○ 12 7 5 0 3 亜細亜大 ●● ●● ○●○ ○○ ○○ 12 6 5 0 3 日本大 ○●● ●● ●● ●● ○○ 11 3 8 0 1 立正大 ●○● ●● ●○● ●● ●● 12 2 10 0 0
94年秋の青学は東都を制したが、秋のリーグ戦で勝ってもアマ王座戦には出られない。94年のアマ王座戦は河原が6安打1失点で完投して、4回目にして初めて大学チームが社会人チームを破った。
翌95年、春の東都は勝ち点4で青学と東洋が並び、最終週を残すのみだった。1勝1敗で迎えた最終戦、延長12回裏二死満塁で沢崎俊和(のちにC)が痛恨の押し出し四球を与えて、青学は秋春連覇を逃した。
95年春 東都大学リーグ1部の勝敗表 東洋 青学 駒大 立正 日大 国士 試 勝 敗 分 点 東洋大 ○●○ ○●○ ○○ ○○ ○△○ 13 10 2 1 5 青学大 ●○● ○●○ ○●○ ○△○ ○○ 14 9 4 1 4 駒沢大 ●○● ●○● ○●○ ○○ ○○ 13 8 5 0 3 立正大 ●● ●○● ●○● ○●○ ○○ 13 6 7 0 2 日本大 ●● ●△● ●● ●○● △○●○ 14 3 9 2 1 国士舘大 ●△● ●● ●● ●● △●○● 13 2 10 2 0
青学は95年も秋に優勝したが、もちろんアマ王座戦には出られない。
明けて96年春、東都の優勝争いは勝ち点3の青学と駒大との最終週直接対決に持ち越されていた。亜大は勝ち点4で全日程を終了しているが、負けが5つある。青学と駒大はともに勝ち点3だが、最終週に勝ち点を取れば勝ち点4で亜大に並び、勝率では必ず亜大を上回る。
96年春 東都大学リーグ1部の勝敗表 青学 亜大 駒大 専大 立正 東洋 試 勝 敗 分 点 青学大 ○●● ○○ ●○○ ○●△○ ○○ 14 9 4 1 4 亜細亜大 ●○○ ●● ○●△○ ●○○ ○○ 14 8 5 1 4 駒沢大 ●● ○○ ○●● ○○ ●△○○ 13 7 5 1 3 専修大 ○●● ●○△● ○○● ○○ ○○● 15 8 6 1 3 立正大 ●○△● ○●● ●● ●● ○○ 13 4 8 1 1 東洋大 ●● ●● ○△●● ○●● ●● 13 2 10 1 0
第1戦は沢崎と高橋尚成(東芝を経てG)との投手戦を青学が制した。続く第2戦も連勝して、大学選手権の出場権を得た。
2回戦
準々決勝
準決勝
決勝10○3
2○0
3○0
9○4国際武道大
青森大
東北福祉大
九州共立大
このように、大学選手権でも順当に勝ち上がって、青学は3年ぶりにアマ王座戦の出場権を獲得した。
一方、住友金属(以下「住金」)は、95年の都市対抗には出場したものの、得意の日本選手権では94年、95年と予選敗退していた。廃部になるまで、住金が2年続けて日本選手権を逃したのは、この94年と95年の1度だけだ。
96年の住金は次のように勝ち上がった。代表決定戦以降は接戦の連続だ。
滋賀・奈良・和歌山 1次予選 2回戦
準決勝
決勝18○0
5○0
10○4全大津クラブ
甲賀総合科学専門学校
日本IBM野洲近畿2次予選 1回戦
代表決定戦10○3
8○7第一紙行
大阪ガス日本選手権 2回戦
準々決勝
準決勝
決勝8○7
2○1
6○5
7○5室蘭シャークス
NTT北陸
東芝
西濃運輸
こうして、青学と住金は3年ぶりに相まみえることになった。アマチュア野球にとっての3年は長い。大学なら選手はほとんど入れ替わっている。3年前の両チームのスタメン選手は次のように所属先を変えていた。
青山学院大 住友金属 8 松元純也 4年→東芝 8 後山 聡 7 坪井智哉 2年→東芝 5 青木一也 4 高山健一 4年→本田技研→C 4 松本尚樹 →M 3 清原幸治 4年→松下電器 3 川畑伸一郎 →× 9 木下 郁 4年→松下電器 6 三宅秀二 →住金鹿島 6 井口忠仁 1年 D 宮内 洋 5 松岡 淳 2年→プリンスホテル 7 中西保友 D 白土一成 2年→× 9 戸田佳克 →×(?) 2 原 浩高 4年→日本石油 2 樋野 徹 →兼任コーチ P 中川隆治 3年→Bu P 尾山 敦 →L
3年前、青学の3番だった高山は、社会人を経てプロに入っているのだ。3年という月日はそういうものだ。住金は監督も代わっていた。再戦の舞台は恒例の神宮ではなく横浜スタジアム、96年11月10日のことだった。
試合は青学が沢崎、住金は金城龍彦(のちにYB)の先発で始まった。3年前、1年生の沢崎に出番はなく、金城はまだ高校生だった。
96/11/10(横浜) 第6回アマチュア王座決定戦 13:01〜16:08
(D)
(4)
(5)
(3)
(7)
(9)
(8)
(2)
(6)
中西
上出
大良
宮内
山田
玉置
後山
川渕
青木
R
L
R
L
L
R
L
R
R
三振
四球
左安
一ゴ
中飛
遊ゴ
二ゴ
四球
右飛
三振
左飛
左3
左本
二ゴ
三ゴ
右2
右飛
二ゴ
三振
一安
右飛
中安
左飛
右飛
左飛
三2
左安
捕邪
二ゴ
右飛
投ゴ
左安
投ギ
左安
捕邪
遊飛
三振
二ゴ
中安
一ゴ
二ゴ
三振
三振
右2
遊ゴ
右飛
二ゴ
三振
左邪
左安
死球
投安
三振
三振数安点
610
510
630
623
620
400
641
510
600
50144
住金 回数 打安振球失
金城R 7 1/3 339634
●石井R 4 1/3 175502
青学 回数 打安振球失
○沢崎L 12 5414935住友金属 0 0 2 0 1 0 0 1 0 0 1 0 =5 盗塁:井口(2ウ)、上出(5表)
走塁死:四十万(1ウ)
暴投:金城(8ウ)
失策:青2(8表、11表)
併殺:住2(5ウ、10ウ)
残塁:住13、青9青山学院大 3 0 0 0 0 0 0 1 0 0 1 1X =6
(6)
(7)
(4)
(3)
(D)
HD
RD
HD
(2)
(9)
(5)
(8)
井口
松木
高須
四十万
榑松
岡野
竹谷
増田
清水
広川
渡辺
東
R
L
R
R
L
L
−
R
R
L
R
R
死球
二安
左2
中2
三振
左安
投ゴ
遊安
左飛
二ゴ
遊飛
三振
中2
三振
中飛
中飛
三ゴ
遊ゴ
二飛
四球
遊併
四球
右2
投ゴ
一ゴ
三振
三振
二ゴ
遊ゴ
左2
三邪
振逃
中安
投ゴ
三振
三振
三振
左飛
中安
三併
一ゴ
中本
三振
二飛
左飛
中安
三振
右飛
中安
右2数安点
520
510
631
532
200
210
000
211
532
500
500
500
47146
先手をとったのは青学だ。1回裏、先頭の井口(のちにH)が死球で出塁し、その後3連打で3点を先制した。住金は3回に宮内(のちにYB)の2ランで1点差に迫り、5回にはやはり宮内のタイムリーで追いつき、8回には後山のタイムリーで勝ち越した。
その裏の青学は、二塁打と暴投で三塁に進んだ高須洋介(のちにBu)を清水将海(のちにM)がタイムリーで迎えて、試合を振り出しに戻した。
延長に入った11回表、住金はツーアウトから、それまで5打数ノーヒットだった中西がライトのライン際にテキサス性の二塁打を放った。次打者のショートゴロを井口が悪送球して、住金は再び勝ち越した。
その裏、清水が同点のソロアーチを放ち、延長は続く。12回表、住金は一死満塁のチャンスを迎えたが、沢崎の前に下位打線が連続三振を喫した。12回裏、青学は井口がセンター前ヒットで出塁した。一死一・二塁となって、途中出場の増田が試合を決めた。MVPは12回完投の沢崎だった。
実は、1回裏の無死二・三塁で4番の四十万(しずま)が右中間を破ったとき、四十万は三塁を欲張ってアウトになっていた。この走塁死があとあと尾を引くことになる。
6回裏の無死一塁では、岡野のライト線二塁打で一塁走者の四十万は三塁に止まった。ノーアウトだから無理することはないとも言えるのだが、「今のは行けただろう」という思いはあった。結果的には後続がなく、6回は無得点だった。
「ノーアウトだから無理することはない」という考え方なら、初回もノーアウトだった。二塁で止めておけば、もう1点期待できたかもしれない。初回の走塁死のあとにはヒットが出て、自重させた6回は後続がなく、三塁コーチにはなんとも皮肉な巡り合わせだった。
この日はNHKの中継が入っていた。青学の三塁コーチは勝利監督インタビューを受けた。インタビューは成立したとは言えなかった。ほとんど声にならなかったからだ。たまたま偶然とはいえ、3年前に屈辱的な逆転負けを喫した同じ相手なのだ。こみあげるものがあっても、自然なことではないだろうか。
外部リンクは別ウインドウ表示です。 ■財団法人全日本大学野球連盟>全日本アマチュア野球王座決定戦
以前、ほかの年度のアマ王座戦に関してお問い合わせをいただいたことがあります。当時はアマ王座戦を取り上げているサイトがありませんでした。そこで、このスペースにイニングスコアを掲げていたのですが、いつのまにか大学野球連盟のWebサイトに掲載されていますので、私は撤退します。
アマ王座戦は、大学野球連盟と日本野球連盟の主催でした。単に試合の結果だけでなく、なぜ取りやめにしたのかを当事者としてきちんと記述すべきだと私は考えますが…。(P未通知、05/05/25設定)◆佐藤文明『六大学野球』(現代書館)に次のような記述があります。(94ページ)
1955年、全日本アマチュア野球連盟の主催で、「全日本アマチュア野球選手権大会」が開かれました。これは、この年の都市対抗野球大会を制した八幡製鉄を主体としてアジア大会に出場した「全日本」と全日本大学野球選手権大会を制した明大が神宮で2試合戦ったもので、2対1(延長11回)、3対2で全日本が連勝しています。
翌56年の第2回大会からは正式に都市対抗の覇者と大学選手権の覇者が単独チームとして戦う形となり、全鐘紡と明大が後楽園(こちらはナイター)と神宮で激突。第1戦は鐘紡が4対2で、第2戦は明治が2対1で勝利しました。第3回以降はこの形が定例となっています。◆八幡製鉄(のちの新日鉄八幡)が都市対抗で優勝したのは1954年で、全鐘紡の最後の優勝は55年です。明大は54年と55年に大学選手権で連覇していますので、1年違い(の誤記なのか、あるいは翌年開催だったか)と思われますが、アマ王座戦以前に同種の大会が開かれていたようです。なお、同書には「全日本アマチュア野球選手権大会」が何年まで続いたとの記載はありません。
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