◆私が本格的にこの世界に入ったのは1991年です。1981年から10年連続Bクラスだったスワローズは4位ジャイアンツと1ゲーム差ながらAクラスを確保し、翌92年には球団史上2度目の優勝を飾りました。
◆長い間、放置していたページですが、「ヘンリー理論」でしつこく検索されているようですので、データを追加しておきました。野村監督は08年中に最多敗戦監督となることが確定的です。08年終了時には1000勝監督唯一の負け越しとなる可能性もあります。ただ、監督としての評価が通算勝敗(勝率)や優勝回数しかないとすれば随分寂しい話です。
あいにく、私は選手時代の野村監督をライブで見たことはない(ひょっとすると見ているのかもしれない)。これまで、この殿堂に選んだのは、グラウンドの中のプレイヤーもしくは審判だ。監督を選んだ前例はない。
本来、もっと早く選んでおくべきだったのだろうが、毀誉褒貶の激しい職業だけに監督を退いてからのほうがいいと思って殿堂入りを見送りにしていた。タイミングを逃したまま3年が経過した。01年、いったんは続投が決まりながら、結局は辞任に追い込まれてしまったので、晴れて私の「殿堂」に迎える。
私がスコアをつけるようになって、球場通いを始めたのが91年だ。当時はプロ中心で見ていた。特定のチームに偏らずに、バランスを考慮しながら見に行くカードを選んでいたつもりだった。まあ、好き嫌いは当然ある。セはスワローズ戦、パはライオンズ戦を見ることが多かった。(→「観戦試合勝敗表」)
91年当時、野村監督が監督でなかったとしたら、私はこんなに深入りはしなかっただろうと思われる。感謝すべきなのか、あるいは恨むべきなのか、いずれにせよ、野村監督なくして私の殿堂は成立しないのだ。
1998年10月9日、私は神宮球場の三塁側内野席で、スワローズの最終戦を見ていた。すでに野村監督の退任は決まっていた。試合は5対2でスワローズが勝った。
私はゲームさえ見られればいいと思っている。高校野球の入場行進とか、開会式の選手宣誓とか、始球式などの試合前のセレモニーとか、そんなことには興味はない。決勝戦のあとの表彰式も同じことだ。プロ野球の場合も、ヒーローインタビューなど、まず聞かない。試合が終わったら、基本的にはさっさと帰ることにしている。
その日は、例外中の例外だった。どうせ消化試合なのだ。最初から試合そのものはどうでもよかった。試合後にたぶんおこなわれるはずのセレモニーで、野村監督が何を語るのか、むしろそちらのほうに関心があった。編集されるに違いないスポーツニュースではなく、ライブで聞きたかったのだ。
私のスコアカードには、「日本のプロ野球は巨人中心に回っている」、「野球は強い者が必ず勝つとは限らない」、「私はいさぎよくグラウンドを去ります」というメモが残っている。野村監督はこの挨拶のあと、いったんベンチに下がり、しばらくしてから花束を抱えて場内を半周した。
その日の対戦相手はタイガースだった。私が三塁側に席をとったのは、三塁側のほうが空いているという単純な理由だ。野村監督はフェンスに沿って、一塁側からライト方向に向かい、バックスクリーンの手前で引き返してきた。レフトスタンドのタイガースファンには歓迎されないと思っていたのかもしれない。
「いさぎよくグラウンドを去ります」は、当時、去就が騒がれていた同一リーグの某監督を意識した発言であることは間違いない。2週間後、日本シリーズの移動日だった10月25日にタイガースが野村監督の就任会見を開いた。わざわざ見納めだと思って見に行った者としては、釈然としない気持ちにもなった。
とはいえ、もともとは関西出身だし、話があれば受けるだろうと思っていた。よせばいいのにと思いながらも、どんなふうに立て直していくのかという興味もあった。
野村監督がタイガースを率いた3年間は、いずれも最下位だった。だからといって、それがダイレクトに監督としての評価につながるものでもない。その程度の戦力しかないのだとすれば、誰がやったところで順位はそう極端には動かないだろう。
逆に、優勝したといっても、豊富な戦力が与えられていた結果だとすれば、優勝がストレートに監督としての評価に結びつくものではないはずだ。
『ベースボールマガジン』99年夏季号は、監督特集号だった。千葉功氏の「得失点から計算される監督評価法」には、得失点(差)をもとに監督の手腕を評価しようとする試みが紹介されている。
これらは、戦力を得失点(差)で把握して、理論上予想される勝率(勝ち数)と実際の勝率(勝ち数)とを比較することで、監督の手腕を評価しようというものだ。ヘンリー理論とコーチ理論による数値は、巻末の「歴代監督年度別成績」にも収録されている。なお、同誌92年秋季号では「ソールマン理論」も紹介されていた。
ヘンリー理論とは「得点の自乗を、得点の自乗プラス失点の自乗で割ったのが妥当な勝率になる」というものだ。コーチ理論は「年間の得点と失点の差が10点あれば、勝率5割プラス1勝に相当する」とされている。
計算式としては、次のようになる。
ヘンリー理論=得点の2乗÷(得点の2乗+失点の2乗)
コーチ理論={勝利数+(引き分け×0.5)}−[(試合数÷2)−{(得点−失点)÷10}]
ヘンリー理論では勝率が、コーチ理論では勝敗差(いわゆる「貯金」あるいは「借金」)が求められることになる。
野村監督の場合は次のとおりだ。
年 TEAM 位 G W L D R+ R- He AVG 評 Co 貯 評 70 H 2 130 69 57 4 589 510 .572 .548 ★ 13.9 12 ★ 71 H 4 130 61 65 4 614 612 .502 .484 ★ -1.8 -4 ★ 72 H 3 130 65 61 4 512 511 .501 .516 ○ 2.1 4 ○ 73 H 1 130 68 58 4 488 493 .495 .540 ○ 4.5 10 ○ 74 H 3 130 59 55 16 504 460 .546 .518 ★ 6.4 4 ★ 75 H 5 130 57 65 8 524 478 .546 .467 ★ 0.6 -8 ★ 76 H 2 130 71 56 3 489 431 .563 .559 ★ 13.3 15 ○ 77 H 2 128 62 54 12 498 465 .6342 .5344 ○ 7.3 8 ○ 90 S 5 130 58 72 0 529 609 .430 .446 ○ -1.5 -14 ★ 91 S 3 132 67 63 2 544 551 .494 .515 ○ 1.3 4 ○ 92 S 1 131 69 61 1 599 566 .528 .531 ○ 7.3 8 ○ 93 S 1 132 80 50 2 622 475 .623 .615 ★ 29.7 30 ○ 94 S 4 130 62 68 0 486 585 .408 .477 ○ -12.9 -6 ○ 95 S 1 130 82 48 0 601 495 .596 .631 ○ 27.6 34 ○ 96 S 4 130 61 69 0 536 560 .478 .469 ★ -6.4 -8 ★ 97 S 1 137 83 52 2 672 503 .641 .615 ★ 32.4 31 ★ 98 S 4 135 66 69 0 493 548 .447 .489 ○ -7.0 -3 ○ 99 T 6 135 55 80 0 490 585 .412 .407 ★ -22.0 -25 ★ 00 T 6 136 57 78 1 473 591 .390 .422 ○ -22.3 -21 ○ 01 T 6 140 57 80 3 467 598 .379 .416 ○ -24.6 -23 ○ 06 E 6 136 47 85 4 452 651 .325 .356 ○ -38.9 -38 ○ 07 E 4 144 67 75 2 575 676 .420 .472 ○ -14.1 -8 ○ 計 2916 1423 1421 72 11757 11953 .492 .500 ○ -18.6 2 ○
▲▼98年までは『ベースボールマガジン』99年夏季号、それ以降は主に『ベースボール・レコード・ブック』をもとに作成しました。「位」はチーム順位、「G」・「W」・「L」・「D」は試合と勝敗分、「R+」は得点、「R-」は失点、「He」ヘンリー理論によって求められた期待される勝率、「AVG」は実際の勝率、「Co」はコーチ理論によって求められた期待される勝敗差、「貯」は実際の勝敗差、「評」には理論上の勝率または勝敗差を上回っている場合(プラス評価)は「○」印を、下回っているとき(マイナス評価)は「★」印を付しました。なお、(期待される)勝率については、3桁表示のときは小数点4位を四捨五入していますが、4桁表示のときは小数点5位を切り捨てています。
参考までに、通算1000試合以上の監督と、1000試合未満でも2回以上リーグ優勝した監督の数値も調べてみた。
監督 G W L D R+ R- He AVG 評 Co 貯 評 三原 脩 3245 1687 1450 108 12011 10841 .551 .538 ★ 235.5 237 ○ 藤本定義 3200 1657 1450 93 11527 10683 .538 .533 ★ 187.9 207 ○ 鶴岡一人 2994 1773 1140 81 12702 10110 .612 .609 ★ 575.7 633 ○ 野村克也 2916 1423 1421 72 11757 11953 .492 .500 ○ -18.6 2 ○ 水原 茂 2778 1585 1120 73 11560 8967 .624 .586 ★ 491.8 465 ★ 西本幸雄 2665 1384 1163 118 11082 10069 .548 .543 ★ 211.8 221 ○ 上田利治 2576 1323 1137 116 11896 10986 .540 .538 ★ 184.0 186 ○ 別当 薫 2497 1237 1156 104 9393 9289 .506 .517 ○ 50.9 81 ○ 王 貞治 2364 1251 1042 71 10859 9706 .556 .546 ★ 219.8 209 ★ 長島茂雄 1982 1034 889 59 8678 7742 .557 .538 ★ 166.1 145 ★ 川上哲治 1868 1066 741 61 7778 6043 .624 .590 ★ 336.0 325 ★ 古葉竹識 1801 873 791 137 7972 7530 .528 .525 ★ 85.2 82 ★ 星野仙一 1741 919 789 33 7381 6952 .530 .538 ○ 107.9 130 ○ 仰木 彬 1720 926 745 49 7827 7208 .541 .554 ○ 152.4 181 ○ 中西 太 1639 748 810 81 5817 6089 .477 .480 ○ -58.2 -62 ★ 大沢啓二 1547 725 723 99 6598 6579 .5014 .5006 ★ 2.9 2 ★ 森 祇晶 1436 785 583 68 6531 5527 .583 .547 ★ 201.4 202 ○ 白石勝巳 1359 581 736 42 4294 5136 .411 .442 ○ -160.7 -153 ○ 山本浩二 1359 649 681 29 5694 5987 .475 .488 ○ -45.3 -32 ○ 根本陸夫 1351 598 687 66 5105 5583 .455 .465 ○ -92.3 -89 ○ 松木謙治郎 1255 628 602 25 5087 4621 .548 .511 ★ 59.6 26 ★ 浜崎真二 1203 535 639 29 4418 4786 .460 .456 ★ -88.8 -104 ★ 石本秀一 1115 528 553 34 4482 4609 .486 .488 ○ -25.2 -25 ○ 吉田義男 1051 484 511 56 4333 4477 .484 .486 ○ -27.9 -27 ○ 近藤貞雄 1050 470 521 59 4309 4475 .481 .474 ★ -42.1 -51 ★ 稲尾和久 1040 431 545 64 4190 4710 .4417 .4415 ★ -109.0 -114 ★ 金田正一 1011 471 468 72 4064 4033 .504 .502 ★ 4.6 3 ★ 広岡達朗 966 498 406 62 4470 4042 .550 .551 ○ 88.8 92 ○ 東尾 修 937 489 425 23 4006 3725 .536 .535 ★ 60.1 64 ○ 藤田元司 910 516 361 33 3828 3207 .5875 .5883 ○ 139.6 155 ○ 若林忠志 740 390 324 26 2917 2611 .555 .546 ★ 63.6 66 ○ ヒルマン 683 349 320 14 3074 2947 .521 .522 ○ 27.2 29 ○ 落合博満 574 323 240 11 2595 2238 .573 .574 ○ 77.2 83 ○
▲白石勝巳氏につき、『ベースボールマガジン』1999年夏季号128ページの「歴代監督年度別成績」では1361試合583勝になっていますが、http://www.chugoku-np.co.jp/Carp/50y/retu/9/990918.htmlに示された「1359試合581勝」が正しいと思われます。ただし、得点と失点は同誌の数値をそのまま用いており、2試合分控除したわけではありません。
▲【指名手配中】山本浩二氏については「1358試合648勝」としているサイトが複数あります。もしかすると、1試合だけ代行が立ったのかもしれませんので、ご存知の方はご教示をお願いします。→「3代目んだ」(山本浩二の監督勝利数)
▲77年の野村監督は2試合を残して解任されていますので、同誌の数値は128試合分です。ほかの監督についても、同様の処理が施されていると思われますので、星野監督が 00年に出場停止になっていた3試合分はカウントしていません。02年途中に解任された森監督も同様です。ヒルマン監督も一時帰国した05年の6試合分は含みません。06年の王監督も森脇代行の55試合分を含みません。
▲なお、集計は07年終了時点です。
野村監督の通算1423勝は日本のプロ野球では歴代5位だ。野村監督より上位の4人はヘンリー理論によって期待される勝率に満たないので、野村監督はヘンリー理論によってプラス評価を受ける最多勝監督ということになる。
別当氏は11人の1000勝監督のうち唯一優勝経験がないけれども、実際の勝率や勝敗差はヘンリー理論やコーチ理論の数値を上回っている。優勝という形で目立った成績を残すことはなかったとしても、「戦力」以上の戦いぶりが評価されていたからこそ、4球団で21シーズン任されたのだろう。
弱いチームを任されて(引き受けて)通算勝率を下げるのは、監督としてはむしろ名誉なことであって、断じて悲嘆すべきことではない。監督としての能力を買われた結果にすぎない。
仰木氏や星野氏の健闘も見逃すことはできない。監督の評価が優勝回数とか監督通算勝利数ばかりではおもしろくない。そんな単純な話なら私は扱いたくない。ヘンリー理論やコーチ理論のような指標は、もっと広く知られてもいいのではないかと思っている。
ヘンリー理論やコーチ理論は、チーム順位だけで監督を評価せずに、チームの戦力に応じた尺度を提示したという点で新鮮には違いないけれども、監督の手腕に対する評価としては、けっして絶対的なものではないし、万能でもない。なぜなら、ヘンリー理論にしても、コーチ理論にしても、得失点(差)を基準にしているからだ。
得失点(差)に着目した場合、辛勝と大敗を繰り返せば、高い評価を得られることになる。逆に、競り合いでは負けて、勝つときは大勝なら、低い評価になる。「この戦力ならこの程度は勝って当然」という考え方をするなら、無理に得失点(差)を持ち込む必要はない。単純に年俸総額順に並べてみればいいだけのような気もする。
それに、得失点(差)が基準になるなら、得点(あるいは失点)に至るまでの経過が、まったく無視されることになる。少ないヒットで効果的に得点することや、走者は許しながらも決定打を浴びずにゲームを壊さずにいることが、評価の対象外になってしまうのだ。
ところで、プロ野球は外国人選手次第だったりもする。01年のローズやペタジーニは代表的な例だろう。野村監督がスワローズとタイガースで指揮をとった計12年間、在籍した外国人選手の成績は次のとおりだ(打者は安打数、投手は勝利数とセーブ数)。
90年 91年 92年 93年 94年 95年 96年 97年 98年 99年 00年 01年
勝率 .446 .515 .531 .615 .477 .631 .469 .615 .489 .407 .422 .416
順位 5 3 1 1 4 1 4 1 4 6 6 6
マーフィー 25
レイ 124 29
ハウエル 128 117 91
パリデス 38
ハドラー 123
クラーク 110
オマリー 127 145
ミューレン 107 108
オルティス 5
テータム 43
ホージー 144 74
ムートン 21
アンソニー 37
ブロワ―ズ 65
ジョンソン 95
タラスコ 91
ハートキー 82
バトル 10
フランクリン 5
クルーズ 56
ペレス 37
エバンズ 30
90年 91年 92年 93年 94年 95年 96年 97年 98年 99年 00年 01年
勝率 .446 .515 .531 .615 .477 .631 .469 .615 .489 .407 .422 .416
順位 5 3 1 1 4 1 4 1 4 6 6 6
バニスター 3-0
郭 0-0
ロックフォード 0-0
バートサス 3-0
ブロス 14-0 7-0 7-0
エーカー 0-0
ドリスキル 0-0
リベラ 1-12
ミラー 2-0 0-6
メイ 6-0
ハンセル 7-0 5-0
ラミレズ 1-0
カーライル 7-0
いかに野村監督が名将であるとしても(あるいはそうでなくても)、軸になる外国人選手がいなければ、そう簡単には勝てないもののようだ。
さて、私は91年から93年までの3年間に、野村監督率いるスワローズの試合を54試合見ている(セントラル46、日本シリーズ8)。そのうち19試合でいわゆる偵察要員が使われている(延べ21人)。
偵察要員のあと、相手チームの先発投手が発表されてから起用された選手(実質的なスタメン)の打率を調べてみると、50打数18安打で.360だ。ほかの監督との比較ができないので、この数字が高いか低いか判断しかねるけれども、おそらくは「高い」と思われる。
▼「偵察要員後の打者」の欄の算用数字は打順、その後ろの漢字は守備位置です。「数安点球」は、当該先発投手との対戦による打数・安打・打点・四死球です。
年月日 球場 スコア 相手先発 打者 数安点球 備考
91/05/06 東京ド 5●7 G宮本 6右・小川 4110 2表に同点タイムリー
91/06/16 横浜 7○6 W岡本 6右・小川 3101
92/05/04 神宮 2○1 W岡本透 3右・橋上 4100 6ウに内野安打で出塁し同点の生還
92/06/14 東京ド 4●7 G桑田 7右・秦 2120 2表に2ラン
92/08/04 神宮 4○3 T仲田 8左・土橋 3120 5ウに同点2ラン
92/08/05 神宮 5●9 T中込 7右・秦 3221 9ウに2ラン
92/08/06 神宮 8○7 T野田 8左・荒井 4200
92/10/25 神宮 8○7 L工藤 7右・橋上 1110 2ウに同点ソロ
93/04/10 神宮 1●5 C北別府 8右・松元秀 3100
93/05/01 東京ド 4●5 G門奈 7右・土橋 1000
93/05/02 東京ド 4○3 G槙原 2左・荒井 4100
〃 〃 〃 〃 7右・秦 3000
93/05/04 神宮 1●6 D小島 2左・荒井 2001
〃 〃 〃 〃 7右・秦 2000
93/05/09 神宮 7○0 G小島 7右・土橋 1110 2ウに先制タイムリー
93/07/01 横浜 8○4 YB島田 6左・荒井 1100 2表に二塁打で出塁し先制の得点
93/07/13 神宮 2●8 YB野村 6右・橋上 3211
93/08/01 神宮 7○5 D今中 6右・橋上 3110
93/09/15 神宮 2○1 YB野村 7右・橋上 1100
93/10/03 神宮 8○0 YB小桧山 7右・秦 1001
93/10/23 西武 8○5 L工藤 2右・橋上 1001
◆このページは、02年の2月19日付でUPしました。捕手の「2」とホークス時代の背番号「19」にひっかけたつもりでした。
◆桑田攻略をめぐるジレンマと古田の三味線についてのページがあります。もともと、このページ中の1項目のつもりでしたが、量が多くなりすぎるのを懸念して、先にUPしました。基本的にはワンセットだと考えていますので、できれば一緒にお読みください。「後半勝負」のページです。
◆監督が代わって顕著な変化が数字にあらわれるのは盗塁です。スワローズの盗塁数の推移は、「10年目の決算報告」のページで触れました。また、プロ野球監督の出身大学別勝利数は、「東都が六大学を超えるとき」をどうぞ。なお、野村監督は03年より05年まで社会人野球のシダックスでGM兼監督を務めました。当サイトには「都市対抗監督勝利数」という貴重なページもあります。
◆もともとは、表計算ソフトを使ってヘンリー理論等の数値を算出していますが、転記の際に入力ミスが生じている可能性があります。数値の誤りのほか、事実誤認、変換ミス、リンク切れ等にお気づきの際は、お手数ですが「3代目んだ」(ヘンリー理論)または「メールのページ」からご一報いただけると幸いです。
★08/04/13校正チェック済、ケなし、順OK
★08/04/13HTML文法チェック済(エラーなし)
★ブリーフケース>監督>1000試合以上