セットポジションプロ野球
打率3割の攻防 | 竜虎 | 日本シリーズの投手起用(1)

竜虎のデッドヒート

08/03/03作成
13/12/22更新

◆ドラゴンズとタイガースはここ数年激しいデッドヒートを展開しています。単年度の優勝争いのことではなく、通算勝率の話です。07年終了時の通算成績は次のとおりです。
 中日ドラゴンズ 8904試合4460勝4152敗292分 .5178
 阪神タイガース 8918試合4478勝4174敗266分 .5175 (勝率は小数点5位を切り捨て)
◆このように勝率ならわずか3毛差です。両チームともプロ野球創世記からの球団ですが、08年で72シーズン目になるというのに、たった2ゲーム差しかありません。1936年までさかのぼって、このデッドヒートをフォローしてみました。


1936-1939年

【1936年春】
大阪タイガース    15試合 9勝 6敗 0分        9勝   6敗 .600    -
名古屋        16試合 7勝 9敗 0分        7勝   9敗 .438   2.5
【1936年秋】
大阪タイガース    31試合24勝 6敗 1分       33勝  12敗 .600    -
名古屋        26試合12勝14敗 0分       19勝  23敗 .452  12.5
【1937年春】
大阪タイガース    56試合41勝14敗 1分 2位    74勝  26敗 .740    -
名古屋        56試合21勝35敗 0分 7位    40勝  58敗 .408  33.0
【1937年秋】
大阪タイガース    49試合39勝 9敗 1分 優勝   113勝  35敗 .764    -
名古屋        49試合13勝33敗 3分 8位    53勝  91敗 .368  58.0
【1938年春】
大阪タイガース    35試合29勝 6敗 0分 優勝   142勝  41敗 .776    - 
名古屋        35試合11勝24敗 0分 7位    64勝 115敗 .358  76.0
【1938年秋】
大阪タイガース    40試合27勝13敗 0分 2位   169勝  54敗 .758    -
名古屋        40試合19勝18敗 3分 4位    83勝 133敗 .384  82.5
【1939年】
大阪タイガース    96試合63勝30敗 3分 2位   232勝  84敗 .734    -
名古屋        96試合38勝53敗 5分 6位   121勝 186敗 .394 106.5

タイガースは、1937年秋と翌38年春に投は西村幸生や御園生崇男、打は松木謙治郎や景浦将打らの活躍で石本秀一監督のもと連覇した。両年とも年度優勝決定戦でジャイアンツを破り年間チャンピオンに輝いている。

一方、ドラゴンズは1936年春の連盟結成記念東京大会を3戦全勝で優勝したものの、その後は低迷が続き、37年秋には最下位、初の1シーズン制だった39年も前年秋から参戦した南海の後塵を拝する始末だった。両者は4年間で早くも100ゲームを超える大差がついている。

1940-1944年

【1940年】
大阪タイガース   104試合64勝37敗 3分 2位   296勝 121敗 .710    -
名古屋       104試合58勝41敗 5分 5位   179勝 227敗 .441 111.5
【1941年】
阪神         84試合64勝37敗 0分 5位   337勝 164敗 .673    -
名古屋        84試合37勝47敗 0分 6位   216勝 274敗 .441 115.5
【1942年】
阪神        105試合52勝48敗 5分 3位   389勝 212敗 .647    -
名古屋       105試合39勝60敗 6分 7位   255勝 334敗 .433 128.0
【1943年】
阪神         84試合41勝36敗 7分 3位   430勝 248敗 .634    -
名古屋        84試合48勝29敗 7分 2位   303勝 363敗 .455 121.0
【1944年】
阪神         35試合27勝 6敗 2分 優勝   457勝 254敗 .643    -
産業         35試合13勝21敗 1分 4位   316勝 384敗 .457 135.5

1940年のシーズン途中、敵性語が使用禁止になって、大阪タイガースは「阪神」に改称、東京セネタースも「翼」に、イーグルスは「黒鷲」に名前を変えた。1943年、再登板となった第6代の枡嘉一監督のもとでドラゴンズは2位に食い込み、単年度で初めてタイガースの成績を上回った。

タイガースは44年に3度目のシーズン優勝を果たす。7回戦総当たり35試合制の年(6球団)だが、MVPに選ばれた若林忠志兼任監督は31試合に登板、317イニング2/3のうち248イニングを投げ、27勝のうち22勝をあげている。チーム防御率の1.53は球団記録として今も残っている。

1946-1949年

【1946年】
阪神        105試合59勝46敗 0分 3位   516勝 300敗 .632    -
中部日本      105試合42勝60敗 3分 7位   358勝 444敗 .446 151.0
【1947年】
大阪タイガース   119試合79勝37敗 3分 優勝   595勝 337敗 .638    -
中部日本ドラゴンズ 119試合67勝50敗 2分 2位   425勝 494敗 .462 163.5
【1948年】
大阪タイガース   140試合70勝66敗 4分 3位   665勝 403敗 .623    -
中日ドラゴンズ   140試合52勝83敗 5分 8位   477勝 577敗 .453 181.0
【1949年】
大阪タイガース   137試合65勝69敗 3分 6位   730勝 472敗 .607    -
中日ドラゴンズ   137試合66勝68敗 3分 5位   543勝 645敗 .457 180.0

1946年のドラゴンズはパシフィック球団(のちの松竹ロビンス)と同率の最下位(当時は8球団)だ。翌47年には全球団にニックネームが導入された。当時のオーナーが辰年生まれだったことからドラゴンズになったそうだ。もし寅年生まれだったら、どうしたのだろう? ちなみに、タイガースは電鉄社内で公募されたようだ。

その47年はタイガースが4度目の優勝。ドラゴンズも2位に入って、初めて竜虎でワン・ツーを占めた。この年のタイガースは502得点、(得点でも)2位のドラゴンズは410得点だから、圧巻のダイナマイト打線だったわけだ。1リーグ最後の年となった49年には、6位タイガースから藤村富美男がMVPに選出されている。打点と本塁打の2冠で打率も2位だ(ただし大差)。

1948年はドラゴンズが3度目の最下位。49年終了時には180ゲーム差であり、以後40年ほどの間、おおむねこの水準で推移することになる。

1950-1954年

【1950年】
大阪タイガース   140試合70勝67敗 3分 4位   800勝 539敗 .597    -
中日ドラゴンズ   137試合89勝44敗 4分 2位   632勝 689敗 .457 159.0
【1951年】
大阪タイガース   116試合61勝52敗 3分 3位   861勝 591敗 .593    -
名古屋ドラゴンズ  113試合62勝48敗 3分 2位   694勝 737敗 .485 156.5
【1952年】
大阪タイガース   120試合79勝40敗 1分 2位   940勝 631敗 .598    -
名古屋ドラゴンズ  120試合75勝43敗 2分 3位   769勝 780敗 .496 160.0
【1953年】
大阪タイガース   130試合74勝56敗 0分 2位  1014勝 687敗 .596    -
名古屋ドラゴンズ  130試合70勝57敗 3分 3位   839勝 837敗 .501 162.5
【1954年】
大阪タイガース   130試合71勝57敗 2分 3位  1085勝 744敗 .593    -
中日ドラゴンズ   130試合86勝40敗 4分 優勝   925勝 877敗 .513 146.5

2リーグ分立初年度の1950年にドラゴンズは球団最多勝記録となる89勝をあげているが、9ゲーム差の2位に終わった。1953年にはタイガースが通算1000勝に到達、ドラゴンズもようやく通算勝率を5割に乗せた。

1954年にドラゴンズが初優勝。MVPは63試合に登板して32勝12敗で防御率1.39の杉下茂だった。日本シリーズでも西鉄ライオンズを4勝3敗で退けた。

1955-959年

【1955年】
大阪タイガース   130試合71勝57敗 2分 3位  1156勝 801敗 .591    -
中日ドラゴンズ   130試合77勝52敗 1分 2位  1002勝 929敗 .519 141.0
【1956年】
大阪タイガース   130試合79勝50敗 1分 2位  1235勝 851敗 .592    -
中日ドラゴンズ   130試合74勝56敗 0分 3位  1076勝 985敗 .522 146.5
【1957年】
大阪タイガース   130試合73勝54敗 3分 2位  1308勝 905敗 .591    -
中日ドラゴンズ   130試合70勝57敗 3分 3位  1146勝1042敗 .524 149.5
【1958年】
大阪タイガース   130試合72勝58敗 0分 2位  1380勝 963敗 .589    -
中日ドラゴンズ   130試合66勝59敗 5分 3位  1212勝1101敗 .524 153.0
【1959年】
大阪タイガース   130試合62勝59敗 9分 2位  1442勝1022敗 .585    -
中日ドラゴンズ   130試合64勝61敗 5分 3位  1276勝1162敗 .523 153.0

この時期、両チームで2位と3位を独占しているが優勝はない。惜しかったのは1957年のタイガースだ。1ゲーム差で優勝を逃している。

1960-1964年

【1960年】
大阪タイガース   130試合64勝62敗 4分 3位  1506勝1084敗 .581    -
中日ドラゴンズ   130試合63勝67敗 0分 5位  1339勝1229敗 .521 156.0
【1961年】
阪神タイガース   130試合60勝67敗 3分 4位  1566勝1151敗 .576    -
中日ドラゴンズ   130試合72勝56敗 2分 2位  1411勝1285敗 .523 144.5
【1962年】
阪神タイガース   133試合75勝55敗 3分 優勝  1641勝1206敗 .576    -
中日ドラゴンズ   133試合70勝60敗 3分 3位  1481勝1345敗 .524 149.5
【1963年】
阪神タイガース   140試合69勝70敗 1分 3位  1710勝1276敗 .573    -
中日ドラゴンズ   140試合80勝57敗 3分 2位  1561勝1402敗 .527 137.5
【1964年】
阪神タイガース   140試合80勝56敗 4分 優勝  1790勝1332敗 .573    -
中日ドラゴンズ   140試合57勝83敗 0分 6位  1618勝1485敗 .521 162.5

1961年のドラゴンズはルーキー・権藤博の活躍で最後まで優勝戦線に残ったが、1ゲーム差の2位に終わった。翌62年にタイガースが2リーグ分立後の初優勝を果たす。57試合登板25勝14敗で防御率1.20の村山実が、47試合登板27勝11敗で防御率1.66の小山正明をおさえてMVPに選ばれた。

1963年はドラゴンズが2.5ゲーム差の2位だったが、翌64年には2リーグ分立後初めて最下位に転落した。一方のタイガースはこの年に2年ぶりの優勝を果たしている。MVPは46試合登板29勝9敗で防御率1.89のバッキーではなく、55本塁打119打点の2冠王で打率も2位(微差)の王貞治だった。まあ、55本が効いたのだろう。

1965-1969年

【1965年】
阪神タイガース   140試合71勝66敗 3分 3位  1861勝1398敗 .571    -
中日ドラゴンズ   140試合77勝59敗 4分 2位  1695勝1544敗 .523 156.0
【1966年】
阪神タイガース   135試合64勝66敗 5分 3位  1925勝1464敗 .568    -
中日ドラゴンズ   135試合76勝54敗 2分 2位  1771勝1598敗 .526 144.0
【1967年】
阪神タイガース   136試合70勝60敗 6分 3位  1995勝1524敗 .567    -
中日ドラゴンズ   134試合72勝58敗 4分 2位  1843勝1656敗 .527 142.0
【1968年】
阪神タイガース   133試合72勝58敗 3分 2位  2067勝1582敗 .566    -
中日ドラゴンズ   134試合50勝80敗 4分 6位  1893勝1736敗 .522 164.0
【1969年】
阪神タイガース   130試合68勝59敗 3分 2位  2135勝1641敗 .565    -
中日ドラゴンズ   130試合59勝65敗 6分 4位  1952勝1801敗 .520 171.5

1968年にタイガースが通算2000勝到達。同年、ドラゴンズは2リーグ分立後では2度目となる最下位に甘んじた。

1970-1974年

【1970年】
阪神タイガース   130試合77勝49敗 4分 2位  2212勝1690敗 .567    -
中日ドラゴンズ   130試合55勝70敗 5分 5位  2007勝1871敗 .518 193.0
【1971年】
阪神タイガース   130試合57勝64敗 9分 5位  2269勝1754敗 .564    -
中日ドラゴンズ   130試合65勝60敗 5分 2位  2072勝1931敗 .518 187.0
【1972年】
阪神タイガース   130試合71勝56敗 3分 2位  2340勝1810敗 .564    -
中日ドラゴンズ   130試合67勝59敗 4分 3位  2139勝1990敗 .518 190.5
【1973年】
阪神タイガース   130試合64勝59敗 7分 2位  2404勝1869敗 .563    -
中日ドラゴンズ   130試合64勝61敗 5分 3位  2203勝2051敗 .518 190.5
【1974年】
阪神タイガース   130試合57勝64敗 9分 4位  2461勝1933敗 .560    -
中日ドラゴンズ   130試合70勝49敗11分 優勝  2273勝2100敗 .520 177.5

1970年は2ゲーム差、73年は0.5ゲームでタイガースが優勝を逃した。74年、ジャイアンツのV10を阻んだのはドラゴンズだが、MVPは3冠王の王貞治にさらわれ、日本シリーズではロッテオリオンズに敗れた。

1975-1979年

【1975年】
阪神タイガース   130試合68勝55敗 7分 3位  2529勝1988敗 .560    -
中日ドラゴンズ   130試合69勝53敗 8分 2位  2342勝2153敗 .521 176.0
【1976年】
阪神タイガース   130試合72勝45敗13分 2位  2601勝2033敗 .561    -
中日ドラゴンズ   130試合54勝66敗10分 4位  2396勝2219敗 .519 195.5
【1977年】
阪神タイガース   130試合55勝63敗12分 4位  2656勝2096敗 .559    -
中日ドラゴンズ   130試合64勝61敗 5分 3位  2460勝2280敗 .519 190.0
【1978年】
阪神タイガース   130試合41勝80敗 9分 6位  2697勝2176敗 .553    -
中日ドラゴンズ   130試合53勝71敗 6分 5位  2513勝2315敗 .517 179.5
【1979年】
阪神タイガース   130試合61勝60敗 9分 4位  2758勝2236敗 .552    -
中日ドラゴンズ   130試合59勝57敗14分 3位  2572勝2408敗 .516 179.0

1978年にタイガースが初めて最下位に沈んだ。負け数の球団ワーストは63年の70敗(69勝)だったのに、一気に更新した。カープが台頭してきたこの時期、両チームともに苦戦を強いられるようになる。

1980-1984年

【1980年】
阪神タイガース   130試合54勝66敗10分 5位  2812勝2302敗 .550    -
中日ドラゴンズ   130試合45勝76敗 9分 6位  2617勝2484敗 .513 188.5
【1981年】
阪神タイガース   130試合67勝58敗 5分 3位  2879勝2360敗 .550    -
中日ドラゴンズ   130試合58勝65敗 7分 5位  2675勝2549敗 .512 196.5
【1982年】
阪神タイガース   130試合65勝57敗 8分 3位  2944勝2417敗 .549    -
中日ドラゴンズ   130試合64勝47敗19分 優勝  2739勝2596敗 .513 192.0
【1983年】
阪神タイガース   130試合62勝63敗 5分 4位  3006勝2480敗 .548    -
中日ドラゴンズ   130試合54勝69敗 7分 5位  2793勝2665敗 .512 199.0
【1984年】
阪神タイガース   130試合53勝69敗 8分 4位  3059勝2549敗 .545    -
中日ドラゴンズ   130試合73勝49敗 8分 2位  2866勝2715敗 .514 179.0

1980年には2リーグ分立後3度目の最下位だったドラゴンズが2年後の82年、19引き分けのシーズン新記録(今でも最多記録)をつくって64勝で優勝した。2桁勝利は都裕次郎(16勝)1人だけ、30本塁打以上も宇野勝(30本)1人だけという不思議な優勝だった。1983年にタイガースが通算3000勝到達。

1985-1989年

【1985年】
阪神タイガース   130試合74勝49敗 7分 優勝  3133勝2598敗 .547    -
中日ドラゴンズ   130試合56勝61敗13分 5位  2922勝2775敗 .513 194.0
【1986年】
阪神タイガース   130試合60勝60敗10分 3位  3193勝2658敗 .546    -
中日ドラゴンズ   130試合54勝67敗 9分 5位  2976勝2842敗 .512 200.5
【1987年】
阪神タイガース   130試合41勝83敗 6分 6位  3234勝2741敗 .541    -
中日ドラゴンズ   130試合68勝51敗11分 2位  3044勝2893敗 .513 171.0
【1988年】
阪神タイガース   130試合51勝77敗 2分 6位  3285勝2818敗 .538    -
中日ドラゴンズ   130試合79勝46敗 5分 優勝  3123勝2939敗 .515 141.5
【1989年】
阪神タイガース   130試合54勝75敗 1分 5位  3339勝2893敗 .536    -
中日ドラゴンズ   130試合68勝59敗 3分 3位  3191勝2998敗 .516 126.5

ハレー彗星の接近(最接近は86/02/09)を控えた1985年、チーム防御率4位のタイガースはシーズン219本塁打の新記録をつくって、2リーグ分立後3度目の優勝を果たす。MVPはもちろんランディ・バースだ。日本シリーズでも西武ライオンズを退けた。

一方のドラゴンズは88年に4度目のセリーグ優勝、44セーブポイントの郭源治がMVPに輝いた。日本シリーズでは西武ライオンズに敗れた。

86年終了時には両チームの通算成績は200ゲーム差まで広がったが、タイガースは87年と88年に連続最下位。長期低迷を受けてこのあとは圧縮の一途を辿ることになる。

1990-1994年

【1990年】
阪神タイガース   130試合52勝78敗 0分 6位  3391勝2971敗 .533    -
中日ドラゴンズ   131試合62勝68敗 1分 4位  3253勝3066敗 .515 116.5
【1991年】
阪神タイガース   130試合48勝82敗 0分 6位  3439勝3053敗 .530    -
中日ドラゴンズ   131試合71勝59敗 1分 2位  3324勝3125敗 .515  93.5
【1992年】
阪神タイガース   132試合67勝63敗 2分 2位  3506勝3116敗 .529    -
中日ドラゴンズ   130試合60勝70敗 0分 6位  3384勝3195敗 .514 100.5
【1993年】
阪神タイガース   132試合63勝67敗 2分 4位  3569勝3183敗 .529    -
中日ドラゴンズ   132試合73勝57敗 2分 2位  3457勝3252敗 .515  90.5
【1994年】
阪神タイガース   130試合62勝68敗 0分 4位  3631勝3251敗 .528    -
中日ドラゴンズ   130試合69勝61敗 0分 2位  3526勝3313敗 .516  83.5

1990年と91年にタイガースが2年連続の最下位(91年で5回目)。92年にはドラゴンズが最下位(セ4回目)だったが、両チームの通算成績はとうとう100ゲーム差を切った。

1995-1999年

【1995年】
阪神タイガース   130試合46勝84敗 0分 6位  3677勝3335敗 .524    -
中日ドラゴンズ   130試合50勝80敗 0分 5位  3576勝3393敗 .513  79.5
【1996年】
阪神タイガース   130試合54勝76敗 0分 6位  3731勝3411敗 .522    -
中日ドラゴンズ   130試合72勝58敗 0分 2位  3648勝3451敗 .514  61.5
【1997年】
阪神タイガース   136試合62勝73敗 1分 5位  3793勝3484敗 .521    -
中日ドラゴンズ   136試合59勝76敗 1分 6位  3707勝3527敗 .512  64.5
【1998年】
阪神タイガース   135試合52勝83敗 0分 6位  3845勝3567敗 .519    -
中日ドラゴンズ   136試合75勝60敗 1分 2位  3782勝3587敗 .513  41.5
【1999年】
阪神タイガース   135試合55勝80敗 0分 6位  3900勝3647敗 .517    -
中日ドラゴンズ   135試合81勝54敗 0分 優勝  3863勝3641敗 .515  15.5

ドラゴンズは97年にセ5回目の最下位だったが、99年に5回目のリーグ優勝。19勝の野口茂樹がMVPに選ばれた。日本シリーズでは福岡ダイエーホークスに敗れた。

90年代後半のタイガースは最下位4回で5位が1度だけだ。99年終了時の通算成績は15.5ゲーム差になり、ついに射程圏に入った。

2000-2004年

▼ここまでの勝率は小数点4位を四捨五入していましたが、ここからは小数点5位以下を切り捨てています。

【2000年】
阪神タイガース   136試合57勝78敗 1分 6位  3957勝3725敗 .5151   -
中日ドラゴンズ   135試合70勝65敗 0分 2位  3933勝3706敗 .5148  2.5
【2001年】
阪神タイガース   140試合57勝80敗 3分 6位  4014勝3805敗 .5133  3.0
中日ドラゴンズ   140試合62勝74敗 4分 5位  3995勝3780敗 .5138    -
【2002年】
阪神タイガース   140試合66勝70敗 4分 4位  4080勝3875敗 .5128  6.5
中日ドラゴンズ   140試合69勝66敗 5分 3位  4064勝3846敗 .5137    -
【2003年】
阪神タイガース   140試合87勝51敗 2分 優勝  4167勝3926敗 .5148    -
中日ドラゴンズ   140試合73勝66敗 1分 2位  4137勝3912敗 .5139  8.0
【2004年】
阪神タイガース   138試合66勝70敗 2分 4位  4167勝3926敗 .5144  5.5
中日ドラゴンズ   138試合79勝56敗 3分 優勝  4216勝3968敗 .5151    -

タイガースが4年連続最下位に沈んだ2001年には、とうとう5毛差で逆転するが、試合数が多く引き分けの少ないタイガースが先に4000勝に到達した。03年にタイガースは4度目のリーグ優勝を果たして再逆転、翌04年はドラゴンズが6度目のリーグ優勝で再々逆転、熾烈なデッドヒートが展開されている。

2005-2007年

▼06年の勝率のみ小数点6位以下を切り捨ています。

【2005年】
阪神タイガース   146試合87勝54敗 5分 優勝  4320勝4050敗 .5161    -
中日ドラゴンズ   146試合79勝66敗 1分 2位  4295勝4034敗 .5156  4.5
【2006年】
阪神タイガース   146試合84勝58敗 4分 2位  4404勝4108敗 .51738   -
中日ドラゴンズ   146試合87勝54敗 5分 優勝  4382勝4088敗 .51735 1.0
【2007年】
阪神タイガース   144試合74勝66敗 4分 3位  4478勝4174敗 .5175  2.0
中日ドラゴンズ   144試合78勝64敗 2分 2位  4460勝4152敗 .5178   -

05年にタイガースが5度目のリーグ優勝でひっくり返せば、06年のドラゴンズは7度目のリーグ優勝でほんの3糸差に迫り、07年は3毛差ながらタイガースを上回った。どこまで続くか続かないのか、5000勝はどちらが先か、今後も楽しませてほしいものだ。


◆1946年のタイガースは「阪神」表記が一般的ですが、当サイトにおいては「大阪タイガース」を用いることにしました。→「表記規準(1946年は大阪タイガース)

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