◆ポジション別にコンバート先とコンバート元を示しました。ただし、集計に利用したCD−ROMには、数多くの疑義があります。このページに掲げた数値を盲信することは危険です。
◆このページは01年に作成したものです。文中で数名の選手のポジション別出場試合数を掲げていますが、いずれも00年まで(一部01年)のものであって、その後の出場実績や移籍先などは反映させていません。
◆また、「ベイスターズの内野陣」以下は、00/12/19に作成したものです。もともとは別のページでしたが、一部削除のうえ、このページに統合させました(05/01/30)。
『CDプロ野球人名事典2001』(森岡浩・編著、日外アソシエーツ・刊。以下、略して『人名事典』)というCD‐ROMがある。2800円だ。パッケージの裏側には、「プロ野球名鑑のMVPここに登場!」、「早い、見やすい、探しやすい、の走攻守をカバー」という惹句とともに、次のような【ご注意】が小さい字で書いてある。
◎本CDは、選手のプロフィール(経歴やエピソード)を主眼とした商品です。従って、プロ野球全般に関するあらゆる情報を、古今の全選手に渡ってまんべんなく網羅しているものではありません。あらかじめご了解ください。
この断り書きは正しい。別にだまされたと言いたいわけではない。2800円分の価値はある(と思う)。各選手の年度別成績が収録されているとは思っていなかったけれども、ちょっとどうかなあ、という項目がないわけではない。
たとえば、池山隆寛のポジションは「遊撃手」のみ、波留敏夫のポジションは「三塁手→外野手」になっている。『ベースボール・レコード・ブック』(ベースボール・マガジン社)によれば、池山と波留の守備記録上の出場試合数は、次のとおりだ(以下、ポジションごとの出場試合数を示した表はすべて同書による)。
| 池山隆寛 | 年 | 波留敏夫 | ||||||
| 一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | |
| − − − 1試合 − − − |
− − − − − − 19試合 |
− − 2試合 123試合 104試合 59試合 16試合 |
95試合 130試合 50試合 − 18試合 − − |
− − − − − − 8試合 |
94年 95年 96年 97年 98年 99年 00年 |
7試合 − − 1試合 − − − |
25試合 − − − − − − |
20試合 99試合 102試合 122試合 105試合 130試合 57試合 |
私なら池山は「遊撃手→三塁手」にするだろう。波留については「遊撃手・三塁手→外野手」が妥協できるギリギリの線だ。ショートを落として、たった8試合しか守っていないサードを入れるのはいかがなものだろう。それならいっそのこと「外野手」のみのほうがいい。
『人名事典』では、中村紀洋は「投手→三塁手」、大塚明は「投手→外野手」、小関竜也は「投手→外野手」、福浦和也は「投手→一塁手」になっている。たしかに4人とも高校時代はピッチャーだったけれども、プロではファームでの登板記録もない。
ルーキーだった92年の中村は内野手登録、94年の大塚も内野手登録、95年小関は外野手登録だ。福浦の場合は94年のルーキー・シーズンは投手登録であり、本人が「僕は投手としてプロに入って、1年目のシーズン途中に打者に転向しました」と語っている(『ベースボール・クリニック』02年5月号22ページ)。
『人名事典』の記載だけでは、プロに入ってしばらく投手をやっていたのか、入った直後から野手に転向したのか、さっぱりわからない。登録が基準なのか、実際に守備についたポジションが基準なのか、森岡氏の記憶によるものなのか、ちゃんと示してほしいものだ。もし、アマチュア時代から考えるのなら、波留は<遊撃手→外野手>が妥当だろう。
また、福浦に関しては、経歴のところに「97年二軍監督の山本功児の勧めで打者に転向して成功、同年初めて一軍に上がる」とある。私が調べたところによれば、福浦は96年のイースタンで、ファースト、レフト、指名打者、代打など野手として54試合に出場している。
福浦自身が語っているように、打者転向は97年ではなく、プロ入りした94年だ。ちなみに、94年当時、山本氏はファームのコーチだった。おそらく山本氏の勧めがあったのは事実なのであろうと思われる。ひょっとすると、「97年二軍監督に就任にした山本功児の勧めで…」と書きたかったのかもしれない。
そうだとすれば事実に合致することになるが、山本氏の「二軍」監督就任と福浦の「一軍」昇格が同じ年であることを示したところで、あまり役には立たない。福浦の項目である以上、福浦が何年に打者に転向して、何年に昇格したかを示すべきだろう。
ほかにもある。進藤達哉は「二塁手・三塁手」になっているが、進藤はセカンドよりショートが多い。
阿久根鋼吉は「遊撃手」だ。阿久根がショートの守備についたのは、00年の1試合だけで、ほかに00年はセカンドで3試合、99年はセカンド3試合とサード1試合だ。ファームでは内外野どこでも守っているが、NTT関東時代は主にセカンドを守っていた。プロでの実績とすれば、まだ「内野手」のみで十分だろう。
というわけで、ポジションに関しては大いに不満がある。まあ、それはそれとして、私には以前から狙っていたテーマがある。コンバートについて、一度徹底的に調べたかったのだ。CD‐ROM版は検索が容易だ(明らかな間違いを見つけても書き込みができないのがCD‐ROMの欠点でもあるが…)。多少の不備には目をつぶっても、利用する価値はあるだろう。
岡田彰布 二塁手→代打 代打・代走・指名打者は無視する
石井琢朗 投手→三塁手→遊撃手 「投→三」、「三→遊」をそれぞれ1回のコンバートと数える
柳田聖人 投手→二塁手、三塁手 「投→二」と「投→三」を0.5回のコンバートと数える
藤村富美男 三塁手、投手→一塁手 「三→一」と「投→一」を0.5回のコンバートと数える
高塚信幸 投手→内野手 「投→内」で独自集計
このような具合に、あるポジションからほかのポジションへのコンバートがどの程度あるのか、カウントしてみた。なお、前述のようにポジションに関して疑義のある事例はたくさんあるけれども、最近の選手はともかく、とくに戦前の選手に関する知識の持ち合わせがないので、あくまでも『人名事典』を尊重して集計した。
| 【投手】から【他のポジション】へ | 9.0 | 28.0 | 11.5 | 18.0 | 10.0 | 19.0 | 106.5 | 202.0 |
| コンバート元/コンバート先 | 捕手 | 一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | 内野 | 外野 | 合計 |
| 【他のポジション】から【投手】へ | 7.5 | 3.0 | 3.0 | 2.0 | 4.0 | 0 | 8.5 | 28.0 |
まずは投手だ。当たり前のことだが、投手の場合は、ほかのポジションにコンバートされることがあっても、ほかのポジションから投手にコンバートされることはまれだ。大幅な「輸出超過」になっている。
投手から野手への転向(プロ入り後)で、最近の成功例としては、石井琢朗や井上一樹、上田佳範のケースがあげられるだろう。まだ実績には欠けるが、島重宣もいる。
さすがにその逆となると、極端に数は少なくなる。最近では、イチローが4位指名されたときの2位指名だった萩原淳がプロ9年目で内野手から投手に転向して、そこそこの成績を残しているぐらいだ。
なお、1941年に8本塁打でホームラン王となった服部受弘(つぐひろ)は捕手だったが、1946年から投手としても登板するようになり、5年連続で2桁勝利をマークしている。1947年は防御率2位の1.81であり、1949年は24勝だ。
服部の場合は捕手から投手への純粋なコンバートではないけれども、野手で入って投手を兼ねるようになった珍しいケースだ。1951年からは投手としての登板が少なくなり、主に三塁を守っていたようだ。『人名事典』は「投手、捕手」としているけれど…。
| 【捕手】から【他のポジション】へ | 7.5 | 15.5 | 6.0 | 5.5 | 0.5 | 13.0 | 36.5 | 84.5 |
| コンバート元/コンバート先 | 投手 | 一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | 内野 | 外野 | 合計 |
| 【他のポジション】から【捕手】へ | 9.0 | 7.0 | 1.0 | 2.0 | 0 | 1.0 | 8.0 | 28.0 |
サードとのコンバートが意外に少ないが、キャッチャーもやはり人材供給源のポジションだ。最近では、関川浩一のように捕手としてもそれなりの実績を残した選手もいるし、小笠原道大、高木大成、木村拓也のように、比較的早めに転向した選手もいる。
当然、捕手への転向というケースは珍しく、『人名事典』によれば、最近では岡田耕司が「外野手→内野手→捕手」、中山光久が「投手→捕手」、織田淳也が「投手→捕手→投手」とある程度だ。ところが、これらにもいささか疑問があるのだ。
岡田は、たしかにキャッチャー登録されていたが、私の調べた範囲では、実際の試合には指名打者やサード、ファースト、外野などで出場している(90年のBu、91〜93年のD。細かく見たわけではない)。なお、岡田の経歴に「'91年中日に移籍し、'92年イースタンリーグで10本塁打を打った」とあるけれども、これはやはりウエスタンの誤りであろうと思われる。
中山に関しては、高校時代に投手だったというだけで、プロでは最初からキャッチャー登録だし、ファームでの登板実績もない。織田淳哉については、堀内恒夫氏が次のように語っている(織田淳太郎『捕手論』光文社新書149ページ)。
イースタンリーグで何試合かキャッチャーをやらせた。でも、ダメだったね。まずキャッチングに難があった。高校、大学とピッチャーばかりやってた奴だからね。ピッチャーのことだけでなく、いろんなことを考えながらボールを捕るというのが、難しかったのかもしれない。とにかく、急造で務まるほど、キャッチャーは簡単じゃないということよ。
▲蛇足のきわみですが、著者は「オダ」で、捕手に転向した選手は「オリタ」です。「淳」まで一緒ですから、まぎらわしいことこのうえない取り合わせです。
ほかに加藤進と土肥健二が「外野手→捕手」、高橋博士が「三塁手→捕手」になっている。ただ、ここらは純粋なコンバートというわけではないだろうから、1リーグ時代あるいは2リーグ分立初期を除けば、捕手への転向で成功例はないと言ってもいいのかもしれない。
| 【一塁】から【他のポジション】へ | 3.0 | 7.0 | 0 | 2.0 | 0 | 16.0 | 28.0 |
| コンバート元/コンバート先 | 投手 | 捕手 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | 合計 |
| 【他のポジション】から【一塁】へ | 28.0 | 15.5 | 5.0 | 12.0 | 4.5 | 24.0 | 89.0 |
ある意味で、ファーストとは行き止まりのポジションとも言える。ただ、そういうつもりで短絡的に見ていると痛い目にあうこともある。稲葉篤紀は大学時代、ファーストを守っていた。打撃は認めていたけれども、プロに行ってもポジションがないだろうと私は思っていた。
だいたいファーストの選手の肩を見る機会は、ほとんどない。外野からのカットに入るときは、一塁ベースより手前だ。せいぜい、走者一・二塁でファーストゴロ、二塁走者を三塁封殺するときのプレイぐらいだ。40m投げる機会さえめったにないポジションだから、肩が弱いからファーストなのだと決めつけてしまう。
ルーキーのときの95年、ライトに入っていた稲葉のバックホームを見て、私は自分の浅はかさに気づいた。ちなみに稲葉のポジションごとの出場試合は次のとおりだ。
| 年 | 一塁 | 外野 |
|
95年 96年 97年 98年 99年 00年 |
2試合 2試合 9試合 20試合 6試合 1試合 |
63試合 122試合 127試合 70試合 25試合 76試合 |
『人名事典』は「一塁手→外野手」としている。まあ、大学時代から考えるのなら、間違いではないだろう。
| 【二塁】から【他のポジション】へ | 3.0 | 1.0 | 5.0 | 2.0 | 2.0 | 21.5 | 34.5 |
| コンバート元/コンバート先 | 投手 | 捕手 | 一塁 | 三塁 | 遊撃 | 外野 | 合計 |
| 【他のポジション】から【二塁】へ | 11.5 | 6.0 | 0 | 14.0 | 38.0 | 7.0 | 76.5 |
私の中でのセカンドの位置づけからすると、こんなに大差がつくとは思わなかった。昔はその程度のポジションという認識しかなかったのだろうか。セカンドからサードへのコンバートはもっとあってもいいように思う。
ところで、小久保裕紀について「三塁手→二塁手」になっているけれども、これは逆ではないかと思われる。小久保のポジションごとの出場試合数は次のとおりだ。小久保は大学時代には主にショートを守っていた。
| 年 | 一塁 | 二塁 | 三塁 | 外野 |
|
94年 95年 96年 97年 98年 99年 00年 |
− − 1試合 21試合 6試合 72試合 1試合 |
9試合 130試合 123試合 106試合 − − − |
15試合 − 5試合 11試合 15試合 59試合 119試合 |
51試合 1試合 − − − − − |
| 【三塁】から【他のポジション】へ | 2.0 | 2.0 | 12.0 | 14.0 | 5.0 | 27.5 | 62.5 |
| コンバート元/コンバート先 | 投手 | 捕手 | 一塁 | 二塁 | 遊撃 | 外野 | 合計 |
| 【他のポジション】から【三塁】へ | 18.0 | 5.5 | 2.0 | 2.0 | 24.0 | 9.0 | 60.5 |
トータルすると、ほぼイーブンだが、行き先は一塁か二塁、あるいは外野に限られる。サードからセカンドへのコンバートは、今の野球ではちょっと厳しいかもしれない。サードからセカンドへのコンバート14例のうち、小久保以外の13例は70年代以前のことだ。
| 【遊撃】から【他のポジション】へ | 4.0 | 0 | 4.5 | 38.0 | 24.0 | 20.0 | 90.5 |
| コンバート元/コンバート先 | 投手 | 捕手 | 一塁 | 二塁 | 三塁 | 外野 | 合計 |
| 【他のポジション】から【遊撃】へ | 10.0 | 0.5 | 0 | 2.0 | 5.0 | 2.5 | 20.0 |
ショートがこなせる選手なら、バッテリー以外はどこでもできる。というより、「生涯一ショート」という選手のほうがむしろ珍しいのではないだろうか。晩年はやはり、負担の少ないポジションに移ることが多いと思われる。したがって、「輸出超過」のポジションとなる。
98年から99年にかけて、ドラゴンズはショートの選手をかき集めた。もともと種田仁、鳥越裕介、神野純一らがいるところへ、久慈照嘉と南渕時高をトレードで獲得して、さらに新外国人選手として李鐘範も入った。翌年は福留孝介だ。
だが、ショートというポジションは融通がきくから、別に困らないのだ。同じ頃、ファーストの選手を集めた球団もあった。すでに見たようにファーストから移れるポジションはかなり限られる。サードやレフトで起用するにしても、清水の舞台から飛び降りる覚悟が必要かもしれない(「キヨミズ」であって、「シミズ」の話ではない)。
別にいまさら権威づける必要もないだろうが、『週刊朝日』01年8月15日増刊「甲子園」で横浜高校の小倉清一郎部長は次のように述べている(107ページ)。小倉氏は「高校野球では」と限定しているけれども、高校に限らず普遍的真理とさえ言えるかもしれない。
試合前の相手のシートノックは必ず見ます。このノックこそが、相手の戦力分析に欠かせない情報の宝庫なのです。
まず内野の球回しでだいたいの守備力はわかります。ポジションでは、とくにショートの動きをしっかり見ます。高校野球では守備のもっとも上手な選手がショートを守る。つまりショートがチームのレベルを代表しているのです。ポイントは三塁方向、二塁方向への足の運び、肩の強さなどです。
ショートはセンターとともに足が要求される。ライト同様に肩も必要なポジションだ。高校野球を見に行ったとき、バッテリー以外で真っ先に注目するのはショートだ(私は1→2→6→8の順に見る)。ショートを守っていて1番、3番、4番だったりすると、2〜3年後に「再会」できる可能性はかなり高い。これは経験則だ。
| 【内野】から【他のポジション】へ | 0 | 1.0 | 6.0 | 7.0 |
| コンバート元/コンバート先 | 投手 | 捕手 | 外野 | 合計 |
| 【他のポジション】から【内野】へ | 19.0 | 13.0 | 5.0 | 37.0 |
「内野手」でくくられてしまうのは、レギュラー・ポジションをとれなかった選手だ。
| 【外野】から【他のポジション】へ | 8.5 | 8.0 | 24.0 | 7.0 | 9.0 | 2.5 | 5.0 | 64.0 |
| コンバート元/コンバート先 | 投手 | 捕手 | 一塁 | 二塁 | 三塁 | 遊撃 | 内野 | 合計 |
| 【他のポジション】から【外野】へ | 106.5 | 36.5 | 16.0 | 21.5 | 27.5 | 20.0 | 6.0 | 234.0 |
外野がダメなら、ファーストしかないということになりそうだが、チーム事情が優先するコンバートもある。外野からセカンドに回ったはずのサブローの場合はそのクチだと思われるのだが、どうも最近は外野に戻っているようだ。
ベイスターズのスタメン内野手をポジションごとに調べてみた(91年から00年までの10年間)。表の数字はスタメン試合数を示す。
| ファースト | 91年 | 92年 | 93年 | 94年 | 95年 | 96年 | 97年 | 98年 | 99年 | 00年 |
| パチョレック 大野 雄次 田代 富雄 清水 義之 長内 孝 シーツ 宮里 太 白幡 隆宗 畠山 準 高木 豊 駒田 徳広 高橋 真裕 川端 一彰 ローズ 佐伯 貴弘 |
105 24 1 1 − − − − − − − − − − − |
− − − 3 53 29 16 1 29 − − − − − − |
− − − − 1 − 1 − 2 126 − − − − − |
− − − − − − − − − − 130 − − − − |
− − − − − − − − − − 129 1 − − − |
− − − − − − − − 7 − 123 − − − − |
− − − − − − − − 3 − 127 − 5 − − |
− − − − − − − − − − 136 − − − − |
− − − − − − − − − − 129 − − 1 5 |
− − − − − − − − − − 79 − − − 57 |
92年の一塁にはシーツが予定されていた。5月に入るとシーツはレフトに回り、カープから移籍してきた長内を軸にして畠山や宮里との併用となった。翌93年はローズが入団、セカンドの高木が一塁に押し出された。94年には駒田がFA移籍し、以後はすっかり固定されたポジションになった。
| セカンド | 91年 | 92年 | 93年 | 94年 | 95年 | 96年 | 97年 | 98年 | 99年 | 00年 |
| 高木 豊 高橋 真裕 永池 恭男 ローズ 進藤 達哉 川端 一彰 万永 貴司 新井 潔 宮川 一彦 |
131 − − − − − − − − |
130 1 − − − − − − − |
− − 2 128 − − − − − |
− 1 − 129 − − − − − |
− − − 130 − − − − − |
− 3 3 88 28 3 2 − − |
− − 1 129 2 1 1 1 − |
− − − 123 8 − 4 − 1 |
− − − 133 2 − − − − |
− − − 135 1 − − − − |
変動の少ないポジションのように見えるが、96年にはセカンドのローズをサードに、サードの石井(琢)をショートに、ショートの進藤をセカンドに、という内野のコンバートがあった。結局、進藤のリタイアでローズは元の鞘に納まった。
| サード | 91年 | 92年 | 93年 | 94年 | 95年 | 96年 | 97年 | 98年 | 99年 | 00年 |
| 清水 義之 大野 雄次 銚子 利夫 田代 富雄 宮川 一彦 堀江 賢治 石井 琢朗 進藤 達哉 高橋 真裕 高木 豊 波留 敏夫 永池 恭男 ローズ 川端 一彰 紀田 彰一 新井 潔 セルビー 万永 貴司 石井 義人 ポゾ 金城 龍彦 福本 誠 メローニ |
126 2 1 1 1 − − − − − − − − − − − − − − − − − − |
79 − − − 2 14 35 1 − − − − − − − − − − − − − − − |
− − − − − 8 104 − 14 04 − − − − − − − − − − − − − |
− − − − − − 123 − 2 − 3 2 − − − − − − − − − − − |
− − − − − − 120 − 6 − − 4 − − − − − − − − − − − |
− − − − 18 − − 29 7 − − 6 36 32 2 − − − − − − − − |
− − − − 2 − − 104 − − − − − 3 − 6 14 2 4 − − − − |
− − − − − − − 102 − − − − − 8 − 2 − 24 − − − − − |
− − − − − − − 79 − − − − − − − − − − − 53 2 1 − |
− − − − − − − 27 − − − − − − − − − − 10 − 80 − 19 |
96年のコンバートで一番ワリを食ったのは進藤だろうと思われる。故障が癒えて戻ってみれば、元のショートには石井がいて、コンバートされたはずのセカンドにはローズがいた。
行き場を失ったあげくにサードに回されるが、97年にはセルビー、99年はポゾ、00年はメローニと外国人選手とのポジション争いを強いられ、とうとう金城の台頭でポジションを奪われて、チームを去った。
| ショート | 91年 | 92年 | 93年 | 94年 | 95年 | 96年 | 97年 | 98年 | 99年 | 00年 |
| 藤野 正剛 銚子 利夫 堀江 賢治 高橋 真裕 進藤 達哉 石井 琢朗 永池 恭男 万永 貴司 波留 敏夫 新井 潔 |
12 4 45 64 6 − − − − − |
− − 6 3 96 26 − − − − |
− − 1 − 117 9 3 − − − |
− − 2 2 76 3 19 5 23 − |
− − − 3 114 − 3 10 − − |
− − − 1 1 128 − − − − |
− − − − − 130 1 − − 3 |
− − − − 1 133 − 2 − − |
− − − − 4 129 − 2 − − |
− − − − 2 135 − − − − |
石井琢朗の野手転向は92年だ。91年にはファームでも野手としての出場はない。偵察要員としての起用が1度あるだけで守備にはついていない。投手としての最後の登板は91年9月12日の対S戦であり、先発して2回5失点で敗戦投手になっている。
『ベースボール・クリニック』02年7月号によれば、石井は「自ら志願して野手に転向した」(23ページ)そうだが、野手としての練習を始めたのは、どんなに早くても91年の9月中旬ということになるはずだ。
ところが、野手・石井の「1軍」デビューは実質的な転向1年目の92年4月だった。私は4月17日の試合結果を伝える新聞を見て驚いた。実は私は91年に投手としての石井を何試合か見ているのだ。野手転向は知っていたし、ファームで使われていることも知っていたけれども、まさか4月中に昇格するとは思っていなかった。
| スタメン ショート |
数−安 | 対 | 月/日 | 対 | ファームの スタメン |
数−安 |
| 2番・進藤 2番・進藤 2番・進藤 2番・高橋 2番・高橋 2番・進藤 2番・堀江 2番・堀江 2番・堀江 8番・堀江 7番・石井 |
4−0 5−2 3−0 2−0 2−0 3−1 3−1 5−0 2−0 3−1 5−2 |
D D C C C G G T T T S |
04/04 04/05 04/07 04/08 04/09 04/11 04/12 04/14 04/15 04/16 04/17 |
M − L L − − − F F − − |
6番・藤野 − 2番・石井 2番・石井 − − − 1番・石井 1番・高橋 − − |
3−1 − 5−2 3−2 − − − 3−1 5−0 − − |
このように、石井はファーム3試合で11打数5安打(開幕のM戦は出場機会なし)だった。一方、「1軍」のショートはなかなか固定されなかった。そういう事情もあったのだろうが、石井はすぐに昇格して結果も残した。転向からわずか半年でのデビューだから、よほどオフに練習していたに違いない。
もっとも、さすがに難しいポジションだけに、いきなりショートを任せるには至らなかったということだろう。92年にレギュラー定着を果たしたのは進藤だった。結局、92年の石井はファームで見ることのほうが多かった。同年オフには清水がライオンズにトレードされたので、石井は翌93年から空白になったサードのポジションを埋めることになる。
石井は96年のコンバートでショートに移った。サードからショートへの転向は珍しいが、石井はもともとショートとして育てられたのであって、サードは仮住まいにすぎなかった。
▲91年から00年までは、『ベースボール・レコード・ブック』を頼りに拾いあげました。いわゆる「偵察要員」での起用はスタメンにカウントしていません。具体例は次のとおりです。
94/07/25 対C16回戦 【三中】波留 【遊三】石井 投 野村 投 大家 代打 佐伯 投 スコット 代打 秋元 【二】 ローズ 【右】 ブラッグス 【中左】畠山 【一】 駒田 【左】 五十嵐 遊 進藤 【投】 岡本透 代打 高橋 投 森山 打三 永池
▲この試合は、ベイスターズの後攻でした。つまり、1回表は守備から始まります。7番の五十嵐が「偵察要員」ですから、スタメン・ショートは進藤、スタメン・サードは石井としてカウントしています。波留はスタメン・センターであり、畠山はスタメン・レフトという解釈です。同書のテーブルだけでは判断不能のケースもないわけではありませんので、スタメン試合数に関しては厳密なものではないことをお断りします。
◆社会人野球における「打順とポジションの親和力」を調べたページもあります。興味のある方はどうぞ。
◆高校野球については「下級生向きのポジション」のページで、下級生のときにレギュラーだった選手が翌年どのポジションに回ったか調べてあります。まあ、この場合は、「コンバート」と言うより「欠員補充」になりますが…。
◆次のページ(「ショートというポジション」)では、ショートに焦点を絞りました。
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