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イントロダクション

00/12/06作成
13/12/19更新

◆社会人野球基礎講座です。社会人野球は一般的にはなじみの薄い世界です。いきなり次ページ以降を読んでもわからないことが多いはずですので、ここで「解説」します。なお、きわめて主観的な「解説」ですから、必ずしも初心者向けではない部分もあります。中級者以上の方にも刺激的な内容になっているはずです(むしろ刺激的すぎるかもしれません)。


東京スポニチ大会

社会人野球は3月初めに公式戦が始まる。3月下旬のセンバツ、3月下旬または4月上旬のプロ野球、一部では3月下旬、おおむね4月上旬の大学野球にくらべて、3〜5週間早く開幕するわけだ。これが「全国社会人野球東京スポニチ大会」である。

『スポニチ』または『毎日』は「東京スポニチ大会」あるいは単に「スポニチ大会」と呼ぶが、他社は「社会人野球東京大会」あるいは「東京大会」と呼ぶようだ。私は「スポニチ大会」と呼ぶことに慣れている。

さて、スポニチ大会が開催される球場のスタンドでは、「あけましておめでとうございます」の挨拶が交わされる。最初のうちは、「なんだそれは。もう3月だぞ」と思っていたけれども、やがて私も違和感なくそういう世界に浸っていることに気づいた。球場ではよく見かけるし話もしたことはあるのだが、名前も知らないしそれ以上のつきあいはない、という人も少なくないからだ。

とくに社会人の場合、固定ファンの比率が著しく高い。スポニチ大会では準々決勝まで2球場併用なので、こっちで見かけないなら、あっちに行ったに決まっている。なかには、第1試合のときに西武球場にいたのに、途中で姿を消してしまう人もいる。あとで聞くと、川崎球場の第3試合に行ったらしい。

トーナメントでおこなわれるスポニチ大会は正式な予選はないが、地区によっては前年の成績で出場チームを決めているようだ。1回戦では原則として関東勢対非関東勢のカードが組まれている。この原則はほかの大会でもほぼ厳格に貫かれてように見受けられる。たとえば、00年の広島大会は16チーム参加で、1回戦はすべて広島勢対非広島勢の対戦になっている。

なお、スポニチ大会の開催時期は3月だが、ルーキーが登場するのはプロ野球と変わらない。給料が支払われているのかどうか心配する向きもあるようだが、無給ということはあるまい。

◆スポニチ大会については、「遠来のお客様たち」のページをどうぞ。

毎日新聞社と日本野球連盟

社会人野球の統括組織は財団法人日本野球連盟と言う。「主たる事務所」(一般法人の「本店」に当たる)の所在地は、東京都千代田区一ツ橋1−1−1だ(07年4月に同区内の別のビルに移転)。これは毎日新聞東京本社と同じ住所だ。地区連盟も毎日新聞社の各本社や支局内にあることが多い。

社会人野球の軸になる大会は後述するように都市対抗だが、この都市対抗大会は毎日新聞社が生んで育てた。連盟の前身である「日本社会人野球協会」の発足より、都市対抗の歴史のほうが長い。社会人野球の主要な大会に関しては、ごく一部の例外を除き毎日新聞社が主催あるいは後援している。

社会人野球のことを知りたければ、『毎日』またはその系列である『スポニチ』を読むしかない。他紙とは扱いが決定的に違うからだ。とくに都市対抗のときなど、『毎日』は見開きで扱うが、他紙はベタ記事同然ということも多い。もっとも、昔の縮刷版をめくってみると、他紙でも今より扱いは大きい。いずれにせよ、都市対抗や日本選手権の各地方予選をフォローしようとするなら、新聞では『毎日』以外にはない。

◆野球界またはその周辺に棲息する人種が「社会人野球」と言うとき、それは硬式野球のことです。ライト工業とか佐川急便とかの軟式野球部は、財団法人全日本軟式野球連盟に加盟しているはずです(おそらく)。また、実際には「社会人」のチームだけでなく専門学校のチームもあります。

◇都市対抗の補強制度

例年7月末(02年から8月末)に開催されるのが、社会人野球最大のイベントである都市対抗だ(連盟と毎日が主催)。都市対抗の予選は、基本的にはトーナメントだが、敗者復活戦も組み込まれており、地区によってはリーグ戦(併用)の場合もある。しかし、都市対抗の都市対抗たるゆえんは「補強制度」にあると言っていい。

たとえば、00年の南関東(千葉・埼玉・山梨)第1代表は川崎製鉄千葉だった。川鉄千葉は、南関東予選で負けた埼玉の本田技研から投手1人と野手3人、同じく埼玉の日本通運から投手1人を「補強」して本大会に臨んだ。このように同一地区の予選敗退チームから最大5人まで選手を「補強」できるという独特の制度が都市対抗にはある。

高校野球で言えば、大阪大会を勝ち抜いたPL学園に、上宮や大阪桐蔭や関西創価から選手が加わるわけだから、なじみのない人には違和感の強い制度だろう。実際、即席チームで内外野のフォーメーション・プレイができるわけがないという根強い批判もある。せっかく予選を突破したのに、補強選手にポジションを譲らねばならない選手が出るのは気の毒だという心情的な異論もよく聞く。

だが、私は一定の支持をしたいと思っている。補強される選手の中には、単独チームではまず都市対抗には出られない弱小チームの選手もいる(実際にはきわめて少ないが…)。彼らが強豪チームの中に入れば、たとえ試合には出られずベンチにいるだけでも得るものはあるはずだ。

期間は短いかもしれないけれども、補強先のチームに帯同して練習するわけだから、自分のチームに持ち帰る「お土産」はあるだろう。その結果として、地域全体の底上げが実現することもあるかもしれない。有効活用されるなら、プラスに働く制度だと私は思っている。

もっとも、前述の川鉄千葉の場合、埼玉のチームである本田や日通から補強しているのだから、厳密な意味での「都市」の代表による「対抗」ではないことは明らかだ。沖縄の選手が長崎のチームに補強されたり、長野の選手が富山のチームに補強されたりもする。だから「オール千葉」とか「オール広島」とかいう「都市」の代表なのではなく、実態としてはもっと広範囲の「地域」の代表になる。

◆1987年以降の全補強選手は、「補強選手一覧」のページをどうぞ。

◇社会人野球の歴史

1878(明治11)年の新橋アスレチックスが、日本における社会人野球のルーツと言っていいのかもしれない。現存する古参チームとしては、1907(明治40)年の函館太洋倶楽部、1914(大正3)年の石巻日和倶楽部、1915(大正4)年の桂クラブ、その翌年の新潟コンマーシャル倶楽部などがある。水沢駒形野球倶楽部も1921(大正10)年の発足だ。

企業チームでは、1909(明治42)年の札幌鉄道管理局(現JR北海道)、1918(大正7)年の長崎と神戸の三菱勢(長崎には1914年説あり)、やや遅れて、仙台、門司、東京、名古屋などの国鉄(JR)勢、1924(大正13)年に八幡製鉄(新日鉄八幡)が、相次いで創部しているようだ。

▲札幌が最古とは限りません。念のため。

1918年には全国実業団大会が開かれているようだが、参加したのは古河本社、三菱造船、阪神電鉄、増田屋の4チームらしいので、「全国」とは名ばかりかもしれない。いずれにせよ、当時、これらの企業チームやクラブチームをひっくるめた形での全国組織はなかったようだ。

このような環境の中で生まれたのが都市対抗ということになる。『都市対抗野球大会60年史』(日本野球連盟・毎日新聞社発行)をもとに、同大会の年表を作成してみた。

1927年第1回大会:8月3日、神宮球場で「全日本都市対抗野球大会」として開催。開幕試合の球審は小西得郎氏。参加12チームは予選なしの推薦出場。
1928年第2回大会:13チーム。一部地区で実質的な「予選」がおこなわれる。
1929年第3回大会:14チーム。
1930年第4回大会:15チーム。
1932年第6回大会:16チーム。
1933年第7回大会:個人表彰制度始まる(最優秀賞、本塁打賞、打撃賞、生還打賞)。
1935年第9回大会:名称を現在の「都市対抗野球大会」に。予選制度始まる
1936年第10回大会:「都市対抗野球連盟」発足。記念大会で20チーム。最高殊勲選手賞を「橋戸賞」に。門鉄が企業チームとして初V。
1937年第11回大会:予選を通過した大連・満州倶楽部と全京城が「欠場」して14チーム。
1938年第12回大会:舞台を後楽園球場へ。16チーム。
1939年第13回大会:大連・満州倶楽部と奉天・満鉄倶楽部が「出場辞退」して14チーム。
1940年第14回大会:16チーム。
1941年第15回大会:17代表決定後、「集会禁止令」発令。大会は中止に。
1942年第16回大会:16チーム。「銃後国民の志気高揚につながる」らしく、戦時下ながら開催。
1946年第17回大会:3位決定戦始まる。勧業銀行が「野球くじ」を発売。
1947年第18回大会:19チーム。前年Vの大日本土木が推薦出場。敢闘賞に当たる「久慈賞」制定。
1948年第19回大会:20チーム。
1949年第20回大会:「日本社会人野球協会」が発足。毎日新聞社との共催へ。
1950年第21回大会:19チーム。プロ野球2リーグ分立に伴い、100名以上がプロ入りし、「補強制度」が始まる。
1951年第22回大会:20チーム。
1952年第23回大会:19チーム。全鐘紡が3連覇。京都クラブ対杵島炭鉱戦が史上初のナイトゲームに。
1953年第24回大会:20チーム。
1954年第25回大会:25チーム。
1956年第27回大会:「小野賞」新設。
1959年第30回大会:30チーム。
1960年第31回大会:25チーム。
1962年第33回大会:連覇の日石は5試合とも完封勝ち、ニッポンビール対電電近畿戦は延長22回、5時間27分。
1963年第34回大会:前年優勝チームの推薦出場制度が復活(この間の推薦出場は18〜20、22、24〜26、30の各大会。21回は星野組が解散、23回は全鐘紡が推薦を辞退、おそらく27回で廃止。30回は記念大会で一時的に復活)。応援団コンクール始まる。
1964年第35回大会:32チーム。東京オリンピック記念?大会。
1965年第36回大会:30チーム。
1966年第37回大会:31チーム。
1967年第38回大会:3位決定戦がこの年の電電東京対日立製作所戦を最後に廃止。
1969年第40回大会:36チーム。
1970年第41回大会:31チーム。
1971年第42回大会:32チーム。
1972年第43回大会:沖縄本土復帰を記念して、オール那覇が「招待」参加。
1973年第44回大会:新人選手を対象にした「若獅子賞」新設。
1975年第46回大会:電電関東の高卒ルーキーで投手の丹利男が、橋戸賞・若獅子賞・打撃賞を受賞。首位打者も投手の加藤英美(大昭和北海道、14打数5安打)。
1976年第47回大会:31チーム。後楽園球場が人工芝に。マスコットガール登場。
1977年第48回大会:32チーム。得点差によるコールド規定採用(初適用は50回の日本楽器対日鉱佐賀関)。
1979年第50回大会:金属バット採用。記念大会増枠なし。
1980年第51回大会:世界アマチュア選手権(8月・後楽園)のため、11月開催。
1982年第53回大会:住友金属が79年春夏連覇の箕島高バッテリー(石井毅−島田宗彦)で初V。
1987年第58回大会:鈴木政明(旧姓・山根、大昭和→ヤマハ発動機→プリンス)が20年連続出場。
1988年第59回大会:東京ドームで初開催。ドーム人気で総入場者数76万3000人。
1989年第60回大会:指名打者制採用
1992年第63回大会:バルセロナ五輪(7月下旬〜)のため、8月下旬の開催。
1996年第67回大会:前年優勝チームの推薦出場は、この年の日石を最後に廃止。アトランタ五輪(7月下旬〜)のため、8月下旬の開催。
2001年第72回大会:「飛ばない」金属バット採用もまるで効果なし。
2002年第73回大会:28チームで8月下旬の開催。木製バットに戻る。
2003年第74回大会:以後、32チームで8月下旬の開催。

◆第1回からの「チーム別通算成績」を示したページもあります。

◇02年都市対抗のサスペンデッド規定

02年の都市対抗では、延長15回または4時間経過でサスペンデッド、当日の最終試合終了後に継続試合をおこなう旨の特別規定が設けられていた。幸いにも適用されたケースはなかったけれども、この規定はいったい誰のために設けられたものなのだろうか。

高校野球が延長15回引き分け再試合制に踏み切ったのは、選手の健康管理という大義名分があったはずだ。15回で打ち切って翌日に再試合では、かえって負担が増すと思われるが、試合が炎天下でおこなわれることや、高校生の体力を考慮するなら、何らかの制限があってしかるべきだろう。

都市対抗は空調設備の整った東京ドームで開かれている。まして、社会人選手の体力を気遣う必要があるだろうか。そんな半端な鍛え方なら、さっさと負けてもらって構わない。もし、9:00開始の第1試合がサスペンデッドになれば、13:00には打ち切られることになる。その後、どんなにスムーズに進行しても、第4試合が終わるのは22:00だろう。

いったん休憩して、10時間後に再開しようという世にも不思議なルールには、1つだけメリットがある。第1試合がサスペンデッドになった場合、第2試合以降に動員された観客は、それ以上待たされずに済むのだ。私の想像力ではほかの理由が思いつかない(まさか応援団の健康管理ではないだろう)。もし、そうだとすれば、大会主催者がどこに顔を向けているのか、よくわかる規定と言えそうだ。

◇03年都市対抗のタイブレーク規定

都市対抗のサスペンデッド規定は、03年には廃止された。当たり前だ。その代わりに導入されたのが「タイブレーク」だ。日本野球連盟のWebサイト中「タイ・ブレーク方式の採用について」によれば、次のような「提案説明」がなされている。

http://www.jaba.or.jp/kouhou/info_6_19_1.html

 都市対抗は、社会人野球最大のイベントであり、本来のルールで最後まで試合をすべきとの考え方は十分理解するが、選手と一体となり大会を盛り上げ、試合をサポートしている各チーム(社)応援団や遠方より東京ドームまで足を運んでくれた観客の心情からすると何としてもサスペンデッドゲームは避けなければならない。予備日を想定出来ないため、引き分け再試合も不可能である。
 また、東京近郊のチームに限らず、全国各地の代表チームにおかれても多数の観客動員に理解と協力を頂いており、なおさら、続行試合や再試合への対応を求めることは多大な手間と労力を要するばかりか、経費増大やファン離れの要因となりかねない。
 従って、ある程度の延長は本来のルールに則り試合を行うが、それ以降については従来の考え方を改め、得点が入り易い状態で攻撃を開始する特別規則(タイ・ブレーク)の適用を行うこととした。

正体がはっきりと見えている。社会人野球とは、あくまでも野球チームを持つ企業のためのものなのだ。したがって、動員をかける応援団には最大限配慮しなければならないもののようだ。

ここでいう「ファン離れ」とは何を意味するのだろうか。動員される応援団にとって、よその会社の試合などどうでもいいことだろう。彼らにとって、サスペンデッドは「避けなければならない」ものだ。決まった時間に始まり、決まった時間に終わってくれるのが一番いい。

「ファン」とは、応援団であり、企業関係者なのだ。身内ばかりに目を向けている以上、社会人野球の衰退は止まらない。なぜなら、彼らはそのチームが休部・廃部になれば、足を運ばなくなる「ファン」だからだ。再び、同ページから引用しよう。

http://www.jaba.or.jp/kouhou/info_6_19_1.html

 都市対抗においては、チームと応援団は一体である。
 サスペンデットゲームに対する応援団の負担は極めて大きく、直ちに改善すべきであり、現場で指揮をとる監督、コーチ、そして、選手各位にも理解をいただきたい。

サスペンデッド廃止の理由は、応援団への配慮であり、グラウンドでプレイする選手への配慮ではないのだ。これが都市対抗、ひいては社会人野球の本質であると言っていいだろう。都市対抗野球大会とは「企業対抗演芸大会」の別称である。

◆タイブレーク導入を否定するつもりはありませんが、記録法には大いに異議があります。なお、タイブレークは04年から各種大会でも制度化されています。

◇DH制と金属バット

社会人野球ではDH制が採用されている。また、金属バットの使用は、都市対抗では79年の第50回大会から01年まで認められていた。金属バット導入前の3年間と、金属バット導入直後の3年間、それに99年から04年までの6年間について、平均得点などをまとめてみた。

金属バットの影響
年/大会 総得点 試合数 1試合チーム
平均得点
完封
試合
2桁得点
チーム
木製 76年/第47回大会 176 31 2.84 12
77年/第48回大会 145 31 2.34 15
78年/第49回大会 198 32 3.09
金属
(初期)
79年/第50回大会 254 33 3.85
80年/第51回大会 272 31 4.39
81年/第52回大会 269 32 4.20
金属
(末期)
99年/第70回大会 360 31 5.81
00年/第71回大会 336 31 5.42
01年/第72回大会 395 31 6.37 11
木製 02年/第73回大会 163 27 3.02
03年/第74回大会 233 31 3.76
04年/第75回大会 214 31 3.45

このように、くっきりと色分けできる。金属バット導入当初はまだマシだったようだが、金属に慣れてくるにつれて、とても野球とは思えないようなスコアの試合も数多く見られた。なにしろ、00年のスポニチ大会では、12点差からの逆転勝ちという試合すらあったのだ。

こんな調子だから、社会人野球にセーフティー・リードはないと言ってもよかった。序盤の1点や2点はリードのうちには入らない。たとえば3回を終えてスコアが6対5なら、まだまだ軽いジャブの応酬ぐらいに考えていないと身が持たない、そんな世界だった。

狭い球場で、フォアボール、フォアボール、ホームランというシーンを見せつけられると、席を立って帰りたくなることもよくあったのだ。まあ、忍耐力を養うにはちょうどよかったのかもしれない。なお、02年以降もクラブチームのみが参加する大会では例外的に金属バットの使用が認められている。

応援団コンクール

都市対抗には応援団コンクールがある。ふざけた話だ。コンクールであり、表彰もしている以上、審査員もいる。主催者がグラウンドではなく、応援席を見ていることになる。「応援団コンクール」の発想は、おそらく連盟ではなく主催新聞社のほうから湧いて出たに違いない。連盟にはグラウンドの選手こそが主役であるという矜持があるはずだからだ(ないかもしれないが…)。

都市対抗がおこなわれる東京ドームでブラスバンドが入るのは内野席だ。プロ野球のように外野席で応援するわけではないし、甲子園のアルプススタンドのように外野席寄りで演奏するわけでもない。高校や大学やプロの場合、応援は攻撃中のみという黙示または明示の了解事項があるはずだが、社会人野球にそんなタブーはない。自分のチームが守備のときでもお構いなしだ。

至近距離の両サイドでやっているから、打球音も聞こえない。選手交代を告げる場内アナウンスさえ聞き取れない。彼(彼女)らは彼(彼女)らなりに、その日のために練習してきたのだろう。彼(彼女)らにとっても晴れ舞台なのかもしれない。だから、別に応援が悪いと言うつもりはない。せめて、自分のチームの攻撃中に限定してほしいと切に願っている。まあ、私は耳栓で「防衛」しているけれども…。

都市対抗では動員をかけてわんさと応援に来るくせに、普通の試合ではまず来ない。都市対抗(予選)のスタンドはいたってのどかだ。ただし、JRだけはこうした大会でも応援が多い。東日本だけでなく、東海、西日本、九州も目立って応援が多い。

あるWebサイト(掲示板)で、当該企業(非JR)の社員を名乗る人物から都市対抗の応援強制は鬱陶しいとの発言があるのを見かけたこともある。それが「サイレント・マジョリティ」だと言いたいわけではない。そうかもしれないし、そうではないかもしれない。

ただ、この発言者の企業は、ある年の予選のとき、わざわざネット裏まで来て、応援席で応援するようにと拡声器で呼びかけていた。うるさいところに近寄りたくないからネット裏にいるのだ。そこまで拡声器を持ち込なくていいのに…。ちなみに、そのチームは第2試合の出場予定チームだった。彼がネット裏で拡声器を使ったのは、第1試合の9回表が終わった直後だ。

9回裏の攻撃が始まっても、彼は呼びかけをやめなかった。たしかに点差は開いていた。客観的に見て逆転は難しい状況だった。だが、何もよそ様の試合中にやらなくてもいいだろう。失敬な話だ。外でチーム券を配るときに念を押せばいいのだ。試合が終わってから、思う存分呼びかければよい。まあ、彼らにとっては社内運動会の延長なのかもしれない。

マスコットガール

もう1つ、社会人野球だけで制度化されているのがマスコットガールだ。プロの場合は興行なのだから、球団独自に「ファイヤー・ガール」でも何でもつくればいい。それで新たなファン層を獲得できると思うのなら勝手にやればいい。

だが、すくなくとも野球機構やリーグが音頭をとって、各球団に設置を義務づけたりはしていない。ネッピーやトラッキーのようなマスコット・キャラクターにしても、自然発生的に各球団に広まったものだと私は理解している。

なにしろ「マスコット」と言うぐらいだから、実質的な役割は何もない。「野球は男がやるもの、女はベンチの隅にいて、ホームランを打ったら出迎えに行け」、要するにそういうことらしい。なんと時代錯誤の貧弱な発想なのだろう。私は相撲協会ではないから、女はベンチに入るなとは言わない。

だが、ベンチに入る以上はバット引きぐらいやったらどうだろう。地方の大会では、球審にボールを届けている場面を見たことあるが、都市対抗では得点が入ったときにヘルメットを投げてパフォーマンスするのが関の山だ(95年のJR東日本東北)。

マスコットガールは20世紀限りの遺物にしてほしいと私は思っていたのだが、もう少し時間がかかりそうだ。ただし、00年以降の都市対抗パンフには、マスコットガールを紹介するスペースは消えている。なお、都市対抗で採用されたのは1976年第47回大会からだ。

公認大会と準公認大会

都市対抗の予選は早いところでは4月下旬に始まるが、本格化するのは6月だ。3月下旬からその地区の中での春季大会がある。4月から5月にかけては、各地で「公認大会」と「準公認大会」が開かれる。00年までの「全国大会」が01年から「公認大会」に、これまでの「地方大会」は「準公認大会」へと名称を変えた。従来の呼称は紛らわしかった。

「全国大会」と言っても予選があるわけではない。各地で予選があるのは都市対抗と後述する日本選手権、それにクラブ選手権だけだ。だから「地方大会」と言っても、「全国大会」の予選ではないのだ。高校野球ファンなら間違いなく混乱する呼称だった。

日本野球連盟は全国9つの地区連盟を傘下に抱えている。この地区連盟が主催する大会が「全国大会→公認大会」であり、地区連盟の下の都道府県連盟(または協会)が主催する大会が「地方大会→準公認大会」となったはずだった。ところが、02年になると、この定義は覆されてしまったようだ。

無定見にコロコロ変えられたのでは、正直なところつきあいきれない。04年現在、「旧公認大会」「旧準公認大会」という呼称が用いられ、今では両者ともに「JABA公式大会」と呼ばれている。02年の場合、「公認大会」は8大会開かれ、16〜24チームが参加している。スポニチ大会を除く7大会とも開催時期は4月と5月だった。

これらの「公認大会」と主な「準公認大会」は、従来トーナメントでおこなわれていた(北海道大会ではリーグ戦方式を一部採用していた時期があった)。北海道のチームがわざわざ岡山まで行って、1回戦で負けて帰ってくるというコストの高い遠征を平然とやっていた時期があったわけだ。

04年の場合、高砂、長野、日立、広島、高山の各大会で「予選リーグ→決勝トーナメント」のシステムが採用されている。

日本選手権

都市対抗には補強制度があるので(1950年の第21回大会から採用)、補強選手の活躍によって優勝が左右されるという側面もある。単独チームの日本一を決めるのが、例年10月中旬(03年から11月下旬)に大阪ドームでおこなわれる日本選手権大会だ(連盟と毎日が主催)。

都市対抗同様に地区予選があるが、代表枠も異なり、予選の地区割りを含めて都市対抗とは差異がある。

都市対抗と日本選手権の地区別出場枠
年/大会 北海道 東北 関東 東海 北信越 近畿 中国 四国 九州
00都市対抗 10 沖縄1 32
01都市対抗 10 32
02都市対抗 28
03都市対抗 10 32
04都市対抗 10 32
05都市対抗 10 32
06都市対抗 10 前年優勝(神奈川)に+1 32
07都市対抗 10 前年優勝(東北)に+1 32
00日本選手権 26
01〜05日本選手権 26
06日本選手権 都市対抗優勝チーム
クラブ選手権優勝チーム
28
07日本選手権 11大会優勝チーム
(JR九州の重複分は九州に+1)
32

▲都市対抗の予選は、実際にはより細分化されています。03年の場合、北関東(群馬、栃木、茨城)1位、南関東(千葉、埼玉、山梨)の1位と2位、東京の1〜3位、神奈川の1位と2位の計8チームのほか、各地区次点の4チームにより残りの2つを埋めました。04年は、北関東が2代表で固定され、南関東3位、東京4位、神奈川3位の3チームで残り1枠を争いました。近畿でも同様の措置が講じられています。

どうやら、都市対抗にも日本選手権にも「開催地優遇の原則」があるようだ。まあ、単純に遠征宿泊費の問題とも思われる。実際、日本選手権の関東予選などでは、不自然な?負け方をするチームもある(ように思える)。日本選手権の関東枠を増やせという議論もあるけれど、そんなことをしたら、出たくないチームが出場を強いられてしまう。出たいチームが少ないから、いびつな出場枠になっているのだ。

「夏秋連続出場」が少ないことから考えて、日本選手権ではモチベーションの上がらないチームがあるはずです。まあ、どことは言いませんが…。

◇企業チームとクラブチーム

一口に社会人野球のチームと言っても、松下や東芝などのような企業チームばかりではない。これらの企業チームでは、午前中に会社に出て、午後から練習というところが多い(もちろん例外もある)。これに対して、クラブチームは勤務先がバラバラだ(なかには学生もいる)。専用グラウンドもないチームも多いから、どうしても全体練習は週末のみになってしまう。

企業チームの相次ぐ撤退は、長引く不況が原因だと思っている人も多いようだが、企業がアマチュア・スポーツから撤退するのは不況のせいではなく、これが自然な成り行きだからだ。つい最近まで社会人野球チームを持っていた企業の中には経営破綻したところも数社あるし、まだ野球部を抱えている余裕があるのか心配したくなる企業さえある。

道楽で野球チームを抱えている企業など消えてなくなって当然なのだ。いまだにファンの中にさえ大いなる誤解があるようだが、企業が野球部を持つのは宣伝効果が目的ではない。家電メーカーや自動車メーカーなら話は別だろうが、私たち一般のエンドユーザーは、たとえば鉄鋼メーカーとは直接関係がない。

○○はクレーム処理が悪いようだから△△のパソコンを買うという人はいるかもしれない。だが、鉄鋼メーカーが総会屋への利益供与事件を起こしたからといって、その企業の不買運動などできない。だとすれば、すくなくとも鉄鋼メーカーに関しては宣伝目的で野球部を持っているわけではない。

また、東京ガスや大阪ガスや東邦ガスは地域独占企業だ。東京ガスのファンだから、ガスを余分に使おうという話には(たぶん)ならない。宣伝効果を考えるなら、もっと有効な方法はいくらでもある。もし、宣伝目的で野球部を抱えている企業があるなら、そんな企業は企業自体が淘汰されるだろう。

社会人の場合、関東と関西に強豪チームが集中している。高校と違って、四国や中国はたいしたことはない。都市対抗と日本選手権の優勝チームを地区ごとに見ると次のようになる(07年日本選手権まで)。

都市対抗と日本選手権の地区別優勝回数
北海道 東北 関東 北信越 東海 近畿 中国 四国 九州 外地
東京 神奈川
都市対抗 11 22 11 15 76(中止が1回)
日本選手権 14 33

まあ、企業チーム主体のうちはこの傾向が続くものと思われる。企業対抗である限り、有力チームが大都市に集中するのは避けられない。

◇企業メセナ

企業にとっての野球部は、初期の頃は一般社員に対する娯楽の提供という側面もあったのかもしれない。しかし、それ以上に大きいのは、応援で動員をかけることでわかるように、社員の一体感の醸成とか会社に対する忠誠心の要求とか、そういうところに本当の意図があるのだ。

現に、日産のカルロス・ゴーン氏は、01年都市対抗パンフのインタビュー記事で「企業がスポーツチームを持ったり、スポンサードする意味は、社員の帰属意識やモチベーションを向上させるためです」と明言している(9ページ)。これはこれで正しい認識だと思われる。

そして、企業と社員との関係がドライになれば、企業が野球部を持つ意味は軽くなる。だから、景気が回復しても企業チームの先細りは避けられないことだと覚悟したほうがいい。ゴーン氏はまた、企業がスポーツチームを持つことについて、企業メセナとしての意味を認めながらも「第一義ではありません」と否定している(10ページ)。

彼の認識は、経営者としてはおそらく正しい。だが、「社員のモチベーションを向上させることが何よりも大事」なことなのだとすれば、当該(関連)企業の社員以外にとっては、社会人野球などどうでもいいことだろう。

誰が好きこのんで、よその企業のチームを応援するものか(まあ、いなくはないけれど…)。一般から見捨てられ、身内だけの大会にしかならないのはそういう理由がある。企業チームによって支えられた社会人野球の限界なのだ。


◆都市対抗と日本選手権の地区別優勝回数は、05/07/17付で削除した「東北に黒獅子旗を!」のページから移記したものです。

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