◆91年から97年まで、私はその年にライブで見た試合を対象にして、MVPやベストナインを選んでいました。トレーバーは初代MVPです。
私は91年のMVPにトレーバーを選んだ。私が見た試合でのトレーバーの打撃成績は、オープン戦や練習試合を含めて52打数11安打8打点3本塁打だった。この数字だけなら、4番打者の成績としてはあまりにももの足りない。
| 月日 | 種 | 球場 | 打順 | 位置 | 相手 | 投手 | 回 | スコア | アウト走者 | カウント | 結果 |
| 91/03/24 オープン戦 神宮 |
5番 指名打者 |
S | 川崎 | 1表 | 0対0 | 1死満塁 | ? | 二ゴ(打点1) | |||
| 3表 | 1対1 | 2死1塁 | ? | 三邪 | |||||||
| 6表 | 2対1 | 無死(なし) | ? | 二ゴ | |||||||
| バートサス | 8表 | 2対2 | 1死(なし) | ? | 遊ゴ | ||||||
| 91/03/24 練習試合 神 宮 |
5番 指名打者 |
S | バートサス | 1表 | 0対0 | 2死2・3塁 | ? | 三安(打点1) | |||
| 伊東 | 4表 | 1対1 | 無死(なし) | ? | 中飛 | ||||||
| 91/04/14 パリーグ 川崎 |
3番 ファースト |
O | 荘 | 1表 | 0対0 | 2死(なし) | ? | 中飛 | |||
| 4表 | 0対2 | 無死(なし) | ? | 二ゴ | |||||||
| 6表 | 0対2 | 1死(なし) | ? | 二ゴ | |||||||
| 9表 | 0対5 | 無死(なし) | ? | 遊ゴ | |||||||
| 91/06/04 パリーグ 西武 |
代打 ファースト |
L | 渡辺智 | 6表 | 2対3 | 2死1・3塁 | 2−1 | 一ゴ | |||
| 9表 | 2対7 | 無死(なし) | 1−2 | 左飛 | |||||||
| 91/06/18 パリーグ 東京ド |
3番 ファースト |
F | 松浦 | 1表 | 0対0 | 1死1塁 | 2−3 | 右安 | |||
| 3表 | 2対3 | 無死(なし) | 0−0 | 一ゴ | |||||||
| 5表 | 2対3 | 2死1塁 | 1−2 | 一ゴ | |||||||
| 小島 | 8表 | 4対7 | 無死(なし) | 0−0 | 遊飛 | ||||||
| 91/07/16 パリーグ 西武 |
4番 ファースト |
L | 渡辺智 | 2表 | 0対0 | 無死(なし) | 1−0 | 左邪 | |||
| 3表 | 0対2 | 1死2・3塁 | 0−1 | 左犠(打点1) | |||||||
| 横田 | 4表 | 2対2 | 2死満塁 | 2−2 | 三振 | ||||||
| 7表 | 2対2 | 無死(なし) | 2−1 | 二ゴ | |||||||
| 高橋 | 8表 | 5対2 | 1死1・3塁 | 1−0 | 一ゴ | ||||||
| 91/07/17 パリーグ 西武 |
4番 ファースト |
L | 郭 | 2表 | 0対0 | 無死(なし) | 1−0 | 右安 | |||
| 4表 | 1対0 | 1死(なし) | 0−0 | 中飛 | |||||||
| 7表 | 1対1 | 無死(なし) | 1−1 | 右本(打点1) | |||||||
| 鹿取 | 9表 | 2対1 | 1死(なし) | 2−2 | 三邪 | ||||||
| 91/08/07 パリーグ 西武 |
4番 ファースト |
L | 渡辺智 | 2表 | 0対3 | 無死(なし) | 2−1 | 一安 | |||
| 4表 | 0対5 | 1死(なし) | 2−1 | 中飛 | |||||||
| 7表 | 0対6 | 無死(なし) | 1−1 | 右安 | |||||||
| 9表 | 0対6 | 1死(なし) | 0−0 | 一ゴ | |||||||
| 91/08/10 パリーグ 藤井寺 |
4番 ファースト |
H | 本原 | 1ウ | 1対0 | 1死1塁 | 1−1 | 右本(打点2) | |||
| 2ウ | 7対0 | 1死(なし) | 2−2 | 中安 | |||||||
| 足利 | 5ウ | 7対1 | 1死(なし) | 2−1 | 一ゴ | ||||||
| 井上 | 7ウ | 8対2 | 無死(なし) | 1−1 | 左飛 | ||||||
| 91/08/13 パリーグ 東京ド |
4番 ファースト |
F | 酒井 | 1表 | 0対0 | 1死1・2塁 | 2−3 | 一ゴ | |||
| 3表 | 1対0 | 1死1塁 | 0−0 | 中飛 | |||||||
| 5表 | 1対1 | 1死(なし) | 1−1 | 中2 | |||||||
| 6表 | 3対1 | 2死(なし) | 0−1 | 一ゴ | |||||||
| 白井康 | 8表 | 4対1 | 1死1・2塁 | 2−2 | 一直 | ||||||
| 武田 | 10表 | 6対4 | 1死2・3塁 | 0−3 | 敬遠 | ||||||
| 91/08/14 パリーグ 東京ド |
4番 ファースト |
F | 角 | 1表 | 0対0 | 1死1・2塁 | 2−3 | 三邪 | |||
| 2表 | 1対0 | 2死満塁 | 2−1 | 三ゴ | |||||||
| 5表 | 2対0 | 無死2塁 | 0−0 | 三ギ…日本で唯一の犠打 | |||||||
| 松浦 | 7表 | 3対1 | 無死1塁 | 1−3 | 四球 | ||||||
| 西村 | 8表 | 5対1 | 1死1塁 | 2−0 | 左飛 | ||||||
| 91/09/22 パリーグ 西武 |
4番 ファースト |
L | 工藤 | 2表 | 0対0 | 無死(なし) | 2−2 | 中飛 | |||
| 3表 | 2対0 | 1死1塁 | 2−1 | 三ゴ…3球目に一走が二盗 | |||||||
| 5表 | 2対2 | 1死(なし) | 1−0 | 三ゴ | |||||||
| 8表 | 2対2 | 1死(なし) | 1−1 | 遊飛 | |||||||
| 鹿取 | 9表 | 3対2 | 2死2・3塁 | 0−2 | 左飛…敬遠のボールを打つ | ||||||
| 91/09/23 パリーグ 西武 |
4番 ファースト |
L | 石井 | 2表 | 0対0 | 無死(なし) | 0−1 | 右飛 | |||
| 4表 | 2対0 | 無死(なし) | 0−1 | 投ゴ | |||||||
| 横田 | 6表 | 3対3 | 無死2塁 | 0−0 | 右2(打点1)三盗も | ||||||
| 渡辺智 | 8表 | 4対3 | 無死(なし) | 1−1 | 右本(打点1) | ||||||
| 10表 | 5対5 | 1死2塁 | 0−3 | 敬遠 | |||||||
| 91/09/29 パリーグ 川崎 |
4番 ファースト |
O | 今野 | 2表 | 0対0 | 無死(なし) | 0−1 | 右飛 | |||
| 5表 | 0対2 | 無死(なし) | 2−1 | 三振 | |||||||
| 7表 | 0対3 | 2死(なし) | 0−0 | 二ゴ | |||||||
もちろん、選んだ以上はそれなりの理由がちゃんとある。7月17日、同率首位に並ぶライオンズとの16回戦(西武)で、トレーバーは7回表に勝ち越しのソロアーチを放った。その裏二死満塁のピンチに石毛宏典の打球がピッチャー・小野和義の足を直撃した。
ボールを拾ったトレーバーは一塁ベースにダイビング・タッチを見せた。当時の選手名鑑によれば、トレーバーの体重は96キロだ。まあ、選手名鑑の身長や体重は公式発表される観衆の数と同じぐらいにあてにならないのが相場だが、念のために91年の名鑑を調べておこう。トレーバーより重いのは、次の8人だ。
| バートサス シュルジー カンセコ 矢作 ブーマー デストラーデ ディアズ 大順 |
(S) (BW) (Bu) (F) (BW) (L) (O) (O) |
110キロ 104キロ 101キロ 100キロ 100キロ 99キロ 99キロ 98キロ |
トレーバーは当時のプロ野球選手の中で体重では9番目だ。いずれにせよ、巨漢であることには変わりはない。そのトレーバーが跳んだ。「宙を舞う」というよりベースに落ちた。「大地を揺るがすド迫力」とはこのことだ。
バファローズは満塁のピンチをしのいで、このゲームに競り勝った。野茂英雄の日本プロ野球での生涯成績に刻まれた唯一のセーブは、この試合での出来事だった。
1.5ゲーム差を追う9月22日の対ライオンズ25回戦では、敬遠のボールの3球目を打った(レフトフライ)。私が見た試合で、敬遠のボールを打ったのはトレーバーが初めてであり、その後誰1人としていない。
翌日の対ライオンズ最終戦では自ら勝ち越しタイムリー二塁打を放ったあとの二死二塁で、石井浩郎の4球目に三盗を決めた。ヘッド・スライディングだった。
新庄が敬遠のボールを打ったときは、あらかじめコーチに打っていいかどうか聞いていたそうだけれども、おそらくトレーバーは自らの判断のみで打ったのだろうし、三盗を試みたときもサインではなかったはずだ。
ほかにも、ファウルフライを追ってフェンスに激突したり、一塁への小飛球をワンバウンドで処理して併殺を狙ってみたりというプレイもあった。結果には結びつかなかったけれども、ほかの日本人の選手以上に優勝への意欲が伝わってくるプレイを何度も見せてくれた。
上の表をつくりながらあることを発見した。91年8月14日の三塁前の犠打は、トレーバーが在籍2年(90年と91年)で記録した唯一の犠打である。純粋な送りバントではないけれども、野茂のセーブといい、こういう記録が一番嬉しい。2000本安打の2000本目を見ても、2000本全部を見たわけではないからだ。
ところで、打者がセーフティバント気味にバントして、走者を進めただけに終わった場合(無死二塁が一死三塁になったような場合)に、「犠打」を記録するべきなのかという質問があった。たしかに、『公認野球規則』には次のような記載がある。
07年版 『公認野球規則』10・09
(d)打者がバントをしたとき、1人または数人の走者を進めるためでなく、安打を得るためであったことが明らかであったと記録員が判断したときには、打者には犠牲バントを記録しないで、打数を記録する。
【付記】 本項の適用にあたって疑義のあるときは、常に打者に有利に扱う。
ただし、日本のプロ野球には、この10・09(d)は適用しないとの取り決めがあるようだ。安打狙いかどうかという打者の意図を外見で判断するのは困難だからだろう。結局、打者がバントして、走者が進塁すれば、「犠打」を記録することになる。
アマチュアの場合は定かではないが、東京六大学でも同様のケースで「犠打」が記録されているので、一般的には安打狙いかどうかという打者の意図を考慮する必要はないと思われる。
▲08年から、プロ野球に限り大差の場面では犠打が記録されないことになりました。→「3代目んだ」(守備側無関心)
▲当サイトにおける「犠打」とは「犠牲バント」のことであり、「犠牲フライ」は含みません。→「あまり野球に詳しくない方のために」
トレーバーは在籍2年で退場が3回ある。
| 年月日 | カード | 理由 |
| 90/04/28 | 対B4回戦 | 小寺球審のストライク判定に激怒 |
| 90/08/26 | 対B22回戦 | 林球審のストライク判定に対する侮辱行為 |
| 91/05/19 | 対M6回戦 | 園川から死球を受けて、2度の乱闘を起こす |
秋田での3回目の退場劇は、今でもトレーバーの名前をWeb上にとどめている。
◆事実誤認、数値の誤り、変換ミス、リンク切れ等にお気づきの際は、お手数ですが「3代目んだ」(ジム・トレーバー)または「メールのページ」からご一報いただけると幸いです。
★08/01/07校正チェック済、ケなし、順OK
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