トカラ列島・中之島は「7島の中ほど」なのか?

◆2020/11/09付で「トカラ列島7島では北から2番目の中之島」と題したページを公開しましたが、加筆でボリュームが増しましたので、従来のページを「年間日照時間が全国最少のトカラ列島・中之島」に改題したうえで、地理関係をこのページに集約しました。

「中ほど」という謎ワード

Wikipedia「中之島 (鹿児島県)」のページには、トカラ列島・中之島の由来について次のように記載されています。

島名は七島の中ほどにある島であるということに由来している

Wikipedia「中之島(鹿児島県)」(2020/11/08閲覧)

ここで言う「七島」とはトカラ列島のうち、十島村(としまむら)に属する7つの有人島を指すものと思われます。下の地図では青マーカーの7島になります。このうち中之島は北から2番目です。ちょっと「中ほど」は受け入れられません。

トカラ列島周辺(地理院タイルを加工)

「中ほど」のワードにこだわるなら、単純に九州本土と奄美大島の「中ほど」です。もっと言えば、大隅半島-屋久島-奄美大島を結ぶ線に並行する薩摩半島-赤マーカー3島-トカラ列島の「中ほど」が十島村最大の島・中之島になります。

トカラ列島とその周辺の島々

人口 面積  町村
58人黒島15.39km2三島村
124人硫黄島11.62km2三島村
187人竹島4.22km2三島村
107人口永良部島35.81km2屋久島町(←上屋久町)
67人口之島13.33km2十島村、野生の牛
0人臥蛇島4.05km2十島村、1970年まで有人島
86人中之島34.42km2十島村、御岳は標高979m
38人諏訪之瀬島27.61km2十島村、火山活動中
45人平島2.08km2十島村
39人悪石島7.49km2十島村、マムシの南限
33人小宝島0.98km2十島村、ハブの北限
69人宝島7.07km2十島村
0人横当島2.75km2十島村、ヤギが野生化
▲トカラ列島周辺の島

【外部リンク】
■三島村>三島村の人口(令和5年1月1日現在)
■屋久島町>屋久島町行政区別世帯数・人口表(令和5年1月1日現在)
■十島村>広報としま 2023年1月(20ページに1/1現在の人口が掲載)
■国土地理院>令和4年全国都道府県市区町村別面積調(10月1日時点)
(※小宝島の面積は十島村Webサイトによる)

かつて臥蛇島(がじゃじま)は有人島でした。その時代には、小宝島を宝島とワンセットにして「七島」扱いしていたようです。Wikiの「七島」が昔の七島なのだとすると、中之島は緯度的には北から3番目に繰り上がります。ただ、その場合でも「中ほど」は辛いところです。

十島村(じっとうそん)

上の表に掲げた13島のうち口永良部島は別枠です。もともと口永良部島村でしたが、1889年の町村制施行の際、屋久島北部の7村と合併して上屋久村となります。1958年に上屋久町、2007年に上屋久町が屋久町と合併して今は屋久島町です。

戦前の十島村(じっとうそん)は、今の三島村(みしまむら)と十島村(としまむら)を合わせた10島(11島)で構成されていました。太平洋戦争後、口之島から南の島々はアメリカの占領下に入ります。十島村(じっとうそん)は、現・三島村の3島とトカラ列島の7島(8島)に分断されたわけです。

1952年のトカラ列島返還還時、占領を免れた3島は十島村(じっとうそん)を捨てて三島村になり、返還された7島(8島)は十島村(としまむら)となります。字面としては同じ「十島村」ですが、昔と今では読みが異なるだけでなく村域も異なります。奄美群島の復帰は翌1953年です。

赤3島プラス青7島の枠組みの中では、中之島は紛れもなく「中ほど」です。Wikiの「中ほど」は角川地名辞典を出典にしているようです。表意が「七島の中ほど」だったとしても、真意は「十島の中ほど」だった可能性があるわけです。

十島村の7島にはそれぞれ小中学校がありますが、駐在所は中之島だけです。看護師常駐の診療所は各島に設置されていますが、医師がいるのは中之島だけです。郵便局または簡易郵便局が唯一の金融機関です。

十島村役場による中之島の動画です。空撮動画の冒頭はトカラ馬牧場です。もちろん中之島にコンビニはありません。なにしろ、Google Mapには「コカ・コーラ自動販売機」が表示されているほどです。

信号機もありませんし、救急車もありません。ガソリンスタンドもありませんので、ドラム缶購入になるそうです。港に着いたドラム缶を自宅まで運ばなければならないのだとしたら、自家用車は軽トラに落ち着きそうです。

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