退場する長老、新キングメーカーを射止めた岸田氏

2024自民党総裁選

9月27日の自民党総裁選で石破茂氏が新総裁に選出されました。

2024自民党総裁選

1回目の党員票は1票差ながら高市氏が1位でした。高市氏は議員票でも2位で、下馬評よりずいぶん多めです。態度未定だった参議院安倍派票がある程度は上乗せされることは予想できましたが、70票台は多すぎます。

1回目の議員票が少なかったのは小林鷹之氏、河野太郎氏、加藤勝信氏です。とりわけ加藤氏の場合は推薦人20人に満たない16票です。加藤氏の推薦人には安倍派が4人、麻生派が1人含まれていました。

決選投票における高市氏の得票は173票でした。安倍派+麻生派+茂木派で約190人です。これに小林氏ら二階派の半分が乗れば楽々200超となるはずですが、そうならなかったのはやはり石破氏以上に高市氏への抵抗が大きかったものと思われます。自民党は土壇場で鵺としての本領を発揮した形になりました。

次は総選挙になります。疑似政権交代で支持率を上げてその勢いで総選挙になだれ込むパターンは前回と同一だとしても、若干の差異があります。前回2021年総裁選は衆院任期が迫っている中で行われました。

今回は衆院任期がまだ1年あるうえに茂木氏が幹事長在職のまま総裁選に参戦したため、必ずしも総選挙の準備が整っているわけではありません。内閣支持率は上がるのでしょうが、新キングメーカーは岸田氏です。

幹事長は戦前生まれの森山裕総務会長が有力視されます。今回の最大のテーマは刷新感だったはずなのに、よりによって79歳の総務会長が幹事長に昇格して、再選出馬しなかった岸田氏が麻生氏の立場につくわけです。

高市氏をどう処遇するかというのも難題です。野田氏と枝野氏はそれなりの票差がつきましたが、石破氏と高市氏の票差はあまりにも接近しています。

石破、高市、野田の3氏が揃っていた新進党

立憲の選対委員長は大串博志氏が留任でしたが、実質的には小沢氏が取り仕切ることになりそうです。小沢氏は43歳で自治大臣として初入閣しています。以後、党首歴や幹事長歴は長いものの初入閣が最後の入閣です。三井銀行を辞めた石破氏が田中派事務局に勤務していた時代のことです。

1993年6月、野党が宮沢内閣不信任決議案を提出します。自民党から造反が出て決議案は採択され、解散総選挙に突入します。造反した小沢氏は羽田氏らとともに新生党を結成、同じく不信任案に賛成した石破氏は公認が与えられず最後の中選挙区制選挙を無所属でトップ当選します。

石破氏の経歴を調べてみましたが、わからなかったのが自民党離党、新生党入党、新進党離党の時期です。単独行動しがちなタイプにありがちなことかもしれません。

自民党離党1993年7月総選挙は無所属出馬(党籍あり)
当選後、同年中に離党
新生党入党1994年12月に新進党結成で消滅
新進党離党1996年10月総選挙は無所属出馬
▲石破氏の移籍時期

石破氏は1993年中に自民党を離党し、院内会派「改革の会」を経て、新生党に参加したのは1994年のようです。新生党は1994年12月に日本新党や公明党などとともに新進党を結党します。

野田佳彦氏は日本新党で1993年総選挙を初当選しており、高市早苗氏も同年総選挙が初当選です(無所属)。高市氏は柿澤自由党から自由改革連合を経て新進党結党に参加しています。小沢幹事長の下に、石破、高市、野田の3氏が揃っています。

高市氏は1996年総選挙に新進党公認で当選した直後、新進党を離党して翌月には(ちゃっかり?)自民党に入党しています。石破氏は遅くとも選挙前には離党しており、自民党に復党したのは1997年3月です。新進党を離党したのは1995年かもしれませせん。

小沢氏と石破氏

小沢氏と石破氏の経歴は次のとおりです。

1942小沢小沢佐重喜(衆10期、入閣5回)の長男
1957石破石破二朗(知事4期、参2期、入閣1回)の長男
1967小沢慶応大経済学部を卒業
1969小沢田中角栄幹事長の下で岩手2区で初当選
1979石破慶応大法学部を卒業
1982小沢自民党総務局長(当時は選対委員長ポストなし)に就任
1983小沢衆院議院運営委員長に就任
石破三井銀行退行、田中派(木曜クラブ)事務局に勤務
1985小沢中曽根内閣で自治大臣として初入閣
1986石破鳥取全県区で初当選(小沢は7期目)、中曽根派に所属
1987小沢竹下登や金丸信らとともに「経世会」結成、官房副長官
1988石破鳩山由紀夫や武村正義らとともに「ユートピア政治研究会」結成
1989小沢自民党幹事長に就任
1993小沢新生党を結党して代表幹事に就任、8党派の細川連立政権
石破宮沢内閣不信任案に賛成。無所属で3選後、自民党を離党
1994小沢「国民福祉税」構想が頓挫、新進党幹事長
1995小沢新進党党首に就任
1996小沢小選挙区導入、岩手4区で10期目の当選
石破鳥取1区から無所属で4選
1997石破自民党に復党
1998小沢自由党を結党、党首就任
1999小沢自由党が自民党と連立(小渕内閣)
2000小沢連立解消、自由党から保守党が分裂
2002石破防衛庁長官で初入閣
2003小沢自由党が民主党と合併
2006小沢民主党代表選に勝利
2007小沢参議院で民主党が第1党に
2008石破福田康夫首相辞任に伴う自民党総裁選に初出馬(当選は麻生)
2009石破自民党政調会長に就任
2011小沢陸山会事件で強制起訴(のちに無罪)、党員資格停止
2012小沢消費税増税をめぐって離党
石破自民党総裁選に2度目の出馬(当選は安倍)、幹事長就任
2013小沢生活の党代表に就任
2016小沢「生活の党と山本太郎となかまたち」が自由党に党名変更
2017小沢区割り変更に伴い岩手3区から17選
2018石破自民党総裁選に3度目の挑戦(当選は安倍)
2019小沢国民民主党に合流
2020小沢合流新党「立憲民主党」に参加
2020石破自民党総裁選に4度目の挑戦(当選は岸田)
2021小沢小選挙区で落選して比例復活
▲小沢氏と石破氏

石破氏は幹事長として2012年総選挙で政権奪還を果たし、2013年参院選ではねじれを解消した実績があります。それもこれも小沢氏が民主党を割ったからだと言えないわけでもありません。

「昔の名前」の野田氏が立憲の新代表となり、「最後の挑戦」の石破氏が新総裁に就任しました。自民長老の麻生氏は求心力を喪失して、菅氏や森氏も勝ったとは言えません。今後の主役は82歳の立憲長老に引き継がれることになるのかもしれません。

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