輪島市塚田川の土石流、流されなかった家のブロック塀

ブロック塀がブロックした?

輪島市久手川町の塚田川流域で数棟の建物が流出し、女子中学生を含む4人が行方不明(うち1人発見=死亡)の事故現場はこんな感じです。

輪島市久手川町(地理院タイルを加工)

右手が上流です。ニュースでは4棟が流されたと言っていますが、道路より南の住戸4棟という意味だと思われます。救出作業の空撮映像では✕印の建物がありません。◯印とその下流の木造家屋2棟は残っています。

青線は道路と市営団地を結ぶ人道橋です。道路より高くなっているのがミソです。道路の左は流された家屋群、右が残った建物になります。車の辺りで標高36mほどです。

市営住宅への人道橋

人道橋に流木がひっかかってダムを形成したものと思われます。橋でせき止められた土石流は左の家屋を襲います。おそらくは流木が窓や壁に穴を開け、そこから建物内に土石流が流れ込んだというストーリーなのでしょう。

残った川沿いの家は幸いにもブロック塀で囲まれていました。橋にできたダムで流量が抑えられ、ブロック塀が文字どおりブロック機能を果たしたものと思われます。救出作業の映像では川沿いの地盤がえぐられていますが、ブロック塀は残っています。

残った家屋

非情な土砂災害

人道橋から200mほど下流には次のような看板が設置されています。ここは「地すべり防止区域」に指定されているのでした。

地すべり防止区域

一次避難場所に指定されているのは輪島高校の稲舟校舎です。直線距離なら500mだとしても、そこまで行くには海側から回り込まなければなりません。現実的な緊急避難先は市営住宅です。

市営住宅

市営住宅はやや高台にあります。避難所ではありませんので施設内の集会所は施錠されているでしょうが、4棟それぞれ一般的な4階建ての団地です。軒先を借りて雨だけはしのげます。土石流の発生が予見されていれば市営住宅に避難できたでしょう。

中学生が異変に気づいたときはもう道路を土石流が流れています。外に出ることができない状態です。唯一の逃げ道は南の裏山ですが、どうも裏山も削られて倒木が発生しているように見受けられます。できたことは靴を履いておくことぐらいです。

冒頭の空中写真に示した黄色▲地点は標高40mほどです。「通り抜け出来ません」看板があります。ここから先の上流部は川と道路が並走します。

通り抜けできません

上流は無事なのか?

石川県が発表しているほかの行方不明者の住所は久手川町池田や久手川町古込です。久出川町堂山の500mほど上流部になります。

久手川町池田

角にある木造建物です。プロパンが見当たりませんので、居宅ではなく作業場的な用途なのだと思われます。手前の木の根元には瓦が積み重ねられ、壁には廃材が立てかけられています。これは今月撮影のストビュー画像です。この付近で標高60mほどです。

地震後

地震前の2014年のストビューです。おそらく元日の地震で手前の物置的な付属建物が倒壊したのでしょう。処分されることなく積み残された瓦礫は、今回の土石流で下流に流されてしまったに違いありません。

地震前

さらに上流には砂防ダムがあるのかもしれません。あるいは倒木による天然のダム的なものができていたかもしれません。優先順位としてそこに手をつけるほどの余裕が行政にはなかったはずです。

中屋トンネル

数棟が流された久出川町堂山付近で土石流の発生を予見することは難しかったものと思われます。両親も中学生だけ残して避難目的で外出していたはずがありません。

一方、ちょっと不可解な気がするのが中屋トンネルです。翌日10数人が救出された(2人死亡)ということですが、3連休に災害レベルの雨が降ることは前夜からわかっていました。被害は懸念されていたことです。

塚田川と中屋トンネル
輪島(地理院タイルを加工)

てっきり私はトンネル内の作業だから雨は関係なしに作業したのだろうと思っていました。トンネルは25日開通の予定だったということですので、作業を急いでいた事情はあったのでしょう。

ところが、取り残された作業者が上空のヘリに手を振っていたのは地上です。復旧工事ですから土日祝日を返上で作業が進められるのはありがたいことです。

外作業ができるような天候ではなく、出勤していたこと自体が私の中では???です。外作業はトンネル工事とは別なのかもしれません。元は台風14号です。

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