日本5位の河川
北上川の最下流域では、宮城県登米市にあるJR気仙沼線の終点・柳津駅(やないづ-えき)付近に分水路が設けられています。洪水対策のために明治末期から大正時代を丸ごと挟んで昭和初期まで20数年を費やした国家プロジェクトです。
開削され短縮された放水路が新たな「北上川」であり、従来の河川については「旧北上川」として管理されています。
![北上川河口部](https://set333.net/wp-content/uploads/2025/01/250110sin.png)
Wiki「長さ順の日本の川一覧」によれば、北上川は信濃川、利根川、石狩川、天塩川に次ぐ国内5位の河川です。北上川を国内4位とするのは(わざわざ)旧北上川で計測した場合のようです。
北上川の源流は、国土交通省的には岩手県岩手郡岩手町の御堂観音境内にある「弓弭の泉」とされています。
![御堂観音](https://set333.net/wp-content/uploads/2025/01/250110midou.jpg)
御堂観音は9世紀初頭の坂上田村麻呂による創建と伝えられる天台宗・北上山新通法寺正覚院の通称です。「弓弭」とは弓(矢ではない)の先端部のことです。弦をかける部分です。
前九年の役で連日の炎暑に疲弊した源義家が持参の弓で天に向けて矢を放ち、その矢が刺さった杉の根元の岩を弓弭で突いたところ清水が湧き出て、人馬ともに渇きを癒やすことができたという伝承から、「弓弭の泉」と呼ばれているのだそうです。
御堂観音「弓弭(ゆはず)の泉」
![国道4号からの分岐](https://set333.net/wp-content/uploads/2025/01/250110kannon.png)
盛岡方面から北上すると、御堂観音は国道4号線から東側に分岐(A地点)した先にあります。不思議な話です。地図上の北上川は4号線と並走するのに、「源流」が川から離れた脇にあるのです。
![北上川源流公園](https://set333.net/wp-content/uploads/2025/01/250110gen.jpg)
御堂観音に向かうには分岐直後に小さな橋を渡ります。この川は北上川の支流・朽木川です。「弓弭の泉」と北上川の間には山がありますので、御堂観音の湧水は朽木川に流れ込むようです。一方、北上川は国道沿いにまだ上流部を辿ることができます。
![北上川上流部](https://set333.net/wp-content/uploads/2025/01/250110jou.jpg)
この地点から300mほどで一戸町の奥中山地区に入ります。どうやら本当の源流は御堂観音ではないようです。御堂観音の標高は300m台です。一級河川の源流標高としては物足りません。周囲には1000mクラスの山もあるのに、源流が300m台とは不自然極まりない話です。
本当の源流候補たち
地理院地図で確認できる最北の「北上川」表記は青線部分までです。緯度的にはちょうど御堂観音付近ですので、義理を通したに違いありません。国土地理院は国土交通省の管轄です。
![](https://set333.net/wp-content/uploads/2025/01/250110kutiki.png)
一般的には河口からもっとも遠距離(直線ではなく流路)となるのが源流のはずです。地図上では朽木川のほうが長くなりますので、朽木川が本流という考え方も可能です。「DamMaps:川と流域地図」さんは北上川を水色の線まで伸ばしています。ピンクの線は「名称不詳」ということです。
源流候補はこれだけではありません。あくまでも岩手町内に源流を求めるなら小山沢という考え方もありそうです。小山沢は先のA地点より2キロほど下流で北上川に合流します。
![もっと有力候補](https://set333.net/wp-content/uploads/2025/01/250110iwate.png)
丹藤川を岩洞ダムに遡り、ダム湖上流の柴沢川を源流とするのがもっとも距離を稼げるようです。松川から八幡平方面に北ノ又川に遡れば、源流の標高は1400m台となり一気にそれらしくなります。前者では盛岡市、後者では八幡平市が源流となります。
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