三郷JCTの要塞とタンクは下水道処理施設だった

長期化必至の八潮市道路陥没

博多は地下鉄工事、広島は下水道工事と最初から原因がほぼ特定されており、工事を止めれば崩落も抑えられたわけですが、今回はそう簡単にはいかないようです。国内で直面する初めてのケースかと思われます。

ニュース映像では暗渠から水が流出しています。暗渠に土嚢を積む作業の映像もありました。地下の空洞化で支えを失った暗渠も破断しているのでしょう。電線も作業の障害要因として大きそうです。

埼玉県は幸手市以南の12市町に対して水道使用の制限をお願いしていますが、事故が起きた交差点は中川西岸12市町の排水を一手に引き受ける基幹配管(水色)であり、この交差点ではダメ押しのように市内2方向から合流します。

下水道台帳
八潮市>八潮市公共下水道平面図(汚水)

水色の汚水基幹は中川を渡って三郷ジャンクション東側の処理場に流れます。

中川水循環センター

三郷の要塞

三郷JCTから見えるこのタンク群が下水処理施設だということは知っていました。

中川水循環センター

地上から見たことはありませんでしたが、次の画角は工場萌えしそうな佇まいです。

中川水循環センター

下水道網はその性質上、傾斜頼みです。逆流させたり迂回させたりできないので、使用制限をかけるしかないことになります。

三郷JCT
下水施設と浄水施設(地理院タイルを加工)

面白いのは、埼玉県の下水施設に隣接して東京都水道局の浄水場があることです(三郷市内)。江戸川から取水しているのでしょうから、隣接していても何の問題もないでしょうが…。

防災省構想はどこに?

交差点から100mの位置には高圧線の鉄塔があります。周囲が田んぼだった時代から高圧線だけは通っていました(田んぼだから通しやすかったというだけのことかと思われます)。

地下に沈んだ看板
  • 1/28 10:00前 陥没発生、トラックが転落
  • 1/29 13:00頃 救助隊がトラック運転手と会話
  • 1/29 01:00頃 2つ目の穴が発生、飲食店の看板が吸い込まれる
  • 1/30 02:30頃 2つの穴が合体

ニュース番組で解説されているのは、下水管の上部が硫化水素で腐食して管の中に土砂が流入、地下に空洞ができたという話です。地中でも重力はあります。発生した硫化水素は下水管内の上部に貯まることから菅の上部が腐食するということのようです。

あれだけの土砂が下水管内に流入しているなら、破損していない下水管内の土砂の除去か下水管そのものの取り替えが必要となるはずです。埼玉県だけで対処し切れる事態ではなさそうです。防災省構想を掲げていた総理なのですから、知恵も人で金も政府としてのサポートが必要です。

潮止通りと浄水場通り

品川の汐留は江戸城外堀に海水を入れないために堰が設けられていたことから、その地名になったそうです。陥没の起きた交差点から中川に向かう1キロ未満の区間は「潮止通り」との名称です。これは、満潮のときの東京湾の海水がこの付近まで遡上してくるからだろうと思っていました。

海の生物が川にいることで有名なのが吉野川のエイです。塩分を含む海水は淡水より比重が重いため、満潮時の海水は川底を遡上します。砂地を好むエイはその特徴的な外見からどうしても目立ちます。

八潮市の市制施行は1972年1月、町制施行が1964年10月、八潮村の発足は1956年9月です。止村、幡村(やわた-むら)、条村の3村が合併しています。八潮は合成地名です。で、潮止村の由来はそういうことのようです。

潮止
潮止(地理院タイルを加工)

陥没交差点の西側を「潮止通り」と呼ばないのは、旧・八幡村に入ってしまうからのようです。潮止村の村役場は今の潮止小学校付近にあったようです(厳密にはJAさいかつ潮止支店)。

前稿で「浄水場通り」について、市役所と浄水場が並ぶ通りが「浄水場通り」と呼ばれるのは、市役所より先に浄水場が作られたからだと記述しましたが、「市役所通り」は庁舎の西側に実在していました。

中学校、市役所、浄水場と並んでいるのにわざわざ「浄水場通り」と呼ぶのは、市役所移転前から「浄水場通り」と呼ばれていたからだと私は即断してしまいましたが、実際には「市役所通り」は別にあったので使えなかっただけのようです。通称の命名は古い話ではないのでしょう。

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