豊平トンネル崩落事故
八潮の道路陥没事故で思い出すのは、1996年2月10日に発生した積丹半島の豊平トンネル岩盤崩落事故です。

余市町と古平町を結ぶ国道229号線・豊平トンネルの古平町側で高さ70m✕幅50m✕厚さ13mの岩盤が崩落、運悪く通行中だった路線バスと乗用車2台が巻き込まれて20名が亡くなった事故です(乗用車1台の女性運転手は脱出)。
10日07:40頃 トラック運転手から警察にトンネルの異常を知らせる通報
10日08:10頃 岩盤崩落事故発生
11日16:25頃 1回目の発破
12日16:00頃 2回目の発破
13日12:30頃 3回目の発破
14日11:00頃 4回目の発破
16日11:50頃 赤い乗用車の右側ドアを発見(同日21時頃に男性1名を収容)
17日07:50頃 車体の「中央バス」の文字を確認
17日15:25頃 男性1名を発見(当日中に乗客乗員全員の遺体を収容)
あまりにも巨大な岩盤を除去しないことには救助作業に着手できないため、20名の安否不明者がいる中でこの岩盤を爆破することになりました。4回目の発破でようやく除去に成功、それでも収容まで3日かかりました。

岩盤の割れ目に入り込んだ地下水が冬季に凍結することで割れ目が拡大し、毎年これを繰り返されて岩盤の亀裂が徐々に成長して起きた岩盤崩落だとされています。
荒川と並走する中川は利根川水系
さて、江戸川競艇場があるのが中川です。荒川と並行する形で東京湾に注ぎます。河口部の2キロほどは実質的に荒川と合流していますが、オフィシャルには葛西臨海公園まで中川が続いていることになるようです。

あくまでも荒川とは合流していない建て付けですので、水系的には利根川水系に属しています。湾岸道路で荒川を渡るときは区別できないだけで中川も渡っていることになります。
今の中川は江東区と接していないことになりますが、1958年7月の台風11号では江東区内の中川堤防が決壊しています。今の旧中川(江東区と江戸川区の区境)が当時の中川であり、今の中川については当時は中川放水路でした。

ややこしいことに、旧中川と中川だけでなく新中川もあります。千葉方面に向かう総武本線なら、亀戸-平井間で旧中川、平井-新小岩間で荒川と中川、新小岩-小岩間で新中川、小岩-市川間で江戸川を渡ります。旧中川は荒川水系です。
中川の起点は羽生市
中川の起点は埼玉県羽生市(はにゅう-し)と定められています。この場合の起点とは源流を意味するものではありません。

羽生市東7丁目の宮田伏越(-ふせこし)に「一級河川中川起点」と記された碑石があります。

伏越とは川の立体交差です。中川の起点は案内板の裏側です。右の階段を登るとそこは葛西用水です。葛西用水は利根川から引かれています。葛西用水は17~18世紀に100年かけて整備された灌漑用水です。

中川はここを起点として東流しますが、西側はあくまでも「排水路」です。
八条用水の分流が八潮市の浄水場通り
越谷レイクタウンの北西側で葛西用水から分流するのが八条用水です。八条用水のそのまた分岐が事故現場の浄水場通りです。

八潮市が西に隣接する草加市とともに草加八潮消防組合を設立したのは2015年だそうです。両市に越谷市を加えた3市の最高標高は草加市そうか公園内に人工的に造成された標高14.9mの築山です。
市内全域がほぼフラットであり、しかも標高はほとんど5m以内です。土砂崩れとか山岳遭難に対処した経験は少なくとも管内ではないはずです。堤防が決壊しても高低差はせいぜい数メートルですから、高低差のある救助作業は高層建物の火災以外に想定し得ない環境にあります。
第一義的に地元消防が対処するのは当然のことでしょうが、事故当日の午後にはさいたま市消防局や東京消防庁に応援要請し、遅くとも事故翌日の県対策会議では自衛隊にも(意見聴取の形で)接触しているようです。
自衛隊を出したからといって救助できたとは言えず、大野知事の対応が後手に回っているとも思いませんが、結果を伴わずに週明けを迎えると厳しい声も出てきそうです。午後3時まで待ってみたものの、残念ながら事故6日目も救助されていません。豊浜トンネル事故は8日目でした。
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