トランプになった立花氏、村井・永野ではなく肥後亨コース

財務省前襲撃事件

警察があまり慎重すぎると世間のほうがヒートアップして、こういうことが起きてしまうのは珍しいことでもありません。襲われた本人的にはたいした怪我ではなく、単に注目されてオイシイようですけど…。

財務省

オウム真理教の村井秀夫「科学技術庁長官」が南青山のマハーポーシャビル前で刺殺されたのは1995年4月23日です。4月8日の林郁夫「治療省大臣」、岐部哲也「防衛庁長官」、12日の新実智光「自治大臣」、4月20日の早川紀代秀「建設大臣」など幹部の逮捕が相次いでいました。

遠藤誠一「第一厚生大臣」と土谷正実「第二厚生大臣」が4月26日、青山吉伸弁護士が5月4日、井上嘉浩「諜報省大臣」が5月15日、麻原彰晃尊師は翌16日の逮捕です。

豊田商事の永野一男会長刺殺事件は1985年6月18日でした。殺害事件は大阪で起きていますが、本丸の2000億円詐欺事件は兵庫県警でした。

その翌日、警視庁は投資ジャーナルの中江滋樹会長を逮捕、中江氏は懲役6年の実刑判決を受けています。2020年2月、中江氏は葛飾区のアパートで寝タバコが原因とされる火災で亡くなっています。

背番号候補

今回の事件は、岸田前首相襲撃事件と同様にあまり複雑な背後関係はないものと思われます(浜田参議院議員はTBS謀略説を言い始めていますけど…)。

立花氏の行く末はやはり肥後亨コースです。1963年11月21日投票の衆議院選挙には「肥後亨事務所」から27人の候補者が立候補しています。27人の総得票は4526票です。

東京1藤田一郎肥後亨事務所256票
東京2笠原二郎肥後亨事務所79票
東京3藤木三郎肥後亨事務所80票
東京4笹崎四郎肥後亨事務所13票
東京5松本五郎肥後亨事務所179票
東京6中村六郎肥後亨事務所394票
東京7鶴岡七郎肥後亨事務所93票
東京1木村八郎肥後亨事務所411票
東京2下田九郎肥後亨事務所463票
東京3高橋十郎肥後亨事務所66票
東京4山口十一肥後亨事務所231票
東京5高田十二肥後亨事務所117票
東京4島崎十三肥後亨事務所57票
東京7藤井十四肥後亨事務所222票
東京6三宮十五肥後亨事務所116票
東京1森高十六肥後亨事務所57票
千葉1阿部十七肥後亨事務所232票
東京3高田十八肥後亨事務所154票
東京1浜十九肥後亨事務所164票
東京2藤井二十肥後亨事務所112票
東京3倉田二一肥後亨事務所37票
東京5小林二二肥後亨事務所399票
東京6島名二三肥後亨事務所166票
東京4中川二四肥後亨事務所131票
東京7佐久間二五肥後亨事務所125票
東京4柿沼二六肥後亨事務所34票
東京6塚田二七肥後亨事務所138票
▲1963総選挙

高田がん、赤尾敏、品川司、深作清次郎、南俊夫、東郷健の各氏は覚えがありますが、1964年に拘置所で獄中死した肥後氏のことは今回の兵庫県知事選を通じて初めて知りました。この選挙では肥後氏本人は選挙はがきの他陣営への横流しやニセ証紙事件で公民権停止中だったようです。

いわゆる2馬力選挙の先駆者であり、逮捕歴10数回の候補者を担ぐとか、党名をコロコロ変えるとか、N党に通じるものはありそうです。当時との違いは政党交付金の有無です。

取り調べ30分後に急死

肥後氏本人は各種選挙に30回以上立候補しているようです。国政選挙と知事選の選挙歴は次のとおりです。

1952/03/12衆・東京6補肥後亨諸派286票
1952/10/01衆・東京1肥後亨国家社会主義労働党286票
1953/04/19衆・東京1肥後亨国家社会主義労働党397票
1956/07/08参・東京肥後亨反米遊撃隊0票
1959/04/23東京都知事肥後亨国際共産主義者連盟3,942票
1959/06/02参・東京肥後亨国際共産主義者連盟2,558票
1960/11/20衆・東京1肥後亨肥後亨事務所387票
1960/11/20衆・東京2石村秀郎肥後亨事務所350票
1960/11/20衆・東京3高瀬喜太郎肥後亨事務所46票
1960/11/20衆・東京4三重野勝彦肥後亨事務所48票
1960/11/20衆・東京5谷村蕃肥後亨事務所141票
1960/11/20衆・東京6小山寿男肥後亨事務所138票
1960/11/20衆・東京7井上明肥後亨事務所1,059票
1960/12/01参・千葉肥後亨肥後亨事務所6,964票
1962/10/28千葉賢知事山中一肥後亨事務所3,882票
1962/10/28千葉賢知事小山寿男肥後亨事務所1,254票
1962/10/28千葉賢知事門真竜一肥後亨事務所425票
1963/04/23東京都知事中山勝肥後亨17,799票
1963/04/23東京都知事高田がん肥後亨8,032票
1963/04/23東京都知事橋本勝肥後亨0票

1963年知事選の橋本氏はすでに死去していた人物の戸籍謄本で別の人物がなりすまし出馬した事例のようです。投票日直前に発覚して立候補無効とされています。1956年参院選では肥後氏本人が0票ですが、肥後氏は立候補を取り下げることもあったようで、こちらの0票の事情がわかりません。

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