海から1キロ以内の荒浜分署
宮城には3機の消防防災ヘリがあります。県が消防庁から無償貸与された1機を保有し、仙台市が2機です。2011年3月の東日本大震災当時も同じ3機体制だったようです。このうち県の防災ヘリは津波で損傷し、市の防災ヘリ2機は津波到来前に離陸して難を逃れています。

3機とも荒浜航空分署内の仙台市消防ヘリポートに格納庫があったようです。震災後、分署は閉鎖され今は同消防局の荒浜訓練場として利用されています。ヘリポート付近の標高はせいぜい4~5mで海から800mほどです。

荒浜地区を襲った津波は10m弱で犠牲者は200人弱だそうです。標高5mで10mの津波なら2階建てのRC屋上で辛うじてセーフです。自分たちの避難という意味でもヘリを離陸させるのは妥当な判断です。
大地震直後に飛行機を飛ばすには滑走路の点検が必要ですが、待機中のヘリなら目視可能な範囲内で異常がなければ離陸可能です。みすみす浸水させることはありません。

津波前に飛び立った仙台市のヘリ2機は海岸から5~6キロの陸上自衛隊霞目駐屯地内の霞目飛行場を仮拠点にして震災対応に当たりました。
角田滑空場で訓練中の県ヘリ
地震発生時、県のヘリはたまたま阿武隈川河川敷の角田(かくだ)滑空場で訓練中だったようです。角田滑空場から荒浜分署まで直線で30キロほどです。時速180キロなら飛行時間は10分の計算です。

仙台市立荒浜小学校の校舎はEV付き4階建てです。当日は児童を含む300人以上が避難し、全員が救助されたのは翌日の夕方ということです。津波は地震発生70分後に押し寄せ、2階も浸水したようです。今は震災遺構として保存公開されています。

県の防災ヘリは角田から荒浜に戻り、拡声器の取り付けと給油を行っている最中に津波に襲われたと報道されています。ヘリは流され廃機、分署は壊滅したようです。
どんな訓練だったのか定かではありませんが、角田で機材を片付けてヘリに積み込むのに30分かかったとして、10分で移動できれば40分です。ヘリの給油に30分以上かかるものなのだろうかと思わなくもありません。
損傷した川崎BK117C-2の燃料タンクは880リットルだそうです。一般的な普通乗用車はせいぜい100リットル程度です。ガソリンスタンドの給油機のノズルなら毎分30~35リットル程度の給油が可能だそうです。
荒浜の給油機がガソスタと同等レベルだとすれば、30分✕30リットルでちょうど900リットルですから計算は合います。ただし、これは燃料タンクがエンプティだったことが前提です。訓練に必要な燃料だけ積み込んで離陸するのはあり得ない話です。
もちろん、大津波警報が出ている海岸から1キロの基地に戻ることが適切だったのかという議論もできそうです。
空自松島基地
標高1~2mの航空自衛隊松島基地も浸水、ブルーインパルスは翌日の九州新幹線開業フライトのため出払っていましたが、格納庫に駐機中の航空機30機以上とヘリコプター4機が水没しています。津波到達は荒浜と同じ70分後、津波の高さは2m以上ということです。

地震の揺れで前輪がずれてしまった捜索機を出せないのは理解できますが、津波前にヘリを出せなかった理由は激しい余震でローターが機体を叩きかねないというがっかり判断のようです。一理あると同意できません…。
約900名の隊員は施設屋上に避難して全員無事、滑走路修復で基地機能が回復したのが3月15日ということです。震災から5年後の2016年3月に4mかさ上げした新駐機場が完成したようです。
2011年4月の航空写真には数機の機体が映っています。

米軍機なのか、修理した自衛隊機なのか、私にはわかりませんけど…。
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