抗争から10年 六代目山口組の勢力は半減、神戸側は1割に

特定抗争指定暴力団

2025年4月11日現在、12府県の公安委員会が暴対法に基づく「特定抗争指定暴力団等」を指定しています。重複を除くと警戒区域は22市2町で、対象は六代目山口組を軸にした4団体です。

~7/6 vs神戸山口組~6/7 vs池田組~6/20 vs絆會
茨城水戸市
岐阜岐阜市、大垣市岐阜市岐阜市
愛知名古屋市、刈谷市、あま市、
武豊町
名古屋市名古屋市
三重桑名市桑名市桑名市、名張市、伊賀市
滋賀大津市
京都京都市京都市京都市
大阪大阪市大阪市
兵庫神戸市、姫路市、尼崎市、
高砂市、稲美町
神戸市神戸市
鳥取米子市
島根松江市
岡山津山市岡山市、倉敷市
宮崎宮崎市
▲特定抗争指定暴力団と警戒区域
警戒区域

警戒区域内では5人以上で集合することや、事務所に立ち入ることや、対立組織の組員につきまとうことができません。

山一抗争

六代目山口組の幹部3人が4月7日、兵庫県警を訪れて「今後一切もめることはしません」との誓約書を手渡したということです。全文が公開されているわけではありませんので、その評価は難しいところです。

山一抗争のときは神戸ユニバーシアード大会の開催期間を含む2か月間の「休戦」がありました。万博を控えた今回も何らかの動きがあるだろうことは予想されていました。山一抗争の「終結」は稲川会や会津小鉄会の仲裁によるものでした。

  • 1981/07/23 田岡一雄・三代目山口組組長が死去
  • 1982/02/04 跡目相続が有力視されていた山本健一・三代目山口組若頭が死去
  • 1984/06/05 竹中正久・三代目山口組若頭が四代目就任、反対派は欠席
  • 1984/06/13 山本広・三代目山口組組長代行らが一和会を結成
  • 1984/07/10 観光ホテル鳴門で竹中組長の四代目襲名式
  • 1984/08/23 四代目山口組が友誼団体に「義絶状」を送付、一和会を絶縁に
  • 1985/01/26 竹中組長と中山勝正・四代目山口組若頭らがGSハイム第二江坂玄関前で射殺、抗争激化
  • 1987/02/10 石井隆匡・二代目稲川会会長が高山登久太郎・会津小鉄会総裁代行を訪問して抗争終結決定を伝える
  • 1988/05/14 竹中組傘下の安藤美樹・安東会会長がロケットランチャーで山本会長宅を襲撃
  • 1989/03/19 山本会長が東灘警察署を訪れて、自らの引退と一和会解散を表明
  • 1989/03/30 山本会長が稲川裕紘・二代目稲川会本部長とともに山口組で謝罪

どうやら「誓約書」には稲川会や住吉会だけでなく対立組織の組長名も入ってはいるようですが、署名があるわけではなさそうです。兵庫県警に出向いた3人は、森尾卯太男・本部長(大同会=米子)、津田力・若頭補佐(倉本組=和歌山)、安東美樹・若頭補佐(竹中組=姫路)です。

今の六代目山口組の若頭補佐はブロック長を兼任しています。Wikipdiaの情報はやや古いようです(2025/04/11閲覧)。

WikipdiaYAKUZA WIKI
阪神中四国ブロック長安東美樹中国・四国ブロック長
中田浩司阪神ブロック長
大阪南ブロック長津田 力大阪南ブロック長
大阪北ブロック長秋良東力大阪北ブロック長

1955年生まれの安東氏は兵庫を含むはずの阪神地区のブロック長を外れたようですが、安東氏と言えば終結指令に背いて山一抗争を最後まで引きずった本人でもあります。日本でロケットランチャーを市中発射した唯一無二の人物です(懲役20年)。

ここは山健組を六代目山口組に復帰させた中田浩司・若頭補佐のほうが適任だったのではないかと思えなくもありません。復帰した中田氏なら一定程度以上に信憑性を確保できます。

それより面白いポジションにいるのが1953年生まれの森尾卯太男(うたお)本部長です。大同会の前身は一和会系の東竜会でした。二代目山広組では若頭代行です。一和会の解散で大同会に改称し、解散翌年には山健組傘下となり山口組に復帰しています。

2005年の司忍こと篠田建市・六代目山口組組長就任後に直参となり、2012年に若頭補佐、分裂後の2016年に本部長です。一和会の流れを汲む山口組直参は森尾本部長以外にはいないはずです。山一抗争自体が関西中心でしたので、因果が巡るのは当然のことかもしれません。

抗争10年で暴力団勢力は40%に

3人が兵庫県警に出向いた翌8日、警戒区域外の愛知県豊橋市「平井一家」事務所で1947年生まれの高山清司・若頭らが集まり、会合が開かれたということです。誓約書提出の報告を兼ねてのものだったと思われます。

平井一家

見慣れない交通標識ですが、赤が退色して白っぽく見えるだけで普通の駐車禁止です。

神戸山口組の離脱は2015年8月でした。この10年で構成員と準構成員を合わせた暴力団勢力は次のように変化しています(各年末)。

2015年2024年残存率
六代目山口組14,1006,90048.9%
神戸山口組
絆會
池田組
6,100

320
140
140
}9.8%
住吉会7,3003,20043.8%
稲川会5,8002,80048.3%
暴力団全体46,90018,80040.1%
▲警察庁>令和6年における組織犯罪の情勢

形勢は早くから決していて、一刻も早く終わらせないとやっていけないのが実情なのだと思われます。神戸山口組の井上邦雄組長は1948年生まれ、副組長だった入江禎・二代目宅見組組長は1944年生まれ、池田組の池田孝志こと金孝志組長は1945年生まれです。

一方、織田絆誠(おだ よしのり)こと金禎紀・絆會会長は1966年生まれでまだ還暦前です。結局は織田氏の処遇をどうするかという話に尽きるように思われます。

業界用語としての「本家」

ところで、Wikiにこんな記述がありました(「山口組」のページ、2025/04/11閲覧)。

主たる事務所(本部)は兵庫県神戸市灘区篠原本町4-3-1である。一次団体にあたるこの本部「山口組本家」に対し、二次団体の首領は「本家」に直に繋がる組長という意味を込めて「直系組長」あるいは「直参」(じきさん)と呼ばれ、「本家」にあってはそれぞれ、「組長の弟」を意味する「舎弟」(6名)あるいは「組長の子供」を意味する「若衆(若中)」(約80名)の役職名を与えられている。

舎弟と直参の説明として書かれたものだと思われます。私は継承権がない弟分が舎弟で、継承権を有する子分が直参だと理解しています。一般にこの業界における「本家」とは、組長なり会長なり総裁なり役職名の如何に関わらず事実上のトップの居宅を指します。

この考え方からすると、六代目山口組の「本部」は上述のとおりで、「本家」は東山タワーを見下ろす坂の上にある堅牢(そう)な建物です。

井上組長宅や入江組長宅が狙われたように、抗争の際には「本家」はターゲットになり得ます。少なくとも私のサイトでは「本家」をその意味合いで用いていることをお断りします。

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