関西在住経験のない康珍化
唇を噛んで会見場を出ていく斎藤氏に対して菅野氏が「逃げたらあかん」を連呼した28日の記者会見でしたが、上田正樹「悲しい色やね」の作詞は康珍化(かん・ちんふぁ)です。「桃色吐息」や「悲しみがとまらない」とともに彼の代表作です。
1982年発売のこの曲は林哲司の曲が先に出来上がっており、浜松生まれで早稲田一文の康珍化が関西弁の詞をつけたものです。女性目線ですから、1番の「♪泣いたらあかん」も2番の「♪逃げたらあかん」も自分に言い聞かせていることになります(歌の中では…)。
歌い出しの「♪にじむ街の灯を」はもともとの歌詞では「尼崎の灯を」だったということです。尼崎市が大阪湾に面している部分は短く、その先は西宮市です。歌の中の2人が海を見ていたのは、今の北港ヨットハーバー付近に限られます。★印の辺りです。

ヨットハーバーは1987年、USJは2001年の開業です。万博会場の夢洲など埋め立て端緒ですし、その手前の舞洲もまだ枠組みだけです。ただ、当時もヨットハーバーの手前までは行けたはずです。

この画像で堤防の接続部分左が当時は工事中と思われるヨットハーバーです。右手に見えるのが「にじむ街の灯」であり、実際には工場の灯りがそう見えただけかと思われます。
山口晋平・自民党県議
発端となった元西播磨県民局長の告発文書送付先は、(A)県警、(B)マスコミ4社、(C)自民県連会長、(D)県議4人です。県議4人の中で、当選回数がもっとも少ないのが山口晋平(しんぺい)県議になります。
2014年4月27日 | 19,384 | 無所属 | (1)2/4 |
2015年4月12日 | 無投票 | 無所属 | 2/2 |
2019年4月07日 | 21,709 | 自民 | (1)2/3 |
2023年4月09日 | 無投票 | 自民 | 2/2 |
1977年生まれの山口氏は2014年補選で初当選、文書を受け取った2024年3月時点では当選4回ですが、議員歴としては10年です。選挙区は「たつの市・揖保郡」選挙区で、自民県議団に入ったのは2期目の無投票当選後です。
山口氏は2000年から初当選まで山口壯(つよし)氏の秘書を務めています。同姓というだけで、血縁関係はないはずです。山口代議士の経歴は次のとおりです(晋平氏の秘書時代は★印)。
1996 新進党から総選挙出馬、河本三郎氏に敗れて落選
2000★無所属で初当選(2003年は落選)
2005★民主党公認で比例復活(2選)
2009★河本氏に比例復活を許さず3選
2011★野田内閣で外務副大臣
2012★逆風の総選挙で河本後継に辛勝(4選)
2013★民主党を離党、無所属のまま二階派入り
2014 総選挙を無所属で5選
2015 自民党入党(兵庫県連に入れず和歌山県連所属)
2016 自民党兵庫県連が受け入れ
2021 岸田内閣で環境大臣就任
2025 麻生派に入会
山口代議士の大臣在任中に安倍氏襲撃事件が起き、旧・統一教会(統一協会)関連団体への祝電を問われて、「祝電は頼まれたら全部出している」と答えたことで顰蹙を買いました。
センチュリーの井戸元知事もたつの市
山口晋平氏は龍野東中の出身です。たつの市は2005年に4市町合併で成立しています。市内を南北に流れるのが「揖保乃糸」の揖保川です。東は太子町を挟んで姫路市、西に相生市という立地です。山口代議士が相生の出身になります。

山陽本線に竜野駅がありますが、たつの市の中心部は姫新線の本竜野駅(ほんたつの-えき)付近です。晋平氏が通った小宅小と龍野東中もこの近くです(龍野高校は揖保川の対岸)。新市名は「たつの」、合併前の旧市名は「龍野」、JR駅名は「竜野」です。
一般に「龍」や「竜」のつく地名は、過去に洪水や土砂災害が起きたことを示す先人の教えだと言われています。たつの市の場合は「立野」から転じたようですし、危険を示すのはもっと狭い範囲の地名のときです。旧・龍野市はヒガシマル醤油でも有名です。
斎藤知事の前の井戸敏三兵庫県知事は、たつの市に合併する前の旧・新宮町生まれです。また、たつの市はいわゆる西播磨地域で最大の市でもあります。いろいろな因果が山口県議の周辺で交錯します。
山口晋平氏が初当選した2014年の県議補選は、山口信行県議の辞職に伴うものでした。この信行氏も単なる同姓で、血縁関係はないものと思われます。ご本人のブログに「山口信行大先輩の葬儀に参列しました」との記述を発見しました。
なぜ山口県議が選ばれたのか

山口氏は斎藤知事のファースト・ペンギンの1人です。2021年知事選で県議会の自民党は斎藤氏支援の「自民党兵庫」と対立候補だった金沢氏支援の「自由民主党」に分裂しました。両会派は2023年4月に統合して「自由民主党・兵庫」となります。
統合時の会派幹事長が山口氏でした。それでも、元県民局長が山口氏に告発文書を送ったのはなんとなく理解できます。年齢的には離れていますが、少なくとも元県民局長から見た山口氏は必ずしも斎藤派ではなかったということになります。
井ノ本氏がファイルを見せたとき、山口氏は積極的に見ようとしなかったため、井ノ本氏は読み上げて聞かせたということです。もともと百条委員会の報告書には次のような記載があります。

井ノ本氏は百条委員会では証言を拒否していたわけです。認めた今となっては議会が証言拒否で告発する必要はないとしても、県が漏洩者を告発しないのなら県議会が告発せざるを得ないという理屈は成立するはずです。
順番的には、増山県議や岸口県議までは少なくとも6月議会で決着をつける必要があります。
上田正樹とは声質が違いすぎます(↓)が、オフィシャルなものがありませんので…。
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