新田原をどう読むか? にった、しんでん、にゅうた…

にゅうたばる(宮崎県新富町)

5月14日に愛知県犬山市の入鹿池(いるか-いけ)に墜落した自衛隊練習機T-4は、小牧基地から宮崎県の新田原基地に帰還する予定だったようです。私は宮崎の新田原を長らく「にったばる」と読んでいました。

新田原古墳

宮崎県新富町は自衛隊基地だけでなく新田原古墳も有名なようです。上空から見ると見事な前方後円墳ですが、近くで人間の目線で見ると「ふ~ん」レベルで終わりがちです。仁徳天皇陵(大仙陵古墳)もそうですけど…。

お隣の西都原(さいとばる)古墳群は300基以上の古墳が確認されており、見せ方にかなり成功している部類です。西都市には県立の考古博物館も設置されています。観光客が新田原古墳を訪れる機会はあまり多くなさそうです。

新富町
新富町(地理院タイルを加工)

新富町は沿岸の富田村(とんだ-むら)と内陸の新田村(にゅうた-むら)の合併で1959年に発足しています。国道10号と日豊本線は旧・富田村を通っており、旧・新田村を通るのは東九州自動車道です。高速の料金所は新富町のエリアですが、名称は西都ICです。

新田原展望台バス停

もともとが新田村だった以上、宮崎の新田原は「NEW田原」ではなく「新田の原」だったことになります。江戸時代の文献には「入田」も見られるそうです。

しんでんばる(福岡県行橋市)

紛らわしいのは、同じ九州東海岸にある日豊本線の新田原駅です。住所的には「福岡県行橋市道場寺」になりますが、新田原郵便局や新田原交番もあります。

行橋市の新田原

お隣の築城駅(ついき-えき)との間には航空自衛隊の築城基地があります(ピンクの線が日豊本線)。このため、福岡の新田原と宮崎の新田原を混同してしまう現象が起きているようです。

ゆくはし今昔物語
行橋市>ゆくはし今昔物語

行橋では過去も現在も住居表示(大字)としての「新田原」は存在しません。新田原駅は開業当時からその名前だったようです。

しんでんばら(長野県高森町)

長野県下伊那郡は全国最多の13町村で構成されています。高森町には新田原のエドヒガン桜があります。住所としては高森町山吹ですが、山吹の小字が「新田原」ではないかと思われます。

高森町の一本桜

この桜の樹には「新田原耕作者組合」による「桜の木の周辺に農薬の袋・ビンなどを放置しないようにしましょう」というお願い看板(立て札)が設置されています。

高持町
高森町(地理院タイルを加工)

この桜は「一般社団法人長野県観光機構」のWebサイトにも掲載されており、それなりに有名スポットのようです。天竜川右岸の河岸段丘です。ここまで3地点の共通点はあまり利水に恵まれない果樹園地帯ということです。

高森町子ども文化財マップ
高森町>子ども文化財マップ

「しんでんばら」の読みのようです。

しんたわら(岡山県和気町)

岡山三大河川と呼ばれるのは、東から吉井川、旭川、高梁川です。吉井川は中国山地を源流として津山市内を東進、最終的には瀬戸内海・児島湾に注ぎます。河口はちょうど3月に起きた山火事の辺りです。中流の和気町に新田原井堰があります。

新田原井堰

井堰とはダムの小型版ですが、このストビュー画像は新田原井堰から上流を見たものです。中央右手に緑が突き出している部分があります。ここが旧・田原井堰の碑石がある場所になります。つまり、現在の井堰は2代目ということになります。

近くに「田原上」「田原下」という地名があることからしても、「新・田原」であることに間違いはありません。

新田原井堰
岡山県>新田原井関

また、長崎県諫早市に「小長井町新田原」と「小長井町田原」があります。ここも「新・田原」です。読みは「しんたば」です。

にったはら(福島県南相馬市のバス停)

福島県南相馬市の原町区信田沢の小字に「新田原」があるようで、福島交通のバス停が「にったはら」です。

福島交通の新田原バス停

千葉県松戸市にも新田原バス停があります。東3丁目と大塚町の境となる県道沿いのバス停です。濁らずに「しんでんはら」と読むようです。

東武バス新田原バス停

ほかに山形県山辺町、福島県南会津町、群馬県長野原市、埼玉県秩父市などに「新田原」の地名があるようですが、あいにくこれらの読みを確認するには至りませんでした。というわけで、「新田原」には少なくとも7通りの読み方があります。

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