鹿島神宮の神鹿
鹿島アントラーズのチーム名「antler」は「シカの枝角」の意味です。

鹿島神宮には20頭ほどのシカが飼育されているようです。鹿島神宮Webサイト「よくある質問」によれば、今いるシカは奈良の春日神社や東京の神田明神などからの「お裾分け」の子孫だそうです(今の神田明神にシカはいません)。
昭和32年に奈良より春日の神鹿を3頭、東京の神田明神より2頭をいただきこの鹿園が開園しました。また、近年では平成25年に北口本宮冨士浅間神社より新たに五頭をいただき、参拝者の憩いの場として親しまれています。
シカと言えば奈良です。昔の鹿島神宮の周囲には野生のシカがいたそうですが、幕末の頃にはその姿が消えてしまったそうです。春日大社は平城京が現存する768年の創建だとされています。春日大社の主祭神は武甕槌命(タケミカヅチノミコト)です。
武甕槌命は鹿島から1年かけて白鹿に乗って奈良に来たと伝承されています。
(1)奈良時代に神話世界を持ち出して年代的に大丈夫なのか、とか
(2)日本では家畜化されなかったシカを乗りこなせるものだろうか、とか
(3)さすがに1年はかかり過ぎだろう、とか
(4)何頭連れて行ったのだろうか、とか
(5)宿のない時代にエサは現地調達なのか、とか
さまざまな疑問が生じますが、とにかくそのように伝承されているというファクトがあります。
鹿島神宮から春日大社までGoogleマップでルート検索してみました。次の2ルートが示されます。
(A)徒歩126時間557キロ(東海道、伊良湖岬-志摩間はフェリー)
(B)徒歩136時間590キロ(中山道・国道19号)
当時はフェリーなどありませんが、そんなことを気にしても仕方がありません。ここで私が知りたいのは東海道か中山道か、伊賀か甲賀かのルート選択です。
江戸川区鹿骨
江戸川区には鹿骨(ししぼね)という町域名があります。「鹿」を「しし」と読む地名は、京都・哲学の道付近の「鹿ヶ谷(ししがたに)」、和歌山・那智勝浦町の「井鹿(いじし)」、岩手・遠野市の「鹿込(ししごめ)」などに見られます。
鹿骨3丁目に鹿見塚神社があります。この塚は、鹿島から京都へ向かう途中で病死したシカを供養するための神社なのだそうです。

このような痕跡があと2~3か所あれば、おおよそのコースがわかります。鹿島から奈良に行くなら、今の江戸川区は通るものでしょう。これだけでは東海道か中山道かはわかりません。

三重県名張市に積田神社があります。ここは春日大社の奥宮とされています。武甕槌命とシカが鹿島から奈良に向かう途中、ここで休憩したということです。
境内には数頭のシカの像があるようです。それだけなく、「神柿(かみがき)」と呼ばれる巨木は、白鹿に対する鞭として使ってきた柿の枝を突き立てたものが根付いたそうです。このルートなら名古屋から西は伊賀ルートです。
草津市の立木神社
滋賀県草津市役所の近くに立木神社があります。ここにも白鹿を伴った武甕槌命が訪れたようです。立木神社のWebサイトは次のように述べています。
手に持たれた柿の鞭を社殿近くに刺されこう言われたそうです。「この木が生え付くならば吾永く大和国(やまとのくに)(奈良県)三笠の山(今の春日大社)に鎮まらん」 すると、その後不思議にも柿の木は生え付き枝葉が茂り出しました。里人は御神徳を畏み、この木を崇め神殿を建て社名を立木神社と称したのが始まり
どうやら伊賀か甲賀か1つに絞って考えてはいけないようです。伊賀にも寄って甲賀も通ったとすれば、話は合います。どっちが先かはわかりませんけど…。1年かかったのですから、そういう余裕はありそうです。


というわけで、鹿島発奈良行きのシカの旅を辿ろうとしましたが、残念ながら東海道か中山道かはわかりませんでした。
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