天皇の靖国巡幸は戦後8回
石破氏は昨年の総裁選中に次のように述べています(「日経新聞」2024年9月6日 自民・石破氏、靖国神社巡り「天皇参拝の実現が我々の務め」)。
自民党の石破茂元幹事長は6日、靖国神社を巡り「天皇陛下が参拝してくださる。そういうことを実現することが我々の務めだ」と述べた。
現行憲法下で在位中の天皇による靖国親拝は7回あります。なお、旧憲法下での最後の公式参拝は1945年11月20日の終戦報告ということです。
| 1952/10/16 | 吉田内閣 |
| 1954/10/19(例大祭 | 吉田内閣 |
| 1957/04/23(例大祭 | 岸内閣 |
| 1959/04/08(臨時大祭 | 岸内閣 |
| 1965/10/19(臨時大祭 | 佐藤内閣 |
| 1969/10/20(創立100年記念大祭 | 佐藤内閣 |
| 1975/11/21 | 三木内閣 |
天皇による靖国親拝はもう50年途絶えていることになります。その理由が明らかにされているわけではありませんが、有力説はA級戦犯の合祀に昭和天皇が不快感を抱いていたというものです。
1978年10月、靖国神社はA級戦犯14人を合祀し、それが世間的に明らかになったのは翌1979年4月でした。数年に1回の靖国親拝ペースが維持されるなら、1975年の次は1980年前後です。そのときには参拝できる環境ではなかったことになります。
もう1つの見方は、1975年に当時の三木首相が初めて8月15日に参拝したとき、公用車を使わず玉串料をポケットマネーで支払うなど「私的参拝」を強調したことが原因とするものです。天皇の場合、「私的」が存在するとは言いにくいからです。
三木氏の「私的参拝」は8月であり、昭和天皇は同年11月に最後の靖国親拝をしたわけですので、時系列的には必ずしも一致するものではありません。ちなみに、現役総理による「公式参拝」は1985年8月15日の中曽根氏が最初のケースです。
以後は必ずしも公人or私人の区別が明らかにされないことが多く、三木氏のときの4条件に照らせば「事実上の公式参拝」と解釈できるケースも多発しています。
石破氏は秋と春の例大祭では参拝せず
三木氏の1975年は戦後30年、中曽根氏の1985年は戦後40年です。1995年の戦後50年は村山内閣、2005年は小泉内閣、2015年は安倍内閣です。今年は戦後80年です。
石破政権が補正予算を伴う秋の臨時国会を乗り切れないことはほぼ確実です。それでも「(当面)続投」を言うのは、日米関税交渉が道半ばだからと解説されることが多いようです。たしかに、この交渉には不透明感が残ります。
交渉期限内は暫定的に10%として関税交渉が始まったのは4月です。10%と25%を足して2で割ると17.5%(A)、0%と25%なら12.5%(B)、(A)と(B)の中間は15%です。着地点が15%前後になることは最初から予期できたことのように思えます。
ひょっとすると15%は選挙前から決まっていて、選挙後に発表しただけではないかと勘ぐることもできなくはありません。むしろそのほうが真実に近いのだろうと(今のところは)思われます。
懸案は片付いた→3人の首相経験者との会談が行われる→「石破首相 退陣へ」の号外が出る、という流れも私にはそれほど違和感はありません。妥結を花道にという見方は当然あり得ることです。
石破氏がしぶとく粘るのは、関税ではなく靖国が理由ではないかという気がしなくもありません。昨年秋、そして今年の春の例大祭では、石破氏は総理大臣名で真榊を奉納していますが、参拝は見送っています。菅氏や岸田氏の前例を踏襲したものです。
このX投稿の歴史認識からすると、石破氏は分祀論者のように見えます。現実的な解決策はそれしかないと思われますが、靖国神社は宗教法人であり国家機関ではありません。
メッセージ目的の延命?

小泉進次郎氏は初当選以来、8月15日の靖国参拝を欠かしていないようです。昨年の総裁選時は当選後の8/15参拝については明言を避けていました。高市氏もたぶん参拝しているクチと思われます(よく知りませんけど…)。
靖国問題はもともと日中あるいは日韓など対東アジア問題でしたが、いつの間にか日米問題に変質しています。日韓の分断はアメリカの国益にそぐわないからです。石破氏は自分で8/15を迎えることによって、後任者による8/15参拝を阻止したいのかもしれません。
あるいは、まだ完全に煮詰まっているとは思えない関税に影響を与える要素が靖国参拝であるとの認識なのかもしれません。
過去3回のように閣議決定した戦後80年談話は出さないことに決まっているはずです。代わりのメッセージも歴史認識には踏み込まないとされています(「毎日新聞」2025/6/11 石破首相、戦後80年見解は歴史認識に踏み込まず 70年談話継承へ、※1行目の「が」と「の」の間に「戦後80年」が入るものと思われます)。
石破茂首相がの節目に表明を検討している首相個人としての見解について、先の大戦に関する歴史認識には踏み込まない方針を固めた。自民党保守派の反発や国内外の論争が再燃する可能性を考慮し、戦後70年の2015年に閣議決定した安倍晋三首相談話の歴史認識には変更を加えない意向だ。
安倍氏による戦後70年談話の上書きを右派が警戒するのは理解できないわけではありません。リベラルが上書きを期待するのも心情的には理解できます。期待どおりのものが語られるとは私は思っていませんけど…。分裂上等の覚悟がない限り、メッセージ目的ではむやみに引っ張れません。





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