「言うだけ番長」とか「死に神」とか「疫病神」とか「貧乏神」とか「キングボンビー」とか
京都伏見家庭教会
京都市伏見区に京都伏見家庭教会があります。いかにも京都っぽいウナギの寝床的な間口の狭い敷地に建っている3階建てのビルです。

単に「伏見家庭教会」でもよさそうですが、教団的にはそうはいかない事情があります。名古屋市中区栄2丁目に「伏見教会」があったからです。教会機能は2014年に移転して「名城家庭教会」に改称されましたが、旧・伏見教会は「伏見成和会館」として今も教団施設です。
名古屋の伏見は、地下鉄「伏見駅」や名古屋城と熱田神宮を結ぶ「伏見通」に名前を残しているだけで、住居表示上は消滅しています。名古屋の拠点施設だった伏見教会ではないということを示すために、わざわざ「京都」を冠したのだと思われます。

道路に面した看板が枠組みだけです。最古のストビューは2009年8月で「伏見同胞生活相談綜合センター」の看板が掲げられています。朝鮮総連系の施設だったようです。2016年9月のストビューでは「売物件」となり、看板が枠組みだけになりました。
松下政経塾で高市氏の3期後輩
2017年6月以降のストビューでは教団施設が入居していますが、看板は撤去されることも再利用されることもなく現在に至っています。見栄え的にどうかと私は思いますが、要は撤去費用の捻出より韓国本部への送金が優先されるということなのでしょう。
京都伏見家庭教会から直線距離で1キロに満たないところに京都教育大附属高校があります。

前原誠司氏は1962年4月生まれですので、1961年3月生まれの高市氏とは2学年違いになります。中学受験では東大寺学園と京都教育大付属中に合格したようです。付属中から付属高、1浪を経て京大法学部に進学した前原氏は大学卒業後、8期生として松下政経塾に入塾します。
野田佳彦氏が1期生、山田宏氏が2期生、松沢成文氏が3期生、高市氏が5期生、前原氏は8期生、新しく自民党税制会長に就任した小野寺氏は11期生、黄川田氏が28期生、維新の政審会長・斉藤アレックス氏は34期生です。
前原氏は卒塾後すぐの京都府議会選挙(左京区)で当選しています。任期中の1993年総選挙で日本新党から衆院初当選、小選挙区制となった1996年は比例復活で2選、2000年以後は小選挙区9連勝です。
なお、前原氏と旧・統一教会(統一協会)との関係は、2011年のワシントン・タイムズへの意見広告が指摘されているだけです。安倍晋三、福田康夫、麻生太郎、鈴木英敬の各氏らとともに名前を連ねています。また、京都伏見教会は前原氏の京都2区ではありません。
永田メール事件
前原氏が最初に脚光を浴びるのは、民主党が岡田克也代表で戦った2005年の郵政選挙で敗北し、後任を決める代表選で第5代の代表に就任したときです。菅直人氏と2票差の接戦でした。
郵政選挙で広島6区の亀井静香氏に対して、自民党が送り込んだ刺客は堀江貴文氏でした。このときの堀江氏は形式的には無所属ですが、自公の候補者擁立は見送られたばかりか当時の武部幹事長が応援に入り、堀江氏は「比例は公明」とも演説しています。
選挙は急ごしらえの国民新党に移った亀井氏が2万5000票差で勝っています。一方の堀江氏は翌2006年1月に証取法違反容疑で逮捕、2月に起訴され、2011年に懲役2年6か月の実刑判決が最高裁で確定しました。

堀江氏が起訴されたのは2月13日でした。3日後の2月16日の衆議院予算委員会で民主党議員が堀江氏から武部氏の次男に対して3000万を振り込むよう選挙前にメールで指示したという疑惑を追及します。
翌17日に民主党側から公開された証拠のメールはメールヘッダは塗りつぶされていました。要はガセを掴まされただけの話ですが、前原代表は新たな証拠を党首討論の場で提示すると言いながら提示せず、対応が後手に回り最終的には3月末に代表辞任を表明します。
民進党代表として本領発揮
永田メール事件では前原氏の危機管理能力が問われただけで、民主党はその後に政権交代を実現し、前原氏は3代の総理の下でそれぞれ入閣を果たしています(途中辞任あり)。政党クラッシャーとしての本領発揮は下野後です。
2016年3月、民主党と維新の党が合流して民進党が結成されます。初代代表は岡田氏で、同年秋の代表選で前原氏は蓮舫氏に敗れます。翌2017年都議選の敗北で蓮舫氏が引責辞任し、前原氏は9月1日に第3代の民進党代表に就任します。
幹事長抜擢を予定していた山尾志桜里氏のスキャンダル発覚で水を刺された前原執行部は離党ドミノに歯止めがかからず、そのうちに解散風が吹き始めます。小池百合子氏が「希望の党」を立ち上げるのは解散を控えた9月25日です。
「国難突破解散」は9月28日で、同日午後の民進党常任理事会と両院議員総会では、民進党として公認候補を擁立しないこと、希望の党に公認申請を依頼することなどを決めています。
結局、民進党所属の衆議院議員は、(1)希望の党、(2)枝野氏が新たに立ち上げた立憲民主党、(3)無所属に3分裂して総選挙を戦うことになります。前原氏自身は(1)ではなく(3)で10月22日投票の総選挙に臨んでいます。
前原氏は選挙後の10月27日に開かれた民進党両院議員総会で希望の党との合流を撤回して代表を辞任しました。代表としては2か月足らずの在任期間であり、民進党離党が11月2日ですので党を分裂させておいて事後処理にも当たらなかったわけです。
民進党残留組は翌年5月に希望の党と合流して、国民民主党が結成されています。国民民主党の産みの親は前原氏と言えなくもありません。もう1人の小池氏は目立たないようにフェードアウトしました。
- 2023/08 国民民主党の代表選に大差で敗れる
- 2023/11 国民民主党に離党届、教育無償化を実現する会を結成
- 2024/01 維新と院内統一会派
- 2024/10 維新と合流、総選挙は京都2区で11選
- 2024/12 維新の共同代表に就任
- 2025/08 参院選敗北で共同代表を引責辞任
無償化を含めれば4党の党首を務めていますが、どれも1年続いていないのが前原氏です。





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