千葉県内の測候所
千葉県館山市には富崎測候所があったようです。1921年に文部省所管の中央気象台布良(めら)出張所として発足、1968年に館山測候所に統合されるまで50年近く稼働していたようです。気象庁サイトでは富崎の観測値は公開されていません。
| 1886/09 | 銚子 | 私立銚子測候所 |
| 1888/04 | 銚子 | 県立銚子二等測候所 |
| 1902/06 | 勝浦 | _県立勝浦気象観測所 |
| 1909/05 | 館山 | __北條気象観測所 |
| 1910/04 | 勝浦 | _県立銚子測候所勝浦出張所 |
| 1910/04 | 館山 | __県立銚子測候所北条出張所 |
| 1905/03 | 館山 | __県立銚子測候所館山出張所 |
| 1912/01 | 銚子 | 県立銚子一等測候所 |
| 1919/05 | 銚子 | 県立銚子測候所 |
| 1921/08 | 富崎 | ___中央気象台布良出張所 |
| 1922/04 | 富崎 | ___中央気象台布良測候所 |
| 1932/04 | 富崎 | ___富崎測候所 |
| 1938/09 | 勝浦 | _県立勝浦測候所 |
| 1938/10 | 銚子 | 中央気象台銚子測候所(国営移管) |
| 1938/10 | 館山 | __県立勝浦測候所館山支所 |
| 1939/11 | 勝浦 | _中央気象台勝浦観測所(国営移管) |
| 1939/11 | 館山 | __中央気象台館山臨時出張所(国営移管) |
| 1947/04 | 勝浦 | _東京管区気象台勝浦観測所 |
| 1947/04 | 館山 | __東京管区気象台館山観測所 |
| 1949/06 | 勝浦 | _勝浦観測所 |
| 1949/06 | 館山 | __館山観測所 |
| 1949/11 | 館山 | __富崎測候所館山分室 |
| 1950/06 | 勝浦 | _勝浦測候所 |
| 1953/07 | 千葉 | ____銚子測候所千葉出張所 |
| 1957/07 | 千葉 | ____銚子測候所千葉分室 |
| 1957/09 | 銚子 | 銚子地方気象台 |
| 1957/09 | 千葉 | ____銚子地方気象台千葉分室 |
| 1966/04 | 千葉 | ____千葉測候所 |
| 1968/04 | 館山 | __館山測候所 |
| 1968/04 | 富崎 | ___(廃止) |
富崎と館山は直線距離で約8キロですが、この当時の館山測候所は千葉県の施設です。設立者が異なるので近接設置は起こり得ることではあります。富崎と千葉(運輸省)は最初から国の施設です。「測候所」と「観測所」では測候所のほうが格上なのでしょう。
富崎測候所
富崎測候所は当時の富崎村(とみさき-むら)大字布良に設置されています。5年ほどで標高69mから12m台の相浜に移転しています。1954年の合併で富崎村は館山市と合併しましたので、同一市内に測候所とその分室が共存する異常事態を招いたことになります。

跡地を探ってみると、ストビュー画像中央の擁壁の建物付近ではないかと思われます。

なぜわざわざ非合理的な近接設置を選択したのかというナゾが残りますが、1921年は日英同盟廃棄に連なる4か国条約締結の年です。少なからず海軍の意向が働いたと考えたほうが理解はしやすいものと思われます。
海軍としては平地の内房にあるアメダス館山より、外房も視界に入る洲崎灯台の南側高台を望むものでしょう。
千葉県の気象区分
千葉県の気象区分はチーバくんの顔と腹部の「北西部」、後頭部と背中の「北東部」、下肢の「南部」、の3区分です。

もしチーバくんがアルマジロ科に属するなら「北東部」と「南部」が甲皮部分になりますが、今回の豪雨では茂原市や大網白里市が被災したものの、「北西部」を守り切れなかったようです。
JR外房線は蘇我駅から大網駅を経て安房鴨川駅に至る路線です。

不思議なのは、山武市(さんむ-し)や東金市のように外房線沿線ではないのに「外房エリア」扱いされている自治体があることです。

そもそも外房線とは外海(太平洋)経由で「安房」に向かう路線のことです。沿線でさえないなら「房」の意味がわかりません。





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