【ブログ】5代目んだ

釜石商跡地は復興住宅

ある程度は覚悟していたことですが、「商業高校MAP」は移転や統廃合でかなり苦戦しています。釜石商は2009年に釜石工との統合で釜石商工となり、釜石商工は大観音近くの旧・釜石工の校舎を使用しています。

旧・釜石商が浮いたわけですが、2018年の今でもその体育館は拠点避難所に指定されています。2011年の震災当時はまだ校舎も残っていたようです。

グラウンドへの仮設住宅の建設が始まったのは震災1か月後です。4階建てと思われる校舎は解体され、8階建ての復興住宅に生まれ変わっています。

釜石市のWebサイトに「東日本大震災 釜石市教訓集 未来の命を守るために」というPDFファイル(↑)がありました。

「しょう」の音を残して校名変更した商業高校

なんとか商業高校のリストが完成しました。まだ微調整が必要ですし、漏れている高校もあるでしょうが、これでようやくMAPに着手することができます。MAP作成の前に、気になっていたことを整理しておきます。

  1. 1948(私)北海商業学校→北高等学校
  2. 1948(私)松本商業学校→松学園高等学校
  3. 1959(私)浪華商業学校→浪高等学校(→大阪体育大学浪高等学校)
  4. 1977(私)鶴岡商業高等学校→鶴学園高等学校(→鶴岡東高等学校)
  5. 1990(私)大阪商業高等学校→大学園高等学校
  6. 1994(県)栃木県立佐野商業高等学校→栃木県立佐野陽高等学校(→栃木県立佐野桜高等学校)
  7. 1998(私)藤沢商業高等学校→藤沢陵高等学校
  8. 1998(県)滋賀県立彦根商業高等学校→滋賀県立彦根陽高等学校(→滋賀県立彦根西館高等学校)
  9. 2000(市)福岡市立福岡商業高等学校→福岡市立福高等学校
  10. 2001(私)米子商業高等学校→米子蔭高等学校
  11. 2005(県)埼玉県立浦和商業高等学校→埼玉県立戸田陽高等学校
  12. 2005(県)福岡県立門司商業高等学校→福岡県立門司大館高等学校
  13. 2005(県)長崎県立有馬商業高等学校→長崎県立島原南高等学校
  14. 2006(道)北海道室蘭商業高等学校→北海道室蘭東高等学校
  15. 2007(道)北海道士別商業高等学校→北海道士別雲高等学校
  16. 2007(県)和歌山県立新宮商業高等学校→和歌山県立新高等学校
  17. 2008(私)広島女子商業学校→→→広島洋高等学校
  18. 2011(県)秋田県立湯沢商業高等学校→→→秋田県立湯沢北高等学校
  19. 2013(市→県)能代市立商業高等学校→秋田県立能代陽高等学校
  20. 2014(私)大阪女子商業学校→→→あべの学高等学校
  21. 2015(市→県)別府市立別府商業高等学校→大分県立別府青高等学校

商業高校が非商業高校となるに際して、略称を用いることで「商」の字を残すパターンは松商学園や大体大浪商が有名です。「しょう」の音だけを残すパターンもありますが、この魁となったのは北照高校です。

「商業」を外したいという目論見と、痕跡は残したいという思惑のマッチングが絶妙です。70年前のセンスに敬服するしかありませんが、数十年後にこの顰に倣った改称が相次ぐことになるという予感はなかったのかもしれません。

佐野松陽、彦根翔陽、戸田翔陽、広島翔洋、能代松陽という具合に、「SYOUGYOU」から「G」を抜いただけの「しょうよう」高校が目につきます。

同じ「SYOUYOU」とはいえ、東海大翔洋は東海大一と東海大工の、益田翔陽は益田産と益田工の併合による校名変更であり、前身校に商業高校は含まれていません。また、茨城の翔洋学園高校は通信制であり、元商業高校ではありません。

「SYOUYOU」の先駆は、兵庫県高砂市の県立松陽高校かと思われます。高砂は松の枕詞です。神奈川、鹿児島、茨城、岐阜、秋田にも県立の松陽高校がありますが、商業高校の後身校は能代のみです(佐野は再改称)。

「柏崎商跡地の柏崎翔陽」

茶道発祥の地とは

「モータープールMAP(大阪以外)」に奈良市内11施設、京都市内1施設を追加しました。これで奈良県は270施設、奈良市は157施設を数えて、都道府県別では1位の兵庫に迫り、市町村別では2位の神戸を引き離しました。

12件はいずれも平置きの駐車場でした。まだまだ見つかるはずです。さて、今回追加したモータープールの近くにあったのが「茶道発祥の地」の石碑です。

何をもって「発祥」であると認定したのだろうと思ったわけですが、茶道の祖とされる村田珠光は11歳で出家して、この石碑から120m西にある浄土宗西山派の日輪山称名寺に入ったということです。

村田珠光は20歳になる前には称名寺を出てしまったという話もあります。珠光が茶道の原型を作ったのはその後になるはずです。まあ、あまり深追いしないのが平和なのかもしれません。

京都市上京区にある裏千家・今日庵は表千家・不審庵と隣接しており、武者小路千家の官休庵は南に700mほどです。千利休ゆかりの大徳寺真珠庵は京都市北区です。発祥は別にしてもメッカはやはり京都なのでしょう。

茶道を離れて、お茶そのものの起源にしても、奈良は形勢不利です。中国から持ち込んだお茶を比叡山山麓に植えたとされる最澄は、805年5月に神戸市和田岬に到着し7月に京都に入っています。

一方、最澄と同時期に唐に出発し東大寺や仏隆寺でお茶を栽培したとされる空海は806年10月に博多に着いたものの、大宰府での滞在期間が長く、関西に戻ったのは809年です。

ただし、茶筅については奈良県生駒市高山町が国産シェア90%だそうです。また、荒茶の生産量は京都5位で奈良6位のようです。茶道の確立に関わりのありそうな人物の生没年は次のとおりです。

  • 1394-1481 一休宗純
  • 1397-1471 能阿弥
  • 1423-1502 村田珠光
  • 1436-1490 足利義政
  • 1502-1555 武野紹鴎
  • 1520-1593 今井宗久
  • 1522-1591 千利休

関東一高

関東第一高等学校Webサイト「学園の概要」のページの「沿革」の項目です。「関東商業学校」の設立者・守屋荒美雄は、地図帳でおなじみの株式会社帝国書院の創業者でもあります。

大正14年 4月 守屋荒美雄・村上周三郎が関東商業学校を東京都千代田区神田錦町に設立
昭和14年 1月 江戸川区松島2丁目10番11号の現在地に移転
3月 関東工科学校(定時制)開校・電気科設置
昭和22年 4月 関東第一中学校併設
昭和23年 4月 学校制度の改正により関東綜合高等学校と改称
昭和28年 4月 関東商工高等学校と改称
昭和40年 4月 建築科設置
昭和48年 4月 商業科廃止・普通科設置
関東第一高等学校と改称

Wikipediaの「関東第一高等学校」のページでは次のように記載されています。

1925年 – 守屋荒美雄・村上周三郎が関東商業学校を東京都千代田区神田錦町三丁目3番地に設立
1939年 – 江戸川区松島二丁目10番11号の現在地に移転
1939年 – 電気科設置
1943年 – 帝国第一工業学校と改称
1943年 – 機械科設置
1945年 – 関東第一商工学校と改称
1947年 – 関東第一中学校併設
1948年 – 学校制度の改正により関東総合高等学校と改称
1953年 – 関東商工高等学校と改称

1943年(昭和18年)に「帝国第一工業学校」に名称変更しています。あいにく何月という記載はありません。「教育ニ関スル戦時非常措置方策」は1943年10月の閣議決定です。

これにいち早く対応して同年中に名称変更した可能性も排除できませんが、1939年に電気科、1943年に機械科が設置されていることからすれば、「工業」を名乗ることも不自然ではありません。

今回作成しようとしている商業高校MAPの対象は、1943年度以降に旧制「~商業学校」か新制「~商業高等学校」と称した学校ですが、これに該当するのか非該当なのか判断がつきかねます。

次やその次の企画も定まりましたので、このMAPに関してはあまり深掘りしないで、さっさと片付けようという意識になってきました。関東一高も対象とします。

明治4年に市は存在せず

福島県立福島商業高等学校のWebサイト「学校沿革」の冒頭4行です。

明治30年 福島町立福島商業補修学校として開校認可
大正11年 福島県立福島商業校と改称
昭和32年 創立60周年記念式典を挙行。記念事業として新校歌「若きこころ」発表昭和38年 福島西高女子高等学校新設にともない女子生徒募集停止

変遷が省略されるのは理解の範囲内ですが、そこを間違ってはいかんだろうと思ったりもします。Wikipediaの「福島県立福島商業高等学校」のページでは、大正11年には「福島県立福島商業校と改称」されたそうです。

福島大学の前身の1つである「福島経済専門学校」は1921年12月に設置され、翌1922年4月に1期生が入学しています。その際の名称は「福島高等商業学校」です。1922年は大正11年です。

つまり、1922年には旧制「福島商業学校」とともに旧制「福島高等商業学校」も成立しているわけです。この混同の可能性も否定できませんが、高校の歴史を語るのに大学の話が出てくるのも不自然ですので、単純なミスと思われます。

さて、福島市の市制施行は何年だろうかと、今度は福島市のWebサイトを覗いてみました(市勢概要>歴史)。

旧石器時代 福島盆地(信達地方)に人々が住むようになる。
<略>
1871年(明治4年) 福島県が誕生し、福島が県庁所在地となる。
1876年(明治9年) 福島県、磐城(いわき)県、若松(わかまつ)県が合併し、福島県となる。
1899年(明治32年) 東北初、日本銀行出張所(後に支店)が設置され、師範学校が置かれる。
1907年(明治40年) 市制施行(県内で2番目、全国で59番目の市として人口3万余人の「福島市」が誕生する。)

1871年に「福島が県庁所在地となる」とされています。市制施行第1号は1888年4月1日の大阪、京都、神戸、横浜など31都市ですから、1871年にはまだ「市」の制度そのものが存在しません。

1871年は信夫郡福島村が福島町になった年です。二本松県が福島県(第2次)に改称されたのと同じ年ですが、その先後についてはわかりませんでした。まあ、今や未来が大切なのであって、過去はアバウトでもいいものかもしれません。

ちなみに、福島県で最初に市に移行したのは1899年の若松市(→会津若松市)で、3番目が1924年の郡山市、4番目が1937年の平市(→いわき市)でした。