【ブログ】5代目んだ

道道697号線の北照高校跡地

1934年第20回大会は呉港中が優勝しています。全国大会におけるウラ優勝校は札幌商であり、北海道大会では小樽商です。

  • 呉港中2-0熊本工4-0市岡中13-4京城商9-8札幌商
  • (北海道大会)札幌商4-3旭川中7-4旭川師範7-2小樽商

北海道大会は札幌3校、東部1校、中部2校、南部1校、小樽1校の計8校によるトーナメントです。小樽予選は3校のリーグ戦が行われています。小樽商は小樽中に12対6、北海商に11対1で連勝しています。

小樽中は北海商に9対3で勝っていますので、ややイレギュラーではありますが、北海商を1934年のウラ優勝校とすることに抵抗はありません。

  • (小樽予選)小樽商12-6小樽中9-3北海商

北海商は現在の北照高校です。同校Webサイトの「沿革」には次のような記載しかありません(2017/09/03現在)。

昭和55年12月 新校舎建設工事落成し、移転する。

Wikipediaの記述も次のとおりです(2017/09/03現在)。

1980年12月 – 現在地に移転。

困りました。1934年当時の北海商校舎がどこにあったのか当事者のWebサイトにさえ掲載されていないのです。「北照高校 跡地」で検索したところ、次のページがヒットしました。

現在最上2丁目にある甲子園の常連北照高校は、昭和55年(1980年)まで緑第一大通りと緑第二大通りの間、正法寺通りにあった。現在跡地は、マンションと病院が建っている。そこには緑第一大通り沿いに、ひっそりと北照高校跡地の石柱が建てられている。

ビンゴです。これだけの情報量があれば、特定できないはずがありません。跡地の石柱はすぐに見つかりました。

 

1932年はウラ不成立、准ウラが2校

1932年の第18回大会ではウラ優勝校が不成立です。全国大会におけるウラ優勝校は京都師範です。

  • 中京商4-3松山商3-0明石中3-0八尾中2-0京都師範

京津大会は6校によるトーナメントでした。このトーナメントでは、京都1位も滋賀1位も初戦をシードされていません。府県1位は形式的なものだったようです。

全国大会で初戦敗退した京都師範に京津大会決勝で負けたのは京都一中であり、京都一中に京津大会準決勝で負けたのは大津商です。ところが、大津商は滋賀予選決勝で彦根中に負けています。

私が見つけたいのは大津商に勝ったチームです。連敗はウラ優勝校としての正統性を傷つけます。これではウラ優勝校は成立しないというのが私の認識です。

《2017/09/21追記》方針転換により、大津商に「巡ウラ」の権利を認めることにしましたが、このケースでは結果的に「准ウラ」と「巡ウラ」が重なります。

さて、京津大会準決勝では京都一中が大津商に勝っていますが、大津商は1回戦不戦勝です。そして、京都一中は1回戦で彦根中に勝っています。これは准ウラ優勝校の要件を満たします。

したがって、彦根中の先には准ウラ優勝校の権利が残っています。で、彦根中は滋賀予選決勝で大津商に勝っていますので、結果的には大津商の先に准ウラ優勝校の権利が残ったことになります。

  • (滋賀予選)彦根中10-4大津商14-5膳所中13-1水口中

というわけで水口(みなくち)中が第18回の准ウラ優勝校となります。水口中は滋賀予選2回戦で膳所中に負けていますが、1回戦は不戦勝でした。膳所中は1回戦で比叡山中に勝っています。このため、比叡山も准ウラ優勝校となります。

  • (滋賀予選)彦根中10-4大津商14-5膳所中19-1比叡山中

水口中は甲賀高校を経て現・水口高校、比叡山中は現・比叡山高校です。ともに1932年当時から校地移転はないものと思われます。

上杉山公園のナゾ

1926年の第12回大会はオモテの優勝校が静岡中でウラは仙台一中です。全国大会由来の准ウラ優勝校は東山学院でしたが、東北予選由来の准ウラ優勝校は現・東北高校です。

  • 静岡中2-1大連商1-0和歌山中9-3鳥取一中4-1盛岡中
  • (東北大会)盛岡中3-1福岡中2-1福島商5-2安積中6-3仙台一中

ウラ優勝校の仙台一中は東北大会1回戦が不戦勝でした。安積中は1回戦で東北中に勝っています。したがって、東北中は准ウラ優勝校となります。東北高校のWebサイトには次のような記述があります(2017/09/02現在)。

数年にして北一番丁(現 上杉山公園)に独自の校舎を建設、明治三十三年には文部省の認可を得て、東北中学校の設立を見るに至るのである。

残念ながら「上杉山公園」は見当たりませんが、「上杉(かみすぎ)公園」ならあります。そして、仙台市役所の北側に「《北一番丁》通り」の標柱が設置されています。

どうやら消滅した歴史的町名を通りの名称として残そうという事業のようです。この標柱(青マーカー)から東に1km弱のところに上杉公園(赤マーカー)があります。同じ通り沿いです。

1970年に住居表示が施行された際、旧地名の「上杉山通」が縮められて現在の「上杉」になったという経緯があるようです。公園の名称もかつては「上杉山公園」だった可能性があります。

東北高校Webサイトに言う「上杉山公園」とは「上杉公園」のことだと理解しても大きな間違いではなさそうです。なお、東北中が現在の東北高校の校地に移転したのは1929年だそうです。

また、北四番丁通りに「勝山公園」がありますが、こちらは勝山酒造さんが仙台市に寄贈したとのことですので、東北中跡地ということにはなりません。

1926年は准ウラ優勝校が2校

その性質上、准ウラ優勝校は存在しないときもありますが、複数校出現することもあります。1926年第12回大会の准ウラ優勝校は2校あります。

鳥取一中は2回戦で盛岡中に勝っていますが、盛岡中は1回戦不戦勝です。鳥取一中は1回戦で長崎商を退けていますので、長崎商の先に准ウラ優勝校の権利が発生します。

  • 静岡中2-1大連商1-0和歌山中9-3鳥取一中4-2長崎商
  • (九州大会)長崎商3-2佐賀中3-1大分商5-1東山学院

1校目の准ウラ優勝校は長崎の東山(とうざん)学院です。オランダ坂上の東山手にあったようです。東山学院は戦前に閉校になっていますが、その校舎は「旧スチイル記念学校」として、グラバー邸の近くに今でも保存されているようです。

最新2017年3月撮影のストリートビューは補修工事中でしたので、埋め込んだのは2014年2月のストビューです。海星高校の校舎として使われていたようですが、1972年に現在地に移築復元されたということです。

海星高校は地図の右上です。

サイト名を「あなぐる(仮)」に変更

サイト名を「あなぐる(仮)」とします。7/27にすべてのページを削除してリスタートし、8/12に「セットポジション(仮)」としたわけですが、私の中での方向性も定まってきましたので、9月を迎えたのを機会に変更しておきます。

横文字や漢語ではなく和語を用いたいという意向が私にはあります。「あなぐる」を軸に、「もとめあなぐる」、「あなぐってみた」、「あなぐり集む」、「軽くあなぐる」などアレンジしましたが、やはりシンプルな「あなぐる」に勝てません。

「ぐる」で終わると、Googleさんへのリスペクトにもなります。「あなぐる」に副題を添える形で、今後さらに検討を重ねたいと考えます。本編の展開がもう少し進めば、自ずと固まってきそうです。

「タモリ倶楽部」的な世界に入り込んで行きそうですから「○○倶楽部」も考えましたが、和語ではありません。何らかの形で「願わくば」を使いたい気持ちもありますが、「願わくは」が正しいと言われそうです。

「山のあなた」は上田敏の印象が強すぎて埋もれてしまいそうです。古語であり、あまり手垢がついていない「あなぐる」は使いやすいかもしれません。副題で「地図」や「地理」的な要素を加えたい気もします。

今後しばらく、毎月1日を新サイト名検討委員会の日とします。なお、前回(8/9)の候補は、次の3つでした。

  1. 「セットポジション」または「set position」のアナグラム
  2. 「にわたずみ」
  3. 「東風吹かば」

アナグラムの組み合わせは限られており、おそらく成立しないものと思われます。まあ、アナグラムから「あなぐる」を思いついたわけですので、出発点としては正解だったと言えるのかもしれません。