うーむ、これは

大阪偕星学園高等学校Webサイトに掲げられている「沿革」のページから冒頭7行です。なお、年号は昭和です。

4年2月19日 甲種商業学校「此花商業学校」として東淀川区長柄中通3丁目に設立許可
4年4月1日  第1本科(昼間部)及び第2本科(夜間部)を設置
20年4月1日  戦時措置により校名を「此花工業学校」と改称
20年9月1日  戦時転用のため、学校を西区元堀江国民学校(仮校舎)へ移転 校名を「此花商業学校」に復す
22年4月1日 学校改革により「此花中学校」併設
24年3月22日 現所在地 生野区勝山南2丁目6番38号へ移転
24年4月1日 校名「此花商業高等学校」となる

大阪偕星学園高等学校「沿革」

昭和20年(1945年)に校名変更したことになっていますが、戦時転換は1944年のはずです。1年の猶予を与えてもらえるような緩いご時世だったとは思えません。有無を言わさず強制されたものと私は理解しています。

元の此花商に戻したのが敗戦からわずか半月後の9月1日ということですが、これもにわかには信じ難いところです。たしかに敗戦によってタガは外れたのでしょうが、はたして行政当局が書面上でも容認したのか疑問が残ります。

「此花商業高等学校」への校名変更は昭和24年ということですが、新制高校にかかわる学制改革は昭和23年(1948年)です。昭和23年に新制高校として校名が変わり、その翌年には「此花商業高等学校」に変更したという意味かもしれません。

「此花工」への改称は昭和19年、「此花商」への改称は昭和21年、「此花商高」への改称は昭和23年ではないかと私は疑っているわけですが、昭和22年の「学改革」は、およそ教育関係者が間違うような用語ではないはずです。

さすがにこれは素人臭が漂います。学制改革の学改革への誤変換はあり得ることでしょうが、「学校改革」ではベースとなる教養そのものが問われても仕方がありません。

柳ヶ瀬トンネルが一般道化されたのはいつ?

柳ヶ瀬トンネルに関して、実は疑問が1つ残っています。ワトソン君を名乗る私としては、ここは「追究」のしどころです。

Wikipedia「柳ヶ瀬線」のページの「国鉄バス時代」の項目には次のように記載されています。(2018/11/07現在)

柳ヶ瀬トンネルはJR化後に1987年(昭和62年)4月1日から県道敦賀柳ヶ瀬線として一般開放された

一方、同じWikipedia「柳ヶ瀬トンネル」のページには次のような記述があります。(同上)

1980年(昭和55年)4月7日 – 一般道として開放。

どちらかが誤りなのでしょう(まあ、どちらも誤りという可能性もあります)。気になるところです。後者の履歴を確認すると、2011年6月15日以降が上の表現であり、それ以前には次のように記されていたようです。

1980年(昭和55年)4月7日 – 北陸自動車道敦賀IC-米原JCT開通により供用開始

これでほぼ解決かもしれません。高速の開通で並行するバス専用道路が一般道化されるというのは、あまり意味が通りません。ただ、北陸自動車道のこの区間はたしかに1980年に開通しています。

以前の記述は北陸自動車道の「柳ヶ瀬トンネル」のことであり、1882年に当時の日本では最長の全長1352mの鉄道トンネルとして完成した「柳ヶ瀬トンネル」のほうではないはずです。

国鉄が民営化された1987年に一般道となったかどうかの確認はできませんでしたが、1980年説については否定できるのではないかと思われます。