上対馬の鰐浦、下対馬の厳原

台風18号の影響で、10月2日の最大瞬間風速1位は対馬の鰐浦(わにうら)、翌10月3日の最大瞬間風速1位は厳原(いづはら)でした。鰐浦は対馬の北端、厳原は対馬の南部です。対馬にはアメダスの観測地点が3か所あります。

鰐浦は豊砲台跡付近と思われます。あいにくストビューでは確認できません。厳原は厳原港ターミナルビルと接続する合同庁舎です。空港の観測点はその所在地名の美津島(みつしま)で呼ばれています。

対馬付近(Google Earthプロ)

日本気象協会「tenki.jp」など複数のWebサイトではアメダス観測点の地図が掲載されていますが、おそらくは気象庁発表の緯度経度で座標入力しているものと思われます。実際の観測ポイントとは100~200mほどの差異が生じています。

厳原の場合は海上にマーカーが示されてしまいます。もちろん海上観測しているわけではありません。ズバリ示されないということは、探す楽しみが残っているということでもあります。

さて、日本の島の面積ランキングは、本州、北海道、九州、四国、択捉島、国後島、沖縄本島、佐渡島、奄美大島、対馬の順です。国土地理院は対馬の面積を695.74平米としていますが、対馬は厳密には陸続きではありません。

対馬には東西の海を繋ぐ2つの運河があります。江戸時代に造られた大船越瀬戸(おおふなこしせと)と、1900年に海軍によって開削された万関瀬戸(まんぜきせと)です。ともに国道382号線が通り、大船越橋と万関橋が架けられています。

万関橋と大船越橋(Google Earthプロ)

瀬戸の名が付いた2つの運河は空港の近くです。一般的にはこの運河付近が上対馬と下対馬の境となるようです。2018年5月撮影のストビューを埋め込みました。万関橋から見た万関瀬戸です。

上対馬と下対馬は、もともとは上県郡と下県郡に由来する区分と思われます。地名に「上」なり「下」なりが付されるときは、上目黒と下目黒、上賀茂神社と下鴨神社のように川の上流と下流の関係にあるケースが多いはずです。

対馬の最高峰は南部の矢立山です。そもそも南北に流れる川自体が対馬には存在しません。何が基準でこの「上下関係」が成立したのか気になります。

「54年後の初勝利」

「会いたい」はアルバム先行?

Wikipedia「会いたい(沢田知可子の曲)」のページに、いささか腑に落ちない文言があります。

表題曲は、4枚目のアルバム『I miss you』に収録された曲だった。最終的にはミリオンヒットを記録し、沢田の最高のヒット曲となった。翌1991年の『第24回全日本有線放送大賞』(読売テレビ)でグランプリを受賞し、その年の『第42回NHK紅白歌合戦』にも出場した。

Wikipedia「会いたい(沢田知可子の曲)

この文章では「会いたい」はアルバム「I miss you」からシングルカットされたように読めます。実はこの曲は第23回イチ抜け曲(2011年2月、財津和夫バージョン)であり、私が当時調べた範囲ではシングルとアルバムは同時発売です。

Wikipedia「沢田知可子」のページでも、8thシングルの「会いたい」と4thアルバム「I miss you」のリリースは、ともに1990年6月27日とされています。同時発売の場合、わざわざ「だった」という書き方はしないはずです。

編集履歴を調べてみたところ、案の定かつてはシングルカットの記述がされていたようです。

表題曲は、元々は自身の4枚目のアルバム『I miss you』に収録された曲だったが、『トゥナイト』(テレビ朝日)のエンディングテーマに起用されたのをきっかけにシングルカットされた。その後、有線放送などで人気を集め、最終的にはミリオンヒットを記録し、沢田の最高のヒット曲となった。翌1991年の『第24回全日本有線放送大賞』(読売テレビ)でグランプリを受賞し、その年の『NHK紅白歌合戦』にも出場した。

「会いたい(沢田知可子の曲)」2014年8月11日 (月)20:06時点

1990年6月の発売で1991年12月の大阪有線大賞受賞曲ですから、リリースされてからヒットするまでタイムラグがあります。そのタイムラグを説明するための記述がアルバムからのシングルカットという誤解につながったものと思われます。

画像検索していみると、「テレビ朝日TONIGHTエンディングテーマ」のクレジットがないジャケット写真もヒットします。タイアップは発売後しばらくしてからのことなのでしょう。

シングルカットが事実に反するだけで、「トゥナイト」で火がついて有線で徐々に浸透したという記述こそ必要なもののように思えます。「I miss you」収録曲であることはあまり重要なことではありません。

うーむ、これは

大阪偕星学園高等学校Webサイトに掲げられている「沿革」のページから冒頭7行です。なお、年号は昭和です。

4年2月19日 甲種商業学校「此花商業学校」として東淀川区長柄中通3丁目に設立許可
4年4月1日  第1本科(昼間部)及び第2本科(夜間部)を設置
20年4月1日  戦時措置により校名を「此花工業学校」と改称
20年9月1日  戦時転用のため、学校を西区元堀江国民学校(仮校舎)へ移転 校名を「此花商業学校」に復す
22年4月1日 学校改革により「此花中学校」併設
24年3月22日 現所在地 生野区勝山南2丁目6番38号へ移転
24年4月1日 校名「此花商業高等学校」となる

大阪偕星学園高等学校「沿革」

昭和20年(1945年)に校名変更したことになっていますが、戦時転換は1944年のはずです。1年の猶予を与えてもらえるような緩いご時世だったとは思えません。有無を言わさず強制されたものと私は理解しています。

元の此花商に戻したのが敗戦からわずか半月後の9月1日ということですが、これもにわかには信じ難いところです。たしかに敗戦によってタガは外れたのでしょうが、はたして行政当局が書面上でも容認したのか疑問が残ります。

「此花商業高等学校」への校名変更は昭和24年ということですが、新制高校にかかわる学制改革は昭和23年(1948年)です。昭和23年に新制高校として校名が変わり、その翌年には「此花商業高等学校」に変更したという意味かもしれません。

「此花工」への改称は昭和19年、「此花商」への改称は昭和21年、「此花商高」への改称は昭和23年ではないかと私は疑っているわけですが、昭和22年の「学改革」は、およそ教育関係者が間違うような用語ではないはずです。

さすがにこれは素人臭が漂います。学制改革の学改革への誤変換はあり得ることでしょうが、「学校改革」ではベースとなる教養そのものが問われても仕方がありません。

柳ヶ瀬トンネルが一般道化されたのはいつ?

柳ヶ瀬トンネルに関して、実は疑問が1つ残っています。ワトソン君を名乗る私としては、ここは「追究」のしどころです。

Wikipedia「柳ヶ瀬線」のページの「国鉄バス時代」の項目には次のように記載されています。(2018/11/07現在)

柳ヶ瀬トンネルはJR化後に1987年(昭和62年)4月1日から県道敦賀柳ヶ瀬線として一般開放された

一方、同じWikipedia「柳ヶ瀬トンネル」のページには次のような記述があります。(同上)

1980年(昭和55年)4月7日 – 一般道として開放。

どちらかが誤りなのでしょう(まあ、どちらも誤りという可能性もあります)。気になるところです。後者の履歴を確認すると、2011年6月15日以降が上の表現であり、それ以前には次のように記されていたようです。

1980年(昭和55年)4月7日 – 北陸自動車道敦賀IC-米原JCT開通により供用開始

これでほぼ解決かもしれません。高速の開通で並行するバス専用道路が一般道化されるというのは、あまり意味が通りません。ただ、北陸自動車道のこの区間はたしかに1980年に開通しています。

以前の記述は北陸自動車道の「柳ヶ瀬トンネル」のことであり、1882年に当時の日本では最長の全長1352mの鉄道トンネルとして完成した「柳ヶ瀬トンネル」のほうではないはずです。

国鉄が民営化された1987年に一般道となったかどうかの確認はできませんでしたが、1980年説については否定できるのではないかと思われます。