隣り合う理容店(2)

青森県五所川原市役所と長崎県諫早市の喜々津駅の近くにも隣り合う理容店がありました。どちらも山形のような住宅地ではありませんが、この様子では隣同士の理容店は全国に100組近くあるのかもしれません。五所川原の衛星写真です。

五所川原市役所付近(Google Earthプロ)

上空からの画像で気になるのは、まるで手形のような形状の画像左下のコンクリ舗装部分です。私道と回転広場なのでしょう。2つの理髪店のストビューは2018年6月撮影のものです。ほぼ同サイズの店舗が見事に並んでいます。

竜飛崎の階段国道で有名な国道339号線の本線沿いです。国道の道路幅員は歩道込みで12mほどと思われます。両店舗の入口と入口の間の距離もその程度なのでしょう。「Since 1969」がおそらくは老舗筋の店舗と推測されます。

旧道とはいえ国道沿いで市の中心部ですから、共存にはあまり問題はないのでしょう。待ち時間の少ない店に流れることもありそうです。一方、諫早のお隣同士はJR長崎本線の喜々津駅から踏切を越えて徒歩3分です。

喜々津駅付近(Google Earthプロ)

長崎本線は喜々津駅から内陸に入る新線と大村湾沿いを走る非電化の旧線に分離して、長崎駅手前の浦上駅で再び合流します。新線の開業は比較的新しい1972年で、新線と旧線の運転本数の比率は約2:1です(平日は34本と16本)。

空撮では駅の北側の更地が気になります。工場跡地で2007年解体ということですが、最新2018年3月撮影の衛星写真でも更地のままです。

パン屋さん「フランス」の隣で開業

山形県鶴岡市は面積の広い市町村ランキングで10位です。国土地理院が発表している2016年10月現在の東京23区の面積は627.57㎡ですので、平成の大合併以後の鶴岡市の面積は23区の2倍以上ということになります。

  • 2,177.61㎡ 高山市(岐阜県)
  • 1,558.06㎡ 浜松市(静岡県)
  • 1,449.83㎡ 日光市(栃木県)
  • 1,427.41㎡ 北見市(北海道)
  • 1,411.83㎡ 静岡市(静岡県)
  • 1,408.04㎡ 足寄町(北海道)
  • 1,362.90㎡ 釧路市(北海道)
  • 1,332.45㎡ 遠軽町(北海道)
  • 1,319.63㎡ 別海町(北海道)
  • 1,311.53㎡ 鶴岡市(山形県)

JR鶴岡駅から南南西に約2.6km、鶴岡城址公園から南に約1kmの旧市域にその店舗はあります。

鶴岡市市街地(Google Earthプロ)

下に埋め込んだストリートビューは2012年10月撮影のものです。フランス国旗をあしらった看板を掲げた角のパン屋さんは遅くとも2009年には開業しているようです。

長らく空室だった?左隣に理容店がオープンしたのは2016年6月ということです。青・白・赤のクラシック型のサインポールを左の畑の側に設置した「BARBER HajimE」という屋号の店舗です。

確信犯的に入居したのでしょうが、立地やサイズ感からしても理髪店は妥当なところです。あいにく最新のストビューは2015年9月撮影のものですので、道路脇にスタンド型のサインポールがあるかどうかは確認できません。

なお、ストビュー未掲載のため、HajimEさんは「山形県の理容店サインポールMAP」には反省させていません。そういうルールでMAP化しています。

展望台駐車場の墓地と雄冬遺跡

「増毛町の願い」という名のヘアローションがあります。その昔、桂歌丸をゲストに迎えたクイズダービーで紹介されたことがあるそうですので、そこそこの歴史を持つ商品のようです。「町」の字の大きさ(小ささ)がポイントです。

増毛町の願い

増毛町(ましけちょう)Webサイトは、町名の由来を「鰊(ニシン)が群来(くき)ると海一面にかもめが飛ぶことから、 アイヌ語で「かもめの多いところ」という意味の「マシュキニ」又は「マシュケ」が転じたもの」と説明しています。

増毛町と石狩市の境界近くにあるのが雄冬峠です。雄冬峠展望台は増毛町側にあります。駐車場が標高110m付近にあり、展望台は木製の遊歩道を登った標高140m付近です。1998年にできたものと思われます。

展望台は11月から3月まで冬季休業ということですが、展望台まで登らなくても、途中の遊歩道から日本海を望む絶景が楽しめるそうです。駐車場のストリートビューは2014年7月撮影のものです。

このストビューを左に150°回転させれば、展望台に続く階段が見えますが、私が気になったのはこの駐車場とお墓の位置関係です。前向き駐車が日本人ドライバーの習性です。墓石に排ガスをかける位置関係になっています。

さすがに多少なりともためらいはあるでしょう。現に白い車は墓石の正面を避けて2台目の枠に停めています。この墓はいったい何だろうというのが第1の疑問です。右から2基目の墓銘は「山崎家之墓」と読み取れます。

一般人の墓のようですが、さらに気になるのが右端の墓の右側に立つ木柱です。そこには「雄冬遺跡」と記されています。遺跡と墓は何か関係があるのでしょうか。北海道教育委員会Webサイトは雄冬遺跡について次のように記載しています。

縄文中期の石器等の破片が数多く出土され、崖錐堆積による巨大石が林立し、その間 には住居址があると言われている。

北海道教育委員会>市町村指定文化財一覧 p25

北海道内の縄文遺跡はそれほど珍しいわけでもありません。ただ、ここは標高100m以上です。海岸沿いの国道231号線(オロロンライン)から駐車場までストビューで登ってみましたが、途中に沢らしきものも見当たりません。

生活に不可欠な水をどう確保していたのだろうという疑問をひとまず置くとしても、 「崖錐堆積」とは穏やかではありません。「崖錐堆積」すなわち崖崩れ跡です。 再度起こる可能性は十分にあるはずです。

おそらく海岸には豊富な水産資源があったのでしょう。食糧には困らなかったのかもしれません。わざわざ海岸から登って酷寒の傾斜地に住居を構えるだけの理由について、私の想像力は及びません。

さて、雄冬遺跡が増毛町の史跡に指定されたのは1979年ということです。展望台をつくったときに遺跡が見つかったというわけではなさそうです。遺跡が見つかる前から墓はあったのかもしれません。

墓石はほぼ同時期に同じ石材で作られているようにも見えます。展望台の駐車場を確保するために墓を移動させる必要があり、そのときに新調されたということなのかもしれません。

愛は平和ではない、愛は戦いである

タイトルそのままの言い回しではありませんが、これを始皇帝による名言として紹介しているサイトがあります。もし始皇帝だとすれば、「史記」の「秦始皇本紀」あたりが出典となるはずですが、その記載はありません。

私の世代がこの言葉に初めて接したのは「愛と誠」だったわけです。「週刊少年マガジン」で1973年から連載された劇画か、1974年夏公開の映画か、同年秋から放映されたTVドラマのいずれかです。

TVドラマは北村総一朗のナレーションから始まります。

愛は平和ではない
愛は戦いである
武器のかわりが
誠実(まこと)であるだけで
それは地上における
もっともはげしい きびしい
みずからをすてて
かからねばならない
戦いである――


わが子よ
このことを
覚えておきなさい
 (ネール元インド首相の
   娘への手紙)

「純愛山河 愛と誠」冒頭のナレーション

1970年代には、インドの初代首相は今の「ネルー」ではなく「ネール」の表記でした。ネット普及率が10%を超えた2000年ごろ、本当にジャワハルラール・ネルーがこの手紙を書いたのかどうかネット上では疑問が呈されていました。

梶原一騎には事実や史実と異なる「創作」が数多く指摘されています。花形満の「青い水面に美しく優雅に浮かぶ白鳥は、しかしその水中にかくれた足で絶え間なく水をかいている」は今では完全に否定されているはずです。

とはいえ「鴨の水掻き」の諺のように、水面下の苦労や努力を察するのも美徳であるかもしれません。また、坂本龍馬の「死ぬときはたとえどぶの中でも前のめりに死にたい」は星一徹が語ったものです。

フィクションの作中人物に語らせるだけなら許容範囲内であると私は理解しています。少なくともそれは捏造にはなりません。ただ、番組冒頭のナレーションで、いわゆる偉人の名を借りると「でっち上げ」の批判は避けられません。

ネルーは自分の一人娘にこのような手紙を書いたのでしょうか。私は疑問に思っていますが、意外に受け入れられているようです。「愛と誠」は2012年に妻夫木聡と武井咲の主演で再映画化されており、この映画でも使われたようです。

邦訳されているネルーの書簡集は、みすず書房の「父が子に語る世界歴史」全8巻を含めて10冊ほどあるようです。末尾外部リンク先のブログ主さんは、これを全部読んだうえで「愛は平和ではない」の文言を確認していません。

仮にネルーでないとしたら、梶原一騎の完全な創作なのでしょうか。私は何かモデルになるものがあるはずだと疑っています。その意味においては、始皇帝説はきわめて魅力的なものです。出所が明示されていませんけど…。

【外部リンク】
漫棚通信ブログ版>梶原一騎とネルー(その2)

最終更新日の設定はお預け

「セットポジション」時代は、次のように各ページの右肩に作成日と最終更新日を記載していました。

インターネット・アーカイブで取得できる最古の「セットポジション」は2001年5月24日時点のものですが、サイト開設から1年経過していないこの時点ですでに更新日を記載しています。昔も今も必要不可欠なものだと考えています。

作成日は手入力でしたが、更新日についてはタイムスタンプを用いており、更新すれば自動的に日付が入る形を整えていました。WordPress移行後は方法がわからず、本文1行目に右寄せで直に記載するという原始的手法を用いています。

いつまでもそういうわけにはいかないでしょうし、そろそろ対応しなければ後が面倒です。検索してみると、どうやらPHP設定で対応できるようです。結論から言うと、まだ私にはハードルが高く、成功には至りませんでした。

このページは動作していません。
set333.net では現在このリクエストを処理できません。
HTTP ERROR 500

HTTP500エラーは、ファイルの記述ミスに起因することが多いようです。今回は固定ページに更新日を記載するため「page.php」だけを差し替えてみたわけですが、本当はその前に「functions.php」も差し替える必要があったようです。

TwentySixteenの場合、前者は60行程度ですが後者は350行ほどあります。追加するコードをどこに放り込んだたらいいのか、さっぱりわかりません。もう少しゆっくり時間をとれる日でなければ対応できません。

  1. 「ロリポップFTP」→「wp-content」→「themes」→「twentysixteen」で「functions.php」と「page.php」をコピー
  2. コピーに追加コードを埋め込んで「twentysixteen-child」で新規作成、保存

この手順で再チャレンジすればいいのではないかと思われますが、さて?