太子(たいし)ではなく、大子(だいご)

目下のところ、この夏唯一の39℃台を記録しているのは茨城県の大子(だいご)です。8月9日に39.0℃を記録していますが、8月7日も38.3℃で最高気温全国1位でした。茨城県大子町は太平洋から30km以上離れた福島と栃木両県に接する町です。

茨城県北部(Google Earthプロ)

当然、その大子町の市街地は盆地になります。大子の観測ポイントは周囲を民家で囲まれており、東40m先は斜面、西70m先には相川が流れています。河岸段丘的な地形です。標高は120mだそうです。

大子の観測ポイントでは1月10日に最低気温-9.4℃を記録していますので、今年の年較差は48.4℃となります。39.5℃(5/26)と-28.6℃(2/9)の佐呂間には及びませんが、本州トップクラスで間違いないはずです。

世田谷や仙台や新潟に太子堂があるのですから、茨城に聖徳太子ゆかりの地名があったとしても不思議ではありませんが、「醍醐水」と呼ばれる湧き水が町名の由来のようです。

町内をストリートビューで散策してみると、石像がやたらと目につきます。とくに気になるのは、常陸大子駅から永源寺(もみじ寺)に向かう長岡橋西詰(南詰?)に置かれた計4体の石像です。

「ながおかはし」のプレートの上で合掌しているのは、髪型からして古代人なのかもしれません。町内には遺跡があるようです。もし女性像だとすれば、川岸であることから弁財天が有力ですが、琵琶は持っていません。

また、親鳥が運んで来る餌を持つ雛鳥のように大口を開けている3体、おそらくは笑い地蔵であろうと思われます。その右には何らかの支柱が切断されたような痕跡があります。

さらにその右側には円盤状のコンクリの起訴が3つあることから、笑い地蔵?はもともとそこに設置されたものであり、支柱跡は合掌している古代人像?の設置箇所であったのかもしれません。

ちなみに、橋の左側はフクロウ、東詰(北詰)は蛙と河童です。何が原因で移設されるに至ったのでしょうか。あいにくストビューは2014年4月撮影の1本だけで、過去を遡ることはできません。

螺旋階段の支柱がトリコロール

「イタリアンなサインポールの理容店MAP」は99軒を反映させたところですが、山形だけまだです。当初の目標が47都道府県完全制覇と99軒でしたので、一方はクリアしたことになります。

実は、県庁所在市はほとんど探していません。軒数の多いところを避けながらでも、これだけ見つかったわけですから、やはり全国には1000軒程度あるのではないかと思われます。

サインポールを2つあるいは3つ縦に重ねて高さを稼いでいる理髪店は何軒かありましたが、さすがにこれはレアでしょう。回らないポールですが、螺旋階段の支柱が3色に塗色されています。2013年2月のストビューです。

あまり実用的ではなさそうな外付けの螺旋階段ですので、最初からそのつもりだったのではないかと思われます。屋根にも注目です。壁面の彩度を抑えたのは景観への配慮ということかもしれません。

派手さではこちらが上を行きます。2014年3月のストビューです。エアコン室外機も塗色されていますが、斜めではなく縦ですので、遠目では理髪店と認識されないかもしれません。念のため航空写真も見てみましたが、屋根は普通でした。

「かしわっぱら」は実在するのか?

ある個人ブログによれば、福島県田村市の「柏原」は「かしわっぱら」と読むようです。困ったことに、田村市のどこだと特定されているわけではありません。田村市には少なくとも2か所の「柏原」があるのです。

  • 田村市船引町芦沢柏原
  • 田村市大越町上大越柏原

田村市の発足は2005年です。福島県田村郡に属する5町村(滝根町、大越町、常葉町、船引町、都路村)が合併して成立しています。合併前の住所はそれぞれ次のようになっていたはずです。

  • 船引町 大字芦沢 字柏原
  • 大越町 大字上大越 字柏原

今のところ、この2か所については「かしわはら」以外の読みが見当たりません。「かしわっぱら」と読む田村第3の「柏原」が存在するのかもしれませんし、あるいは両者のうちのどちらかが「かしわっぱら」と読むのかもしれません。

ジャパンナレッジWebサイトにも「かしわっぱら」が東北にあるとされていますが、これが田村市であるかどうかは示されていません。Web検索で「かしわっぱら」がヒットするのは田村市から360km離れた静岡県島田市です。

どうやらハイキングコース化されているようで、島田市観光協会のマップにも「柏原」の記載があります。最初の休憩ポイントになるようです。Google Mapでは展望台扱いされていますが、たぶんただの野原(広場)です。

島田市の「かしわっぱら」は複数の個人ブログに、その読みを含めて取り上げられています。投稿時期もバラバラですし、同一人物による多重投稿を思わせる要素はありませんので、ステマ展開されたものではないはずです。

それらに掲載されている「柏原」の画像を見ると、ベンチや四阿的なものは見当たりません。ましてやコイン式双眼鏡(観光望遠鏡)が設置されているわけでもないはずです。展望できるのは大井川下流域です。

オフィシャルな形のお墨付きはありませんし、俗称にすぎないのかもしれませんが、私の「柏原MAP」では島田市の「柏原」を「かしわっぱら」として認定します。田村は保留するしかありません。

Google Mapでは柏原(展望台)の北445mに柏原(鉱山)が表示されますが、この鉱山に関してはまったく手がかりが掴めませんでした。なお、島田市内にはイタリアンなサインポールの理髪店が1軒見つかりました。

一方、田村市内でイタリアンを見つけることはできませんでした。ただし、理容店に隣接する美容院の看板に初めて見るパターンがありました。2013年9月のストビューです。

色合い的には3色揃っていますが、イタリアンと誤認しそうなデザインではありませんのでNG判定としました。また、田村では回らないトリコロールが店舗真向かいの駐車場などを彩っている理髪店もありました。2015年8月のストビューです。

カラーコーンのトリコロール彩色としてはこれまでの最多です。それではクエスチョンです。トリコロールの彩色が施されたカラーコーンは何個あるでしょう? (ヒント:左右同数です)

指差すゴリラの道案内

イタリアンなサインポールを探しているうちに、ゴリラのオブジェを見つけてしまいました。看板の上に乗ったゴリラが左手(左前足)で左折を促している道案内のオブジェです。誰が主導して設置したのか気になります。

(A)国道442号線角地の土地所有者
(B)看板記載の歯科医院
(C)オブジェの製作業者

一般的にはBだと思われます。需要がないことには成立しない話です。案内看板がほしかったBがAに持ちかけたと考えるのが自然です。A発信の可能性は否定できませんが、C発信なら両当事者を口説かねばならず、ちょっと無理筋です。

埋め込んだのは2017年5月撮影のストビューです。「宗方歯科」の看板の上にゴリラが乗っかっています。設置箇所は国道沿いの鋭角の角敷地(赤矢印)です。大分市街地から大型ショッピングセンターに向かう途中の下り車線です。

上宗方付近 © OpenStreetMap contributors

緑の矢印が歯医者さんになります。鋭角の角敷地は店舗の駐車場として利用されていないことから、歯科医院が案内看板設置のために買い取ったものかもしれません。もしそうだとすると、次の現実をどう受け止めていいのか怪しくなります。

最新2018年6月撮影のストビューです。歯医者さんの看板は保育園に変わっています。「稙田ほまれ保育園」は2018年4月の開園です。「田」ではなく、のぎへんの「田(わさだ)」です。由緒ある地名です。

この新設保育園はまだネット地図に正確に反映されていないようですが、おおむね青矢印の位置と思われます。設置されたばかりの保育園としては、ゴリラの案内看板は魅力的に違いありません。

歯医者さんとしては、このゴリラはもう十分に目的を果たしてくれたはずです。土地ごと有償譲渡を受け入れる余地はあります。以上、私の推理が正しいかどうかは土地登記簿でわかります。調べませんけど…。

残念ながら、そっちがイタリアン

理容師法と美容師法は理容と美容を次のように定義しています。理容店ではパーマはできず、美容院ではカットや顔そりができないようにしか読めません。

第一条の二 この法律で理容とは、頭髪の刈込、顔そり等の方法により、容姿を整えることをいう。

理容師法

第二条 この法律で「美容」とは、パーマネントウエーブ、結髪、化粧等の方法により、容姿を美しくすることをいう。

美容師法

もちろんそういう厳密な運用はされておらず、両者の境界はかなり曖昧なのが現状です。高知県の全理容店をMAP化しているところですが、一部で美容院も拾っているはずです。

さて、私はイタリアンなサインポールを探しているわけです。別に惜しくはありませんが、「そこがイタリアンなのね」と言いたくなる店舗もありました。まずは2014/06撮影のストビューです。

右手にハサミ、左手にクシを持って走って?いる「チョキちゃん」のキャラクターマークは、1996年に全国理容生活衛生同業組合が公募で選定したもののようです。ガラスに貼り付けられたチョキちゃんのシートがイタリアンです。

一方、こちらは店舗ファサード部の胸板がイタリアン配色で塗色されています。

イタリア国旗は「緑・白・赤」の並び順ですし各色の幅は均一です。この塗色は白が狭く、並び順も「赤・白・緑」ですから、別にイタリア国旗を意識したわけではないのでしょう。

発注はノーマルに「青・白・赤」だったのではないでしょうか。その場合は屋号の文字色が黒になって、あまり具合がよろしくありません。そこで、青が文字色に昇格?して、青の代わりに緑が起用されたのではないかと私は推理します。