30M先~残された?案内看板

山形県内の理容店MAPを作成中です。MAPに落とし込んだのは200店舗を超えましたが、まだイタリアンには出会っていません。「イタリアンなサインポールMAP」には現在、46都道府県106店舗を掲載していますが、空白が山形です。

「高知県の理容店MAP」では、369店舗のうち4店舗がイタリアンでした。今のところの進捗率は4割程度ですので、高知の4店舗には届かないのではないかと思われます。

将棋駒で有名な天童市で気になる看板がありました。県道沿いに掲げられた理髪店の案内看板です。「さんぱつや」という屋号のお店はこの信号を左折して30mということです。

埋め込んだストビューは2015年9月撮影のものですが、2012年10月のストビューでもこの看板は存在しています。そして、2012年10月のストビューですでに「さんぱつや」さんの店舗が見つかりません。

交差点から30m地点には鉄骨のH鋼が不自然に切断されている建物があります。おそらくはそこが「さんぱつや」さんの跡地なのではないかと思われます。それにしても、なぜ看板だけが残されてしまったのでしょう?

なかなか想像力が及びません。同一敷地内の店を閉めるなら、看板も同時に撤去するのが普通です。何気なくストリートビューをクリックしていると、直進した先の右手に、上から「赤・白・青」で塗色された塀が見えてきました。

心躍らせながら接近すると、そこにはフレンチのサインポールが設置されています。「さんぱつや」さんの看板もあります。「さんぱつや」さんは廃業したのではなく、移転しただけだったのです。

県道沿いの看板が残っていた理由も納得です。今となっては「30M先」ではなく「100M先」が正しいわけですが、地方の理容店の性質上、顧客の多くは常連客のはずです。あえて手を加えなくてもさほど支障はないものでしょう。

10リットルのバケツ

京アニ放火事件で最大の謎は、いわゆる自爆テロ≒拡大自殺だったのか、それとも逃げ切れるつもりでいたのか、でした。ガソリンは40リットルの購入しているのに、バケツの容量はせいぜい10リットルです。

20リットル✕2缶のガソリンはあまりにも多すぎます。覚悟を決めた自爆テロは防ぎようがありません。レンタカーの後部座席に火を着けてから車ごと飛び込んだほうが、わざわざ台車で運ぶより話は早いはずです。

そう思ってストリートビューを見たところ、玄関前にはポールが立っていますので車の突入は無理筋です。車なら乗り越えられそうな程度ではありますが、段差も設けられています(道路冠水時の浸水対策かと思われます)。

何にせよ、レンタカーを使えない事情はあったのでしょう。やはり台車は人目を引くものです。40リットル購入したのは、第一スタジオだけでなく、第二スタジオや本社をも標的としていたからに違いありません。

赤が第一スタジオ、青はガソリンスタンド、緑は第二スタジオ、黄色は京アニ本社です。木幡駅やその南の黄檗駅付近にスタンドはありません。第二・第三の犯行を考えていたのなら、40リットル購入で10リットルのバケツの説明がつきます。

確保時に裸足だったりジーンズの右膝より下が焼けていたのは、靴や右足がガソリンで濡れてしまったからなのでしょう。痛みに耐えかねて見ず知らずの民家でインターホンを呼び出したのは完全な計算違いだったはずです。

さて、私が買った2本目のマイマイクはAUDIXのOM3Sです。アニメ第2期の「けいおん!!」EDで秋山澪が使っているスタンドマイクのモデルになったのは、グリップの細いAUDIXのOMシリーズです。

私にはアニメ画像が「AUDN OMS」と読めますが、OMシリーズにはOM2、OM2S、OM3、OM3S、OM5、OM6、OM7、OM11があります。私が持っているのはON/OFFスイッチの付いたOM3Sで、印字としてはOM3です。

AUDIX OM3S

サウンドハウスからの発送メールが残っていました。購入時期は2011年12月の映画版「けいおん!」公開前です。それが直接の動機ではありませんが、私は澪マイクだということを知ったうえで購入しました。

当時、サウンドハウスが扱うダイナミック・マイクでON/OFFスイッチ付きのものはせいぜい4本しかなかったはずです。SHURE SM58は購入済みでしたので、選択の余地はあまりなくOM3を買ったように記憶しています。

私がヒトカラを始めたのは2009年春です。ちょうどアニメ第1期の「けいおん!」が始まった頃です。その年の夏のカラオケリクエストの上位曲に、「桜高軽音部」名義の「ふわふわ時間(タイム)」が入っていたのは覚えています。

リアルタイムで深夜アニメを観ていたわけではありません。けいおん曲の初入賞は 「U&I」 で2012年3月の第37回です。むしろアニオタではないからこそ、「京アニクオリティ」の言葉に納得したものです。

広島と高知の「かしょうばら」

東広島市の「柏原」は「かしょうばら」と読むようです。東広島市は1974年に西条町など4町の合併で発足し、2005年に周辺5町を編入しています。「かしょうばら」は東広島市西条町郷曽にあります。

奈良時代に安芸国の国府や国分寺が置かれたのが旧・西条町です。もし、西条町が海に面していて水運の利があれば、今頃は広島市が西西条市を名乗っていたのかもしれません。

「かしょう」に「柏」の字を当てたのだとすれば、なかなか思い切った発想ですが、もともと柏の木が並んでいたという話もあり、用水路や溜池の造成など新田開発が進んだのは19世紀初頭ということです。

「かしょうばら」の東隣は三升原(さんじょうばら)です。本来は漢字3文字の「(カ)升原」で表されていたのが、いつの間にか「柏原」に置き換えられてしまった可能性もあります。

西条町と佐川町の「かしょうばら」 (Google Earthプロ)

マーカーを置いた稲生神社が西条町の「柏原」です。「かしょうばら」の読みは、東広島市のWebサイトにも記されています。唯一無二とも思われる珍しい読みの「かしょうばら」は、瀬戸内海と四国山脈を越えて高知にもあるのです。

下のマーカーの柏原遺跡は佐川町丙(さかわちょう・へい)にあります。県央部です。あいにく高知県文化財地図情報システムには読み方は掲載されていませんでしたが、これほどイレギュラーな読みがかぶるのはどういうことなのでしょう。

同じ理屈でかぶったのか、十津川村と新十津川町のようにコピーの結果なのか、はたまたたまたま偶然なのか、きわめて興味深い話です。縄文遺跡があるくらいですから入植によるコピーではありません。

佐川町の「かしょうばら」の2kmほど南には「上伏尾」という地名があります。素直に読めば「かみふしお」ですが、実際の読みは「かみふしょう」です。「しお」が「しょう」に転じています(「しょう」に「しお」を当てています)。

この法則に従うと「かしおばら」=「かしょうばら」となります。「柏原」を「かしょうばら」と読むのは違和感ありまくりですが、「柏尾原」あるいは「樫尾原」を「かしょうばら」と読むのはすんなり受け入れられます。

この「かしょうばら」について、これほど食い付いたのは少なくともネット上では私が初めてです。前にも紹介した個人ブログでは、佐川町は「かしょうばら」ですが、西条町は「かしわばら」になっています。

ジャパンナレッジでは中国・四国地方のくくりで「かしょうばら」が1件とされ、どちらなのか特定できません。佐川町の柏原は角川日本地名大辞典では「かしわばら」ですが、ネット地図では例外なく「かしょうばら」です。

隣り合う柏原の読みが異なるミステリー

これは私好みのミステリーです。ちょっとそれはないんじゃないの、と率直に思っている次第です。

 ★仙台市泉区小角(おがく)柏原(かしわら)
 ★仙台市泉区根白石(ねのしろいし)柏原(かしわら)

大字は小角と根白石で、字については「柏原」で共通です。両者は地続きで隣接しています。どちらの「柏原」も10軒に満たない狭いエリアです。Google Mapの航空写真では「柏原」が2つ並んで記されています。

左が「小角柏原」で、右が「根白石柏原」です。「柏原」が2つあるのですから、それぞれが記載されることは別にミステリーではありません。地図としてはむしろ当然のことでしょう。

第1のミステリーは、前者の読みが「かしわはら」で、後者は「かしわばら」だということです。「いつもNAVI」、「MapFan」、「Mapion」、「NAVITIME」、「goo地図」、「Yahoo!地図」のいずれも両者の読みは異なります。

読みのデータはすべてゼンリンさんの提供という可能性もありますので、6対0ではなく実質1対0なのかもしれません。宇奈根や布田は都県境界の多摩川を隔てていますが、表記も読みも同じです。

仙台市泉区の2つの「柏原」は5分あれば端から端まで歩けてしまいます。いくらなんでも隣り合う「柏原」の読みが異なるということがあり得るのでしょうか。何らかのミスを疑いたくなります。

そもそも10軒に満たない字の名前の正式な読みを誰が決めるのかという根源的な疑問もあります。戸籍も住民票も不動産登記もルビは付されていませんので、字の読みは役所マターではありません。

小角柏原(かしわばら)と根白石柏原(かしわはら)

規約違反にならないように、ざっくりトレースしてみました。2つの柏原地区は一緒に小角なり根白石なりに属することにすればいいと思われます。形状的には根白石柏原が小角に入るのが座りがよさそうです。

なぜ「柏原」は切り裂かれてしまったのかというのが第2のミステリーです。1889年の町村制施行時に根白石村と小角村は他の4村と合併しています。当時から柏原が2つあったのかどうかはわかりません。

ネット地図はこぞって小角柏原を「BA」、根白石柏原を「HA」としていますので、「柏原MAP」でもそれに従いますが、私は強い疑問を抱いています。

展望台駐車場の墓地と雄冬遺跡

「増毛町の願い」という名のヘアローションがあります。その昔、桂歌丸をゲストに迎えたクイズダービーで紹介されたことがあるそうですので、そこそこの歴史を持つ商品のようです。「町」の字の大きさ(小ささ)がポイントです。

増毛町の願い

増毛町(ましけちょう)Webサイトは、町名の由来を「鰊(ニシン)が群来(くき)ると海一面にかもめが飛ぶことから、 アイヌ語で「かもめの多いところ」という意味の「マシュキニ」又は「マシュケ」が転じたもの」と説明しています。

増毛町と石狩市の境界近くにあるのが雄冬峠です。雄冬峠展望台は増毛町側にあります。駐車場が標高110m付近にあり、展望台は木製の遊歩道を登った標高140m付近です。1998年にできたものと思われます。

展望台は11月から3月まで冬季休業ということですが、展望台まで登らなくても、途中の遊歩道から日本海を望む絶景が楽しめるそうです。駐車場のストリートビューは2014年7月撮影のものです。

このストビューを左に150°回転させれば、展望台に続く階段が見えますが、私が気になったのはこの駐車場とお墓の位置関係です。前向き駐車が日本人ドライバーの習性です。墓石に排ガスをかける位置関係になっています。

さすがに多少なりともためらいはあるでしょう。現に白い車は墓石の正面を避けて2台目の枠に停めています。この墓はいったい何だろうというのが第1の疑問です。右から2基目の墓銘は「山崎家之墓」と読み取れます。

一般人の墓のようですが、さらに気になるのが右端の墓の右側に立つ木柱です。そこには「雄冬遺跡」と記されています。遺跡と墓は何か関係があるのでしょうか。北海道教育委員会Webサイトは雄冬遺跡について次のように記載しています。

縄文中期の石器等の破片が数多く出土され、崖錐堆積による巨大石が林立し、その間 には住居址があると言われている。

北海道教育委員会>市町村指定文化財一覧 p25

北海道内の縄文遺跡はそれほど珍しいわけでもありません。ただ、ここは標高100m以上です。海岸沿いの国道231号線(オロロンライン)から駐車場までストビューで登ってみましたが、途中に沢らしきものも見当たりません。

生活に不可欠な水をどう確保していたのだろうという疑問をひとまず置くとしても、 「崖錐堆積」とは穏やかではありません。「崖錐堆積」すなわち崖崩れ跡です。 再度起こる可能性は十分にあるはずです。

おそらく海岸には豊富な水産資源があったのでしょう。食糧には困らなかったのかもしれません。わざわざ海岸から登って酷寒の傾斜地に住居を構えるだけの理由について、私の想像力は及びません。

さて、雄冬遺跡が増毛町の史跡に指定されたのは1979年ということです。展望台をつくったときに遺跡が見つかったというわけではなさそうです。遺跡が見つかる前から墓はあったのかもしれません。

墓石はほぼ同時期に同じ石材で作られているようにも見えます。展望台の駐車場を確保するために墓を移動させる必要があり、そのときに新調されたということなのかもしれません。