横断歩道が欠ける三重の国道23号線

東急線で残された数少ない踏切があり、自由通りが中原街道に突き当るのが雪が谷大塚駅前交差点付近です。短い区間に3本の横断歩道が設置されています。変則交差点のうえに踏切も絡んで、いっそう厄介なところです。

この構造では、横断歩道内に取り残されてしまう車が出るのは避けられません。駅の改札は2階ですので、芝信用金庫やauショップのある8番の区画を再開発して、駅とペデストリアンデッキで直結したいところです。

これとは真逆で、なぜここに横断歩道がないのだろうと思ったのが津市内の国道23号線でした。三重県で人口10万人以上を抱える自治体は四日市、津、鈴鹿、松阪、桑名、伊勢の6市です。この6市をつないでいるのが国道23号線です。

SからGに向かっています(緑は横断歩道)

横の太い道路を国道23号線とします。S地点を出発した私はG地点に向かって歩いていました。Aに辿り着いたとき、信号は縦方向が青に変わりました。ところが、AからBに渡る横断歩道がないのです。縦方向の交通量はそれなりにありました。

結局、信号が変わるまで私はA地点での待機を余儀なくされました。こういう構造になっていることを知らないまま次の交差点に向かいます。C地点でまた同じことが起きました。CからDへの横断歩道があれば渡れるのに欠けています。

これをホテルから目的地に向かった朝と、ジャパレンから駅に向かった夕方の2回経験したのです。東京でも大阪でもこのタイプの交差点はありますが、それが連続することはあまりないと思われます。

そこで「三重県内の国道23号線交差点MAP」をつくってみたという次第です。青のマーカーは国道23号線に2本の横断歩道(歩道橋や地下道を含む)のある交差点、赤は1本またはまったく横断歩道のない交差点です。

明和町から伊勢市にかけての田園地帯で青が多いのに、市街地を貫き鉄道とも並行する津市内では赤が多いように思えます。もちろん、地域住民が許容するならそれでいいわけです。横断歩道の設置は警察の権限です。

伊勢市内の高向交差点のストリートビュー(2013/04)には、自転車横断帯を歩行者が渡り終えるところが写っていました。

布施から塚口まで徒歩通学?

三木武夫の総理在任期間は1974年12月から1976年12月までの約2年間です。徳島出身で明治大学雄弁部出身というのは知っていましたが、まさか大阪(尼崎)の商業校を卒業したとは知りませんでした。

尼崎市塚口の中外商高と同市開明町にあった琴浦女子高はともに私立校ですが、1951年4月に尼崎市立北高として統合、半年後には県立移管されています。Wikipediaの同校のページには「主な卒業生」の筆頭に三木武夫の名前があります。

三木武夫は1920年4月に徳島県立徳島商業学校に入学します。1年留年して在籍6年目となる1925年7月に野球部支援バザーの会計をめぐって校長の退任を迫り、結果的には自らが退学の憂き目に遭っています。

徳島商野球部は1915年第1回大会から1924年第10回大会まで四国の予選に連続出場していますが、1925年と1926年は不参加です。三木武夫が退学に追い込まれた事件が関連している可能性が高いものと思われます。

さて、三木が中外商業学校に転籍したのは1925年9月ですが、当時の中外商はまだ設立されたばかりで今の大阪市北区中之島5丁目に仮の校舎があったようです。同年12月に塚口に移転し、三木は翌年3月に無事卒業します。

三木本人も徳島に居たたまれなくなり、叔父らを頼って大阪の布施市(現・東大阪市)へ向かい、1925年(大正14年)9月、私立中外商業学校(現・兵庫県立尼崎北高等学校)に編入することになった。<略>当初大阪市北区玉江町にあった仮校舎まで歩いて通学していたが、同年12月には尼崎市塚口に新校舎が完成したのを機に、塚口まで通学するようになった。

Wikipedia「三木武夫」

微妙な記述です。布施から塚口まで歩いていたと記されているわけではありません。Google Mapで布施駅-中之島5丁目間をルート検索すると徒歩で2時間弱、布施駅-尼崎北高間は4時間以上です。

緑のマーカーが布施駅、青は中之島5丁目、赤が尼崎北高です。さすがに4時間かけて布施から塚口まで歩いたということはないでしょう。阪急線塚口駅の開業は1920年です。今のJR線塚口駅は19世紀中の開業です。

下り車線にだけ設けられた長さ40mの有安トンネル

中国自動車道下り車線の吉川ICを過ぎた右カーブの終わりかけにちょっと不思議な形状の「トンネル」があります。

高速の上に歩道橋が設置されている部分の下り車線だけ長さ40mの構造物が設けられています。ストリートビュー(2017年12月)で見てもやや違和感があります。

山を切り開いて高速道路を建設したのですから、下り車線だけトンネルにする必要があるとは思えません。作らなくてもいいはずのトンネルをわざわざ作ったのは、古墳が見つかったからということのようです。

トンネルの屋根は直径12.5mの円墳を保存するために設けられたものだそうです。そこまでして保存するほどの価値がある遺跡なのだろうかと思わなくもありませんけど…。

というわけで、有安MAPを作成しました。これで公開中のマイマップは7つ目となります。

柳ヶ瀬トンネルが一般道化されたのはいつ?

柳ヶ瀬トンネルに関して、実は疑問が1つ残っています。ワトソン君を名乗る私としては、ここは「追究」のしどころです。

Wikipedia「柳ヶ瀬線」のページの「国鉄バス時代」の項目には次のように記載されています。(2018/11/07現在)

柳ヶ瀬トンネルはJR化後に1987年(昭和62年)4月1日から県道敦賀柳ヶ瀬線として一般開放された

一方、同じWikipedia「柳ヶ瀬トンネル」のページには次のような記述があります。(同上)

1980年(昭和55年)4月7日 – 一般道として開放。

どちらかが誤りなのでしょう(まあ、どちらも誤りという可能性もあります)。気になるところです。後者の履歴を確認すると、2011年6月15日以降が上の表現であり、それ以前には次のように記されていたようです。

1980年(昭和55年)4月7日 – 北陸自動車道敦賀IC-米原JCT開通により供用開始

これでほぼ解決かもしれません。高速の開通で並行するバス専用道路が一般道化されるというのは、あまり意味が通りません。ただ、北陸自動車道のこの区間はたしかに1980年に開通しています。

以前の記述は北陸自動車道の「柳ヶ瀬トンネル」のことであり、1882年に当時の日本では最長の全長1352mの鉄道トンネルとして完成した「柳ヶ瀬トンネル」のほうではないはずです。

国鉄が民営化された1987年に一般道となったかどうかの確認はできませんでしたが、1980年説については否定できるのではないかと思われます。

滋賀・福井県境の柳ヶ瀬トンネル

アメダスの観測ポイントには、私が初めて接する地名がありました。次に掲げる観測点などは、ほぼ確実に他県と勘違いしそうです。

  • 33136 岩手県久慈市山形町川井
  • 45291 千葉県市原市米沢
  • 54191 新潟県岩船郡関川村下関
  • 60026 滋賀県長浜市余呉町柳ケ瀬字大門
  • 67026 広島県庄原市西城町三坂(道後山
  • 73256 愛媛県大洲市長浜
  • 88211 鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名字大谷(八重山
  • 88931 鹿児島県大島郡天城町大字浅間字湾屋 徳之島航空気象観測所

この中で気になったのが滋賀県の柳ケ瀬です。どうやら柳ケ瀬山に由来するもののようですが、滋賀と福井の県境には柳ヶ瀬トンネルがあります。北陸自動車道の柳ヶ瀬トンネルは上下2本あり、いずれも2車線です。

一方、県道140号敦賀柳ヶ瀬線のトンネルは単線だった頃の北陸本線の旧ルートであるらしく、1964年の廃線後には国鉄バスの専用道路となり、バス撤退後は一般道として転用されています。

この県道のトンネルは、標識にあるように大型車だけでなく自転車や歩行者も通行できません。現在は片側交互通行で運用されており、標識の手前には信号が設置されています。その信号待ちの赤信号は最大6分30秒だそうです。

ドラレコ動画ではトンネルを通過するのに2分ほどかかっています。時速換算で約40km/hです。狭さと暗さで慣れていてもそれ以上は厳しいのかもしれませんが、それなりの交通量はあるようです。

Google Mapで滋賀県長浜市余呉町柳ケ瀬の「景好寺」(赤)から福井県敦賀市曽々木の「釣エサ釣具なかむら敦賀店」(青)までルート検索してみました。柳ヶ瀬トンネルは緑線部分です。

意地の悪い私は徒歩検索に切り替えました。案の定、柳ヶ瀬トンネルを通過するルートが示されました。その距離は8.4キロで所要時間は2時間15分です。徒歩検索はまだ実用的なレベルには達していないようです。

「詳細」をクリックすると、「ご注意ください – 徒歩ルートは実際の状況を反映していない場合があります」のメッセージが表示されます。素直に信じてはいけないことをグーグル先生自身が認めています。

柳ヶ瀬トンネルが徒歩通行不可のため、実際に「景好寺」(赤)から「釣エサ釣具なかむら敦賀店」(青)まで徒歩移動しようとすると、南に大きく迂回して6時間以上かかるものと思われます。

数年後、私は再びこの区間のルート検索を試みるつもりです。