直径1mの回らないサインポール

伊達市は北海道と福島にあります。北海道の伊達市は1972年の市制施行です。福島県の伊達市は2005年に伊達郡5町が合併して成立しています。伊達家の発祥が福島の伊達で、伊達家の分家が入植したのが北海道の伊達です。

2つの伊達市(Google Earthプロ)

もともと新市名がかぶらないように「伊達市を除く」で公募しながら、それでも「伊達市」票は多かったそうです。新市名が決まった段階では北海道側も合併協議中です。強く反対することはできなかったのでしょう。

北海道の伊達市では直径1mはあると思われる巨大サインポールが見つかりました。これまで私が(ストビューで)見た中では最大の太さです。ただし、クルクル回転するわけではありません。

埋め込んだのは2014年7月撮影のストリートビューです。3階建ての鉄筋コンクリート造と思われますが、交差点角の柱部分を巨大サインポールに見立てて塗色されています。どうして茶色の部分を残したのかは謎です。

もう3000軒以上の理容店サインポールを見ているはずですが、これまで私の中での一番のお気に入りは富山県黒部市で見かけたものです。厳密に言えば、ポールではありませんけど…。

あいにく2014年9月のストビューしかありません。2010年10月に「吉床」さんから「ワイト」さんに屋号を変えて新装オープンしているようです。代替わりだったのかもしれません。

このサインポールも回らないものと思われますが、電源コードが伸びているのが気になります。隣の丸いコンクリ基礎が何に使われているのかというのも引っかかります。この基礎は2010年の開店時の写真には存在しません。

地上からの高さ47.9mの風速計

千葉県の地方気象台は銚子に設置されています。地理的な要素からそうなっているのでしょう。県庁所在地の千葉市にあるのは千葉特別地域気象観測所です。なぜかGoogle Mapでは「測候所」扱いされます。

富士山頂を始め、かつては100か所以上あった有人の「測候所」の多くは機械観測の「特別地域気象観測所」に転換されています。千葉測候所が千葉特別地域気象観測所に移行したのは比較的最近で2010年です。

千葉特別地域気象観測所(Google Earthプロ)

きのう9月9日の最大瞬間風速1位は千葉の57.5m/sでした。その所在地「中央港1丁目」が示すように、建物があるのは東京湾沿岸の埋立地です。気温と雨量を測る装置は建物の南側にうっすら見える芝生に設置されてるはずです。

千葉の風向風速計の地上からの高さは47.9mと公表されています。風速を観測対象としている観測ポイントは900か所以上ですが、千葉は全国で10位の高さになります。周囲のビルより高い位置に設置する必要があるのでしょう。

  • 95.4m 広島
  • 69.9m 岡山
  • 66.1m 釧路
  • 59.5m 札幌
  • 56.1m 佐賀
  • 52.6m 仙台
  • 49.8m 八王子
  • 49.4m 宇都宮
  • 49.3m 白河
  • 48.4m 金沢
  • 47.9m 千葉

埋め込んだのは2014年12月撮影のストリートビューです。5階建ての合同庁舎の屋上には建物より高い塔が建っています。ストビューでは確認できませんが、風向風速計はその最上部に設置されているものと思われます。

もともとは測候所ですから、千葉で最大瞬間風速の統計を取り始めたのは1966年です。これまでの記録は1985年7月1日の48.6m/sですから、昨日の57.5m/sは大幅な更新です。台風15号により最大瞬間風速が書き換えられたのは19地点です。

  • 46.3→58.1m/s 9/8 21:03 神津島(東京)
  • 47.3→48.4m/s 9/8 22:12 三宅坪田(東京)
  • 39.0→48.3m/s 9/8 23:17 稲取(静岡)
  • 34.0→52.0m/s 9/8 23:38 新島(東京)
  • 38.5→41.7m/s 9/9 01:33 三浦(神奈川)
  • 36.3→49.0m/s 9/9 02:48 木更津(千葉)
  • 31.6→33.6m/s 9/9 03:17 坂畑(千葉)
  • 41.7→43.2m/s 9/9 03:27 羽田(東京)
  • 32.5→35.6m/s 9/9 03:32 鴨川(千葉)
  • 29.4→33.9m/s 9/9 04:23 牛久(千葉)
  • 48.6→57.5m/s 9/9 04:28 千葉(千葉)
  • 31.9→34.3m/s 9/9 04:43 茂原(千葉)
  • 32.6→33.9m/s 9/9 05:01 佐倉(千葉)
  • 32.0→36.9m/s 9/9 05:16 龍ケ崎(茨城)
  • 31.5→37.5m/s 9/9 05:23 横芝光(千葉)
  • 36.0→45.8m/s 9/9 05:36 成田(千葉)
  • 32.4→37.0m/s 9/9 06:19 香取(千葉)
  • 29.6→29.7m/s 9/9 06:24 鉾田(茨城)
  • 28.3→36.6m/s 9/9 06:55 鹿嶋(茨城)

このうち千葉以外の18地点は最大瞬間風速の統計開始時期が2008年以降です。つまり、同じ観測史上1位の更新と言っても「50年に1度」だった千葉とは少しレベルが違うのかもしれません。

また、神津島や羽田や成田の風速風向計の設置高さは地上から10mです。47.9mの千葉はほかの観測地点と等しい条件とは言えません。他地点と比較するときは千葉の数値が高く出ることを知っておくべきです。

「風速計の設置高さ」

私立島根商の跡地は県営住宅

1900年に開校した「島根県商業学校」は翌1901年に「島根県立商業学校」に改称します。「島根県立松江商業学校」になるのは1933年です。松江商は創設期の「島根商」時代に夏1回、春は2回甲子園に出ています。

1924年開校の「松江簿記学校」は1946年に「松江高等経理学校」に改称し、1964年には「島根商業高等学校」になります。私立とはいえ、30年ぶりに「島根商」を名乗る学校が出現しました。

「松江高等経理学校」時代の所在地は松江駅前の朝日町です。専門学校から高校に組織変更したのを契機に郊外の大庭町に移転しています。私立の島根商高は、1976年には「松江西高等学校」に改称します。

一方の松江商は1985年10月に上乃木から今の浜乃木に移転します。この松江商の跡地に新校舎を建築して1987年に移転したのは松江西高です。旧(県立)島根商の学校用地を旧(私立)島根商が譲り受けたことになります。

さて、私立島根商時代の学校所在地である大庭町は町域がかなり広く、立正大淞南高も大庭町内にあります。1975年の地形図には一ノ谷池の南200mに丸囲みの文マークが記されていますので、これが私立島根商高と思われます。

今では県営住宅が建っています。1975年の地形図には運動公園も県立大もありません。ここなら、私はニアミスしたことがあります。運動公園内の松江市営球場には2007年に1回だけ訪れています。

旧・私立島根商業高校付近 Google Earthプロ

ボートのあるモータープール

和歌山県立神島高校Webサイトの「沿革」には、クラス編成の変遷も記されています。縮図のようにも感じましたので、表をつくってみました。

1948年の学制改革で旧制中学相当の市内4校は田辺高校に一本化されますが、1956年に商業科3クラスと商業家庭科2クラスで田辺商高が独立します。

田辺商高→神島高のクラス編成

1979年には普通科が併設され、1995年には商業系再編で「商業科」はなくなります。2005年にも学科の再編があり、翌2006年に現校名となります。ピーク時には11学級だったのに、約20年後の今はほぼ半減の6学級です。

田辺は和歌山第2の都市です。学校の数自体が減っている中で商業高校を名乗りながら存続できるのは、それこそ1県1~2校のレベルなのでしょう。新しい高校名となった神島は南方熊楠で有名な無人島の名前です。

海沿いにある高校からの距離は約2kmです。YouTubeには熊楠顕彰館による空撮動画がありましたので埋め込んでおきます。島そのものが天然記念物で、上陸には教育委員会の許可を要するということです。

さて、田辺と言えば私にとってはモータープールの名産地ですが、神島高校付近ではあまり見当たりません。「月極駐車場」や「月極め駐車場」の看板ばかりでした。新たに見つけたのは1か所だけです。

2017年11月のストビューです。駐車場の奥に見えるのは車ではなくボートです。海に近いからこその光景ですが、最初に見つけたモータープールがもしここなら、なんとなく納得したのかもしれません。

2つの尼崎商と尼崎工

1948年4月の学制改革で尼崎市立の新制高校は6校誕生しているようです。

市立尼崎高等女学校→市立尼崎高等学校

1913年に尼崎町立実科高等女学校として設立され、1919年に尼崎市立高等女学校、1948年に尼崎市立尼崎高等学校と名称変更しています。1948年に共学化されたわけですが、もともと男子校だった県立尼崎高との間で年度途中に生徒を入れ替えるという荒業も試みたようです。

上ノ島町1丁目の現在地に移転したのが1966年で、それまでの所在地は南城内(今の明城小学校)です。1960年の地形図にはとっくに消滅したはずの「高女校」の名称が記載されています。

市立第二高等女学校→市立城内高等学校

高女校に併設されていた夜間課程の第二高女は学制改革で城内高に名前を変えます。定時制普通科の女子校です。定時制商業科の男子校だった琴城商高を吸収する形で統合するのは1949年です。

城内高は1967年に南城内から北城内に移転し、2013年には市立尼崎工高(2代目)と統合されて、今は尼崎市立琴ノ浦高になっています。

市立工業学校→市立尼崎工業高等学校

2013年に城内高と統合された市立尼崎工高は「2代目」です。住友工業高等学校と1954年新設の(2代目)市立尼崎商高との統合で1956年に誕生した市立尼崎産業高の定時制が1972年に独立した高校です。

1948年に新制高校に移行した(初代)市立尼崎工高は、翌1949年に県立尼崎工高に統合されています。県立尼崎工高Webサイト「沿革」のページにその旨の記載があります。

市立商業学校→市立尼崎商業高等学校

さて、いよいよここからが本題です。1934年設立の尼崎市立商業学校は夜間課程でしたが、1941年には昼間課程が併設されます。1948年4月の学制改革では全日制の(初代)尼崎商高と定時制の尼崎第二商高に分離されています。

1948年7月に発足わずか3か月の(初代)尼崎商高は、やはり全日制の尼崎女子商高と統合されます。統合後の尼崎商高の校舎がどこなのかは判然としません。1949年には県立尼崎高と市立尼崎高に吸収されて、(初代)尼崎商高は消滅します。

市立商業学校→市立第二尼崎商業高等学校

一方、定時制の第二尼崎商高は1948年7月に琴城商高に名称変更しますが、前述したように1949年には城内高に統合されています。琴城商高の所在地についてもはっきりとしません。

市立女子商業学校→市立尼崎女子商業高等学校

市立女子商は1944年設立ですから戦時転換がもたらしたものです。1948年4月の学制改革で尼崎女子商高となりますが、1948年7月に(初代)尼崎商高と統合されるのは先に述べたとおりです。

私のミッションは商業高校の最終所在地です。「商業高校MAP」では、(初代)尼崎商高については尼崎女子商高の所在地と思われる北城内、琴城商高については尼崎商時代に仮校舎として使用していた金楽寺小にマーカーを置いています。

なお、1954年設立で1956年統合の(2代目)市立尼崎商高の所在地は、南城内ということですので、市立尼崎高や城内との同居だったのかもしれません。