鶴居村の謎の構造物

4月17日の最高気温1位は北海道の鶴居村でした。この日の最高気温ベスト10は次のとおりです。北海道と沖縄で占められるシュールなランキングです。

  • 27.1℃ 北海道阿寒郡鶴居村 鶴居(ツルイ)
  • 26.9℃ 沖縄県八重山郡竹富町 波照間(ハテルマ)
  • 26.8℃ 沖縄県八重山郡竹富町 志多阿原(シタアバル)
  • 26.5℃ 北海道釧路市 中徹別(ナカテシベツ)
  • 26.4℃ 沖縄県島尻郡北大東村 北大東(キタダイトウ)
  • 26.4℃ 沖縄県石垣市 石垣島(イシガキジマ)
  • 26.4℃ 北海道野付郡別海町 別海(ベツカイ)
  • 26.4℃ 北海道標津郡中標津町 根室中標津(ネムロナカシベツ)
  • 26.3℃ 北海道釧路市 鶴丘(ツルオカ)
  • 26.2℃ 沖縄県島尻郡南大東村 南大東(ミナミダイトウ)
  • 26.2℃ 沖縄県八重山郡竹富町 西表島(イリオモテジマ)

波照間や志多阿原という上位常連組を抑えての1位だったわけですが、鶴居村のアメダスポイントを探しにストリートビューを開いてみました。観測地点は露場(ろじょう)と呼ばれています。露場が市街地にあればストビューで確認できます。

あっさり見つかったものの、その近くにある構造物が気になります。画面中央の高さ4mほどの金属製の構造物はいったい何なのでしょうか。モニュメントなのか街灯のように実用的なものなのか気になります。

近未来的なこの形状なら無意味に建てられたものではないはずです。ストビューは2014年7月に撮影されただけで、2巡目はまだ回ってきていません。残念ながら私の想像力は及びませんでした。

さて、鶴居村はその名称の由来となるタンチョウの生息地です。越冬ではなく留鳥で、餌の少なくなる冬季に餌付けしているだけのようです。釧路空港から鶴居村まで車で40分弱です。村域に釧路湿原を含み、北には阿寒岳を臨みます。

愛は平和ではない、愛は戦いである

タイトルそのままの言い回しではありませんが、これを始皇帝による名言として紹介しているサイトがあります。もし始皇帝だとすれば、「史記」の「秦始皇本紀」あたりが出典となるはずですが、その記載はありません。

私の世代がこの言葉に初めて接したのは「愛と誠」だったわけです。「週刊少年マガジン」で1973年から連載された劇画か、1974年夏公開の映画か、同年秋から放映されたTVドラマのいずれかです。

TVドラマは北村総一朗のナレーションから始まります。

愛は平和ではない
愛は戦いである
武器のかわりが
誠実(まこと)であるだけで
それは地上における
もっともはげしい きびしい
みずからをすてて
かからねばならない
戦いである――


わが子よ
このことを
覚えておきなさい
 (ネール元インド首相の
   娘への手紙)

「純愛山河 愛と誠」冒頭のナレーション

1970年代には、インドの初代首相は今の「ネルー」ではなく「ネール」の表記でした。ネット普及率が10%を超えた2000年ごろ、本当にジャワハルラール・ネルーがこの手紙を書いたのかどうかネット上では疑問が呈されていました。

梶原一騎には事実や史実と異なる「創作」が数多く指摘されています。花形満の「青い水面に美しく優雅に浮かぶ白鳥は、しかしその水中にかくれた足で絶え間なく水をかいている」は今では完全に否定されているはずです。

とはいえ「鴨の水掻き」の諺のように、水面下の苦労や努力を察するのも美徳であるかもしれません。また、坂本龍馬の「死ぬときはたとえどぶの中でも前のめりに死にたい」は星一徹が語ったものです。

フィクションの作中人物に語らせるだけなら許容範囲内であると私は理解しています。少なくともそれは捏造にはなりません。ただ、番組冒頭のナレーションで、いわゆる偉人の名を借りると「でっち上げ」の批判は避けられません。

ネルーは自分の一人娘にこのような手紙を書いたのでしょうか。私は疑問に思っていますが、意外に受け入れられているようです。「愛と誠」は2012年に妻夫木聡と武井咲の主演で再映画化されており、この映画でも使われたようです。

邦訳されているネルーの書簡集は、みすず書房の「父が子に語る世界歴史」全8巻を含めて10冊ほどあるようです。末尾外部リンク先のブログ主さんは、これを全部読んだうえで「愛は平和ではない」の文言を確認していません。

仮にネルーでないとしたら、梶原一騎の完全な創作なのでしょうか。私は何かモデルになるものがあるはずだと疑っています。その意味においては、始皇帝説はきわめて魅力的なものです。出所が明示されていませんけど…。

【外部リンク】
漫棚通信ブログ版>梶原一騎とネルー(その2)

独自ドメインとドラクロワ

「セットポジション」時代の2005年8月に「https://set333.net/」の独自ドメインを取得したわけですが、当時のサイト名から「set」をとり、野球が「3」または「9」に縁の深い競技であることから「333」を付加しました。商用サイトではないことから、「com」は選びませんでした。

シンプルで個人的にはかなり気に入っていましたが、今となっては少し持て余し気味です。重荷にはなりませんが、今では整合性に欠けます。だからと言って、改めてドメインを取得するほどのこともありませんので、このまま続けます。

さて、今日はモータープールをお休みして、旧「んだ」を少し片付けておこうと思います。旧「セットポジション」には「神宮のアンリ・ルソー」というページがありました(のちに「茜色と漆黒とアンリ・ルソー」に改題)。

その日は開会式込みの4試合日だった。第4試合は16:50に始まり、6回表(18:02)に点灯された。ただし、6基の照明灯のうち内野の4基だけが灯された。たしかに、打球はめったに外野フェンスまで飛ばない。なにしろ、私が見ていたのは中学生の硬式野球なのだ。リトルシニア選手権開催中の神宮球場だった。

無駄な電力を消費して、地球温暖化に貢献する必要はないという感心な心がけなのかもしれない。外野の照明がつかなかったので、夏の黄昏が深まり本格的な闇に移るにつれて、幻想的な世界に変わっていった。まるでアンリ・ルソーの絵の前でたたずんでいるような、そんな気がした。

外野スタンド越しに見える高層ビルの横には上弦の月。満月でないのがちょっと残念だが、「眠れるジプシー女」のライオンでも出てきそうだ。私はネット裏の上(後ろ)から見ているので、余計にそう感じたのかもしれない。

これは、「セットポジション」閉鎖時の「茜色と漆黒とアンリ・ルソー」のページの冒頭です。どこをどうこじつけたのか、今となってはわかりませんが、改題前の「神宮のアンリ・ルソー」では次のような書き出しだったようです。

「アルジェの女たち」や「キオス島の虐殺」などで知られる19世紀フランスの画家・ドラクロワは、その少年時代に万引きで警官に追われてルーブル美術館に逃げ込んだそうだ。ほどなくドラクロワは捕まったという。

なぜなら、ドラクロワ少年は、ある絵の前で感動のあまり立ちすくんでいたからだ。少年は警官に「おまわりさん、おいら絵描きになるよ」と語ったらしい。できすぎた話だから、本当かどうかは知らない。

で、このエピソードについて、旧「んだ」で指名手配をかけたところ、立原あゆみのコミック本だろうというご教示がありました。私も何冊か読んでいますので、おそらく間違いはないのでしょう。

実話なのか、あるいは「巨人の星」に出てくる坂本龍馬の「死ぬときは前のめりで」や「優雅に泳ぐ白鳥は水面下では~」の類なのか、改めて指名手配をかけておきたいと思います。