淡路島・洲本はモータープール銀座

洲本市役所のWebサイトによれば、洲本市の人口は9月末現在で44,909人だそうです。今のところ、洲本市内で23か所の貸駐車場としての「モータープール」を見つけました。

尼崎市役所のWebサイトで公表されている2017年9月の推計人口は451,184人で、洲本の約10倍です。尼崎は大阪に隣接し「大阪市尼崎区」と呼ばれることさえありますが、まだMAP反映は21か所です。

おそらく洲本は大阪以外でもっとも高密度に「モータープール」が存在する基礎自治体ではないかと思われます。数としては50か所に迫っている奈良市が最多になりそうな勢いですが、対人口比率で洲本に並ぶには184か所必要です。

洲本の駐車場事情は、タイムズさんやリパークさんのような全国展開の駐車場が少ないという特徴的な傾向があります。地元の不動産業者が主導した結果だとしても、ネーミングはやはりオーナー次第でしょう。

古くからある大型の貸駐車場がまず「モータープール」を名乗り、中小がそれに追随したと考えるのが自然なのかもしれません。全国規模の大手が容易に手を出せない地域性が「モータープール」王国を維持しているようです。

私は淡路島の南にある沼島に行く途中で洲本の街を歩いたことがありますが、アーケードの商店街に入ったため、「モータープール」の存在には気づきませんでした。洲本市街地には八狸伝説に由来する狸の石像が8体設置されています。

ストリートビューは八狸の長老格とされる宅左衛門狸です。もっとも有名な柴右衛門狸の像は洲本八幡神社境内にありますが、石像の隣には道頓堀・中座の舞台下に祀られていた「柴右衛門狸大明神」が里帰りしています。

柴右衛門狸については、おおむね次のようなストーリーが語られています。

  • 芝居好きの柴右衛門狸が人間に化けて中座に通っていた
  • 木戸銭に木の葉が混ざっていることが不審がられた
  • 柴右衛門狸は中座側が用意した番犬に噛み殺された
  • その直後から中座の客足が鈍り、柴右衛門の祟りと噂された
  • 中座は柴右衛門狸を手厚く祀り、人気は回復した

明石海峡大橋の架橋以前、島外に出る手段は海路しかありませんでした。陸路の今は神戸経由で大阪に入ることなりますが、海路ではダイレクトに大阪まで行けるわけです。

島北部の淡路市、とりわけ旧・岩屋町は対岸の明石やその東隣の神戸との関係が深いのでしょうが、島中部の洲本港からの海路利用では神戸と大阪はさほどの大差が生じません。

というわけで、洲本は大阪志向が強いのではないかと思われますが、もともと淡路島には民間有料駐車場がビジネスとして成立しそうな市街地が洲本しかありません。洲本以外では、津名で2か所の「モータープール」を確認できただけです。

54年後の初勝利

1924年第10回大会のウラ優勝校は旧制・対馬中学です。

  • 広島商3-0松本商9-3鳥取一中5-4宇都宮中10-7佐賀中
  • (九州大会)佐賀中10-3長崎商6-2長崎中11-6唐津中(棄権)対馬中

甲子園球場ができたのが1924年です。翌1925年に東京六大学野球が始まり、1926年秋に神宮球場が竣工しています。プロ野球の発足までまだ10年あります。この時点で、離島の対馬に野球が普及していたというのはいささか驚きです。

棄権ということですから、旅費が工面できなかったのか海が荒れたのか、理由としてはそんなところかもしれません。対馬中の実質的初参戦は5年後の1929年第15回大会です。修猷館に1対12で敗れています。

3度目の挑戦が1950年の第32回大会で、このときも棄権しています。初勝利は実質2戦目となる1978年第60回大会です。鹿町工に4対0で完封勝ちしています。最初に手を挙げてから50余年ですから、当時の選手たちは70歳に達してたことになるわけです。

Wikipediaの「長崎県立対馬高等学校」のページは「沿革」がかなり細かく、公式サイトをはるかにしのいでいます。1906年11月7日に「桟原33番地(現・対馬市立厳原中学校校地)に移転」との記述があります(2017/08/31現在)。

対馬高校の分校だった時代もある上対馬高校は1998年のウラ優勝校です。離島ですから行くなら空路か海路になりますが、空路は福岡空港と長崎空港から1日各4往復です。長崎はプロペラ機のようです。

海路は博多港から高速船とフェリーで計1日5往復ということです。高速船で使えそうなのは10:30発(12:45着)の便だけです。暗くなってから離島に着いても動きようがありません。

対馬観光物産協会さんが観光地マップを作成されていますので、埋め込んでおきます。