アメ横でもアメヤ横丁でもなくアメ横丁

香港デモのニュース写真に日本語で「アメ横丁」の看板がありました。看板の色合いはダイコクドラッグを思い出します。どうやら香港で少なくとも数店舗を展開している食品販売のチェーン店のようです。

上野アメ横もお菓子販売の香港「アメ横丁」も、同じ飴由来なのだとすれば、まんざら否定されるいわれはなさそうです。むしろ原点回帰とか逆輸入とさえ言えるのかもしれません。

香港(Google Earthプロ)

ニュース画像の店舗を探してみたら、九龍のネイザン・ロード沿いで地下鉄太子駅前でした。最新2017年1月のストビューには「アメ横丁」の店舗がありますが、2011年2月のストビューでは別の店舗でした。

ストビュー左端の店舗は「優の良品」です。ここは「雪の恋人」という名前のクッキーを販売しています。雪は降らないはずの香港ですが「日式銘菓」だそうですから、やはり何かにインスパイアされたのでしょう。

香港と那覇の月別平均最高気温と最低気温を比較してみました。緯度的にはまるごと台湾の差がありますが、気温的には大差はないようです。5月あたりは香港のほうが暑く、冬場はむしろ那覇のほうが暖かくなっています。

さて、ストビューの「アメ横丁」の看板の右側にはサインポールが見えます。もちろん「青・白・赤」のスタンダードタイプです。

「理髪店のサインポールは世界共通?」

イタリアンの隣のイタリアン

フレンチレストランの隣に「青・白・赤」のノーマルなサインポールを掲げた理髪店を見かけたのは徳島市内でした。東京・築地には、イタ飯店の隣に「緑・白・赤」のサインポールが設置された理髪店があります。もはや究極のパターンです。

2016年2月のストビューを埋め込みました。左が「イタリア食堂のら」さんで、右が「石井理容室」さんです。「のら」さんはアド街でも紹介されたようです。さて、気になるのは両者の関係です。

「石井理容室」に「緑・白・赤」のサインポールが設置されたのと、「のら」さんの開業はどちらが先なのでしょう。サインポールの設置が先だとすれば、物件を探していた「のら」さんは、そのサインポールにいわば便乗したことになります。

ひょっとすると、物件を選ぶ決め手になったかもしれません。逆に、「のら」さんの開業後にイタリアンなサインポールが設置されたのなら、隣人に敬意を払いながら(お隣のリアクションを期待して?)発注したわけです。

まあ、両店舗のオーナーが同一の可能性もなくはありません。この建物が個人所有のビルだとすれば、2つの店舗は夫婦や親子が経営しているかもしれないわけです。この建物は「ルックハイツ築地」という分譲マンションです。

施主は交通公社総合開発ということですので、「ルック…」の名称にも納得です。分譲マンションであっても、1人で表通りに隣接する2店舗を購入あるいは賃貸する可能性は否定できませんが、少し薄い話です。

一番古いストビューは2009年12月であり、この時点で両店舗とも存在しています。「のら」さんのWebサイトは2007年7月開設と思われます。これ以前の「のら」さんに関する情報は見当たりません。おそらくオープンはこの時期でしょう。

一方、私が検索した限りでは、「石井理容室」さんに関するネット上の最古の情報は2009年10月で「イシイ理容室」の屋号です。ただ、その電話番号は2000年の電話帳に掲載されています。

イタリアンなサインポールの設置は別の問題として、店舗としては「石井理容室」さんが「のら」さんより先にあったものと思われます。というわけで、真相はヤブの中ですが、わかったところで実益はありません。

リンゴ「ふじ」の生誕地

今年5月に発表された農林水産統計では、リンゴの品種別収穫量は「ふじ」が40万3,000トンで53%、「つがる」が7万8,600トンで10%、「王林」が5万2,300トンで7%です。今や「ふじ」は世界有数のリンゴ品種だそうです。

「ふじ」の名前の由来は、「ふじ」生誕の園芸試験場が所在する青森県南津軽郡藤崎町と富士山と山本富士子ということです。藤崎町は国道7号線沿いで、弘前市と青森市に挟まれています。鉄道では奥羽本線と五能線の合流点です。

藤崎町(大字)榊(字)柏原は、素直に「かしわばら」でいいものと思われます。と言うより、判断材料が少なく検討の余地がさほどありません。郵便番号検索ではヒットしません。各種ネット地図では「かしわばら」です。

藤崎町榊柏原付近(Google Earthプロ)

柏原地区は藤崎町のほぼ中央部に位置しますが、街の中心部というわけではありません。画像中央の7号線バイパスと県道が交わる辺りが柏原地区です。ストリートビューで見た限りでは1棟の建物もありません。田んぼばかりです。

建物がない以上、「柏原」が施設名称に使われることもないわけです。土地登記簿上だけの地名と言ってもいいかもしれません。そんな地名の読みを誰が気にするのかということになってしまいます。

さて、1930年代から農林省園芸試験場東北支場で育成された「ふじ」が品種登録されたのは1962年だそうです。試験場は再編統合によって盛岡に移転し、今は弘前大学農学生命科学部の藤崎農場です。

「ふじ保育園」や「ふじロード」、「藤崎アップル球場」などの名称にその痕跡は残っていますが、全国唯一の「りんご科」が設置されていた弘前実業藤崎分校も今年3月には閉校しています。

「柏原」の西南西約3.6kmの交差点にリンゴのフォルムを意識したと思われる木がありました。2014年6月のストビューです。

広島と高知の「かしょうばら」

東広島市の「柏原」は「かしょうばら」と読むようです。東広島市は1974年に西条町など4町の合併で発足し、2005年に周辺5町を編入しています。「かしょうばら」は東広島市西条町郷曽にあります。

奈良時代に安芸国の国府や国分寺が置かれたのが旧・西条町です。もし、西条町が海に面していて水運の利があれば、今頃は広島市が西西条市を名乗っていたのかもしれません。

「かしょう」に「柏」の字を当てたのだとすれば、なかなか思い切った発想ですが、もともと柏の木が並んでいたという話もあり、用水路や溜池の造成など新田開発が進んだのは19世紀初頭ということです。

「かしょうばら」の東隣は三升原(さんじょうばら)です。本来は漢字3文字の「(カ)升原」で表されていたのが、いつの間にか「柏原」に置き換えられてしまった可能性もあります。

西条町と佐川町の「かしょうばら」 (Google Earthプロ)

マーカーを置いた稲生神社が西条町の「柏原」です。「かしょうばら」の読みは、東広島市のWebサイトにも記されています。唯一無二とも思われる珍しい読みの「かしょうばら」は、瀬戸内海と四国山脈を越えて高知にもあるのです。

下のマーカーの柏原遺跡は佐川町丙(さかわちょう・へい)にあります。県央部です。あいにく高知県文化財地図情報システムには読み方は掲載されていませんでしたが、これほどイレギュラーな読みがかぶるのはどういうことなのでしょう。

同じ理屈でかぶったのか、十津川村と新十津川町のようにコピーの結果なのか、はたまたたまたま偶然なのか、きわめて興味深い話です。縄文遺跡があるくらいですから入植によるコピーではありません。

佐川町の「かしょうばら」の2kmほど南には「上伏尾」という地名があります。素直に読めば「かみふしお」ですが、実際の読みは「かみふしょう」です。「しお」が「しょう」に転じています(「しょう」に「しお」を当てています)。

この法則に従うと「かしおばら」=「かしょうばら」となります。「柏原」を「かしょうばら」と読むのは違和感ありまくりですが、「柏尾原」あるいは「樫尾原」を「かしょうばら」と読むのはすんなり受け入れられます。

この「かしょうばら」について、これほど食い付いたのは少なくともネット上では私が初めてです。前にも紹介した個人ブログでは、佐川町は「かしょうばら」ですが、西条町は「かしわばら」になっています。

ジャパンナレッジでは中国・四国地方のくくりで「かしょうばら」が1件とされ、どちらなのか特定できません。佐川町の柏原は角川日本地名大辞典では「かしわばら」ですが、ネット地図では例外なく「かしょうばら」です。

大正末期の理髪店サインポール

札幌市厚別区を“「別」と「内(ない)」の市町村MAP”に入れていませんでした。指定都市の行政区は市町村ではないからです。私はてっきり厚別町で入っているものと思っていましたが、もともとは白石村だったようです。

1950年に札幌市に編入され、1972年の五輪直後に政令指定都市に移行したとき白石区になっています。白石区からの分区は比較的新しく1989年だそうです。新札幌の副都心を抱える厚別が入っていないのは具合が悪いため、追加しました。

その厚別区の「北海道開拓の村」には大正末期に建てられたという理髪店が移築されています。建物の内部では蝋人形が髭を剃られているシーンが再現されているようですが、サインポールは角材に塗色したものです。

サインポール・メーカーのWebサイトを見ると、右上がりのZ巻きが圧倒的大多数です。開拓村の旧・山本理髪店のポールは左上がりのS字巻きになっています。発注ミスなのか、あえてなのか、ペンキ屋さんの誤解なのか、気になります。

さて、斎藤月岑の「武江年表」には、明治4年(1971年)4月の項に次の記述があります。これがサインポールに関する日本最古の記述のようです。「左巻」ならSの字巻きになります。昔は左上がりのS字巻きが多かったのかもしれません。

常盤橋御門外篦頭舗に、西洋風髪剪所の招牌を出す、太き棹の頭に宝珠の形を彫り、右の棹へは朱白藍色の左巻といふ塗分けにして立る、これより諸方にこれに擬して一般の形状となれり

斎藤月岑「武江年表」

▲リンク先は国会図書館デジタルコレクションです。コマ番号200の左のページ(389ページ)3~4行目になります。

常盤橋は日本銀行本店前の日本橋川に架かる橋です。道路元標のある日本橋の上流です。東日本震災で被災した工事中の石橋は明治10年に架けられたものということで、明治4年の時点では木橋だったようです。