平(たいら)野球場と平野(ひらの)球場

「2代目んだ」の2007年7月28日付「地図検索サイト比較(1)」と題する投稿の再録です。

代表的な地図検索サイトで「平球場」と入力して検索してみました(07/07/28現在)。

  • Mapion:美濃加茂市営前平球場が表示
  • MapFan:「指定したスポットは見つかりませんでした」
  • Googleマップ:4件ヒット、上荒川公園あり
  • Yahoo!地図情報:「キーワードに一致する情報は見つかりませんでした」
  • goo地図:「該当する場所が見つかりませんでした」
  • ゼンリンいつもガイド:美濃加茂市営前平球場が表示
  • 地図@nifty:美濃加茂市営前平球場が表示
  • ちず丸:「該当する結果はございませんでした」
  • NAVITIME:「該当する場所が見つかりませんでした」

今度は「平野球場」で検索してみました。

  • Mapion:いわき市平野球場が表示
  • MapFan:「指定したスポットは見つかりませんでした」
  • Googleマップ:10件ヒット(いわき市平野球場のみ表示)
  • Yahoo!地図情報:1件ヒット(いわき市平野球場)
  • goo地図:1件ヒット(いわき市平野球場)
  • ゼンリンいつもガイド:いわき市平野球場が表示
  • 地図@nifty:いわき市平野球場が表示
  • ちず丸:日田市平野球場が表示
  • NAVITIME:いわき市平野球場が表示

意地悪な検索ですが、球場名は「○○市球場」なのか「○○市球場」なのか、はっきりしないことも多いわけです。ある程度の「揺れ」を考慮してもらわないと役に立ちません。

いきなり球場名で地図検索することはあまりないのですが、「たいら・やきゅうじょう」と「ひらの・きゅうじょう」をどうやって区別するのか、一発表示方式では悩ましいところでしょう。

同じように「平球場」で地図検索してみました(1位表示のみリストアップ)。

  • Mapion:北海道上川郡剣淵町元町の剣淵平波球場
  • MapFan:岩手県二戸市福岡の市営大平球場
  • Googleマップ:福島県いわき市平上荒川の平野球場
  • Yahoo!地図:「平球場に一致する情報は見つかりませんでした。」
  • goo地図:「一致する情報は見つかりませんでした。」
  • いつもNAVI:岩手県二戸市福岡の市営大平球場
  • nifty地図:「「平球場」に一致する情報はみつかりませんでした。」
  • NAVITIME:北海道上川郡剣淵町元町の剣淵平波球場

次に「平野球場」で検索しました。

  • Mapion:福島県いわき市平上荒川の平野球場
  • MapFan:福島県いわき市平上荒川の平野球場
  • Googleマップ:東京都足立区平野2丁目の平野野球場
  • Yahoo!地図:福島県いわき市平上荒川の平野球場
  • goo地図:福島県いわき市平上荒川の平野球場
  • いつもNAVI:福島県いわき市平上荒川の平野球場
  • nifty地図:福島県いわき市平上荒川の平野球場
  • NAVITIME:福島県いわき市平上荒川の平野球場

なお、今回の検索ではGoogleに関してログアウトしておらず、他はログインしていません。

正式名称が「△△野球場」であっても、「△△球場」と表記されるケースが多いと思われます。神宮球場の正式名称は「明治神宮野球場」です。私は「平球場」で表記していましたが、この球場に関しては「平野球場」の表記が目立ちます。

「富士に棲む魔物」をうp

旧「セットポジション」のコンテンツから「富士に棲む魔物」をうpしました。旧「セットポジション」からは月1本ぐらいのペースで復活させようと考えています。

「モータープールMAP」の展開が想像以上に面白いことから、「今まで行った球場リスト」のMAP化は当面は見送ります。モータープールの次という順番は変えません。

富士北麓球場の帰り、私は結果的に球場の周囲を一周しました。ネット裏の三塁側から出た私は南道路の県道716号線に入りたかったのです。西側の赤いマーカーのところに門がありましたが、ここは閉ざされていました。

南側に裏門はありませんでした。結局、青のマーカーのところから西道路に出て、南道路に回る羽目に陥りました。駅は北側にあり、南道路の需要は少ないわけで、この構造は致し方ありません。

この球場、ネット裏に座ると、まるまる富士山に抱え込まれます。陸上競技場のメインスタンドは西側にありますので、陸上競技場のメインスタンドではこの感覚は味わえないわけです。

私が行ったのは7月下旬でしたので、残雪はほぼ見えませんでした。5月の連休あたりなら農鳥も見られるようです。また、「標高は1,000mくらいだと思われます」と記述してきましたが、公式サイトによれば1,035mということです。

この日の帰りに私が歩いた距離は、球場一周を含めて7.5kmほどになるようです。帰りに歩いたということは富士山に背を向けていることになります。この場所から振り向いたとき、衝撃的な大きさだったことを覚えています。

ウラ優勝校まとめ

「高校野球ウラ優勝校MAP」が完成しましたので、集約しておきます。今年の夏は第99回大会でした。大会自体が中止になったのが2大会あります。ウラ優勝校が海外のチームとなるケースが5大会です。

正統なウラ優勝校は延べ78校で、巡ウラが15校(巡ウラの准ウラは除く)です。2+5+78+15=100となりますが、第5回大会ではウラ優勝校を2校認定しましたので、計算は合います。

このほか、准ウラが30校、巡ウラの准ウラが2校でしたので、100-(2+5)+(30+2)で延べ125校を「ウラ優勝校」としてMAPに反映させました。重複が次のように3例ありますので、実数としては122校になります。

  1. 1932年第18回大会の旧制・水口中は巡ウラであり、准ウラでもあります。MAP上では准ウラに含めています。
  2. 宮城の東北学院は1922年第8回大会でウラ、1935年の第21回大会では巡ウラです。複数回制覇ということで、MAP上では赤マーカーを用いました。
  3. 鳥取県の青谷高校は1980年の第62回大会と2000年の第82回大会で正統なV2を果たしています。もちろん赤マーカーとしました。

地域別では四国がもっとも少なく、ウラ優勝校空白県は和歌山と高知です。隣接する奈良と徳島も1校だけです。MAP上でも四国の南東部から紀伊半島にかけての空白が目立ちます。

岩手と秋田の計4校が北部に集中したため、両県の中南部も空白地帯です。南四国や紀伊半島もそうですが、もともと人口の多い地域ではありませんので、総体としてはバランスよく分布していると言えそうです。

「准ウラ」の概念を持ち込んだため、「夏といえば」さんの「逆トーナメント」のページとは一線を画すことになりましたが、これは「セットポジション」時代から密かに気にしていたことです。

今回のウラ優勝校MAPで面白かったのは、やはり跡地探しでした。深入りしたくてウズウズしています。着手するとしても来年になるでしょうが、新制高校に限定して廃校MAPを作成することになるかもしれません。

限定したとしても全国では1000校超になるでしょうから、MAPは8分割ぐらいが妥当だと思われます。なお、今回のウラ優勝校MAPでは、高校野球の地区割りに従い、山梨は関東、三重は東海で処理しています。

正体不明・金沢市商のナゾ

2018/12/31改稿

1946年の第28回大会は太平洋戦争後最初の大会です。

  • 浪華商2-0京都二中5-3下関商2-0松江中11-8敦賀商
  • (北陸大会)敦賀商8-5富山商8-7金沢二中
  • (石川予選)《金沢三中21-7金沢二中》21-6石川工16-9金沢市商

現・金沢商は1900年に「金沢市立商業学校」として開校していますが、1907年には県立に移管しており、1923年第9回大会で甲子園初出場を果たしたときは「石川県立金沢商業学校」の名称です。

その後も名称変更はありますが、一貫して県立校であることに変わりはありません。したがって、1946年の巡ウラ優勝校「金沢市商」は現在の金沢商ではありません。

現・金沢市工は1944年に「金沢市立工業学校」から「金沢市立第一工業学校」に名称変更しています。学制改革の1948年、「金沢市立第一工業学校」は「金沢市立第二工業学校」を吸収する形で「金沢市立工業高等学校」になっています。

おそらく「市立第二工業」も1944年にできたのでしょう。終戦を挟んで4年間だけ存在した「市立第二工業」こそ1946年の巡ウラ優勝校「金沢市商」ではないか、と踏んで検索してみました。

金沢市図書館のWebサイトに「市史年表 金沢の百年 大正編」と題する壮大なページが見つかりました。関係しそうな項目だけピックアップします。

1927年12月26日 明春4月開校する金沢市立工業学校の設立認可指令が文部省から出た。仮校舎は新竪町小学校の不要校舎(49坪)を小将町小学校庭に移転して使用する。学科は土木建築科と機械電気科とし、5年後の生徒定員は全学年10学級400人と専修科2学級60人。

1930年9月1日 金沢市立工業学校は小将町の仮校舎から泉野の新校舎に移転、授業を開始した。

1933年2月28日 2年制の金沢市立商業高校の創立が市会で可決された。校舎に長田町小学校の一部をあて、募集人員は200人。

1937年4月1日 金沢市立商業学校は新学年から修業年限2年制を3年制に改めた。

1943年12月3日 明年4月実施する県下商業学校の戦時転換が県で決定した。県立金沢商業は存置、金沢市立商業は金沢市立第二工業学校として機械、金属工業の2科を設置、小松商業は農業学校に、七尾商業は七尾工業学校に転換する。また県立工業は図案科を廃止し科名を改称する。

1948年4月1日 新制高等学校が開校した。金沢市内の県、市立高校は6校。県立金沢一高(校舎は一中)、県立金沢二高(校舎は県一女と三中校舎の一部)、県立金沢三高(校舎は県二女)、県立工芸高校(校舎は県工)、県立金沢商業高校(校舎は金商)、市立金沢工業高校(校舎は市一工)。

金沢市図書館>市史年表 金沢の百年 大正編

やはり1933年創立の金沢市商は1944年の戦時転換で市二工になっています。1946年当時は「金沢市立第二工業学校」から「金沢市立商業学校」に名称を戻していたものと思われます。

その後、1948年の学制改革に伴う再編で市二工は閉校になったようです。金沢市工Webサイトの「沿革」のページには、「金沢市立第二工業学校廃止に伴い同校生徒を編入」との記述があります。

なお、この年表では創立時の名称が「~高校」になっています。本当に旧制高等学校に相当するとは思えません。単なる誤記である可能性が高いと思われます。

また、1946年時点の金沢市商(市二工)の所在地も判然としません。Mウラ優勝校MAPでは暫定措置として、現・長田町小学校にマーカーを置きました。永遠の暫定となりそうですが…。

15年連続初戦敗退で廃部?

1953年第35回大会の「巡」ウラ優勝校は長野県佐久市の望月高校です。

  • 松山商3-2土佐6-0中京商2-0宇都宮工6-4鳥取西4-1松商学園
  • (信越大会)松商学園3-0新潟南1-0小諸実
  • (長野予選)《松本市立5-3小諸実》5-2屋代東1-0赤穂2-0上田松尾
  • (東信地区)上田松尾10-3望月

望月高校は1996年に1勝したのを最後に15年連続初戦敗退しています。しかも、この15年連続初戦敗退は2003年を唯一の例外として、すべてコールド点差という徹底ぶりです。2012年からは予選に参加していません。最後の5年間では115失点です。

  • 1997年 望月0-8富士見
  • 1998年 望月0-14下諏訪向陽
  • 1999年 望月2-15塚原青雲
  • 2000年 望月2-17中野
  • 2001年 望月3-13阿智
  • 2002年 望月0-18松川
  • 2003年 望月2-6須坂商
  • 2004年 望月2-12須坂東
  • 2005年 望月2-12飯田長姫
  • 2006年 望月4-12北部
  • 2007年 望月0-19松本深志
  • 2008年 望月0-47長野西
  • 2009年 望月2-36辰野
  • 2010年 望月0-13赤穂
  • 2011年 望月0-10須坂園芸

こういうチームは部員不足というのが相場です。同校Webサイトによれば2017年度の新入生は50人だったようです。共学校で1学年50人では野球どころの話ではないでしょう。

同校の募集定員は1993年に180名から160名に、1996年には120名に、2005年には80名に減少しています。尋常な減り方ではありません。長野県教育委員会のWebサイトで今春の受検者数を調べてみました。

前期試験↑は40名の募集定員に対して受検者が18人、後期試験↓は67名の定員に対して34人しか受検していません。

一般的に公立高校は1学年3学級なら統合対象になるはずです。望月の場合は2学級分の定員しかなく、その定員を6割しか埋められていないのが現状のようです。Wikipediaの「長野県望月高等学校」のページには次のような記述があります。

2006年9月15日 – 長野県蓼科高等学校との統合案を県議会が否決。

田中康夫知事の退任は2006年8月ですから、政争に巻き込まれたというわけではないようです。赤のマーカーが望月高校、青のマーカーが蓼科高校です。直線距離では5kmであり、いたって妥当な統合案のように思えます。

望月宿は旧・中山道六十九次の25番目の宿場です。2012年6月のストリートビューを埋め込みました。