1926年は准ウラ優勝校が2校

その性質上、准ウラ優勝校は存在しないときもありますが、複数校出現することもあります。1926年第12回大会の准ウラ優勝校は2校あります。

鳥取一中は2回戦で盛岡中に勝っていますが、盛岡中は1回戦不戦勝です。鳥取一中は1回戦で長崎商を退けていますので、長崎商の先に准ウラ優勝校の権利が発生します。

  • 静岡中2-1大連商1-0和歌山中9-3鳥取一中4-2長崎商
  • (九州大会)長崎商3-2佐賀中3-1大分商5-1東山学院

1校目の准ウラ優勝校は長崎の東山(とうざん)学院です。オランダ坂上の東山手にあったようです。東山学院は戦前に閉校になっていますが、その校舎は「旧スチイル記念学校」として、グラバー邸の近くに今でも保存されているようです。

最新2017年3月撮影のストリートビューは補修工事中でしたので、埋め込んだのは2014年2月のストビューです。海星高校の校舎として使われていたようですが、1972年に現在地に移築復元されたということです。

海星高校は地図の右上です。

芦別商業高校

「難産の子ほど可愛い」というのは、やはり真理です。まあ、一面(半面?)の真理かもしれませんけど…。1984年夏の甲子園決勝は、取手二が延長戦でPL学園を退けて優勝しています。

この年のウラ優勝校は北海道の芦別商です。芦別商は芦別工との統合で芦別総合技術となり、1989年3月末に閉校しています。統合後の芦別総合技術高校は、芦別工の校舎を引き継いだようです。

その芦別総合技術も2006年に芦別高校に統合されています。かつて市内に3校あった公立高校は今では1校のみになっているわけです。芦別市は少しだけ隣接する夕張市同様、炭鉱の街でした。

1920(大正9)年の第1回国勢調査では、空知郡芦別村の人口は約1.5万人です。芦別市役所のWebサイトで確認すると、2017年7月末現在の人口は14.187人ということです。ピーク時には7万人を超えていたようです。

市制施行は1953年ですが、1960年代から炭鉱の閉山が相次ぎ、最後に残った三井芦別炭鉱も1992年には閉山しています。

さて、芦別商はいったいどこにあったのでしょうか。いくら財政難でも閉校から30年近くが経過していますから、校舎が現存するとは思えません。ネット検索してみると、2002年と2007年に撮影された校舎の写真が見つかりました。

  1. 北海道廃校の旅>北海道立芦別商業高等学校
  2. 学舎の風景>北海道芦別商業高等学校

いずれのサイトにも所在地の記載はありませんが、上芦別地区で道路が東西にあることがわかります。写真から背景に山があることも読み取れます。ストリートビューで上芦別を散歩してみました。

芦別商の開校当時の名称は芦別「啓南」高校だったそうですから、上芦別啓南会館の周辺を重点的にパトロール?しました。目をつけた場所もありますが、まだ情報量が不足しています。

最悪の場合は図書館に行けばいいだけのことです。芦別商の所在地はわかるはずです。とはいえ、なんとかネットで解決したいものです。出不精な私はさらに検索を続行しました。

  1. mixi>芦別商業高校 同窓会コミュのトピック一覧
  2. 応援します!北海道コンサドーレ札幌>芦別でキハ40系撮影と懐かしいガタタンを食べる

mixiの投稿によれば、芦別商の校舎は2008年3月に解体されたようです。所在地はまだわかりません。リンク先4の個人ブログには次のような貴重な情報が記載されていました。

ここは、2013年12月に稼働した芦別太陽光発電所(2.1MW)で旧芦別商業高跡地だそうです

一定規模の太陽光パネルが設置されている場所は上芦別に2か所あります。そのうちの1か所は上芦別啓南会館の近くであり、ストビュー上で郵便局前の東西の通りから南を見たときの山の稜線が廃校探訪の遠景写真とほぼ一致します。

山の裾野に見えるのが太陽光発電のパネルです。リンク先1のページの一番下にある写真と稜線が一致しているように見えます。パネルは「業務スーパー」の株式会社神戸物産さんが6億5000万円かけて設置したそうです。

さらにネットを漁っていると、決定的な情報が見つかりました。啓南高校が掲載されている地図があったのです。

  1. 芦別物語>tamaの思い出地図 上芦別1964年頃

地図の左上に啓南高校があります。これですべてが解決しました。当時の地図と比較すると、緑ヶ丘保育園は上芦別保育園に、大和物産さんは北都物産に、北星病院は北日本精機さんの工場へと、名前や姿を変えています。

上芦別中学校の跡地に上芦別小学校が文字どおり横滑りしていることもわかります。50年という歳月の重さが感じられます。

Google Earthプロから校舎が存在していた2011年7月撮影の衛星写真を取り出してみました。

自彊高校

今は存在しないようですが、かつて「東京自彊術クラブ」という名称の社会人野球チームがありました。私は都市対抗予選やクラブ選手権予選で3回見ています。

  • 1994/06/01(府中)2-11さくら銀行
  • 1995/06/03(府中)1-5東京ガス
  • 2001/05/04(府中)5-9全府中野球倶楽部

春日部共栄高校から明治大学を経てヤクルトに入った橿渕聡という選手もいましたが、スコアをつけていた身としては画数の多い「彊」や「橿」にゲンナリしていたことを思い出します。

けっして根に持っているつもりはありませんが、今でもこうしてスイスイ連想が進むのですから、それ相当のインパクトがあったのでしょう。

自彊術普及会という公益社団法人は現存します。自彊術とは(似て非なるものかもしれませんが)気功術のようなものだと私は理解しています。東京自彊術クラブはその関係の選手を中心に構成されたチームだと聞いたことがあります(定かではありません)。

1985年夏、KKコンビのPL学園は決勝戦で宇部商にサヨナラ勝ちして優勝を果たしました。この年のウラ優勝校が広島の自彊(じきょう)高校になります。福山市にあった公立高校です。2011年3月末で神辺(かんなべ)高校に統合されて、閉校となっています。

校名について、Wikipediaには次のような記載があります(2017/08/27現在)。

「自彊」(じきょう)という言葉は中国の古い書物である易経の中に出て来る。「天行健、君子以自彊不息」という語句から採用されたもので、「自ら努力し励む」という意味をもっている。

「彊」は訓読みでは「つと(める)」です。旧・自彊高校の校舎は現存し、2013年に広島県立福山北特別支援学校が移転しています。ストリートビューは2013年10月撮影のものしかありませんでした。

米内沢高校

2003年夏の高校野球決勝は、ダルビッシュの東北高校を常総学院が継投でかわして優勝しています。ウラ優勝校は秋田県の米内沢高校です。「よねうちざわ」では変換できませんでした。読みは「よないざわ」のようです。

米内沢高校は2003年当時には北秋田郡森吉町にあったようですが、森吉町は2005年3月に同じ北秋田郡の鷹巣町、合川町、阿仁町と合併して北秋田市になっています。北秋田市の名称は単に郡名を新市名にしただけのことのようです。

米内沢高校の閉校は2013年3月末です。北秋田市内の秋田県立鷹巣高校、秋田県立鷹巣農林高校、北秋田市立合川高校の4校が統合され、鷹巣農林高の校地に秋田県立秋田北鷹(ほくよう)高校が発足しています。

米内沢高校のWebサイトは現存しますが、もちろん統合後は更新されていません。Google EarthプロでWebサイト記載の所在地「秋田県北秋田市米内沢字長野岱118- 1」を検索してみました。

囲いのある野球場らしき施設と陸上のトラックが見えます。これは2010年10月に撮影された衛星写真です。その左側にある建物群が米内沢高校に違いありません。

ストリートビューは2014年7月撮影のものしかありません。この時点ですでに更地になっています。痕跡を探してみたところ、道路沿いに石碑が見つかりました。

「六十五年の」、「一万人余の」という断片的な文字を読み取ることができます。石碑の下部に彫り込まれているのは校歌なのでしょう。

同校Webサイトによれば開校は1945年とされています。学制改革による新制高校は1948年4月に始まっていますので、起算点を1948年とすれば石碑の「65年」と一致します。ここで間違いはないようです。

せっかくですからGoogle Mapで距離計測してみました。陸上のトラックは300mのようです。野球のグラウンドはホームからセンターまで120m級です。2003年当時は2クラスかせいぜい3クラスだったはずです。

広さだけなら贅沢な環境だと言えるのかもしれませんが、部員がそう多かったわけではないでしょう。外野の草刈りを思うと、羨ましい環境だったわけではないはずです。現存しないということは、そういう妄想に浸れるということでもあります。

岩泉高校田野畑校

ウラ優勝校の中にはすでに閉校となった高校も含まれています。2006年、オモテの優勝校はハンカチ王子こと斎藤佑樹を擁した早稲田実でした。決勝は駒大苫小牧との延長15回引き分け再試合です。

この年のウラ優勝校が岩手県の岩泉高校田野畑分校です。岩泉田野畑高は2012年に本校である岩泉高に統合されて閉校となっています。2011年11月撮影のストリートビューです。

最新のストビューは2015年8月撮影分です。校舎はすでに取り壊され、更地になっています。校舎の玄関は赤っぽい舗装部分の奥にあったものと思われます。

ちょっと意外ですが、田野畑村は沿岸部であり、本校のある岩泉町は内陸にあります。赤のマーカーが田野畑高の旧所在地、青のマーカーが岩泉高校です。両者の直線距離は12~13kmですが、道のりでは20kmを超えます。

地図の右上にある田野畑駅は三陸鉄道北リアス線の駅です。田野畑高校の閉校は形式的には2012年3月31日になるものと思われます。翌4月1日、北リアス線の陸中野田駅~田野畑駅間が営業を再開しています。

田野畑村の人口は2017年8月1日現在で3,559人だそうです。村のWebサイトでは2008年1月の通巻491号以降の「広報たのはた」を閲覧できます。さすがに2011年4月号は発行されていませんでした。