「あたし」だから、できたこと

ももクロの「Link Link」はあーりんソロのサビで始まります。

  1. ♪<サヨナラ アシタはここから始まってるのだから>

1番のサビは5人のユニゾンです。

  1. ♪<サヨナラ アシタはここから飛び立つのだとしても>

「Link Link」は2015年3月発売の14thシングル「青春譜」のカップリング曲です。公式チャンネルでは「青春賦」トレーラーに1番のサビが収録されています。

2番のサビもユニゾンで、歌詞は歌い出しのあーりんソロと同じです。

  1. ♪<サヨナラ アシタはここから始まってるのだから>

この後のいわゆる「落ちサビ」は、再度あーりんソロです。

  1. ♪<サヨナラ アタシは涙を卒業すると決めた>

そして、ラスサビは1番のサビと同じ歌詞で、やはりユニゾンです。

  1. ♪<サヨナラ アシタはここから飛び立つのだとしても>

落ちサビだけが「アシタ」ではなく「アタシ」です。一人称の「あたし」が極めて効果的に使われています。「Link Link」のタイトルも、あーりんのピンクと韻を踏んだものに違いありません。作詞は只野菜摘です。

「わたし/あたし」とともに、今後展開していきたいことの1つが「寂しい/淋しい/さびしい/さみしい」です。「Link Link」では2番Aメロの高城パートに、♪<淋しさにじむのは ぽっかりとあいた椅子さ>というフレーズがあります。

DAMの歌詞表示では「さみ」のルビが振られています。「寂しい」は客観的な情景、「淋しい」は主観的な心情という使い分けが成立するなら、「さびしい」は「寂しい」に近く、「さみしい」は「淋しい」との親和性が高そうです。

さて、私は「Link Link」を+3のキー上げオク下で歌っています。抑揚とビブラートで苦戦していて、自己ベストはボーナス加点前の素点で94.8点台、ボーナス加点後で96.3点台です。音程もまだ90%に届いたことはありません。

「わたし」と「あたし」

精密DX-Gによる第112回予選第1ラウンドが終わりました。97点オーバーは「パステルラヴ」、「いい日旅立ち・西へ」、「ひまわりの丘」、「三枚の写真」、「M」の5曲でした。

96点台後半が「秋の気配」、「七色のスターダスト」、「キミノアト」、「揺れる想い」、「君への道」、「さらば恋人」です。入賞ラインは97点台中盤、イチ抜けラインは98点台に落ち着くものと思われます。

ラスト31曲目に歌った堺正章「さらば恋人」は、どうやらヒトカラでは初めて歌った曲のようです。精密2の時代の記録を調べたところ、「街の灯り」は見つかりましたが、「さらば恋人」は入っていませんでした。

はるか昔にタカラで歌った記憶があります。この趣味を始めてもう10年近くになるというのに、そんな曲がまだ残っていたとは意外です。初めて歌って96点台後半なら、今シリーズのうちに98点台に届くかもしれません。

さて、DX-Gですからエントリー曲について今回も縛りはかけませんでしたが、次回の精密DX無印では「自己ベスト91点台の曲」縛りとし、その次は「ビブラート8/10を出したことのある曲」縛りとします。

今回のエントリー曲は第110回を一部差し替えただけです。♪<もうじきにもうじきに春が来るんですね>(詞・松本隆)で終わる「東京メルヘン」をこの季節に歌うのは、さすがに気が引けます。

で、「東京メルヘン」については、同じ木之内みどりの「横浜いれぶん」に差し替えました。1976年11月発売の「東京メルヘン」では一人称名詞である「私」が3回出てきます。

You Tubeの音源を改めて聴いてみましたが、♪<古いブーツを投げ出すように 私の心 捨てるのでしょう>など3か所とも、すべて「わたし」と発音しているように聞こえます。

一方、1978年2月発売の「横浜いれぶん」では、♪<私は気のない生返事>(詞・東海林良)など2か所ある「私」は、いずれも「あたし」と発音されています。DAMの歌詞表示では「あたし」とルビが振ってあります。

30曲目に歌った有安杏果「心の旋律」には、歌詞表示がひらがなの「あたし」が6か所あります。ブルーレイ付属のライナーノートでも、ひらがな表記で「あたし」です。

女性曲を歌うことの多い私にとって、この「わたし」と「あたし」は非常に興味深いテーマの1つです。ビジネスメールでの「あたし」はNGでしょうが、書くときは「私」でも口にするときは「あたし」というケースは多いはずです。

1970年代の「わたし」と「あたし」には、かなり隔たりがあったように私は理解しています。「わたし」のほうがある意味で上品であり、「あたし」は良く言えば庶民的です。

1980年代初頭の少女漫画「いつもポケットにショパン」で、主人公の須江麻子が幼馴染の緒方季晋と電話で会話するシーンがあります。ケータイ電話など想像すらしていなかった時代の物語ですから、もちろんイエ電です。

緒方季晋は麻子と麻子の母親である須江愛子の声が似ていること、麻子は「あたし」と言い、愛子は「わたし」と言うことから、電話口でも両者を区別できることを指摘します。

私が「わたし」と「あたし」を気にし始めた最初のきっかけかもしれません。

 

川嶋あいの「旅立ちの日に…」でも、DAMの歌詞表示は「私」に「あたし」のルビがあり、音源を聴いても「あたし」と歌っています。このテーマは今後も定期的に扱い、最終的には固定ページに集約したいと考えています。

(1)時代とともに「あたし」派が増えてきた。ただし、公私で使い分けられていることが多い、(2)「あたし」は西日本ほど勢力が強い、という仮説を掲げておきます。