【ブログ】5代目んだ

10周年ライブで復活?

ももクロライブの演出を務める佐々木敦規は1月19日のネットラジオ「原宿 BODYSLAM BOYS」で「有安が辞めることは俺は結構前から知っていた。だけれども、いろいろな都合があって世間にオープンにできないので」と語っていました。

4月1日開催のイベント「マンガワールド 其の65」で改めて「有安卒業は昨年頃に知らされました」と発言したようです。「結構前」とは「昨年夏」だったわけです。これで、断片の多くが繋がります。

有安杏果は、ラストライブとなった1月21日の幕張で「私も10周年は5人で迎えられると思ってました。でもこれは4人の、これからのためにこうするしかなかったから」と発言しています。これはブログでも裏付けられます。

★ももパワー充電所2017-05-18 11:03:47「ももクロちゃん5.17☆」

私は
中学生からももクロをやっていて
中学、高校、大学とちょうど青春時代、学生生活を
ももクロで過ごさせていただきました☆。.:*・゜

本当の部活やサークルには入れなかったけど
ももクロのおかけで毎日が部活のような生活でした。笑

この一年間
10周年に向けて
ますます頑張るので
みんなーっ
これからもももクロの応援をよろしくお願いします(.. )♡

ももクロ結成9周年の日のブログでは10周年への意欲を見せています。卒業を報じる今年1月16日付「報知新聞」では、「自分の中で決断したのは1年前。去年のに事務所の方に相談し、年が明ける前にメンバーには伝えました」と語っています。

おそらく有安杏果は10周年を区切りに辞めたい旨を事務所に伝えたのでしょう。それに対して、辞めるのなら10周年ではなくその前のタイミングを事務所側から提示され、これを受け入れたものと思われます。

とは東名阪ツアーが始まる前ではないかと思われます。東名阪ツアーは6月24日の名古屋が初日で、ラスト7月20日の東京国際フォーラムで仙台と武道館のソロ公演が発表されています。

思えば、私が感じた最初の違和感は武道館の発表でした。結果的には武道館は卒業の花道になっています。翻意を促す淡い期待があったのかもしれませんし、本人のモチベーション維持のために用意されたものだったかもしれません。

有安杏果が出演した6月16日放送のブラザートムのラジオ番組「One More Pint」の収録は6月9日のようです。トーク中にはブルーノートの話題があり、具体的な将来の目標めいたものを語る前向きな発言を確認できるのはこれが最後です。

東名阪ツアー中に辞めたいという話はしないでしょうから、卒業を事務所に伝えて1月という時期が決まったのは6月中旬がもっとも有力ではないかと思われます。

もともと有安杏果は10周年まで続ける意向を持っていたわけですから、10周年ライブに過去を振り返るという演出があるなら、5人バージョンが復活する可能性があります。本人はフリーの立場であり、2~3曲だけの復活に制約はありません。

インスタやツイッターの更新頻度からすれば、10周年ライブ初日での一時的復活が去年のうちに約束されているのではないかと思えなくもありません。数曲限定なら「普通の女の子の生活」にさほど支障はありません。

5人バージョンが復活するなら、有安杏果のももクロに加入日に歌われ7連コールでも有名なカバー曲「words of the mind」が第一候補になるはずです。「ツヨクツヨク」のドラムで登場、「ワーズ」と「ゴリラパンチ」でMCの流れでしょうか。

去年6月のお笑いライブ「永野と高城。」と8月下旬に両国で開かれたあーりんソロの円盤は、ともに今年6月の発売です。去年10月の武道館円盤が3月に発売されたのは異例の待遇と言えるのかもしれません。

本物かと

「ももパワー充電所」のブログは15日0:00で閉鎖されたわけですが、14日朝の時点で最後の投稿のコメント数は8,100ほどでした。私が23:00ぐらいに見たときは9,200台に達しており、最終的には9,900近くになったようです。

【元ももクロ緑】 有安杏果 Part.210【小さな巨人 】#471

471モノノフ名無しさん(茸) (スップ Sdde-KbZc [1.75.2.252])2018/03/15(木) 00:58:41.87ID:Yf8p4mdTd
最後に確認できたコメント数は9897だった
すごい勢いで増えてた

同じスレにはこんな投稿もあります。

436モノノフ名無しさん(愛知県) (ワッチョイ 864d-GB/l [27.127.59.249])2018/03/15(木) 00:09:10.04ID:kbFkoTyz0

https://www.instagram.com/ariyasu_momoka_official/

ツイとインスタについては、最後のブログで次のように述べていました。

★最後のももパワー充電所(2018-01-21 17:04:42)

また気が向いたら
今までやったことのない
TwitterやInstagramとかを
やってみたいなーと思ってます!
まだなーんもノープランなので
約束はできないけど
その時は覗きに来てなぁーー|ω・)

今は一般人ですから、「オフィシャル」を名乗るのはどうかという気もします。ただ、「ariyasu_momoka」のアカウントは既に他人が取得済みです。髪を切る前の写真だけが使われていますので「なりすまし」に間違いありません。

一方、「オフィシャル」のアカウントにはギターケースを背負った有安杏果らしい写真が掲載されています。

有安杏果ギターケースに貼り付けてある正方形を拡大して画像処理してみました。

これは今年1月に発売された「PREMIER CRU」という福原将宜のアルバム・ジャケットです。福原美穂とは親戚関係にあるらしい福原将宜は、仙台と武道館ソロコンのバックバンドでギターを務めています。

https://instagram.com/p/Bf2jtQyHrkb/?utm_source=ig_embed&utm_campaign=embed_profile_upsell_control

そして、ギターを背負った画像をツイッターアイコンにしているツイがあります。PM3:15の投稿です。

このツイを福原将宜が紹介していることから、「オフィシャル」を名乗るインスタと上のツイッターはいずれも本物であろうと思われます。

23歳の誕生日の前日、閉鎖されることがわかっていて返事は期待できないブログに2,000人近くがコメントしたわけです。ハッシュタグの「ありがとう」とは、そういうことでしょう。ブログ閉鎖とツイ&インスタの開設はワンセットです。

「卒業」が発表された日の福原将宜のツイートです。

第117回ヒトカラ選手権

2月初めに終わっていた第117回のイチ抜けは、松田聖子「制服」でした。予選ラウンド終了時点では、ZARDの「心を開いて」が1位でしたが、決勝第1ラウンドで「制服」が逆転しました。

「心を開いて」は1996年発売です。これまでのイチ抜け曲は114曲ですが、1990年代は7曲しかありません。私としては「心を開いて」にイチ抜けしてほしかったわけですが、思惑どおりにはいきませんでした。

「制服」は松田聖子8枚目のシングル「赤いスイートピー」のB面曲です。2003年に発売された「Another Side of Seiko 27」はB面曲とアルバム曲で構成された2枚組の裏ベスト盤ですが、リクエスト投票順に収録されています。

「制服」は「瑠璃色の地球」に続いて1枚目の2曲目です。松田聖子のシングルB面曲としてはもっとも認知度の高い曲だと言えそうです。意外にも入賞は第33回以来2回目です。2011年の第33回では92点台で7位入賞でしたが、今回は素点で96点台でした。

松田聖子は20曲目(中川翔子のカバー・バージョンでイチ抜けした「硝子のプリズム」を加えて実質21曲目)、作詞の松本隆は24曲目、作曲の呉田軽穂は荒井由実または松任谷由実名義を含めて6曲目のイチ抜けになります。

DAMの生音バージョンではボーナス込みで95点前後出せますが、ノーマルバージョンではそこまで届きません。+6のキー上げオク下で歌っています。

1982年発売の「制服」は、1975年の太田裕美「木綿のハンカチーフ」、1976年の岡田奈々「手編みのプレゼント」、1985年の斉藤由貴「卒業」と私の中では4曲セットです。

さて、実は第118回も予選ラウンドが終了しており、あとは決勝ラウンドを残すのみです。予選終了時の得点上位9曲は次のとおりです。

  1. 98.079(89)9 夢一夜 ♪ 南こうせつ
  2. 98.008(89)9 加茂の流れに ♪ かぐや姫
  3. 97.526(93)9 元気を出して ♪ 竹内まりや
  4. 97.525(86)9 あなた ♪ 小坂明子
  5. 97.432(88)9 翳りゆく部屋 ♪ 荒井由実
  6. 96.965(89)9 サボテンの花 ♪ チューリップ
  7. 96.553(87)9 制服 ♪ 松田聖子
  8. 96.522(90)9 ボヘミアン ♪ 葛城ユキ
  9. 96.488(86)9 悲しい色やね ♪ 上田正樹

このうち、「加茂の流れに」、「あなた」、「翳りゆく部屋」の3曲はフォーク村などで有安杏果が歌ったことのある曲です。今後しばらくそういう選曲が多くなるだろうと思われます。

遠くの空

有安杏果の卒業メッセージは次のような言葉で締めくくられています。

★「ももパワー充電所」2018-01-15 12:00:00「ファンの皆様へ」

寒い日が続くけど、ぐれぐれも体調に気をつけて頑張ってくださいねっ。

遠くの空からだけど、ずっとみんなのこと応援してます。

この「遠くの空」とは、素直に解釈するとあの世か海外です。「卒業」して「普通の女の子の生活を送りたい」だけなら、ここは「同じ空」であるべきです。

やはり、海外を意味するものと思われます。横アリ前のラジオで音楽監督の武部聡志に語っています。

★2016年6月19日「武部聡志のSESSIONS」

BoAさんとか安室ちゃんとか、歌いながら踊れる人になりたいと思ってたんですよ、ずっと。ずっとそういうの聴いてて、洋楽とかも聴いたり、歌詞とか関係なくカッコいいサウンドを聴いたりしてましたね

2016年7月の「ココロノセンリツ Vol.0」では、セットリストの13曲目がCarole King「You’ve Got a Friend」で、14曲目がMR.BIG「TO BE WITH YOU」でした。

2016年11月に別府で開かれた「ココロノセンリツ Vol.0.5」でも、「TO BE WITH YOU」とエルトン・ジョンの「Your Song」が入っています。2017年1月のフォーク村ではドラム演奏とともに「ホテル・カリフォルニア」を歌っています。

2017年東名阪ツアー前のブラザートムとのラジオでは、 「ブルーノートで歌いたい」とも発言しています。南青山のブルーノートは300席弱のジャズクラブです。You Tubeの公式チャンネルには懐かしい名前がありました。

有安杏果の選曲によるEGO-WRAPPIN’の「くちばしにチェリー」からブルーノートの話題になっており、何も知らずに口にしたわけではありません。そんな引き出しも持っていたということになります。

ジャズはaikoの影響もあるのでしょう。ブルーノートの本家はニューヨークですが、「ブルーノートで歌いたい」がどちらを指しているのかはわかりません。

【2018/03/12追記】

「くちばしにチェリー」はブログにも登場していました。出発がダンスということもあるのでしょう。

★ももパワー充電所>jazzy♪(2014-12-14 21:59:32)

あっ、フォーク村ではなかなか披露する機会ないかもだけど
私、歌詞に惹かれるメロディアスなJ-POPも大好きなんだけど

意外と
身体で感じるjazzyな曲も大好きだったり・・・♪

「くちばしにチェリー」とか
ハードル高すぎるけど
いつか歌ってみたかったりする(^m^)

逆算スイッチ

アイドルからシンガソングライターへの転身を果たした顕著な成功例は竹内まりやです。竹内まりやは大学在学中の1978年11月にシングルとアルバムの同時リリースで歌手デビューしています。

純粋なアイドルと言うよりアイドル枠に組み込まれていただけのことかもしれません。留学経験があることから、大学在学中と言ってもデビュー当時で23歳です。3枚目のシングル「September」で1979年レコード大賞新人賞を受賞しています。

翌1980年の「不思議なピーチパイ」がアイドル時代の代表作になるはずです。デビュー3年後の1981年末、9枚のシングルと5枚のアルバムを残して休養を宣言、1982年4月に山下達郎と結婚します。

活動再開は楽曲提供でした。同年8月発売の堀ちえみ「待ちぼうけ」より9月発売の河合奈保子「けんかをやめて」が有名ですが、シンガーとしての復帰は1984年4月の「もう一度」まで待たなければなりません。休養から2年強です。

そうなってほしいという期待を込めて、私は有安杏果を竹内まりやと重ねていた部分がありました。その顰に倣って、まずは楽曲提供で戻ってきてほしいと考えています。

シンガーとしての復帰があるなら、来年の「ももいろ歌合戦」ではないかと勝手に期待しています。「ミスX(初)」あるいは「ミセスX(初)」として、お土産の新曲を披露してほしいという願望があります。

今後のももクロでは封印されてしまいかねない「words of mind」をカウントダウン・ライブで歌い、早見あかりらのOGも加えて「あの空へ向かって」で〆れば、カウコンとしては理想なのかもしれません。

1978年4月解散のキャンディーズは、1980年に伊藤蘭と田中好子が女優で復帰しています(藤村美樹は1983年に歌手として一時的に復帰)。事情はそれぞ異なりますが、最近ではアンジェラ・アキの「無期限活動停止」や絢香の「活動休止」も約2年です。

「BUBUKA」3月号の記事でもっとも印象的だったのは「逆算スイッチ」です。準備と計画の人だった有安杏果はこのスイッチを一度完全にOFFにするために卒業を選んだのだという解釈です。

私は当初、ソロ活動で行き詰まりを感じてインプット期間を必要としたのだろうと思っていましたが、どうやらそういうことではないようです。

ソロライブの関係もあって、有安杏果はももクロのメンバーの中ではラジオ単独出演がもっとも多かったはずです。彼女の発言を時系列で文字に起こししてみました。まずは大学に入った頃の発言です。

★2013/04/16「ミューコミプラス」

今、ほんと時間が欲しくて。これ言っちゃたら、ズルいとは思うんですけど、なんかほんとやりたいことが、なんか高校を卒業したからこそ、逆にこう自由じゃないですか。だからこそ、いろいろこれもやりたい、これもやりたいって思って、一日がほんと早すぎて。いつも気づいたらもう夜中みたいな

次は19歳の誕生日を国立で迎えた直後です。

★2014/03/25「真夜中のハーリー&レイス」

いつか1人で、なんかソロコンサートみたいなことができたらいいなって思います

初ソロコンは2016年7月の横浜アリーナでした。ラジオではありませんが、初ソロコンの告知です。ライブのタイトルは「ココロノセンリツ 〜Feel a heartbeat〜 Vol.0」です。

★2016/05/06「momocloTV」

有安「たぶん、ずっとこのタイトルで、死ぬまでやっていこうと思っているので」
川上「死ぬまでやりますか?」
有安「はい、死ぬまで」
川上「ライフワークってことですね」
有安「はい」
川上「ということは、この先もある」

横アリ1か月前です。

★2016/06/08「ミューコミプラス 」

歳を重ねるごとに自分のやりたいことが明確になってきました

Vol.1の東名阪ツアー1週間前です。卒業を事務所に伝えた時期と前後するはずですが、微妙な発言がありました。かつて「ポンキッキーズ」で共演したブラザー・トムに次のように返しています。

★2017/06/16「One More Pint」

トム「ももクロってさ、オリンピック出んの?」
有安「いや、出たいですけどぉ」

字面だけなら、2020年への意欲を示しているようにもとれますが、テンション高めに応じたのは、心を許している旧知のトムがももクロを活動を知っていてくれたことへの反応に過ぎないのかもしれません。

最後は「メンバーに言ってみよ、喜ぶわ」という発言でこの話題は終わっています。チームももクロのオリンピックへの意欲は、結果的には早めの決断を促すことになったものと思われます。

オリンピックへの「逆算スイッチ」をONにすることを拒む以上、遅くなればなるほど辞めにくくなります。事務所側としても、必要以上に慰留することはできません。直前で辞められるより今のほうがダメージは少なくて済みます。

「年明け前」とされるメンバーへの報告でも、当然のようにこの話題は出たはずです。「4人とモノノフで奇跡の5人」というラスコンのいささか奇異な発言は、オリンピックへのアシストのつもりだったのかもしれません。

武道館の爪痕

山口百恵は1973年4月のレコード・デビューで、1979年10月に恋人宣言、1980年3月に婚約と引退を発表、同年10月に引退しています。歌手としての活動期間は7年半です。

キャンディーズは1972年結成、1973年9月に歌手デビュー、1977年7月に解散宣言、事務所の説得に応じて解散を先送りし、1978年4月が解散コンサートでした。結成時からの活動期間は満6年です。

有安杏果は2009年2月初めに「Power Age」に加入、このユニットは同年5月末に解散します。ももクロ加入は7月です。Power Age時代から考えれば、ほぼ9年になります。ももクロがブレイクした2011年から数えても7年です。

期間としては十分であって、「疲れた」や「まず寝ます」は本音でしょう。Power Age時代のブログには次のような記述もあります。武道館はアーティスト志向の「集大成」だったわけです。

▼「ももパワー充電所」2009-02-28 21:30:14「いろいろ・・・伝達事項?!」

私はどちらかというと・・・
女優より、歌手やアーティストになりたいです(*’-’*)

で、その武道館ソロライブの公式パンフを今日になってようやく入手したわけですが、「最後」のキーワードを確認することができました。

久しぶりに訪れた2chが「5ちゃんねる」に変わっていて、ちょっと驚きましたが、ももクロ板の杏果スレにはこんな投稿もありました。MCでも「最後のココロノセンリツ」だと語っていたそうです。

【有安杏果】ココロノセンリツ~Feel a heartbeat~Vol.1.5 ★22【ネタバレ有り】

227モノノフ名無しさん(SB-iPhone) (ササクッテロル Sp85-ven3)2017/10/20(金) 21:48:14.68ID:po8r74bGp
なんか最後のあいさつが引退する人みたいで逆に笑った

武道館を見ていない私ですが、20人のキッズダンサーを従えて「Choo Choo TRAIN」を歌ったという記事は読んでいました。私には強い違和感がありました。

660モノノフ名無しさん(地震なし) (ワッチョイ 1618-U5aN)2017/10/21(土) 23:10:51.04ID:9uZO1Uo60
@sOr_maruO
杏果ちゃんのchoochootrainのダンサーはEXPG時代一緒に踊ってた子、
キッズダンサー20人は小さい頃に経験した自分と同じ景色を見せたかったからだとか( i _ i )
更に20人の親御さんにも見てもらいたくて親御さんも招待したらしい( i _ i )

「集大成」という身辺整理だけでなく、バトンを渡そうとしているわけです。卒業発表後、武道館はまるで引退コンサートだったというブログコメントもありましたが、彼女の秘めたメッセージは一部には届いていたわけです。

それがまた、卒業発表のコメントと重なります。

▼「ももパワー充電所」2018-01-15 12:00:00「ファンの皆様へ」

8年間一緒に歩いてきたみなさんの中に「お疲れ様」と言ってくれる人が一人でもいたら嬉しく思います。
8年間、本当にありがとうございました。

(・Θ・)卒業

有安杏果がももクロに加入したのは2009年です。加入5周年の2014年、オフィシャルブログ「ももパワー充電所」には次のように綴られています。

★2014-07-26 02:41:27「7月26日.:*:゜☆」

今日は私にとって
本当にいろんな意味で
とっても大事な日.:*:゜☆

みんなのおかげで
ももクロ加入5周年を
無事迎えることができたよ(*’-’*)

そしてみんなと過ごす
最高の夏が始まる(*≧∇≦*)

全力で届けるから
しっかり受け取ってよー♡

来れない人にもパワー送るかんねー(*・Θ-*)

6周年も前向きです。

★2015-07-28 00:44:06「ありがとうのプレゼント、ありがとう.。.:*♡」

あとチビノフがお願いしてくれたというソロコンは
ほんと来年くらいに出来たらいいな☆とは思ってるんだけど

まぁなにぶんまだまだ助走してる途中なんで・・・

とにかく今は
気長に待っててくれたら嬉しいなッ(*˘Θ˘*)

いつか必ず、夢は叶えるから☆

初めてのソロコンサートは2016年7月3日の横浜アリーナでした。

★2016-07-06 01:21:16「スタートライン!!」

でもね、私の夢はこれで終わりなんじゃなくて
ここからだから!!

これからも
ももクロとして頑張りつつ
みんなに伝えたい想いを歌にしたり、詩に書いたり、曲を作ったり、
またライブやって
みんなに届けていきたいです!♪

これからもみんなと幸せな時間をたくさん過ごせるよーに
有安杏果、もっともっと頑張っていくよーーー!!

その直後の7周年です。

★2016-07-26 20:36:31「夢を繋げて.+*:゚+。.☆」

去年の今頃はまだ夢でしかなかった
ソロコンサートも
無事今年実現することが出来たしっ.+*:゚+。.☆

これからも
ももいろクローバーZとして
有安杏果として
みんなと一緒に
8年目のスタートを切っていきたいなと思います(*˘︶˘*).。.:*

音の魔法 一緒に浴びてこーー.+*:゚+。.♪

8周年はソロの東名阪ツアーを終え、仙台と武道館公演が発表された時期でした。これまでとは、ややニュアンスが異なります。おそらく7月の時点では決意していたものと思われます。

★2017-07-26 22:51:03「7がつ26にち 8周年!」

2009年7月26日14歳の時に
ももクロメンバーとして
スタートしてから
ちょうど8周年になりました!!

中学3年生から大学卒業まで
とにかく気力・体力・青春
全部ももクロでした。

これからも
ももいろクローバーZを
どうかよろしくお願いします!

武道館はいわば餞の舞台として用意されたのではないかとさえ思えてきます。仙台も外せなかったはずです。武道館に続くAEイベ後に更新されたブログでも「ももクロをよろしく」であり、次のソロコンの話題にはなりません。

★2017-10-22 20:45:50「足イタイ」

これからも
ももクロのことをどうか
よろしくお願いします_(._.)_

ももクロ曲はパート分けされていますが、「白い風」や「灰とダイヤモンド」などで大切な部分を担っているのが有安杏果です。「ももクロのニッポン万歳!」の東北パートもあります。

楽曲的なダメージは大きく、色合い的にも緑が欠けると同系色で揃ってしまいます。「奇跡の5人」と呼ばれた関係性を今後どうカバーしていくのかという楽しみはあります。プロレスなら引退したレスラーが復帰するのはよくあることです。

ソロ曲「心の旋律」をある程度は歌い込んだ私としては、本人が「引退」を明言したわけではないことに復帰の芽はあると思っています。JOYには入っている「小さな勇気」が早くDAMでも配信してほしいところです。

ニュルブルクリンクの魔物

今年に入ってからYou Tubeにあがっていたロードレース(自転車)の動画を見ていました。そのついでに、どうしても見たくなったのが、F1のかなり荒れたレースでした。有力ドライバーが次々と脱落し、最後はベテランが制したレースです。

2000年前後、雨のいたずら、ヨーロッパのコース、という漠然とした記憶しかありません。最初はシルバーストーンで探してみましたが、該当するレースはありませんでした。

1999年9月の第14戦、ドイツのニュルブルクリンクで開催されたヨーロッパ・グランプリこそが、私が見た中でもっとも面白かったF1のレースです。当時は全16戦でしたので、第14戦を含めて残り3戦です。

ポイントは、1位10P、2位6P、3位4P、4位3P、5位2P、1位1Pで与えられます。第13戦までのドライバーズ・ポイントは次のとおりでした。まだ、4人に優勝のチャンスがあります。

  • 60P ハッキネン(マクラーレン)予選3位
  • 60P アーバイン(フェラーリ)予選9位
  • 50P フレンツェン(ジョーダン)予選1位
  • 48P クルサード(マクラーレン)予選2位

フレンツェンは無限ホンダ初のポールポジションで、ハッキネンの7戦連続ポールを阻みました。ジェネ(ミナルディ)のトラブルでスタートはやり直しとなり、再スタートでハッキネンが2位に浮上します。

1コーナーで予選7位のヒル(ジョーダン)がスローダウン、予選11位のヴルツ(ベネトン)がヒルをかわそうとして予選13位のディニス(ザウバー)と接触、ディニスのマシンは裏返しになります。

この事故でセーフティーカーが入り、レース7周目に再開します。ニュルブルクリンクの魔物はしばらく息を潜めます。雨が降り始めた17周目の上位陣は次のとおりです。

  • 17周目1位 フレンツェン(ジョーダン)50+10
  • 17周目2位 ハッキネン(マクラーレン)60+6
  • 17周目3位 クルサード(マクラーレン)48+4
  • 17周目4位 ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)32+3
  • 17周目5位 アーバイン(フェラーリ)60+2
  • 17周目6位 フィジケラ(ベネトン)13+1

このまま終われば年間チャンピオン争いからクルサードが脱落して、ハッキネンからフレンツェンを挟んでアーバインまで3者が6ポイント差という熾烈なデッドヒートになります。

フェラーリのピットにはレインタイヤが用意されていたもののアーバインがドライタイヤを要求したため、右リアタイヤが間に合わずピットストップが28秒というロスが生じたのでした。

また、20周目にいち早くレインタイヤに履き替えたハッキネンは、雨が上がり路面が乾くにつれて徐々に後退し、ドライタイヤに戻したときには周回遅れになってしまいます。

  • 26周目1位 フレンツェン(ジョーダン)50+10
  • 26周目2位 ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)32+6
  • 26周目3位 クルサード(マクラーレン)48+4
  • 26周目4位 フィジケラ(ベネトン)13+3
  • 26周目5位 バリチェロ(スチュワート)15+2
  • 26周目6位 トゥルーリ(プロスト)1+1

このまま終われば、3人が60ポイントで並び、クルサードも52ポイントです。ラルフのピットイン後、クルサードは2位に上がります。1位10ポイントで2位6ポイントですから、第15戦と第16戦を連勝すれば6ポイント差は自力で逆転できます。クルサードの2位確保には大きな意味があります。

33周目、トップのフレンツェンと2番手のクルサードが同時にピットイン。フレンツェンはトップのままコースに復帰したものの電気系のトラブルによって1コーナーの先でストップし、リタイアします。

  • 34周目1位 クルサード(マクラーレン)48+10
  • 34周目2位 ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)32+6
  • 34周目3位 バリチェロ(スチュワート)15+4
  • 34周目4位 フィジケラ(ベネトン)13+3
  • 34周目5位 ハーバート(スチュワート)2+2
  • 34周目6位 ヴィルヌーヴ(BAR)0+1

これでクルサードがトップに立ち、そのままゴールすれば10ポイント獲得です。フレンツェンの0ポイントは確定し、ハッキネンとアーバインも入賞圏外ですから、このまま終われば、残り2戦で2ポイント差に3人がひしめく大混戦です。

35周目、再び雨が強く降り始め、挙動を乱すマシンが出てきます。ニュルブルクの
魔物はまだ手を休めません。37周目、クルサードがコースアウトしてリタイアします。

  • 40周目1位 ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)32+10
  • 40周目2位 フィジケラ(ベネトン)13+6
  • 40周目3位 ハーバート(スチュワート)2+4
  • 40周目4位 トゥルーリ(プロスト)1+3
  • 40周目5位 バリチェロ(スチュワート)15+2
  • 40周目6位 ヴィルヌーヴ(BAR)0+1

7位まで上がっていたアーバインはレインタイヤに変えますが、これが裏目に出ます。ラルフがピットインした45周目にはもう路面は乾き始めました。ラルフのピットインで1位を奪ったのはフィジケラでした。

  • 47周目1位 フィジケラ(ベネトン)13+10
  • 47周目2位 ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)32+6
  • 47周目3位 ハーバート(スチュワート)2+4
  • 47周目4位 トゥルーリ(プロスト)1+3
  • 47周目5位 バリチェロ(スチュワート)15+2
  • 47周目6位 バドエル(ミナルディ)0+1

フィジケラは勝てば初優勝です(本当に勝っていればベネトン最後の優勝でした)。ミナルディのバドエルが6位入賞圏内です。ミナルディの入賞は1995年最終戦以来ありません。このまま終わっても十分に「波乱」です。

49周目、アーバインを周回遅れにしたフィジケラがコースアウト、タイヤバリアで
ステアリングを投げ捨てたフィジケラは、外に出たあと金網にもたれたまま顔を上げません。これで、ラフルが再び1位となります。

ラルフが勝てば初優勝を地元で飾ることになります。ニュルの魔物はまだ牙を研いでいました。フィジケラのリタイア直後、ラルフは右リアをバーストして大きく後退します。6位に浮上していたアーバインはレインタイヤをドライに履き替えるために3回目のピットインです。

  • 60周目1位 ハーバート(スチュワート)2+10
  • 60周目2位 トゥルーリ(プロスト)1+6
  • 60周目3位 バリチェロ(スチュワート)15+4
  • 60周目4位 ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)32+3
  • 60周目5位 ヴィルヌーヴ(BAR)0+2
  • 60周目6位 ジェネ(ミナルディ)0+1

このあと、ヴィルヌーヴがリタイア(完走扱い)して、アーバインが6位、ハッキネンが7位に浮上します。64周目、アーバインの左フロントがロックして、競っていたハッキネンが6位に上がり、ハッキネンは最終周回でジェネもかわして4位に食い込みます。

  • 1位 ハーバート(スチュワート)2+10
  • 2位 トゥルーリ(プロスト)1+6
  • 3位 バリチェロ(スチュワート)15+4
  • 4位 ラルフ・シューマッハ(ウィリアムズ)32+3
  • 5位 ハッキネン(マクラーレン)60+2
  • 6位 ジェネ(ミナルディ)0+1

ハーバートは4年ぶりの優勝、スチュワートとしては3年目の初優勝です。翌年からジャガーに引き継がれましたので、最後の優勝でもあります。もちろん1-3フィニッシュも初めてです。

F1参戦3年目のトゥルーリは初めての表彰台で、2回目は2003年ドイツまで待たなければなりません。プロストチームの2位は2年ぶり2回目(最後)で、プロスト・プジョーとしてはこの1回きりです。

3位に入ったバリチェロは翌年からフェラーリに移籍し、ミハエル・シューマッハとともに黄金時代を築きます。なお、ミハイルはこの年のイギリスグランプリで負傷して欠場中でした。

結果的に第15戦はアーバイン優勝でハッキネン3位、第16戦はハッキネン優勝でアーバイン3位でしたので、荒れた第14戦のラスト2周でハッキネンが奪った2ポイントは重かったわけです。

バスプールとタクシープール

あまり一般的ではないのかもしれませんが、「バスプール」あるいは「タクシープール」という呼称もないわけではありません。もっとも有名なのは仙台駅のバス乗り場だと思われます。

先日訪れた高知龍馬空港では、予約していたタクシーが「バスプール」内に待機していました。

ストリートビューで見ると、こんなところになります。

羽田の「バスプール」は観光バスの一時待機場所であって、そこで乗り降りするわけではありません。規模の違いでしょうが、高知空港の場合は乗り降りもここで行っているのではないかと思われます。

その性格は別にしても、空港の公式サイトで「バスプール」の存在を確認できるのは、羽田のほかに、福岡、那覇、神戸、高松といったところです。

一方、「タクシープール」は「バスプール」より一般的な用語のようです。タクシー乗り場へ向かうタクシーの一時待機場所が「タクシープール」と呼ばれています。

「タクシープール」の場合、用法的にも「蓄え」の意味と合致します。

サブブログの行方

予定どおり、1月1日付でサイト名を「あなぐると」に再変更しました。

今月やりたいことは、まず歌詞掲載用のブログ「寂しい/淋しい/さびしい/さみしい」の受け皿となるブログサービスを探すことです。これに関しては多少の時間がかかってもやむを得ないと思っています。

次に、モータープールをひとまず完結させる必要があります。全国的な分布はおおむね掴めましたが、まだやり残していることもあります。大阪市内の特定の区域で「モータープール」の比率がどれくらいなのかチェックしたいと考えています。

旧「セットポジション」からは1ページだけ焼き直しを再うpします。ここまでできれば、今月はOKとしなければならないでしょう。余裕があれば、マイマップの第4弾に着手することになります。