【ブログ】5代目んだ

第132回イチ抜けは「君をのせて」

音程優先とした第132回の入賞曲は次のとおりです。イチ抜けの「君をのせて」は初入賞どころか初エントリーでした。初入賞イチ抜けは第95回の「水色の街」以来、1位に初入賞したのは第89回 「ハートのイアリング」以来です。

  • 96.320(92) 君をのせて ♪ 井上あずみ
  • 96.748(91) 好きになって、よかった ♪ 加藤いづみ ★
  • 96.143(91) 象牙海岸 ♪ 竹内まりや
  • 95.940(91) 無縁坂 ♪ 水森かおり
  • 97.666(89) また君に恋してる ♪ 坂本冬美
  • 93.212(89) さらばシベリア鉄道 ♪ 福山雅治
  • 96.668(88) クリスタル モーニング ♪ 石川優子
  • 92.875(88) しょこららいおん ♪ 高城れに
  • 98.148(85) ▲ひこうき雲 ♪ 荒井由実

エントリー初回でのイチ抜けは、さらに遡って第70回の「瀬戸の花嫁」以来になります。もし、今回も得点優先を続けていたら入賞曲は次のように決まっていたことになります。

  • 98.148(85) ひこうき雲 ♪ 荒井由実
  • 97.836(87) 好きになって、よかった ♪ 加藤いづみ ★
  • 97.666(89) また君に恋してる ♪ 坂本冬美
  • 97.445(90) 君をのせて ♪ 井上あずみ
  • 97.156(87) クリスタル モーニング ♪ 石川優子
  • 96.706(85) 緑の町に舞い降りて ♪ 松任谷由実
  • 96.678(86) 象牙海岸 ♪ 竹内まりや
  • 96.562(86) 灰とダイヤモンド ♪ ももいろクローバーZ
  • 96.477(85) 希望の向こうへ ♪ ももいろクローバーZ

「ひこうき雲」は2013年公開「風立ちぬ」の主題歌でしたので、いずれにしてもイチ抜けはジブリ曲のくくりではありました。今後しばらくDX-Gでは3回に1回のペースで音程優先回を設けることにします。

得点優先なら「灰とダイヤモンド」が初入賞でしたが、音程優先で「しょこららいおん」が初入賞を果たしましたので、どっちもどっちです。音程優先とした今回、イチ抜けの目算は「無縁坂」か「また君に恋してる」でした。

あわよくばという期待は「さらばシベリア鉄道」や音程9位で入賞を逃した「帰っておいで」に持っていました。実は「君をのせて」の音程92%は最終ラウンドで出たもので、決勝第1ラウンド終了時にリーチをかけていたのは「象牙海岸」でした。

「象牙海岸」は1980年のアルバム曲ですが、「象牙海岸」に決まっていれば松本隆30曲目、竹内まりやは初めてのイチ抜けでした。132回もやりながら、まだ竹内まりやのイチ抜けがないというのも困ったものです。

また、もし「君をのせて」の逆転がなければ「好きになって、よかった」が第130回から3連覇でした。過去に「異国の丘」、「乙女のワルツ」、「私にできること」、「チェリーブラッサム」が連覇していますが、3連覇はまだありません。

今年の年末オールスター戦のシリーズでは得点でも音程でもなく、第120回で試した「平均点との差」を基準とします。「全国平均点の推移」のページは、そこを見据えてのものです。

三峰五岳の一角

雲仙岳の最高峰は平成新山の1483mです。ピーク時は1488mだったそうです。平成新山は1990年から1996年にかけての普賢岳の噴火活動で形成された溶岩ドームです。「三峰五岳の雲仙岳」の「三峰五岳」に平成新山は入っていません。

「三峰」は普賢岳(1359m)、国見岳(1347m)、妙見岳(1333m)で、「五岳」は九千部岳(1062m)絹笠岳(879m)、高岩山(881m)、野岳(1142m)、矢岳(940m)です。

「四峰五岳」に昇格?しなかったのは、平成新山が普賢岳の派生物という認識だからからなのでしょうか。1991年6月には噴火による火砕流で40人以上が亡くなり、全焼した小学校は災害遺構として保存されています。2012/12のストビューです。

さて、「雲仙岳」はもともとは島原半島の山々の総称だったそうですが、ときに普賢岳の別称のように用いられたり、「三峰」もしくは「三峰五岳」を指すこともあるようです。

アメダス観測地点としての「雲仙岳」は、風速・風向については絹笠山の山頂、気温や降水量、日照時間はその麓の温泉街に設けられています。年間の平均風速は1978~2002年が1.2~1.5km/s、2003年以降が4.4~4.9km/sです。

温泉街で計測していた風速・風向の観測ポイントを、温泉街より200mほど標高の高い絹笠山山頂に移したのが2003年ということになりそうです。赤のマーカーが絹笠山山頂で、「雲仙地獄」が温泉街です。

青が普賢岳山頂、その東の盛り上がったところが平成新山、緑のマーカーは旧・大野木場小学校の被災校舎です。絹笠山から普賢岳まで直線で約4.5kmになります。破線が市境界で、西が雲仙市、東が島原市、南は南島原市です。

絹笠山山頂の「雲仙岳」観測地点における4月9日23:40から4月10日0:30にかけての10分ごとの最大瞬間風速は次のように推移しました。風のピークは日付を跨いだこの1時間でした。

  • 23:40 28.0km/s
  • 23:50 31.8km/s
  • 24:00 31.2km/s
  • 00:10 32.3km/s
  • 00:20 27.2km/s
  • 00:30 28.1km/s

4月9日23:48に記録された31.8km/sはこの日の最大瞬間風速全国1位、4月10日00:06に記録された32.3km/sも最大瞬間風速全国1位です。ピークがたまたまこの時間帯だったことで「一粒で二度おいしい」結果が訪れたのでした。

雲仙には行基が開祖とされる大乗院満明寺と温泉(うんぜん)神社があります。空海や義経と同様、行基も各地に「伝説」を残しています。いずれは「行基MAP」を作成するつもりです。


【2019/04/17追記】
4月13日と14日の本泊(利尻島)でも同じ現象が起きています。13日23:42に20.6m/s、14日0:40に22.1m/sを記録した本泊は2日連続で瞬間最大風速1位です。ありがちなことのようです。

下り車線にだけ設けられた長さ40mの有安トンネル

中国自動車道下り車線の吉川ICを過ぎた右カーブの終わりかけにちょっと不思議な形状の「トンネル」があります。

高速の上に歩道橋が設置されている部分の下り車線だけ長さ40mの構造物が設けられています。ストリートビュー(2017年12月)で見てもやや違和感があります。

山を切り開いて高速道路を建設したのですから、下り車線だけトンネルにする必要があるとは思えません。作らなくてもいいはずのトンネルをわざわざ作ったのは、古墳が見つかったからということのようです。

トンネルの屋根は直径12.5mの円墳を保存するために設けられたものだそうです。そこまでして保存するほどの価値がある遺跡なのだろうかと思わなくもありませんけど…。

というわけで、有安MAPを作成しました。これで公開中のマイマップは7つ目となります。

うーむ、これは

大阪偕星学園高等学校Webサイトに掲げられている「沿革」のページから冒頭7行です。なお、年号は昭和です。

4年2月19日 甲種商業学校「此花商業学校」として東淀川区長柄中通3丁目に設立許可
4年4月1日  第1本科(昼間部)及び第2本科(夜間部)を設置
20年4月1日  戦時措置により校名を「此花工業学校」と改称
20年9月1日  戦時転用のため、学校を西区元堀江国民学校(仮校舎)へ移転 校名を「此花商業学校」に復す
22年4月1日 学校改革により「此花中学校」併設
24年3月22日 現所在地 生野区勝山南2丁目6番38号へ移転
24年4月1日 校名「此花商業高等学校」となる

大阪偕星学園高等学校「沿革」

昭和20年(1945年)に校名変更したことになっていますが、戦時転換は1944年のはずです。1年の猶予を与えてもらえるような緩いご時世だったとは思えません。有無を言わさず強制されたものと私は理解しています。

元の此花商に戻したのが敗戦からわずか半月後の9月1日ということですが、これもにわかには信じ難いところです。たしかに敗戦によってタガは外れたのでしょうが、はたして行政当局が書面上でも容認したのか疑問が残ります。

「此花商業高等学校」への校名変更は昭和24年ということですが、新制高校にかかわる学制改革は昭和23年(1948年)です。昭和23年に新制高校として校名が変わり、その翌年には「此花商業高等学校」に変更したという意味かもしれません。

「此花工」への改称は昭和19年、「此花商」への改称は昭和21年、「此花商高」への改称は昭和23年ではないかと私は疑っているわけですが、昭和22年の「学改革」は、およそ教育関係者が間違うような用語ではないはずです。

さすがにこれは素人臭が漂います。学制改革の学改革への誤変換はあり得ることでしょうが、「学校改革」ではベースとなる教養そのものが問われても仕方がありません。

駅前立地で統合後の跡地は即売

統合によって移転・閉校となった学校の敷地が10年経っても校舎の取り壊しさえ行われていないケースは珍しくありません。解体するだけでもそこそこの費用が生じます。人口が減って閉校するわけですから、有効利用は難しいのが実情でしょう。

堺市立商・第二商の場合は即売だったようです。堺市立商業学校は1921年の設立で、1923年に今の南海電鉄高野線浅香山駅前の敷地に校舎を新築しています。浅香山駅の開業は1915年です。

学校があるから駅ができたのではなく、最初から駅があったところに学校をつくったということになります。第二商の設立は1940年です。いったん廃止されますが、敷地と校舎を共有する形で1952年に定時制が独立開校します。

大和川は大阪市と堺市を隔てる市境界となる河川です。浅香山駅には各駅しか停まりませんが、ターミナルのなんば駅から20分前後です。しかも、並行する西の南海本線七道駅や東のJR阪和線浅香駅まで約1kmという恵まれた立地になります。

堺市立工・第二工との合併統合は2008年4月です。2007年の全日制入学生は2009年度末まで市立商に通っています。2007年の定時制入学生は2010年度の最後の1年間を市立工に新設された堺市立高で授業を受けたようです。

スムーズに売却が決まったからです。校舎はリニューアルされて関西大学堺キャンパスになっています。お買い得であることは間違いありません。転売制限が付いているとしても、この立地ならおいしい資産です。

2010年2月のストビューです。まだ引き渡しされていない時期ではないかと思われますが、奥にはクレーン車のようなものが見えます。まあ、全日制の授業は終わっているでしょうし、定時制の時間帯には工事はしないものでしょう。