遠くの空

有安杏果の卒業メッセージは次のような言葉で締めくくられています。

★「ももパワー充電所」2018-01-15 12:00:00「ファンの皆様へ」

寒い日が続くけど、ぐれぐれも体調に気をつけて頑張ってくださいねっ。

遠くの空からだけど、ずっとみんなのこと応援してます。

この「遠くの空」とは、素直に解釈するとあの世か海外です。「卒業」して「普通の女の子の生活を送りたい」だけなら、ここは「同じ空」であるべきです。

やはり、海外を意味するものと思われます。横アリ前のラジオで音楽監督の武部聡志に語っています。

★2016年6月19日「武部聡志のSESSIONS」

BoAさんとか安室ちゃんとか、歌いながら踊れる人になりたいと思ってたんですよ、ずっと。ずっとそういうの聴いてて、洋楽とかも聴いたり、歌詞とか関係なくカッコいいサウンドを聴いたりしてましたね

2016年7月の「ココロノセンリツ Vol.0」では、セットリストの13曲目がCarole King「You’ve Got a Friend」で、14曲目がMR.BIG「TO BE WITH YOU」でした。

2016年11月に別府で開かれた「ココロノセンリツ Vol.0.5」でも、「TO BE WITH YOU」とエルトン・ジョンの「Your Song」が入っています。2017年1月のフォーク村ではドラム演奏とともに「ホテル・カリフォルニア」を歌っています。

2017年東名阪ツアー前のブラザートムとのラジオでは、 「ブルーノートで歌いたい」とも発言しています。南青山のブルーノートは300席弱のジャズクラブです。You Tubeの公式チャンネルには懐かしい名前がありました。

有安杏果の選曲によるEGO-WRAPPIN’の「くちばしにチェリー」からブルーノートの話題になっており、何も知らずに口にしたわけではありません。そんな引き出しも持っていたということになります。

ジャズはaikoの影響もあるのでしょう。ブルーノートの本家はニューヨークですが、「ブルーノートで歌いたい」がどちらを指しているのかはわかりません。

【2018/03/12追記】

「くちばしにチェリー」はブログにも登場していました。出発がダンスということもあるのでしょう。

★ももパワー充電所>jazzy♪(2014-12-14 21:59:32)

あっ、フォーク村ではなかなか披露する機会ないかもだけど
私、歌詞に惹かれるメロディアスなJ-POPも大好きなんだけど

意外と
身体で感じるjazzyな曲も大好きだったり・・・♪

「くちばしにチェリー」とか
ハードル高すぎるけど
いつか歌ってみたかったりする(^m^)

逆算スイッチ

アイドルからシンガソングライターへの転身を果たした顕著な成功例は竹内まりやです。竹内まりやは大学在学中の1978年11月にシングルとアルバムの同時リリースで歌手デビューしています。

純粋なアイドルと言うよりアイドル枠に組み込まれていただけのことかもしれません。留学経験があることから、大学在学中と言ってもデビュー当時で23歳です。3枚目のシングル「September」で1979年レコード大賞新人賞を受賞しています。

翌1980年の「不思議なピーチパイ」がアイドル時代の代表作になるはずです。デビュー3年後の1981年末、9枚のシングルと5枚のアルバムを残して休養を宣言、1982年4月に山下達郎と結婚します。

活動再開は楽曲提供でした。同年8月発売の堀ちえみ「待ちぼうけ」より9月発売の河合奈保子「けんかをやめて」が有名ですが、シンガーとしての復帰は1984年4月の「もう一度」まで待たなければなりません。休養から2年強です。

そうなってほしいという期待を込めて、私は有安杏果を竹内まりやと重ねていた部分がありました。その顰に倣って、まずは楽曲提供で戻ってきてほしいと考えています。

シンガーとしての復帰があるなら、来年の「ももいろ歌合戦」ではないかと勝手に期待しています。「ミスX(初)」あるいは「ミセスX(初)」として、お土産の新曲を披露してほしいという願望があります。

今後のももクロでは封印されてしまいかねない「words of mind」をカウントダウン・ライブで歌い、早見あかりらのOGも加えて「あの空へ向かって」で〆れば、カウコンとしては理想なのかもしれません。

1978年4月解散のキャンディーズは、1980年に伊藤蘭と田中好子が女優で復帰しています(藤村美樹は1983年に歌手として一時的に復帰)。事情はそれぞ異なりますが、最近ではアンジェラ・アキの「無期限活動停止」や絢香の「活動休止」も約2年です。

「BUBUKA」3月号の記事でもっとも印象的だったのは「逆算スイッチ」です。準備と計画の人だった有安杏果はこのスイッチを一度完全にOFFにするために卒業を選んだのだという解釈です。

私は当初、ソロ活動で行き詰まりを感じてインプット期間を必要としたのだろうと思っていましたが、どうやらそういうことではないようです。

ソロライブの関係もあって、有安杏果はももクロのメンバーの中ではラジオ単独出演がもっとも多かったはずです。彼女の発言を時系列で文字に起こししてみました。まずは大学に入った頃の発言です。

★2013/04/16「ミューコミプラス」

今、ほんと時間が欲しくて。これ言っちゃたら、ズルいとは思うんですけど、なんかほんとやりたいことが、なんか高校を卒業したからこそ、逆にこう自由じゃないですか。だからこそ、いろいろこれもやりたい、これもやりたいって思って、一日がほんと早すぎて。いつも気づいたらもう夜中みたいな

次は19歳の誕生日を国立で迎えた直後です。

★2014/03/25「真夜中のハーリー&レイス」

いつか1人で、なんかソロコンサートみたいなことができたらいいなって思います

初ソロコンは2016年7月の横浜アリーナでした。ラジオではありませんが、初ソロコンの告知です。ライブのタイトルは「ココロノセンリツ 〜Feel a heartbeat〜 Vol.0」です。

★2016/05/06「momocloTV」

有安「たぶん、ずっとこのタイトルで、死ぬまでやっていこうと思っているので」
川上「死ぬまでやりますか?」
有安「はい、死ぬまで」
川上「ライフワークってことですね」
有安「はい」
川上「ということは、この先もある」

横アリ1か月前です。

★2016/06/08「ミューコミプラス 」

歳を重ねるごとに自分のやりたいことが明確になってきました

Vol.1の東名阪ツアー1週間前です。卒業を事務所に伝えた時期と前後するはずですが、微妙な発言がありました。かつて「ポンキッキーズ」で共演したブラザー・トムに次のように返しています。

★2017/06/16「One More Pint」

トム「ももクロってさ、オリンピック出んの?」
有安「いや、出たいですけどぉ」

字面だけなら、2020年への意欲を示しているようにもとれますが、テンション高めに応じたのは、心を許している旧知のトムがももクロを活動を知っていてくれたことへの反応に過ぎないのかもしれません。

最後は「メンバーに言ってみよ、喜ぶわ」という発言でこの話題は終わっています。チームももクロのオリンピックへの意欲は、結果的には早めの決断を促すことになったものと思われます。

オリンピックへの「逆算スイッチ」をONにすることを拒む以上、遅くなればなるほど辞めにくくなります。事務所側としても、必要以上に慰留することはできません。直前で辞められるより今のほうがダメージは少なくて済みます。

「年明け前」とされるメンバーへの報告でも、当然のようにこの話題は出たはずです。「4人とモノノフで奇跡の5人」というラスコンのいささか奇異な発言は、オリンピックへのアシストのつもりだったのかもしれません。