1923年3月は暑かった
このサイトには毎日の最高気温1位地点をフォローしているページがあります。1月や2月の全国1位地点は沖縄か父島にほぼ限られます。春が近づくつれて主に九州本島の観測地点が1位になります。今年の場合は3月22日の日向でした。
6月まで沖縄比率は徐々に低下し、7月や8月はまず沖縄が1位になることはありません。季節が進んで本州の猛暑日が途絶えると沖縄が復活し始めます。今年は9月19日の安次嶺(那覇空港)が復活初日でした。
桜前線が北上することでわかるように、3月の気温はまだ緯度に依存する季節です。熊谷、高知、鹿児島の3月最高気温の平均は次のように推移しています。

1923年の3月は熊谷が14.3℃、高知が17.1℃、鹿児島が18.5℃で、当時としては観測史上1位または2位の数値でした。3月の日最高月平均が20℃台に達したのは、2021年の鹿児島が本土4島では唯一のケースかもしれません。
撫養町(むや-ちょう)の南浜区内観測所では、1923年3月の日最高気温月平均が21.3℃です。ためらうことなく異常値判定したくなる数値です。

1923年当時、徳島と和歌山と洲本に測候所がありました。
異常値
南浜は1921~1925年の5年間をグラフに組み入れました。実際の観測期間はもっと長いはずです。

1923年3月の南浜の日最高月平均21.3℃は、著しく品質を欠くデータであろうと思われます。なにしろ31日平均の数値だからです。本当にこの気温なら1923年の鳴門市の桜は3月中に散ってしまったに違いありません。少なくとも「審議」対象です。
アメダス下館では、今年6月17日13時30分の気温速報値が40.0℃でした。13時20分は34.4℃ですから10分で5℃以上急上昇したことになります。結局、この40.0℃は採用されませんでした。観測データの品質チェックは100年前の外部委託観測所にはシステムとして存在していなかったものと思われます。
さて、問題の8月です。

1922年8月と1923年8月の南浜はやはり異常値判定したくなります。8月6日の42.5℃をピンポイントで否定する根拠にはなりませんが、南浜観測所は何らかの問題を抱えていた可能性が高そうです。
清掃法は1954年
1971年1月19日の屋久島で湿度0%が観測されたのは、湿度計が1969年夏あたりから低い数値しか示さなくなったためかと推測できます。南浜の気温計にはそうした傾向が見当たりません。
徳島測候所との比較では、1923年3月が5.4℃差で8月は5.0差ですが、1月と9月は0.5℃差です。10月は徳島より0.2℃低くなっています。観測機器の不具合に起因するのではなく、周囲の環境か人的要因である可能性が高そうです。
1923年当時、クーラーがあるとも思えませんので室外機とか熱を発する機械のせいではではないはずです。可能性として考えられる有力容疑者はゴミ焼却です。自治体がゴミ収集を担うようになったのは戦後です。
大正時代なら、ゴミは基本的に各自処分だったものと思われます。一般家庭では庭や畑で燃やすのでしょうが、家庭ゴミはそれほど出なかったはずです。役所なら当時でも一定の書類ゴミは出るものでしょう。
焼却炉というほどの設備ではないにせよ、ドラム缶で焼却処分していても不思議ではありません。8月の合理的説明はできませんが、3月は年度末です。百葉箱の近くで火を炊いたことが最高気温に反映されたのではないかというのが私の推理です。
周囲が塩田だったようですから、塩を抽出するために煮詰める塩釜が百葉箱の近くに設置されていたという可能性もありそうです。ただし、当時の塩釜は煙突を備えた室内設置で、屋外にはないはずです。





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